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12 明日の約束

「----納得いかない! あたしはまだ負けてないッ!」

 どん、と江良は丈を突き飛ばし、なりふり構わず喚き散らした。

「勝負はまだ終わりじゃないわ! 今度はあたしが問題を出してあんたが答える番よ、それがフェアってもんでしょ! あたしは負けないもの、負けるはずないもの!」

「江良、勝負は俺の勝ちだ。約束は守れ」

「約束なんか知らない! あたしは魔女よ! 魔女でもないあんたなんかとの約束なんか、律儀に守ってやる必要なんかない!」

 髪を振り乱し、見苦しいほどに江良は叫ぶ。手の付けようもないくらい荒れる江良に、丈は対処しかねていた。

「勝負を続行するのよ、受けて立ちなさい、桐島丈! 解ってるでしょ、人質がいるの。あの子が大事なんでしょ? だったら大人しく従いなさいよ。従わないなら、あんな不細工な子、豚に変えてやったっていいんだから――」

「--お黙りなさい、負け犬が」

 わんわんと喚く江良を、白雪が一蹴した。比喩ではなく、本当に、江良の華奢な体を蹴り飛ばしたのだ。

 吹っ飛ばされた江良は壁に背中を強かに打ち付けた。その拍子に魔法が解けたのか、江良は先日見たとおりの、小学生の姿に戻っていた。

 白雪は、ふだんのにこにことした笑顔はすっかり鳴りを潜めていて、江良に冷ややかな視線を向けていた。

「白雪……あんた、よくも……!」

「見苦しいですわよ、灰かぶり。潔く負けを認められない、自分が勝たなければ納得できない……魔女のくせに、子どもみたいに駄々をこねて。人の弱みに付け込んで、自分に有利な戦いを持ちかけて、それで負けたくせに、甘ったれたことを言わないでくださいます? あなたみたいな底辺の魔女がそういうことをすると、グリムの魔女全員の沽券にかかわります。私や他の魔女たちの顔に泥を塗るつもりですか?」

「他の魔女のことなんか知らない、あたしはあたしの好きにする!」

「……本当、身の程を知らないクソガキですわね」

 不愉快そうに呟くと、白雪は江良の胸ぐらをつかんで壁に押しつけた。「ひっ」と怯えた声が江良から漏れた。

「真っ赤に焼けた鉄の靴でもお履きになります? それとも、猛毒で血を吐いてのた打ち回るのがお好みかしら」

 うっとりとしたような白雪の脅迫に、部屋中に重苦しい空気が沈殿した。

 江良姫奈の嗚咽の声が聞こえ始めるのに、時間はかからなかった。



「もうっ、あの子酷いのよ! あの子、料理ができないの!!」

 阿澄が開口一番に文句を言ったのは、そんなことだった。他に言いたいことはないのかと、丈は呆れて溜息をつく。しかし、江良姫奈が料理ができないことについてはよほど腹に据えかねたらしく、阿澄は構わずまくしたてる。

「あたしは一日三食きっちり、栄養バランスのとれた食事を心がけているの。それが女子としての嗜みなの。栄養が偏ると、すぐに肌が荒れるんだからね。だっていうのに、あの子、自分で料理ができないもんだから、持ってくるものと言えばコンビニのパンばっかり! あたしを太らせるために監禁しているのかしらと思ったくらいよ。でも、文句を言っても『三食食べられるだけありがたいと思ってよね』とか生意気なこと言うし! 可愛い顔してるけど性格は最悪ね!」

「私にしてみれば、顔も大して可愛くありませんでしたけどねえ」

 私こそが世界で一番美しいのだと言い出してもおかしくなさそうな白雪姫の魔女は、平然とそうのたまった。

 白雪に脅され、泣く泣く負けを認めた江良は、自宅に監禁していた阿澄を引き渡した。二度と魔法の鍵にかかわらないことを約束する念書まで書かされた。最後の最後まで白雪に「負け犬」だの「雌豚」だのと罵られてから、江良は去って行った。そして、ようやく解放された阿澄は、思ったよりも元気そうで、いきなり江良に対しての苦情を申し立てたのだった。

 時刻は午後三時を過ぎた。金曜日の文化祭は、終了した後だった。二年五組の生徒たちは、明日に向けて準備することも特にないので、早々に下校してしまったため、教室には誰も残っていなかった。それを幸いにと、丈たち三人は、今回の事件の顛末について講評していた。

「文化祭、一緒に回る予定だったのにねえ」

「悪かったな、また、こんなことになって」

「別に、丈が悪いわけじゃないでしょ。今回悪かったのは江良姫奈で、前回悪かったのは白雪さん」

「いやですわ、阿澄さんったら。そうやってすぐに蒸し返す」

 白雪は頬を膨らませて抗議するが、阿澄はどこ吹く風といった様子だ。

「まぁ、文化祭は明日満喫すればいいよね」

「明日は忙しいんじゃなかったのか?」

「最初のちょっとだけ手伝ったら、あとは抜けていいって」

 明日こそは、と阿澄は約束を取り付けて、笑顔を見せた。

「ところで、桐島君。よくあの問題を作れましたね」

「ああ。まあ、方々からアドバイスを貰ったから。戸隠とか、四葉姉とか……」

「私は? 私は?」

 エサを目の前にしたペットの犬みたいに目を輝かせる白雪。何を言われたがっているのか察した丈は、白雪を満足させてやることにした。

「助かった。ありがとう」

「うふふ、そうでしょう、そうでしょう。私は頼りになる魔女なんですよー!」

 問題作成では結局役に立っていなかったが、最後に江良を説得(脅迫)してくれたおかげで助かったのは事実だ。白雪はかなり嬉しそうに舞い上がった。

「まあ、最終的には三恵姉に少し協力してもらったんだがな」

「三恵さん?」

「三恵姉に辞書を借りたんだ、ドイツ語の」

「あれ、三恵さんって日本文学専攻じゃなかったっけ」

「それなんだよ。日本文学専攻のくせに、そういえば前に俺の部屋に来た時に、なぜかドイツ語の本を読んでいたことを思い出して、不思議に思って」

 三恵は丈の部屋で『青い花』を読んでいた。「お前は知らなくていい」などと言われると気になってしまったので、調べてみると、ノヴァーリス作のドイツ文学らしい。中身までは見なかったが、右から左にページを捲っていたなら原書で読んでいたはずだ。日本文学専攻の奴がなぜドイツ文学を原書で読んでいたのかと聞いてみれば、第二外国語でドイツ語を勉強しているからだという。

「三恵姉に辞書借りて、ひたすら英語の辞書と見比べて」

「でもさ、江良姫奈がドイツ語解る人だったら、通用しなかったんだよね」

「あいつはたぶん、知らないだろうな、と踏んでたよ。四葉姉から色々言われた後、江良は何を知らないのだろうかと考えたんだ。そんで思い出したんだが、あいつ、俺が『アシェンプテル』って呼んだら、『変な名前を付けるな』と怒ったんだ。もう少し正確に発音するなら、アッシェンプッテルって感じなんだろうけど。Aschenputtel……ドイツ語で灰かぶりって言っただけなのに、『変な名前』だと断じたから、ああ、こいつは知らないんだな、と」

「グリムの魔女で灰かぶりの魔女のくせに、そんなことも知らないとは、滑稽ですねえ」

「じゃあ、お前は白雪姫がドイツ語でなんていうのか知ってるのか」

「…………」

 調子よく笑っていた白雪は、丈の指摘に凍りついた。

 その場で固まる白雪を無視して、阿澄は丈に話をふる。

「でも、そうなると、今回はお礼参りに行かなきゃいけないところがたくさんあるんじゃない?」

「言いたいことは何となく解るが、それは使い方が違うぞ」

 相変わらず、阿澄は国語が駄目らしい。何が駄目なのか解らないようで、阿澄はきょとんとしている。

「とりあえず……三恵姉の課題は手伝ってやったし、四葉姉は来週売り上げに貢献してやるし、白雪には大量のリンゴ飴をプレゼントする予定だ。それから、邦子にはそのうち、礼にいくつもりだ」

 そこまで言ってから、ちらりと阿澄を見遣ると、さっきの白雪と同じような、期待に満ちた目をしていた。阿澄には今回もまた迷惑をかけてしまった。お礼参りならぬ、お礼が必要だろう。

「……明日の文化祭は、お前の好きなところに行こう」

 阿澄は満足そうに、白い歯を見せて笑った。つられて丈も小さく笑う。

 この笑顔を取り戻すために、丈は魔女と戦ったのだ。

完結しました!

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