禊石
緊張と警戒に昂る意識に引き上げられるようにして、急な勾配の壁の如く立ちはだかる石段を見つめながら、ひたすら上へ、上へと登って行った。吐息が、熱い。まるで内側から骨が熱され、骨髄も血液も溶岩となって僕の身体中を迸っているようだ。石段を上がるにつれ、炎え盛る轟音と朱い火影の名残は薄れ、次第に鉛色のひんやりとした静寂の中へ踏み込んでゆく。頑丈に敷き詰められた厳しい石の合間にぽつぽつと現れる、鼠の棲家のような孔を流し見ながら、これは何の隙間だろうかと頭を傾げているうちに、跳躍する興奮した筋肉がいつの間にか僕を頂上まで運んでいた。
「ここが祭壇か?」
頂に佇む、呼吸に肩を揺らす背の横顔に並んだところで、早くも奥の方を探りに行ったらしいレイの問いかけが、何処からか石壁に反響して響いてきた。しかしルシレフは、心持ち顎を上げ、正面の薄闇を仰ぎ見たまま微動だにしない。過去を偲んでいるのだろうか、何故か愁いを帯びたような朧げな炯眼の先に導かれ、懐から取り出したランタンをゆっくりと掲げてみた。徐々に腕を伸ばし顔を上げ、そのすべてを見るためには、さらに頭の上にまで灯りを持ち上げなければならなかった。
「───いや、ここではない」
琥珀の灯りにぼうっと浮かび上がった巨人と見紛うほどの大岩に見下ろされながら、ルシレフは重く慎しむように呟いた。堆く積み上がる太い石柱で囲われた各々の居室に鎮座するその姿は顔もなく、人型ですらなく、巨大な自然物のようにも思えたが、その大岩から感じる根源的な何かに圧倒され、僕はだらしなく開けていた口を閉ざし、自ずと背筋が正され、ここに立っているだけで、その存在そのものに畏敬の念を抱かざるを得なかった。
両手を広げても届かないほどの大きな円盤型の玉座の上に屹立する、磐座とも墓石とも思える三柱の巨石たちは、あの狂気の混沌から這い上がって来たことが、まるで夢であったかのように、一時のあいだ、すべての烈しさを忘れさせた。
「─── 僕のせいだ」
その時、何故か唐突に、ぽつりとその懺悔を口にしていた。ルシレフの方は見なかったが、驚く素振りも、反応を示す様子もない。声が途切れると、遥か下方の階下から積み上げられた石伝いに、囂々と鳴動する煉獄の余韻が届いて来る。
「ウラドを、連れて来るはずだったのに・・・ルシレフ───」
「───深く考えるな。生き残ることだけを考えろ。そう言ったはずだ」
すべてを言い終える前に、ルシレフは既に少し丸めた背を向けていた。彼の両腕にはまだ枷鎖が嵌ったままだ。足元に赤錆の鎖を腸腑のように引き摺り、引き摺り、歩いている。あの黒い銃は、と手元や腰回りを探したが、そう言えば、あの時レイに投げ渡したのだった。
「こっちに階段がある」
透き通った声が静かに僕たちを呼んだ。がらんとした暗がりに目を凝らすと、巨大な舞台のように続く石堂内の袖に、仄白く浮かぶアシュレーが待っている。
誰もが落ち着いているようであって、体内では緊張と興奮剤が迸っているのだろう。僕たちは足早に石畳の先へ向かった。
一見すると壁しかないように思えた大舞台の端まで来ると、ようやく人がすれ違うことができる程度の狭い階段が、小さな踊り場で折れ曲がって細々と下まで続いていた。拘束衣を肩に掛け、灯りを手にした僕を先頭に、微かに前傾している石段を踏み確かめながら慎重に階下へと降って行くと、二度折れ曲がった先に同じ琥珀の灯りが見え、行手を石壁に阻まれたレイが銃身で壁をコツコツと叩いていた。
「壁に塞がれてるが、向こうと同じ構造ならこの先が東の塔に繋がってる、そうだろ?」
「ああ、たぶん、いや、間違いない」
「ダイナマイトをよこせ、イアン、まだあるだろ」
「またやる気なのか?あれを?ここで?」
「怖いなら上で耳を塞いでろ」
「─── 過信するな。天井も、この階段も、確実に崩落するぞ」
抜かりのないルシレフの冷徹なひと言に、レイは眉間に皺を掘り込み、いかにも不服そうに鼻を鳴らした。
「悠長にパズルゲームでもやろうってのか? 裏道に気づかれたら終わりだってのによ」
八つ当たりに銃床を叩きつけられた石壁は、ゴッと短く呻いた。僕はふと気になってレイの背面を埋め尽くす石壁に目を細め、今しがた降りて来た階段裏の斜壁を見比べながら足元への注意も忘れて階段を降り、露骨に訝しむレイを差し置いてその壁の真近にまで歩み寄った。
「やっぱり色が違う───これってきっと、あいつらが造り足した壁だ。たぶんここだけ脆いよ、爆破しなくてもここだけ、崩せると思う」
「安上がりな手抜き工事か、あのケチな連中ならあり得るな。謎解きは任せるぜ、適材適所だ、俺は上を見張ってる」
そう言いながら、レイは僕と肩が触れる位置まで急に接近して来たかと思うと、背後にさっと腕を回して僕の上着とシャツの間に素早く手を差し込んで来た。当惑と同時に何か密約のような緊張を察してすぐに脇を締めたが、そこではなく、腰骨と肩が一気にずしりと重くなり、シャツを巻き込んでズボンが少しずれて斜めに下がった。その意図を訊ねようと視線だけ隣へ向けると、氷色の冴えた忠告を残して、レイはそれとなく手を引き抜いて離れて行った。
「私が見張ろう」
大股で階段を上がりかけたレイは、ルシレフをわずかに見上げる位置で立ち止まり、鷹揚に頸を傾げた。
「───冗談だろ」
互いの熱が触れそうなほどの距離で、肩掛けのライフルを敢えて遠去けるように担ぎ直すと、レイは低く吼えて、そのまま独り上階へ登って行った。
レイはどうも、ルシレフが意図的にウラドを逃したものと思っているらしい。
下からその一部始終を見ていた僕の中で小さな呵責が胸を打ったが、何も口を挟めず、腰に刺さった黒い銃を上着の陰からちらりと見て、冷たい針のような唾を呑み込んだ。猛禽と猛獣の睨み合いを無言で傍観していたアシュレーは、静々と僕の隣まで降りて来て、隙間なく敷き詰められた石壁を見上げた。
「楔ってやつを壊すんだろ。どんな石を探せばいい」
「さあ、普通なら逆三角形みたいになってる目立つ石のはずだけど」
「あの男のように叩いてみるといい。楔石は金属のような音がするはずだ」
じゃらり、じゃらりと、鎖が石段を落ちながら引き摺られる重苦しい音とともに、ルシレフがすぐ背後まで近づいて来た。そして拳で軽く石を叩いていた僕の隣へ並ぶと、赤錆にも灼け爛れた皮膚のようでもある枷鎖の嵌った両手を持ち上げて、まるで石壁に訊ねるかのように、節榑立つ年季の入った手をそっと触れた。
「素手では無理だ、その銃を使うがいい」
心臓が跳ねた。ルシレフは波風も立てることなく、ただ壁を見上げたままだったが、その厳格な声音で裏を突いたひと言に、僕は思わず恥ずべき隠しごとを見破られてしまったような、彼の温情を裏切ったような心境に陥った。そして即座に焦燥が騒めき、彼を失うわけには、信頼を繋ぎ止めねばと嫌な汗が噴き出してきた。
「その手、不便だろ・・・これで撃てば、外せるよな」
「───あの烏合の衆どもが牢では決して発砲せず、何故、鞭ばかり振り回していたのか、理由がわかるか ───。こんなところで発砲すれば鼓膜が破れ、弾は四方八方に跳ね返る。私はこのままで構わん」
独り言のように壁に向けて話し続けながら、嗄れた声は手指で石壁を斜めに辿ってだんだんと下の方へ屈んで行った。密かな安堵に汗を拭いながら、その様子を目で追っていると、背中が痛むのか、老練は一度小さく呻いて片膝を突き、白髪混じりの釣り上がった眉の下から大きな鷲の目で僕を見上げ「灯りを」と言った。屈み込んでいるルシレフの傍へランタンを近づけると、陰影が石の並びを明瞭に浮かび上がらせた。
「何か、変な形の石が多いな」
「左側の下の方は小綺麗に整ってるが、上と、そっちの方はひどく歪んでる。ずいぶん杜撰だな」
少し背後からアシュレーが付け加えた。いつの間にか階段の方まで下がってランタンで全体像を照らして見ている。
「右端で強引に帳尻を合わせたようだな。まずは、その辺りからだ、叩いてみてくれ」
僕は腰の黒い銃を逆手に持ち銃身を握った。そうするとただでさえ重い銃が余計に重く傾いた。その勢いで銃床の端を使って壁を叩くと、ゴツッっという低く短い音が返ってきた。何処かで聞き憶えのある嫌な音だが、凡庸な鈍い響きに手応えはない。叩くたびに欠けて舞い落ちる砂塵を見ていると、坑道で山を削り続けていた、あの屈服と奴隷の時間をふと思い返した。僕はもう、あの場所には戻ることはない。
徐々に右側へずれながら、目についた石を次々に叩いてルシレフの方へ降りてゆくが、青黒い石の空間の行き詰まりで、ゴッ、ゴッと即座に掻き消える虚しい音だけがしばらく続いた。
レイの言う通りだ。この先が東の棟と繋がっていて、もし裏手から先回りされたら───。
その時を競う焦燥は、石を叩く間隔を次第に縮めてゆく。石の迷路の袋小路で三人ともしんと耳を澄まし、今か、今かとその瞬間を待ち望んでいたその時 ───。
コンッ
「音が───」
「近いぞ」
「レイを呼んでくる」
アシュレーはそう言って、早くも踵を返して階段を上がって行った。僕はルシレフと顔を見合わせ、音の標を辿って、微かな色の境目である右端の一列を、出来るだけ同じ強さ、同じ面の中央の辺りを狙って下から順に叩いては、ひとつ、ひとつに耳を欹てた。期待と焦りがそうさせるのか、何となく音が高まっているような気もしないでもない。
キィン ───・・・
それは、繊細に磨き上げられた鉄琴のような、美しく凛とした音色だった。息の詰まる閉鎖空間で唐突に谺した、あまりに神秘的な透きとおった響きに、僕は茫然とすぐさまもう一度、見た目には何の変哲もないその石を打った。甲高いと言い表すのは無粋なまでに澄み切った音色は、まるで脳髄に天啓を受けたかのような心地に僕を浸らせる。その残響に聴き惚れている傍らで、ルシレフは小さく現実的なため息をついた。
「さて、問題はここからだ」
心なしか怒肩のようにも見えるレイは、行手を阻む傲岸な壁に向かって不穏に頸を傾け、仁王立ちでしばし睨み合っているかのように思えた。その大きな背中には、ろくな手入れも施されず使い古され擦り切れた革の吊り紐が、左肩から右脇腹にかけて厚手の上着に険のある皺を喰い込ませている。レイは短く吐息を吐き捨てると半身を引いて壁と斜めに対峙した。そして右肩に木製の銃床を押し当て、右足を引きながら何度か足場を踏み固め、ライフルに頬を載せ、真剣な鋭い眼差しで照準を覗いた。狙いの楔石を一度確かめるように銃の先を押し当て、絶妙に銃口を逸らして角度を調整し、銃の構えを保ったままゆっくりと真後ろに下がって壁と慎重に距離を測った。ただでさえ相当な重さであろう、その黒く尖った銛のように細く長い銃身には、切先をわずかに覗かせて、ふたり分の藍鼠の上着がきつく重ねて巻き付けてあり、余った裾は逆さに吊られた蛾のようにひらりと垂れていた。
ただ独り石壁に立ち向かうレイの様子が気がかりで、何度も振り返りながら足取り重く階段を上っていた僕は、左肩を上げて太い腕を顔の前に回し、ライフルを覆うようにして袖口で右耳を塞ぐ動作を盗み見ていた。すると、不意に背後へ視線を飛ばしたレイに見つかり「舐めた真似するなよ」と、いつにも増して低い声で凄まれた。「ああ・・・」と、うっかり生返事で応えたが、つい先ほどシャツを引き千切った切れ端を丸めてぎちぎちと耳に詰めていたレイに声が聞こえているはずもなく、僕は首を大きく縦に振り、ルシレフの後について足早にひとつ上の階段まで避難した。
「要は自分で投げた手榴弾を、この身ひとつで受けとめろって話か?」
ひととおり状況と解決策を理解したレイは、卑屈な笑みを片頬に浮かべて言った。しかしその目から親しさは消え、代わりに凍てついた殺意が氷色の表層に浮いていた。ルシレフは両手頸の枷鎖で自由が効かず、僕もアシュレーも銃に関しては引き鉄を引く以外の知識は皆無なうえに、銃弾は今後のために節約しておく必要がある。とどの詰まりは、銃の暴発、跳弾、激しい石片の飛散、崩落した壁の下敷きの恐れがある非常に危険で損な役回りを、どうしても銃の扱いに慣れた経験豊富なレイに担ってもらうよりほかなかった。
せめてもの犠牲の足しにと、僕とアシュレーが上着を差し出したが、レイが仏頂面でそれを受け取りながら豹の眼で睨みつけていたのは、言うまでもなく、この作戦の立案者であるルシレフだった。
「いいか、お前らは上で耳を塞いで大口開けて蹲ってろ」
階段の下段に大股を開いて腰掛け、上着を銃身に手早く巻きつけながら、レイは厳しく神妙な顔つきで僕とアシュレーに向けて強く警告した。
「もしふざけて出てきやがったら、目も耳も失うぞ。覚悟しとけ」
そう釘を刺すように付け加えた。しかし、僕にはその“覚悟”というひと言が、酷く揺さぶられながら重く深く突き刺さった。銃のことはよく知らないが、離れていても危険が及ぶほどの衝撃を、いくら屈強で強靭な巨体とはいえ、あの表の爆風で吹き飛び無数の傷を負った生身の人間であるレイが、あんな直近で、果たして本当に受け止められるのだろうか───。
ゴガァァァン
巨大な鉄球が凄まじい大音響で激突した。耳を塞ぎ大きく顎を開いて固く蹲っていた僕は脳や内臓を直に揺さぶられるような衝撃音にすぐさま目を瞠いた。レイは無事か、と跳び上がり階段を駆け降りかけたその瞬間、建物中の石という石が地響きを上げて震えだし凄まじい轟音と地震が身体中を襲ってきた。世界が歪んだように平衡感覚が失われ、僕はほとんど転がり落ちて踊り場の壁にぶち当たった。腕を誰かに掴み上げられながら傾いた両目は既に、鼻腔は既に不安を掻き立てる灼け焦げた臭いをも捉えていた。階下には真っ白な粉塵が立ち込め、濛々と霞むその合間には、雪崩れ落ちてきた石の群れが手前に飛び散り、一面に瓦礫の山を築いていた。そこに、レイの姿はない。
「・・・レイ?」
僕は誰かの腕にしがみついて立ち上がり、一目散に粉塵の中に駆け降りた。喉が詰まるような強烈な異臭に思わず咽せ返った。すぐに腕で鼻と口を塞いだが、鼻腔は既に不安な焦臭さをも捉えていた。僕は瓦礫の中に突っ伏すように辿り着き一心不乱に粉塵の山に埋もれる石を退けた。アシュレーも駆け寄ってきて力無く跪くと、震える手で必死に石を掻き出しはじめた。そのひとつひとつは鉛のようにずっしりと重く、深く掘り続けるにつれて、だんだんと絶望が押し寄せて来る。息ができないのは、土埃のせいか不安のせいか ───。
動きがすっと消えた隣の方を、恐る、恐る、向いてみると、何を見たのか、アシュレーは既に手を両膝の間に垂らして瓦礫に視線を落とし、放心状態で一点を見つめて項垂れていた。咄嗟に飛びついてアシュレーの手元を覗き込むと、その積み重なった石の隙間には、血か皮膚か、黒々と焦げついた一部が下敷きになって潰れていた。
「嘘だ・・・」
耳鳴りと眩暈に揺れながら何故か僕はふらふらとその場に立ち上がった。土埃の白む靄の向こうには、四角い輪郭を残した暗闇が、あの巨石の門のように大口を開けて待っている。僕はもうこの先へ進む意欲を失ってしまった。恐怖や痛みや限界を超えて僕を衝き動かしていた熱情は、この崩落の衝撃とともに去ってしまった。
「ここだ───」
それは水の中の幻聴のように、この空間のすべてから低く曖昧にくぐもって響いてきた。僕は暗くぼやけている天井を見上げ、あてどなく、ぼんやりと辺りを見渡した。気づくと、いつの間にか足元にいたはずのアシュレーまでもが何処かへ消えていた。
「レイ!」
今度は明確にアシュレーの声を聞き取った。響いてきた方向へ振り向くと、靄の中に佇むルシレフの背と、屈み込むアシュレーの姿が在る。夢と現実の汀から不意に正気取り戻し、気持ちばかりが彼らの元に急いだ。何度か石塊に蹴躓きき、誤って蹴り飛ばした銃を拾い上げながらふたりに駆け寄ると、僕は思わず膝から力が抜けてその場に崩れ込んだ。
「立てるか」
ぐったりと横たわる巨体の脇からアシュレーが腕を回し片膝を立てて脚を踏ん張り、何とか担ぎ上げようとしている。その起き上がった上半身の向こうに一瞬見えた彼の左袖は見るも無惨に切り裂かれ、白い粉塵を融かすほどに、どす黒く不穏な色を滲ませていた。
酷く苦しそうに歯を喰いしばって顔を歪めていた最中に僕を見つけたレイは、頭まで灰褐色の土埃を被った顔の渋い目つきで「よお」とでも言うように軽く顎をしゃくって見せた。
僕は渦を巻くまま湧き上がった感情にどんな顔を返していいか解らず、震える唇でぎこちなく片頬を歪めた。そして大きな背中の下に潜って反対側から何とかふたりがかりでレイの巨体をゆっくりと持ち上げた。
爆撃のような強烈な衝撃を二度も喰らった僕たちの足取りは覚束ず、重く圧しかかる身体を支えて足場の悪い瓦礫をゆく一歩、一歩は恐ろしく鈍重なものだったが、それでも着実に前へ、前へと進んでいた。顔を庇ったレイの左腕の損傷は見るからに激しく、何処に触れていいか戸惑った末、僕は大きく逞しい無骨な手を掴んだ。その骨ばった手指は硬く締まっているように見えたが、思いのほか手の平の方はやわらかく、さすがのレイも、今はただ僕たちにすっかり身体を預けているようだった。
すると目の前に、ずいと現れたルシレフが僕たちの行手をあからさまに阻んで立ちはだかった。僕がそっと固い唾を呑んだ傍らで、レイは思いもよらず天敵と鉢合わせした手負いの野獣そのままに、果敢にも無言の威嚇を露骨に見せつけた。ルシレフは口を開かぬまま白頭鷲のような眼光でレイの顔を冷淡に見据え、その枷鎖の嵌った手から杖のように伸びていた、焼け焦げたライフルの黒い銃身をそっと差し出した。
「見事だ」
そう告げると、レイの肚にライフルを渡し、ルシレフは薄靄の中へとゆるやかに身を翻した。そして、何処からか小さな琥珀の灯りを仄かに燈し、虚構の瓦礫の山を自在に踏み越え、迷うことなく大口を開けた見果てぬ闇の向こうへ先陣切って進んで行った。
藍鼠の背はやがて黒靄に霞み、暗澹たる闇の中で尾を揺らす灯火だけが火球のように彷徨って声も無く僕たちを先へ、先へと招いている。耳鳴りと眩暈に酔いながらくぐもった水膜の中で見るその光景は、まるで脱獄と生への執念が映し出した幻覚を見せられているようだった。
硝煙と埃臭い瓦礫の中に立つ三対の目は、互いの存在とその決意を確かめるように無言で顔を見合わせた。そして、暗闇に浮かぶ先導の灯火を目指して、僕たちは踵を引き摺りながらも、再び自由への道を一歩、また一歩と歩きはじめた。




