エピソード1.5:サンタクロース暗躍中
12月に突入した平日の午後、『西日本良縁協会福岡支局』の事務室にて。
仕事用のアドレスに届いたメールを確認していた徳永瑠璃子は、珍しいアドレスと気になる件名に、眼鏡の奥の目を細める。
送信者:伊達聖人
件名:山本結果さんに関するデータ提供のお願い(添付あり)
「迷惑メール、じゃ、なさそうやねー」
とりあえず内容を確認しなければ動きようがない。瑠璃子はコーヒーをすすった後にメールを開き、本文と添付ファイルを確認して――驚愕で目を見開き、喉を開いた。
「――は!? えっ……嘘、そんっ……えぇっ……!?」
隠しきれなかった動揺が声になって室内に響く。少し離れた場所で打ち合わせをしていた川上一誠と橋下セレナが、思わず反応するほどのボリュームで。
「瑠璃子、どがんしたとか?」
彼女の異変を察した一誠が、セレナを伴って近づいてきた。そして、驚愕する瑠璃子の隣に並び立つと、メール本文を覗き込み……言葉を、失う。
添付されていたのは、数枚の画像ファイルだった。
その中の1枚に写っていた人物は、瑠璃子もよく知っている『仙台支局』の政宗と、統治と……あと1人、唯一見覚えのない、彼らと年齢の近い、髪の長い女性。
知らないはずなのに、面影と彼らの表情、そして、同じく添付された彼女の『縁』の画像が、彼女が『誰』なのかを2人へ示している。
瞬時に写真の女性が誰なのかを悟った一誠が、かすれた声で呟いた。
「や、山本ちゃんが……成長、しとる……!?」
それは、一誠と瑠璃子が初めて見る姿だった。
忘れもしない10年前の夏、悪意のある『遺痕』から『生命縁』を傷つけられ、体の成長が著しく遅くなってしまった女の子・山本結果。
彼女を正常な状態に戻したいと誰もが思っているけれど、どうすればいいか分からず、時間だけが経過してしまっているというのに。
「な、何が一体どげんなっとるとか……瑠璃子、これ、誰から来たんや?」
「宮城の伊達先生、から……」
「伊達……あの人か」
一誠は脳内で伊達聖人を思い出しつつ、困惑する思考のまま、隣に立つセレナを見つめた。
そして、特に目立つ動揺を見せない彼女に……ある事実を悟る。
「橋下ちゃんは……このこと、知っとったんか?」
「えっ!? あ、えぇっと……」
的確に図星をつかれたセレナが、目に見えて狼狽した。彼女は数秒間、言葉を探した後……意を決して、コクリと頷く。
「実は、8月に仙台へ遊びに行った時……ムネリンから簡単に聞きました。その時、この写真も見せてもらって……」
数ヶ月前の8月上旬、東北の短い夏、七夕まつり真っ只中の仙台市内。
仙台市中心部にある西公園のベンチに並んで腰を下ろし、2人きりで話をした時……彼は悲痛な表情に覚悟を添えて、セレナに打ち明けてくれたのだ。
6月、ユカの体に異変が発生して、彼女が本来の姿に戻ってしまったこと。
そして、そのことを……彼女がはっきりと覚えていないこと。
「ユカが、成長……? ムネリン、何言って……だってユカは6月、具合が悪かったって……」
浴衣姿のまま、半信半疑で顔をしかめるセレナに、政宗は自分のスマートフォンに入っている写真を見せる。
あの時、3人で撮影したもの。政宗にとっては6月の出来事を現実に留めておく大切なものでもあるが、先日ユカに見られて、彼女に隠しきれなくなった『元凶』でもある。
大人びたユカが2人の間で笑っている写真を見たセレナは、いつの間にか自分の手が震えていることに気付いていた。
でも今は、この震えを止める術がない。
「ユカ……」
写真の中にいる女性は『ユカ』だ、初めて見たはずなのに、そう思えるだけの根拠のない確信があった。
それは、もしかしたら……彼女の周囲にいる政宗と統治の表情が、普段見ているものよりもずっと、ずっと、穏やかに見えたからかもしれない。
「そんな、本当に……どうして……ねぇムネリン、ユカは? ユカはどうしてこげなことになったと!!」
「詳しいことは、まだ誰も分かっていない。今、伊達先生が調べていて……あ、伊達先生っていうのは……」
情報を補足しようとした政宗に、セレナは首を横に振る。
「その人なら知っとるよ。ユカの帽子を作ってくれとる人やけんね」
「あ、そうか……とにかく今回は、あくまでも一時的な……それこそ本当に、奇跡が起こったような状態だと思ってる。俺はその奇跡を当たり前にしなきゃいけない」
「当たり前に、って……ど、どげんすると?」
セレナがスマートフォンを取り落とさないように気をつけながら彼に返却した瞬間、指先同士が少し触れ合った。けれど今は、そんな偶然を気にする余裕もない。
動揺が残るセレナの問いかけに、政宗はスマートフォンの画面を消しながら返答する。
「それはまだ分からないんだ。けど――必ず何とかしてみせる。こんなところで、諦めていられないんだ」
力強くこう言った彼は、もう一口お茶を飲んだ後……目尻に残った涙を強い意志で拭う。
そして……セレナを見つめ、苦笑いで肩をすくめた。
「今の話、ケッカや統治は知ってるけど、一誠さん達や福岡の人はだれも知らないから。誰にも言わないでね」
「う、うん……そもそも言ったところで信じてもらえんと思うし……」
コクリと頷いたセレナは、彼から視線をそらして……空を見上げた。
「なんか……驚きすぎた。仙台は色んなことが起こる場所やねぇ……」
視線の先に広がっていたのは、夏の夕立を連れてきそうな鉛色の空だった。
その時のことをかいつまんで説明したセレナは、一誠と瑠璃子へ軽く頭を下げる。
「黙っていてごめんなさい。ユカは何も言わんし、私も、どう言えばいいのか分かんなくって……」
セレナの様子に、一誠が慌てて「橋下ちゃんは悪くないけんな!!」とフォローを入れる。
そして、改めて……画面に表示された画像を凝視した。
「それにしても、こげなことが……一度成長したんなら、そのままの姿でおれんかったんやろうか……」
写真を見て顔をしかめる一誠。一方の瑠璃子はどこか納得したような表情で独りごちる。
「これが、ユカちゃんが6月に休みまくった理由、か……」
短期間でこれだけ大きな変化が起こっていたのであれば、いくら福岡でここ最近は健康優良児だったとはいえ、バランスを崩しやすくなっていたとしても納得できる。勿論、この写真を素直に全て信用することは出来ないけれど。
一誠とセレナの声を聞いて心を落ち着かせた瑠璃子は、改めて画面に向かい合い、メール本文へと目を通す。
西日本良縁協会福岡支局
徳永様
お世話になっております。伊達聖人です。
今回は件名の通り、山本結果さんが福岡に在籍していた際の
健康診断のデータを提供していただきたいと思い、
ご連絡させていただきました。
提供を申し出る理由は、今後、彼女を正常な状態に戻すため、
身体に関する具体的な情報を必要としているためです。
添付ファイルを御覧いただきたいのですが、今年の6月、彼女は一時的に
正常に最も近いと思われる状態まで、成長をした事実があります。
(恐らく当事者からは何も伝え聞いていないかと思いますので、
今回、この情報を私から知らされたことと、以下の内容は、オフレコでお願いします)
私は現在、彼女を6月の状態まで成長させるための方法を模索しておりますが、
過去の現象も鑑みて、1つ、試してみたい方法があります。
それを実現させるために、これまでのデータをより細かく精査していきたいと考えております。
まだ、机上の空論としか思えないお話かもしれませんが、
簡単にその方法について、ご説明させていただきますと……――
メールを一読した一誠が、かすれた声で感想を呟いた。
「方法、って……これ、マジか。こげなことして、山本ちゃんは……いや、政宗くんの負担がエグいことになるぞ」
「本当、頭の良い人の考えることは分からんねー」
メールの内容を咀嚼した夫婦がそろって苦笑いを浮かべる中、セレナは食い入るようにメール本文を見つめていた。
そして……期待と不安が入り混じった声で疑問を呟く。
「ユカ……これで、本当に、元に、戻るんでしょう、か……」
「どげんやろうな。ただ……この伊達って人は、自分が負ける勝負は仕掛けん人だと思う」
一誠がこう言った直後、瑠璃子が立ち上がると、プリンターの方へ向かった。そして、出力された数枚の紙を手に取ると、それをクリアファイルに入れ、パソコンにロックをかける。
「ちょっと、麻里子さんに話ばしてくるねー。時間かかるかもしれんけんが……一誠とセレナちゃんはそれぞれの仕事に戻らんねよー」
「分かった。何かあったら教えてくれ」
「はーい。あと、このことはまだ、仙台側の誰にも言わんようにするけんね。特に一誠、気をつけんねよー。うっかり喋ったらボーナス没収やけんねー」
「どうして俺だけ!? ったく……ここはいいから、さっさと行ってこい」
別室へ向かう瑠璃子の背中を見送りながら、一誠は彼女なりに動揺していることに気付き、素直じゃないなと肩をすくめる。
そして、隣に立っているセレナを見つめた。
「とりあえず……何か分かったら共有するけんが、橋下ちゃんも何か分かったら、できるだけ教えて欲しいかな」
「分かりました」
「さて、仕事仕事。年末に向けて忙しくなるけん、早めに動かんとな」
「でも、こげな状況で普通に仕事げな、難しかですよぉ……」
一誠に連れ立って苦笑いを浮かべるセレナは、今すぐ仙台へ連絡したい気持ちを押し留めるために……一度、大きく息を吐いた。
同日、時刻は進み、日が沈みきった夜のこと。
宮城県の中央部にほど近い、利府町にある聖人の拠点に、珍しい訪問者の姿があった。
「へー。ここがまーくんのアジト、って……あれ? 私の記憶違いなら申し訳ないけれど、利府に住んでたのって、君のお友達じゃなかったっけ?」
この問いかけに、聖人は首を横に振る。
「彼の妹さんだね。今は別の人が住んでいるけど」
「ほー。なかなか面妖な人間関係だこと」
特に関心もなさそうなテンションで相槌を打つ夏明は、改めて周囲をぐるりと見渡した。
リビングの壁に沿って並んでいるのは、様々な書類を収納できる背の高い棚。ダイニングテーブルにはノートパソコンが置いてあり、目立つ調度品は特にない。
「生活感が一切ない、驚きの白さだね。全部外注してるのかい?」
「ここはあくまでも資料整理と研究をするための場所。生活拠点はここじゃないんだ」
「ほぉー。なかなか愉快なお金の使い方だこと。経済を回してる事実は素晴らしいと思うけど、宮城の医者ってそんなに儲かってんの?」
「郡部の家賃なんてたかが知れているし、他に……やりたいこともないからね」
聖人はそう言って、机上にあるノートパソコンの電源を入れた。そして、パスワードを入力した後、メールソフトを起動する。
未読メールの字面を追っていくと……比較的新しいメールの中に、探していたものを見つけた。
送信者:徳永 瑠璃子
件名:Re;山本結果さんに関するデータ提供のお願い(添付あり)
統治!! 政宗!! データが漏洩しているよ!!
Q:伊達先生はどうして3人が揃った写真を持っていたんですか?
A:だって、伊達先生ですよ。
と、いうわけで過去と現在を未来へ繋ぐ3人の写真、イラストはおが茶さんが描いてくださったものです。過去に悪意のある加工をして挿絵にさせていただいたことはあったのですが、今回、満を持してオリジナルカラーです。使い勝手が、良い!!(本当にありがとうございます)
福岡側(セレナ以外)に3幕の事情を暴露するとすれば、メイン3人ではないだろうと思っていたのでこんな展開になっています。さて、伊達サンタは赤いコートの人と何をするつもりなのでしょうか、というのが、次回以降のお話です。