八章 広瀬なるみの憂鬱 ②
二
「あのう、聞きにくいんだけど……西浦君は何か悩
み事があるんじゃない?」
西浦の担任の女教師――谷川昌子(たにかわしょ
うこ)は、申し訳なさそうな口調で切り出した。
昌子は二十五歳の国語教師。
髪は短くマッシュルーム型。赤い縁のメガネをか
けている。
性格は良さそうだが、自信がなさそうな弱々しい
目をしている。
ぱりっとした紺のパンツスーツを着て、仕事が
できる大人の女に見せようとしている。
だが、顔つきも話し方も自信なさげであるため、
誰の目にも経験不足な新米教師に見えてしまう。
また、実際に経験不足であった。
――あーあ、百点満点中二十五点だな。昌子先生
は……。女子高生の時ならもっと点数は高かっただ
ろうけど、大人になっちゃうときついよねえ。
西浦は心の中で昌子の採点を終えると視線を手元
の携帯電話に戻す。
ガムをかみながら電話のボタンを連打して、重要
な文章を作っていた。
今日は二度目の戦闘を終えた水曜日。放課後の
時間だった。
現在の西浦は教師と生徒指導室で二人きりだ。
テーブルをはさんでソファーに向かい合わせに座
っている。
西浦は昌子が自分に大事な話があるというので
『特別に相手をしてやっていた』。
女教師や年上の女にあこがれを持つ男には、たまら
ないシチュエーションだろう。
だが、西浦の好みは年下ロリ系であるため、うれ
しくも何ともない。
「……たとえば友達の悩みとか、お家の悩みとか、
何かあるんじゃないかな?」
「別に悩みなんてないですよ! 今の僕は毎日が充実
していますっ! 毎日が楽しくて楽しくてしょうが
ないですよっ! 本当にっ!」
昌子の問いに文章を作成しながら元気良く答えた。
今の西浦の人生は最高に充実している。
恋愛でもアビリティーでも、絶好調としか言いよう
がない状態だ。
昌子は自信がなさそうに視線をテーブルに向けて
言葉を発した。
「この前、西浦君がトイレから出た所を見た人が
いて、その人が言うにはトイレに入る前と出た後を
比べると、西浦君の様子がおかしいって話があって
……」
「先生。もしかして、僕がヤク中だって言いたいん
ですかあ~? 僕がトイレでヤクをやってるジャン
キーだって言いたいんですかあ~?」
「あの、わたし、そんな事が言いたいんじゃなく
て! ご、ごめんなさいっ!」
昌子はあわてた顔で西浦に両手をふって見せた。
口では否定していても完全に自分を疑っているリアク
ション。
西浦は腹の底でどす黒い感情がわき出すのを感じた!
最高級の怒りだ!
ガムを飲みこんで大声を張り上げた!
「それはですねえ! 僕の幸せをねたんでいるバカが
言った事ですよおおっ! 絶対にいいっ!」
「西浦君をねたむって、どういう意味なの?」
「世の中にはいるじゃないですかっ! 他人の幸せ
を素直に喜べないバカが!
自分が不幸だから幸せな奴を見るとムカついて、
そいつを破滅させたくなるバカが!
そういうバカが僕の幸せをねたんで、でたらめを
言いふらしてるんですよ! まちがいないですねっ!
絶対にいいっ!」
全力で言い終えると、西浦の体の中でどんどん
怒りが増加してゆく。
――まったく、バカな奴だ。他人を不幸にしても
自分が幸せになれるわけがないのに……。
――しかし、そういうバカは一生直らないのかも
しれない。
――となると、僕がダークヒーローとして、そいつ
を始末するしかないな。
でたらめを言いふらした究極の愚か者を、今すぐ
アビリティーで抹殺したい衝動に襲われた。
正義の怒りだった。
悪に満ちたこの世の中を正したい正当なる怒りだ。
「今、西浦君はどんなふうに幸せなの?」
「決まってるじゃないですかっ! パーフェクト・
ロリですよおっ! 僕はついに見つけたんですっ!
顔、体、声の全てが百点満点の究極美少女を!
れんげちゃんですよっ!
僕の将来のお嫁さんなんですっ! こんなの世界の
常識じゃないですかっ!
教師のクセに、そんな事も知らないんですかああっ!」
「ふわっ!……ぱ、ぱ、パーフェクト・ロリ? れ、
れんげちゃん?」
昌子はマヌケな声を上げておどろいた。
メガネは鼻先までずり落ちている。
完全に話についていけない様子だ。
当然だと西浦は思った。頭の悪い新米教師が自分の
話題を理解するには、軽く百万年以上かかるだろう。
「僕は今、自分の体験をもとに小説を書いているん
ですっ!
題名は『ディープロリ・電撃男・青空』!
純粋すぎる少年と少女のスーパーピュア・ラブ
ストーリーで本にしたら売り上げ百万部は確実
ですねっ!
恋に飢えている女子中高生が読んだら、涙ボロ
ボロですよっ! ああ……思い出したら僕まで泣けて
きたっ!」
体の内側からこみあげる熱い感情!
れんげとの生電話を思い出してしまった!
切なかった!
あまりに切なすぎて、バケツ三杯分は涙が出そうだ!
だが、今は泣いている場合ではない。
自分の純愛を邪魔する相手――良貨連盟の『ゴミ男』
を想像して涙を押さえる。
新しい怒りがじっとりとこみ上げてきた。
「とにかく、僕の悪いうわさを流したのは敵です!
僕がれんげちゃんと出会えないのも、今までずっと
孤独だったのも全部敵が悪いんです!
だから、先生っ! 僕がジャンキーだと疑うのは
絶対にやめて下さいっ! 分かりましたかっ!」
西浦が大声で訴えた時、携帯電話が鳴った。
ディスプレイには大岩の表示。
西浦は書きかけていた文章――『ディープロリ・
電撃男・青空』の原稿を保存してソファーを立ち
上がった。
大岩との会話を誰かに聞かれたくはない。
「えっと……先生には難しすぎる問題だから、
ご両親に連絡させてね」
昌子はずり落ちたメガネを戻しながらおびえた
顔で笑った。
何か恐ろしい物を見るような目を西浦に向けて
いる。
――もしかしたら、昌子先生も僕の幸せをねたむ
『敵』かもしれない。これからは……気をつけよう。
西浦は生徒指導室を出ると、最短距離にある男子
トイレに入りこんだ。
中に誰もいない事を確認すると電話に出る。
大岩はいつもの落ち着いた冷たい口調で重要な事
を告げた。
『西浦君。現在、君のまわりには誰かいるかい?』
「いません! 僕一人だけです!」
『では、安心して話せるな。ようやく君の最後の任務
が決まった。明日の朝。広瀬なるみが持つMコインを
強奪してほしい。
明日の任務では一般都市でのアビリティーの使用
も許可する。どうだい? できるかな?』
「楽勝ですよ! そんなの! でも……あの『赤点
巨乳女』のMコインを奪うのが、れんげちゃんと
どう関係あるんですか?」
『君の言う『赤点巨乳女』は裏付け調査の結果。高
レベルのMコイン作成能力を持つコイン・メイカーで
あると判明した。
彼女のMコインを奪う事で良貨連盟を、一時的に
混乱状態に追いこむ事が可能だと我々は考えている。
混乱の結果。敵は何らかの対応策を打つだろう。
その時、れんげちゃんの行動を邪魔している『ゴミ男』
が表に姿をあらわすのは確かだ』
「分かりましたっ! じゃあ、明日で全部嫌な事が終わ
って僕はハッピーエンドになることができるんですねっ!」
『そうだ。君はもう九十%まで来ている。後、わずか
十%の努力でれんげちゃんと楽しい学園ラブコメディー
生活が送れるぞ。がんばってくれ』
大岩は力強い声で告げると電話を切った。
九〇%という数字は魅力的だった!
今まで待ち望んでいた夢が後少しで実現するのだ!
パーフェクト・ロリの究極美少女と毎日学校でイチャ
イチャする夢が!
周囲のカップルどもに自分の究極美少女を見せびら
かす夢が!
何よりも究極美少女が、自分の将来の嫁さんになって
くれる夢が!
西浦は携帯電話の待ち受け画面になっている、れんげ
に向かって絶叫した!
「れんげちゃあああんっ! 後少しだよおっ! 後少
しで僕たちは会えるよおおっ!
それまで待っていてねえええっー!」




