9 頼りになるのは姉だから
「私の頭が固いということなのでしょうか……うぅ……」
白雪はその後、丈の布団を奪って不貞寝を始めた。蹴り飛ばして部屋から追い出したいという気持ちがないでもなかったが、一応本気で手伝おうとしてくれた白雪にそれはあんまりな仕打ちだろうと考え直した。
白雪が問題作成戦線を離脱してからも、丈は知恵を絞っていろいろと考えたが、どうにも上手くいかない。白雪の問題をあっさり解いて小馬鹿にした丈だが、では自分ならもっと難しい問題が作れるのかというと、そうでもなかった。白雪同様、丈も大して頭が柔らかくない。
アナグラムとか、語頭と語尾をくっつけるとか、何かの言葉を前か後ろにつけると別のものになるとか、言葉の中に別の名詞が含まれているとか。あるなしクイズにでも出てきそうな類のパターンならいくつか思いつくが、やはり白雪のものと同じで、ありきたりで簡単すぎる。この手の問題は、江良姫奈ならやりつくしていそうだ。
すでに人口に膾炙しているようなパターンの問題での知恵比べは、おそらく通用しない。あらゆる変身パターンを熟知している江良に勝つには、江良が知らない、思いもよらない規則を作るしかない。
いったいどうしたものか、と頭を抱えていると、部屋にチャイムの音が響いた。顔を上げて、時計を確認すると、午後十時。来客のあるような時間ではない。
怪訝に思いながら玄関まで行ってドアスコープをのぞくと、これまた予想外の珍しい客だった。
ドアを開けると、立っていたのはげっそりした顔をした四番目の姉、四葉だった。
上下ジャージにサンダルという、すさまじくどうでもいいような恰好をしていて、肩には大きなトートバックをかけている。
「どうしたんだ、四葉姉、こんな時間に」
驚いて尋ねると、四葉はよろよろと疲れた様子で部屋に入り込み、ずかずかと進んでいく。
「はじめ姉がお酒飲んで帰ってきたんだけど、そのせいで家中お酒臭いの。私、もう耐えられない。今日はここ泊め、」
言いかけた四葉が廊下で立ち止まって言葉を切る。丈ははっと思い出す。今部屋の中には、丈の布団の中には、白雪がいる。
「……丈、あんた、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、まさかここまで馬鹿だったなんて」
言いながら、四葉は迷わずケータイを手に取って一一〇番通報しようとした。弟に対しても容赦がない。
「誤解だ、そいつは別に、変な奴じゃない。いや、結構変な奴だけど、ちょっと事情があるんだ。やましいことは何もない」
落ち着いてくれ、と宥めると、四葉はじろりと丈を睨みつけ、真意を測ろうとする。やがて、小さく溜息をつくと、床に鞄をおろし、カーペットの上に正座した。
「まあ、今は信じてあげる。ぶっちゃけ、今はあんたの女関係に口出ししてあげられるほど暇じゃないし」
四葉はテーブルの上にノートだの教科書だのを勝手に広げはじめる。四葉は現在高校三年生、受験生である。姉弟の中で一番集中力と忍耐力のある四葉が家を飛び出してくるということは、現在桐島家は相当酒臭いらしい。
「はじめ姉は、なんだって週の初めから酒なんか」
「例のセクハラ上司がまた戻ってきたんだって。それが納得いかないってキレてた」
長女のはじめは会社員だが、職場でのセクハラに困っていた。いや、別に困ってはいなかった。セクハラしてきた上司を当たり前のように返り討ちにしたのだから。しかし、その返り討ちがやりすぎだと上司に怒られたという話だ。
「セクハラ上司、しばらくははじめ姉の与えた怪我が原因で会社を休んでいたんだけどね」
「どんだけ酷い怪我を負わせたんだ……」
「その怪我が治ったんで、戻ってきたらしいよ。はじめ姉としてはその上司の首を吹っ飛ばしたかったらしいんだけど、本人は反省してると言っていて、はじめ姉もやりすぎだったってことで、減俸程度の処罰で舞い戻ってきたらしい」
「で、はじめ姉は『どの面下げて戻ってきやがったあの野郎』とキレている、ってことか」
「その通り」
それは確かに、自棄酒くらい飲みたくなるのだろう。はじめの気持ちが理解できたから、四葉は家中を酒臭くした姉に文句も言わず、大人しく弟の部屋に転がり込むことにしたらしい。
「ところで、邦子から聞いたけど、あんた、また厄介なことになってるんだって?」
「ああ……」
元々邦子は四葉から紹介された、四葉の友人だ。四葉に情報が筒抜けるのは、自然なことだった。
「場所を提供してもらう代わりに、相談に乗ってあげてもいいよ」
「え」
「あんた、今週末文化祭でしょ。姉として、弟が文化祭を憂いなく楽しめるよう貢献してあげるのは、おかしなことじゃないでしょ」
「四葉姉……」
前回、白雪が来襲したときは、姉たちは四人そろって弟を売りとばすような非道な真似をしたが、そんな中でも、四葉は邦子という頼りになる友人を紹介してくれたし、今回も相談に乗ってくれるという。素直ではないが、やはり姉らしく優しい面があるのだな、と丈が軽く感動したのも束の間。
「その代わり、来週はうちの高校の文化祭だから、売り上げに貢献しなさい。発注ミスったらしくてこのままじゃ売れ残り必至らしいわ」
「…………」
優しい、が、打算的な発言ですべてが台無しになる残念な姉である。
一通り話を聞き終えた四葉は、「あんた馬鹿ね」といつものように罵倒から始めた。
「あんた、自分で言ってて気づかなかったの?」
「何を」
「江良姫奈に勝つには、江良が知らない、思いもよらない規則を作るしかないわけでしょ? そこが解っているなら、話は簡単なはずよ」
全然簡単ではないのだが。丈が首をかしげると、四葉はふうと溜息をつく。
「いい? 江良姫奈は、あらゆるパターンの変身規則を熟知しているわけでしょ。つまり、数学でいうところの公式を知っている。公式を知っている奴相手に、数字を変えただけの問題をいくつ出しても、簡単に解かれるのは当然よ」
「あ……」
「ある程度いくつかのパターンが確立されているような問題で、かつ相手がそのパターンを熟知している場合、相手の知っているパターンに沿った問題を出すのは無意味。つまり、相手が知らない問題を出すしかない。これは知恵比べじゃなくて、知識比べよ」
丈ははっとする。その考え方はなかった。
この問題を、なぞなぞに準ずるものだと思っていた。考えれば解る、柔軟な発想をすれば解ける問題を出すゲームだと。しかし、そうではない。江良姫奈相手にそれは通じない。
江良姫奈を攻略するには、江良姫奈の知らない問題を出すしかない。江良姫奈の知らない知識を交ぜた問題が必要なのだ。
知恵比べは、考えれば解る。だが、知識比べなら、知らないことは、考えても解らない。
アナグラムやら連想やらは、時間をかけて考えれば、ある意味誰でも解けるものだ。そういう、誰でも解ける問題では駄目だ。誰でも解ける問題は、江良姫奈なら確実に解ける。知っている人間だけが解ける問題を、作らなければならない。
江良姫奈の、知らないこと。
「――――解った」
丈は立ち上がり、四葉に礼を言う。それから、四葉に留守を頼んで出かけることにした。
「どこ行くの?」
「実家。三恵姉に……」
気持ちが逸り、丈は最後まで言い果てずに歩き出す。三和土で靴を履いていると、四葉が声を張り上げた。
「超つまんないことで悩んでたから、ペナルティね! 来週、うちの店で商品二十個は買いなさい!」
「ちなみに、何売るんだ?」
「リンゴ飴」
リンゴにいい思い出はないのだが、と丈は苦笑した。
せっかく四人もいる姉なので、ちょいちょい活躍させてあげられたらなあ、と。




