4 灰かぶりの魔女
灰かぶり――一般的には『シンデレラ』の名前で知られる有名な童話だ。シンデレラは継母と姉たちにいじめられる日々を送っていた。ある日、城で舞踏会が開かれることになり、継母たちは出かけていくが、シンデレラは留守番を命じられる。自分も舞踏会に行きたいシンデレラだが、継母たちのような美しいドレスも持ち合わせてはいない。
困っていたところに現れるのが心優しい魔女。魔女は美しいドレスとガラスの靴を用意し、カボチャを馬車に変え、シンデレラを舞踏会へと送り出す。舞踏会でシンデレラは王子に見初められるが、十二時には魔法が解けてしまう。十二時の鐘の音に慌てて駆け出すシンデレラは、ガラスの靴を落としてしまう。のちに王子は、このガラスの靴をたよりにシンデレラを見つけだし、二人は結ばれ、めでたしめでたし、という具合だ。
有名な話なので丈もだいたいのあらすじは知っていた。ただ、グリムの魔女の一人として、灰かぶりの魔女がいると言われると、いまいちぴんとこない。
実のところ、グリム童話版の灰かぶりに、魔女は登場しない。現在知られている、魔女の登場、カボチャの馬車やガラスの靴といったモチーフは、ペロー版灰かぶりの『サンドリヨン』に描かれたものだ。グリム童話の『灰かぶり姫』にはカボチャの馬車も魔女も出てこない。
白雪吹雪の「白雪姫の魔女」という命名に関してもいろいろといい加減なところがあったが、それにもまして、この「灰かぶりの魔女」というのはいい加減な名づけ方をしたものだな、と丈は思う。
『まあ、厳密に言うとそういうことになっちゃうんだろうけどさ。一般的に、灰かぶりと言えば魔女、灰かぶりと言えばグリム童話、っていう認識だから、当然グリム童話には魔女が出てくるんだろうな、って勘違いは、あってもおかしくないと思うわ』
「そういうもんか」
『そういうもの。今は、そんな細かいツッコミはどうでもいいの。とにかく、「灰かぶりの魔女」は近くまで来ているわ。ほんと、気を付けてね』
念の入った忠告をして、邦子は電話を切った。
丁度、阿澄がコンビニから戻ってきたところだった。手にはビニール袋を提げている。
「戸隠さん、なんだって?」
「グリムの魔女がまた近くまで来てるから気をつけろってさ」
「グリムの魔女って、白雪さんみたいな面倒な人が、また襲ってくるってこと?」
阿澄は唖然とする。無理もない、阿澄は白雪のせいで、魔法の鍵をめぐるいざこざに巻き込まれ、一歩間違えれば毒リンゴを食わされるところだったのだ。グリムの魔女には二度と関わりたくない、というのは丈だけでなく阿澄も思っていることだろう。
「やっぱり、また魔法の鍵絡み?」
「だろうな」
「ほんと……丈のお母さんを悪く言うわけじゃないけど、大変なものを遺されちゃったわね」
「まったくだ」
話を聞いただけでどっと疲労感が押し寄せ、丈は盛大に嘆息する。
「ま、そんなシケた顔しないでさ。はい、これ食べて元気出して」
がさごそと袋をあさって、阿澄が取り出したのは、チューブ型の容器に入ったアイス。二つがつながっているそれを切り離して、片方を丈に差し出した。受け取ると、手のひらから冷たさが伝わって体の中まで染みていく。
「やっぱ夏はアイスよねー」
「いうほどまだ夏じゃないけどな」
アイスを食べながら、二人で歩きだす。
「でもさ、こんなにいろんな魔女が狙ってくるなんて、いったいなんなんだろうね、魔法の鍵って」
「さあな」
「いっそさ、実は魔法の鍵なんかたいしたことないガラクタなんですよー、ってオチだったら、丈もこんなに苦労がないんじゃない?」
「そういう話、前に姉さんたちともしたんだ」
「そうなの?」
「ああ。結局、結論は出なかった。女ってのはどうして話が脱線していくのか……」
丈は、以前行われた、全く実にならなかった話し合いを思い出し、うんざりといった調子で嘆いた。
「じゃあ、魔法の鍵はやっぱりすごいものなわけ?」
「それも解らん」
「何にも解んないのね?」
「ああ。用途不明、形状不明。謎だらけ」
丈がなんの気なしに呟くと、阿澄は目を剥いた。
「待って、用途不明はともかく、形状不明? なんで、あんた、見たことないの?」
「ないよ」
「どうして。鍵はあんたが預かったんじゃないの?」
「違うよ。鍵は母さんが隠して、俺は隠し場所を聞いただけ。俺が保管してるわけじゃない。隠し場所は知ってるけど、鍵を確認しに行ったこともない」
「うっそ、信じられない。なんて杜撰な管理なの」
阿澄は片手で頭を抱えてゆるゆると首を左右に振る。
「一度も確認しなくて、心配にならないわけ? すでに誰かに掠め取られちゃってるかも、とか」
「母さんのことだから、厳重に隠してあるはずだから、大丈夫だろ」
「ほんっと、いい加減ね、丈って」
若干侮蔑のこもった目で睨まれ、丈は肩を竦めた。
しかし、阿澄の言うことも一理あるな、とは頭の隅っこで考えていた。
阿澄と別れ、アパートの部屋に入ろうとして、丈はしかし、扉の前で立ち止まって逡巡した。
心配にならないのか――阿澄の言葉を頭の中で反芻する。
そして、丈は部屋の中に鞄だけ放り込んで、すぐさま出かけたのだった。




