エピローグ:彼らは星の帰還を待つ
その後、あれよあれよと退院手続きは進み、30分後。
ユカは麻里子と同じタクシーに乗り、『仙台支局』へ向かっていた。
「……」
後部座席に並んで座っている状況が、よく、分からない。
麻里子は黒いロングコートと同系色のハイネック、紺色のジーンズという服装だった。長い髪はまとめておらず、足元はショートブーツを履いている。荷物も最低限度のため、ホテルといった拠点が別にあるのだろう。
とはいえ……災害からわずか3日、正味1日半で、福岡にいる彼女が仙台にいる理由は分からない。
とりあえず……過去と今とつなげることから始めよう。
「……あの、麻里子さま……どうして、というか、どうやって仙台へ?」
「飛行機で飛んできたに決まっとろうが」
「決まってるんですね……ですよね」
麻里子の口調にユカは苦笑いで頷いた。少なくとも、飛行機が動いていることは分かった。いつから仙台にいるのかは分からないが、直前に確保したチケットと宿であることに変わりはない。年末年始の休暇期間と彼女自身の行動力が融合した結果かもしれないが、顔を見て安心してしまったことは紛れもない事実だ。
それに麻里子は、ユカへ新しい上着と帽子を持ってきてくれていた。事故の際に着用していた上着は汚れが酷かったため、友実に処分を依頼していたのだが……メインのコートがない状態で真冬の仙台を過ごすのは無謀だ。真新しい水色のダウンジャケットは、今のユカにとって2番目に強い防具。
そして……久しぶりに帽子を被ると、精神的にとても安心できる。ユカは思わずニット帽の端を両手で握り、改めて大きく息を吐いた。
帽子がなかったので、院内では全くといっていいほど動き回れなかった。自分の迂闊な行動でこれ以上の迷惑をかけたくなかったので……政宗を探すことも、ずっと、我慢していたのだった。
「新しいコートと帽子まで、ありがとうございます。おかげで、寒くないまま退院出来ました」
ユカが麻里子を見上げると、彼女はチラリと一瞥した後、口元に笑みを浮かべる。
「支払いは来月、全部仙台に回すけんな」
「分かってますよ……ちゃんと払いますっ」
ユカは少しむくれたような表情で言い返すと……改めて、窓の外に流れる景色を見やる。
世界は驚くほど、変わっていなかった。
信号機は問題なく機能しており、道路にも目立つ損傷はない。
流れるラジオ番組も、リスナーからリクエストを募集している通常プログラムだ。
一部、住宅の屋根に青いビニールシートがかかっていたり、歩道に通行を制限する赤いコーンが立っていたりするが……変化といえばその程度。
あれだけの地震と、爆発事故だったのに。
その現場から少し離れるだけで、現実味がない出来事になることを思い知らされる。
だから……これまでの出来事は全て、夢だったのではないか。
そう、思いたくなるけれど。
「……麻里子さま、『仙台支局』は無事ですか?」
前を向いたまま、気になっていたことを尋ねると……麻里子は珍しく素直に「ああ」と頷いて。
「最初に寄ってきて名杙に会ったが、特に問題はないと聞いた」
「そうですか……」
会話が、続かない。
現実を徐々に把握していくと、最も知りたいことが最も確認したくないことになってしまう。
だけど、ここで情報を曖昧なままにしておきたくなかった。
ユカは無意識の内に、パーカーのポケットへ左手を入れていた。そして、中にあるSuicaを握りしめ、目を閉じて口を開く。
「あ、あのっ……それで、政宗は……」
刹那、ユカを見る麻里子の目が、少しだけ細くなった。
「佐藤のこと、聞いとらんとか?」
「聞いていません……スマートフォンも壊れちゃったし、川瀬さんも分かってない感じで……」
ユカはそう言って息を吐く。ここまでは自分自身のことで精一杯で、周囲に目を向ける余裕がなかった……というべきなのかもしれない。
タクシーが信号で止まった。麻里子は足を組み替えると、膝に頬杖をつく。
「佐藤は……意識不明だ」
「っ……!!」
彼女の言葉を聞いた瞬間、ユカは心臓を強く掴まれたような苦しさを感じた。
正直、最悪の事態も覚悟していたつもりだった。
全て受け入れる、そんな諦めの気持ちもあったはずだった。
けれど、実際は……その一歩手前であることを聞いただけで、こんなに、苦しい。
――だから、これからも宜しくな、ケッカ。
そう言って、隣で笑っていたのに。
未来を確かに、約束したはずだったのに。
寂しいから思い出したいのに、思い出すと淋しくなってしまう。
ユカは静かに口元を引き締めると、膝の上で両手を握りしめた。
「病院は、分かってるんですよね……?」
「ああ。ただ、緊急事態だから家族以外の面会は出来ないと言われとるらしい。そのうち名杙が圧力でもかけるやろうけん、それまで待つしかなか」
「家族……」
麻里子の言葉に、ユカは先日、夏明が言っていたことを思い出した。
――赤の他人同士が紙切れ一枚に署名して役所に出すだけで、相手に対して法的にとても強い権利と責任を背負うことができる、私たち側としても便利な存在だよ。
もしもあの時、先に必要な書類だけでも出していれば。
自分と政宗が、書類の上でも家族になっていれば。
何か……変わっていたのだろうか。
ユカは静かに頭を振る。『もしも』をどれだけ考えたところで現実は変わらない。
今の彼女は、政宗とは赤の他人なのだから。
分かっている。そんなことは嫌になるほど分かっていて……それでも。
理性では割り切れない感情が溢れそうになり、ユカは慌てて口元を引き締めた。
「政宗は、助かりますか……?」
「分からん。私は医者じゃなか」
こういう時、麻里子は気休めの言葉をかけてはくれない。分かっていたし期待もしていなかったけれど、気持ちをどう持ち直せばいいのか分からないまま。
ユカはそのまま何も言えず、車内で俯いていた。
数日ぶりに帰還した『仙台支局』、ユカが入口のドアを開けると、その音を聞いた統治が奥から早足で近づいてきた。
「山本……!!」
統治の無事を確認した瞬間、泣きそうな安堵感に包まれる。ユカは彼の方へ近づくと、改めて視線を上に向けた。
「統治……ごめん、迷惑かけて」
ユカの言葉に統治は首を横に振った。そして、彼女を見つめ……安堵の表情を浮かべる。
「無事で良かった。もう退院して大丈夫なのか?」
「大丈夫、かどうかは分からんけど……しばらくは自宅で静養してくださいって言われて」
そう言って苦笑いを浮かべると、統治は「そうか」と頷いた後、2人を応接用のソファへ案内した。
そして、奥からペットボトルのコーヒーを持ってくると、二人の前に並べる。
「食器関係が全滅してしまったんだ」
「そっか……他に壊れたものは?」
「あとは、テレビの画面が駄目になったな。水や電気は問題なく使えているが……年明けに改めて、細かく確認をしようと思う」
統治はそう言って、一緒に持ってきたミネラルウォーターを一口飲んだ。
そして……麻里子の方を見やり、改めて頭を下げる。
「山本を迎えに行ってくださって、本当にありがとうございます。いつまでいらっしゃるんですか?」
統治の質問に、麻里子は憮然とした表情で口を戸が尖らせる。
「明日には帰る。仙台はばり寒かけん、冬に長居したくなか」
「そうですか……」
そんなに嫌なのか、と、ユカと統治が内心でそれぞれ呟いていると……麻里子は背もたれに体重を預け、2人に向けて問いかけた。
「名杙、山本、これからどげんすっとか? 佐藤はおらんとぞ?」
ユカも統治も、何となく察していた。
麻里子は、心配だけで駆けつけたわけではない。
この窮地をどう脱するのか、2人の覚悟を見届けに来たのだ。
予想していた、そして答えが決まっている質問なので、2人は迷わず返答する。
「ここを守ります」
異口同音の答えが響き、言った2人が思わず顔を見合わせた。そして、互いに苦笑いを浮かべ、肩を竦める。
思うかべているのは、2人とも同じ人物。
長の帰還を待つ、そのためにやるべきことは、山のようにある。
「あたし達がやるべきことは、政宗が戻ってくる『仙台支局』を守ることだけです。そうやんね、統治?」
「ああ。年明け以降も通常通り稼働して、損失は最低限に抑えるつもりです」
そう言って頷く統治。麻里子はしばし、2人の顔を見比べて……口元にニヤリと笑みを浮かべる。
「出来るのか……なんて聞くのは愚問やな」
この言葉に、2人はそれぞれ頷いた。
やるしかないのだから、立ち止まってなどいられない。
2人から気概を感じて満足そうな表情を浮かべる麻里子は……次に、隣に座っているユカを見据える。
「あと……安常と伊達からある程度の話は聞いとる。山本はどげんするつもりなんか?」
「……」
麻里子が次に何を言っているのか、すぐに分かった。
ユカは統治へ目配せをした後、隣に座っている麻里子の方へ体を向けて……はっきりと、希望を口にする。
「あたしは……安常先生にお願いしたいと思っています。マイナスをゼロにしたいです」
「折角助かった命が、切れるかもしれんぞ?」
「それも覚悟してます」
麻里子の厳しい問いかけにも淀みなく答えたユカは、一度言葉を切ると……過去を少しだけ思い返し、目を伏せる。
「あたし……政宗から言われたことがあるんです。『俺が結果を未来へ繋げる』、って」
それは数ヶ月前、福岡の百道浜で、彼がユカに向けて叫んだ誓い。
――俺が結果を未来へ繋げる、そう決めたんだよ。どうしようもないなんて認めない。納得出来る答えをもらうまで……ここからも、福岡からも離れないからな!!
それを聞いた時は気恥ずかしかったけれど、嬉しかった。
自分のことを自分以上に考え、思ってくれる人がいる。
一人じゃないと、思うことが出来た。
その気持ちは、今も……嘘じゃない。
けれど。
「今回のことで、改めて思ったんです。結果を未来へ繋げるのは……あたし自身じゃなくちゃ駄目だって」
ユカは今まで、正しく勘違いをしていた。
万が一死ぬとすれば……政宗よりも自分が先だと、疑いもせずに思い込んでいた。
ただ、それが当てはまらないことを痛感した今、立ち止まって、現状に満足してなどいられない……そう、強く思う。
時間も、命も、等しく平等だ。
それをどう使うか、決められるのは自分だけ。
だったら――
「誰かに繋げてもらった結果は、自分の手柄じゃない。そんな当たり前のことを忘れて現状に甘んじている、政宗を待っているだけの『山本結果』でいるのは、嫌だな……って」
ユカはそう言って、上着のポケットからSuicaを取り出した。
これまでの死線を何度も共にくぐり抜けてきた相棒は……結局、代替わりしなかったけれど。
今はその事実が、ユカにとってはとてもありがたい。
いずれ訪れる大きな区切りまで、一緒に走り抜けることが出来そうだから。
「政宗がいないのでどうなるかは分かりませんが、胸を張ってここで働きたいので……安常先生の気が変わらないうちに、賭けてみたいと思います」
そう言って麻里子を見ると、彼女はとても満足げに強く頷いて、ユカへ激励の言葉を送る。
「よう分かった。気が済むまで動け」
「はいっ!!」
ユカははっきりと響く声で返事をすると、改めて背筋を正し、前を向いた。
動き続ける。
彼が戻ってくるこの場所を、何があっても守るために。
色んなことがあった第9幕も、ここで終わりとなります。
あぁ……少ししんどかったけど楽しかった。ここまで追いかけてくださった皆様、ありがとうございました。
物語は今後、佳境へ向かいます。
とはいえ、責任者は意識不明、エース(ユカ)も静養が必要……そんな『仙台支局』がどう立ち直っていくのか。色んなことが変わったり、変わらなかったりした第9幕。私はまだ、政宗の処遇を決めていませんので……まずは『痕』になるのかならないのか、見守ってやってください。
そして、9幕の色んなところに出てきた今後への伏線が回収されるのは、いつになることやら。
10幕以降も引き続き、追いかけていただけると嬉しいです。(いつになるか分かりませんが……)
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9幕を書いている最中も、豊後水道で大きな地震が発生しました。被災地域にお住まいの皆様にはお見舞いを申し上げます。どうぞ気をつけてお過ごしください。
改めて備えるキッカケの一つになっていれば、書いてよかったなぁと思えます。これからも引き続き、よろしくお願いします!!




