エピソード2:家族ごっこ①
翔子の襲撃……とも思える来仙から数日が経過した週明け月曜日、時刻はまもなく午前11時。
「……はぁ」
『仙台支局』内の自席で光のページェント関連の動き方を考えながら、ユカが無意識のうちに大きなため息をつくと……向かい側の自席で作業をしていた統治が立ち上がり、彼女の方へ近づいてきた。
そして、カーディガンのポケットから個包装の飴玉を取り出し、彼女の机に置く。
「あまり根を詰めすぎるなよ」
「ありがと。やっぱ、糖分は大事やね」
ユカは苦笑いでそれを手に取り、包みを開いて口の中へ放り投げた。スッキリしたレモン味のそれをコロコロと口内で転がしていると、統治が本題を切り出す。
「週末、佐藤の様子はどうだった?」
統治へは翔子がビルの出入り口付近までやってきたこと、ユカの外見まで知られてしまったことを伝えていた。あれ以降、翔子側からは特に目立つアクションはない。恐らく仙台にはもういないのだと思うけれど……彼女には双子の弟もいるらしいし、切羽詰まったような様子でもあった。あれですんなり引き下がるとは思えない。
統治の問いかけに、ユカは視線を政宗……の机の方へ向けた。彼は朝から瑞希を伴って外へ出ており、昼過ぎまで戻ってこない予定だ。
空席になっている椅子の背もたれを見つめながら、週末の様子だったのかを思い返す。
彼の、普段とは違う表情を、真っ先に思い出した。
「政宗……いつもより表情が硬いっていうか、心ここにあらずっていうか……話しかけても必要事項だけしか返してくれんかったっちゃんね。夜にビールを飲む量も、ちょっと、いつもの週末より多かったかも」
「そうか」
統治もまた、彼なりに思うことがあるのだろう。端的な返事と共にユカと同じ方向を見つめ、思案するように口元へ手を添える。
ユカは、手元のゴミを足元のゴミ箱へ片付けてから……椅子に座り直して、再度、ため息をついた。
最近、自分もずっとこんな調子だ。先が見通せず、どう動けばいいのか分からなくなってしまっている、漠然とした焦燥感を拭い去ることが出来ない。
「統治……あたし達に出来ること、何もないっちゃろうか……」
その言葉に、統治は首を横に振った。
「いや、そんなことはない。例えば……今後、先方が山本の外見を理由に何か苦言を呈してきた場合、それを迎え撃つ用意をしておいてもいいと思う。現に彼女は、『仙台支局』と山本に対して、強い不信感を抱いているからな。次に佐藤を揺さぶるとすれば、そこを突かれる可能性がある」
「それはあたしも警戒しとるけど、迎え撃つ、って……統治、どげな案があると?」
答えとして統治の中にある『作戦』を聞いたユカは、思わず目を見開いて……口角を上げる。
そして、素直な感想を口にした。
「それ、まんま先月の櫻子さんがやったことやんね」
「そうだな。効果があることを強く実感したからこそ、今後も積極的に人脈と社会的地位を活用すべきだと思ったんだ」
そう言ってユカと同じ表情になる統治が、いつも以上に頼もしく見えた。
その日の午後、時刻は17時過ぎ。
週末に向けた打ち合わせと称して呼び出された里穂と仁義へ、ユカはコーヒーとお茶菓子を出しながら謝辞を述べる。
「2人とも、テスト明けで忙しいときに来てくれてありがとう」
「大丈夫っすよ。テストが終われば冬休みまでまっしぐらっす!!」
ポニーテールをなびかせて、里穂は明るい声と共に頷いた。彼女は学校指定のセーラー服を着用しているが、スカートの下にはジャージのズボンで寒さをしのいでいた。一方の仁義は紺色のセーターと黒いジーパン、足元はグレーのスニーカーという出で立ちで、着ていたコートは各々が足元においたカバンの上に折りたたまれている。
2人揃って来てくれたことはありがたいのだが……ユカは里穂を見やり、確認するように問いかけた。
「里穂ちゃん、今月、割と自由に動けるって聞いとるんやけど……部活は大丈夫なん?」
里穂は宮城県内でも強豪にと言われる女子サッカー部に所属しており、テスト期間以外の放課後は、ほとんどを練習に費やしていた。これまでは、グラウンドを使う順番などで部活が休みになった時を利用して、『仙台支局』の仕事に協力してもらっているけれど……一ヶ月近くも自由に動けるのだろうか。
そんなユカの疑問に、里穂はドヤ顔で返答した。
「大会も終わって、1年生は年明けまでは基礎訓練なので、家業を手伝うために終業式まで部活を休ませてほしいてことで、お母さんに書類を書いてもらって学校に出したっすよ。冬休みの午前中は部活に参加するので、心配ご無用っす!!」
「へぇ……そげなことが出来るんやね。ありがとう」
里穂が念入りに準備をしてくれていることを知り、思わず頬が緩んだ。ユカはそんな彼女の隣に座っている仁義へと視線を向けて、彼の都合も確認しておく。
「柳井くんも大丈夫? 希望を書いてもらったやつ、里穂ちゃん以上にフリータイムが多かったけど」
「元々今月は忙しくなると思っていたので、問題ありません。僕は実践からも遠ざかっているので、足を引っ張らないように頑張ります。よろしくお願いします」
「頼もしかね。あ、これがローテ表の第2案。ざっと見てどげん思うか、率直な感想を教えてくれん?」
ユカが2人に渡した紙には、表計算ソフトで作成した一覧表が印刷されている。各々が無言で目を通した後……里穂が「はい!!」と手を上げた。
「どこかで、私とジンが一緒に回る時間が欲しいっす!!」
あまりにも正直な感想。その言葉を聞いた仁義は、苦笑いを浮かべて苦言を呈した。
「里穂……分かってるとは思うけど遊びじゃないんだよ?」
「でも、そうしないと、ココちゃんと森君、ケッカさんも、ずっと出続けることになるっすよ」
仁義の反論は予測していたのだろう。里穂は表がよく見えるよう机上に広げると、指でいくつかのポイントを指す。そこには環の名前が記載されていた。
「ココちゃんはこれでも大丈夫だと思うっすけど、森君はもう少し減らしてもいいと思ったっす。だからって、森君1人だけを減らすのはちょっと……なので、私とジンが組んで回る時間を作れば、2人も休めるし、デートにもなるし、お金も稼げるし、一石三鳥っす!!」
指で『3』を作って示す里穂が、「どうっすか?」とユカを見つめて営業をかける。
「例えば、週末の金曜日や土曜日は、見に来る人もすっごく多いから、迅速に対応出来たほうがいいと思うっすよ!!」
確かに、里穂の言い分も一理ある。ユカは「なるほど」と頷いた後、里穂が広げた一覧表を見下ろした。
「ちなみに里穂ちゃん、どこかご希望は?」
「12月20日とか26日とか27日っす!!」
里穂が喜々として指定した日付に赤ペンで丸をつけたユカは、口元に笑みを浮かべて里穂を見つめた。
「……3回でよかと?」
「もっといいっすか!?」
じゃあ、と、大きな目を輝かせる里穂へ、仁義が流石に待ったをかける。
「ちょっと里穂、それくらいにしなよ。山本さんも、里穂にのせられなくていいですから」
慌てて里穂を諫める仁義に、ユカは「よかよか」とペンを振って。
「正直あたしも、心愛ちゃんや森君の稼働率をもう少し抑えたいと思っとったっちゃんね。里穂ちゃんは部活があると思っとったけど、普段よりも時間に融通がききそうなことも分かったし……柳井くんとの時間も確保できるなら、心苦しさも半減されるかな」
「すいません……ありがとうございます」
「勿論、仕事はしっかりやってもらうけんね」
ユカがニヤリと口元に笑みを浮かべると、里穂も目を輝かせて「分かってるっす!!」と同意した。
その後、細かい動き方等を確認していると……里穂が表の一部を指さして問いかける。
「そういえば、24日と25日は全員出ることになってるっすけど、『仙台支局』でクリパとかやるんすか?」
「どげんやろう……でも、折角やし、忘年会も兼ねて少し楽しみたいよね。伊達先生あたりがご飯でも買ってきてくれんやか」
「伊達先生……そうっす、伊達先生っすよ!!」
ユカが冗談交じりに告げた言葉に、里穂が過敏な反応を示す。その反応が大げさだったので、ユカは思わず顔をしかめた。
「里穂ちゃん、伊達先生がどげんかしたと?」
「私、週末に『透名総合病院』で見たっす!!」
「見た、って……伊達先生を? まぁ、別にいいっちゃなかと?」
聖人は医者として、今は富谷の病院での勤務が多いが、透名総合病院の中を歩いているのは不自然ではないだろう。里穂が何を興奮しているのか掴みきれず、ユカと仁義は顔を見合わせて首を傾げた。
すると里穂が、その理由を語る。
「その伊達先生が髪の長い派手な女性と一緒に歩いているところを、見たっすよ!!」
刹那、ユカと仁義は再度、互いに目を見合わせて……同じ結論に至る。
「ねぇ里穂、それは富沢さんだったんじゃないの?」
最も可能性が高いのは、聖人と職場も同じで、私生活でも関わりの多い女性・富沢彩衣だ。そんな彼のもっともな指摘に対して、里穂は「違うっす!!」と首を大きく横に振った。
「髪の色が茶色だったし、そもそも彩衣さんは院内であんな派手な赤いコートなんか着ないっすよ!!」
里穂の話を聞いた仁義も、思わず「確かに」と同意してしまった。そして、助けを求めるようにユカを見やり。
「山本さん、ご存知でしたか?」
「伊達先生の恋人、かもしれない女性を、ってこと? ゴメン、いっちょん分からん。櫻子さんなら知っとるかもしれんけど……今度聞いてみようかな」
彩衣と特に親しいのは、統治の婚約者でもある透名櫻子だ。ユカが頭の片隅にその情報を置いていると、里穂が食い気味に割り込んでくる。
「とっても親しそうに見えたっす。何か分かったら教えて欲しいっすよ!!」
「う、うん。分かった」
とりあえず現状ではこれ以上何も分からないので、頷くことしか出来ない。ユカの反応に満足した里穂は、用意されたコーヒーをすすって、軽く息を吐いた。
「それにしても、やっぱりクリスマスはカップルが増えるっすねー」
「そういう季節なんやろうね」
「雑誌やネットでもそんな特集ばっかりっすよ。あ、ケッカさんは政さんとデートしないっすか?」
「デっ……!?」
里穂の明け透けな物言いに、ユカは思わず口ごもって……きまりが悪く視線を泳がせる。
デート。
一般的には、異性と待ち合わせをして会うことを指す。
「あ、あたしは別に政宗とはそげなんじゃ……そ、そもそも、忙しい時期にそげな時間、取れるわけないしっ……!!」
「じゃあ、時間が取れればいいっすか?」
「そ、れは……」
里穂からの指摘に、思わず口をつぐんだ。
――ユカ、俺は……君のことが好きだ。
10月に福岡で唐突に――ユカのみが青天の霹靂だった――告白をされてから、約2ヶ月。
はっきりとした返答が出来ないまま、時間だけが経過している。
このままでは彼に失礼だと思う一方、現在の関係が心地よいことも事実だ。
なぜだろう。
彼への感情について考えようとすると……少し、目の奥が、痛む。
そして、これ以上深く考えるな、と、潜在意識が拒否しているような違和感もある。
そこに深入りをして、体調を崩してしまったら……そんな『もしも』を言い訳にして、きちんと向かい合うことを避けていた。
「仮にあたしが誘ったとしても、疲れとるのに気を遣わせるのも悪いかなって……」
ためらいがちに呟いた言葉を聞いた里穂が、笑顔で首を横に振った。
「ケッカさん、何を言ってるっすか。政さんに限って、それは絶対にないっすよー。ジンもそう思うっすよね?」
「そうですね。僕もそれはないと思います」
「え? え?」
恋愛に関しては先輩となる2人から満面の笑みで否定され、ユカは思わず目を丸くした。
そんな彼女へ里穂は右手人差し指を立てると、ドヤ顔でまくし立てる。
「ケッカさんから行動したって事実が、政さんは何よりも嬉しいと思うっすよ。だからきっと……ううん、絶対に2人で過ごす時間はあった方がいいっす!! これは、ケッカさんにしか出来ないことっすよ」
「あたしから行動した事実……」
里穂の言葉を自分で繰り返した瞬間、前々から朧げに考えていたことを思い出した。
恋愛感情はさておいて、これまで沢山支えてもらっていることは事実だ。
だから、クリスマスにかこつけて、何か……何か、自分に出来ることで、感謝を伝えたい。
気持ちだけではなく、行動で。
ユカは周囲の気配を確認した後、里穂と仁義を改めて見据える。そして、残っていた躊躇いを飲み込むと、膝の上で両手を握り、口を開いた。
「……ねぇ、里穂ちゃんに柳井君、政宗のことについて、1つお願いがあるっちゃけど……」
「お願い、っすか?」
ユカからの珍しい『お願い』、それを聞いた2人は……それぞれに迷いなく首肯した。
翌日の午後、時刻は間もなく15時になろうかという頃。
「政宗、あたし、スタバの限定メニュー飲みたいけんが、外で打ち合わせしよう」
「は?」
という名目で彼をビル内のコーヒーショップへ連れ出したユカは、外に向いたカウンター席に腰を下ろし、目尻を下げた。
「やっぱりクリスマス時期の限定メニューは豪華やねぇ……!!」
「半分以上クリームだもんな、って……ケッカ、打ち合わせって建前だろうが。何かそれっぽい話をしてくれないと経費に出来ないぞ?」
同じものを注文した政宗は彼女の隣に座ると、机に頬杖をついて苦笑いを向ける。一方のユカは強い意志で彼を見据え、ドヤ顔で反論した。
「建前じゃなかよ、本当に打ち合わせたいことがあると。その前に一服するだけやけんね」
「ヘイヘイ、ごゆっくりどうぞ」
諦めた口調で話を受け止めた政宗は、盛りに盛られたクリームに格闘するユカに目を細める。
そして、浅く息を吐いた。
「ゴメンな。俺の態度が悪いから、気を遣って――」
「――だから違うって。これは、打ち合わせ」
あえてピシャリと言い放つユカは、机上に自身のスマートフォンを取り出すと、全員の稼働を入力しているスケジュールアプリを起動した。
「これでほぼ確定なんやけど……一箇所、相談したいところがあって」
「お、おう。ちょっと待ってくれ」
急に仕事の話になったため、政宗も自身のスマートフォンから該当のアプリを起動した。そして、ユカと画面を合わせる。
同じ画面を開いていることを確認したユカは、表示されたカレンダーの中で、ある日付を指さした。
「ここ、24日と25日は全員で警戒するけど、25日の夜、ラストの時間帯は、流石に、学生さん全員に休んで欲しいと思って。けど、統治は週末に勤務があるけんが、ラストじゃなくてその前からのメンバーに入れたいんよ」
「なるほど。と、なると……」
「そう、空いとるのがあたしだけになる。けど、流石に1人で動き回るのは不安やけんが……政宗が忙しいのは重々承知しとるんやけど、都合つけられんかな、と、思って」
「25日の夜、だな。19時以降……」
政宗はそう呟きながら、スマートフォンを操作して、自身の動き方を確認する。そして、改めてユカの方を見つめ、力強く頷いた。
「分かった、そこは俺が動けるようにしておくよ。というか、そこだけでいいのか? 今のうちに言ってくれれば、調整できるところもあると思うから」
そう言ってユカを見ると、彼女は「だったら……」と、別の日付を指差した。
「年末の夜かな。統治、名杙本家の年越し準備もあるみたいやけん、統治を最初、あたしをラストにしようと思って」
「仕事納めは本来28日だけど、今年は日曜日だから26日で終わりか……と、なると、27日以降は俺も動きやすくなる。俺も実戦はしておきたいし、現時点で予定が入ってないところなら、ガンガンぶちこんでくれ」
「ありがとう。これ、明日までにまとめて提出すればよか?」
「ああ。頼んだ」
「頼まれました。よし、打ち合わせ終わり」
ユカはこう言って話を切り上げると、目の前にあるクリームにスプーンを刺した。政宗はその様子を見やり、肩をすくめる。
「速いなー」
「上司の仕事が速いけん、部下も負けてられんとよ。そういえば、『仙台支局』はクリスマス会とかせんと?」
「そうだな……人数も増えたし、ちょっと考えてみるか」
目の前に突然、解決が難しい問題が降ってきたので、他のことにまで気を回す余裕がなかったけれど。
でも、『仙台支局』を支えてくれているメンバーには何かしら報いたいし、それを行動に移したいと思う。
政宗が脳内で思案していると、隣のユカが何か思い出したのか、楽しそうに呟いた。
「チキンの予約は早めにせんといかんよ。一誠さん、去年は当日に3時間も待たされとったけんね」
「だよなぁ……そうだ、透名さんの都合が付けば協力してもらってもいいかもな。伊達先生も呼んだら来てくれそそうだけど」
伊達先生、その名前を聞いたユカは、先日、里穂から聞いたことを思い出した。政宗ならば何か心当たりがあるのではないか、そう思い、口を開く。
「そういえば里穂ちゃんがね、伊達先生が彼女……らしい女性と一緒に歩くところを見たって。ちなみに富沢さんじゃない」
「……マジ?」
ユカの話を聞いた政宗が、目を丸くして顔をしかめた。どうやら初聞きだったらしい。
「どんな女性だったか聞いてるか?」
「茶色い髪の毛で、赤いロングコートだったとか……ちなみに政宗、心当たりって……」
「茶髪に赤のロングコート、だろ? いや……悪い、マジで分からん」
眉間にしわを寄せて、しかめっ面になる政宗の横顔。それを見たユカは、思わず吹き出してしまう。
久しぶりに、彼のこんな表情を見たかもしれない。そう思うと、余計に面白くなってしまい。
「何だよケッカ、人の顔を見て笑うな」
「ゴメンゴメン、でも、そげん真剣に考えんでも……フフッ……!!」
「さっきから口の端にクリームを付けてる奴に笑われたくないな」
政宗はそう言って、彼女の口の端に残っていたクリームを自身の右手人差し指で掠め取った。
そして、それを口に運ぼうとした次の瞬間――すかさず追いかけてきたユカが指の第二関節までを口に含む。
「なぁっ……!?」
硬直する政宗の指先からクリームを奪取したユカは、そこから口を離して自分の席に座り直した。
そして。
「ぅぇっと、あ、あの……ゴメン、あたし、何を……!!」
己の行動を思い返し、我に返って赤面するユカ。
理由は全く、分からないけれど……完全に動かされた、そう思った。




