エピソード7.5:急、転、直下
このエピソードには、災害に関する描写があります。
苦手な方は、読み進めることをお控えください。
クリスマスも終わり、年末へ向けていよいよ忙しなくなってきた12月28日。
今年最後の日曜日を迎えた仙台市は、帰省をしてきた人も増え始めている。クリスマスとは空気感こそ異なるものの、一層の賑わいの只中にあった。
とはいえ、『仙台支局』の勤務体制は変わらないので、絶賛休日出勤中。時刻は19時40分を過ぎた頃、相変わらず人が多い勾当台公園の入口で、ユカは思わず肩をすくめた。
「年の瀬だっていうのに、人が減らんねぇ……」
「ケッカはどうして減ると思ったんだ……?」
隣に立つ政宗が、怪訝そうな表情で彼女を見やる。ユカはその問いには答えず、視線を少し上に上げた後、瞬きをして、視える世界を切り替えた。
そして、頭上にいる空へと視線を送る。今日は金髪の長い髪をゆるく三つ編みにして、白いTシャツとダメージジーンズという出で立ちの彼女は、ユカからの合図に気付き、改めて周囲を見渡した。そして……脅威がないことを確認し、笑顔で首を横に振る。
「この辺、今日は大丈夫っぽいー。お昼からずっとフラフラしてるけど問題なしっ。ヘイワだねー」
2人にだけ聞こえる声であっけらかんと言い放つ空。彼女も最近は慣れてきたので、その感覚に間違いはないだろう。
とはいえ、警戒をやめるわけにはいかない。ユカは空に「ありがとうございます」と小声で謝辞を述べると、その視線を政宗へ向けて指示を仰いだ。
「政宗、あとはどげん動く?」
今日は私服姿でロングコートを羽織っている彼は、ユカからの問いかけに改めて周囲を見渡して。
「そうだな……今から通り沿いに歩いて西公園まで。そこで折り返して戻ってきたら、勾当台公園を見て回って。何事もなければ『仙台支局』に戻っていいと思う」
「了解。スーパーに半額のお弁当、残っとるといいなー」
既に気持ちは就業後を向いているユカへ、政宗は嘆息しつつ……「いくぞ」と先陣を切る。
勾当台公園のクリスマスツリーは撤去されたものの、出店はまだ多く出店を続けており、方々から美味しそうな香りが漂っていた。
「フライドポテト……」
「後にしなさい」
政宗からピシャリと言われたユカは、口をとらがせながら彼の隣に立つ。そして、取り出したスマートフォンをイルミネーションの方へ向けると、無造作に写真を撮影し、セレナへ送っておいた。彼女は夏に仙台へ遊びに来ており、勾当台公園周辺も七夕祭りの際に立ち寄っている。
「夏と冬だと、印象が変わる場所やね……」
撮影場所と一言をメッセージとして送信した後、スマートフォンをコートのポケットへ。そして、相変わらず多くの人が集まっているイルミネーションの下を歩き出した。
この通りを歩くことも、イルミネーションの暖かさにも、人の多さにも……全てにすっかり慣れてしまったユカは、政宗の隣を歩きつつ「そういえば」と、着ていたコートのポケットをまさぐる。
そして、使い慣れたパスケースを取り出した。
「これ、結局……買い替える暇、なかったね」
彼女が取り出したのは、今月に入ってエラーを頻発させているSuicaだった。先日、政宗から「プレゼントさせてほしい」と言われ、自身で買い替えることを控えているけれど……それ以降、磁気不良によるエラーで止められることがない。もしかしてSuicaが反抗しているのか、なんてことを思ってしまいそうになる。
クリスマス以降のバタバタした空気感に流されて、結局、新品を購入する時間を作ることが出来ないままでいた。ユカの手元へ視線を向けた政宗が、苦笑いで「スマン」と片手をあげて。
「31日、窓口で定期を更新するときに交換してもらうってことで……それまで何とか持ちこたえてくれ」
「それをあたしに言われても困るっちゃけど……31日やね、了解」
ユカは脳内で今年最後の予定を立てながら、人並みをかき分け、定禅寺通を進む。
そして、西公園まで来たところで改めて周囲を警戒した後、再び、勾当台公園の方へ向けて歩き出した。
すれ違う人々は皆、上を見上げて目を輝かせ、表情が明るい。そんな様子を見ていると、思わず頬が緩んでしまう。
自分の行っていることが、見ず知らずの人の『日常』を守っているのだと……そう言い聞かせ、少しだけ誇らしくなれるから。
「政宗ー、お腹すいたー」
「勾当台公園まで戻ったら終わりだから、もうちょい頑張れー」
空腹を訴えるユカをなだめすかしながら大通りを歩き、2人が勾当台公園へ戻ってきた時、時刻は20時を過ぎていた。
地下鉄の出入り口と公園の入口が交わっている地点は、相変わらず、多くの人でごった返している。人が密集している公園内へ進もうと、政宗が率先して先に進んでいると。
「――こんばんはー!! よかったら写真、撮っていきませんか?」
急に横から元気に話しかけられ、ユカは思わず立ち止まり、声の主を探した。
すると、『無料フォトスポット、あります!!』とカラフルな文字で書かれたスケッチブックを持った女性が、ユカと政宗の方を見てニコニコしている。
年齢は高校生くらい。肩下まで伸びる髪の毛をハーフアップにまとめ、大きな瞳と元気な口元が印象的だ。綿入りの白いダウンとフリース素材の黒いロングスカート、足元は黒いタイツに茶色のムートンブーツで防寒対策を講じている。
その女性に見覚えがあった政宗が、軽く目を見開きながら記憶をたどり、その名字を呟いた。
「確か……刑部さん……」
「えっ?」
政宗から名前を言い当てられた女性――刑部友実は、思わず目を丸くして政宗を見やる。
「あ、あの、すいません……ど、どこかでお会いしたこと、ありましたか……?」
「あっ、いや、その……」
刹那、政宗は己の失言を――友実と面識はあるつもりだったけど、彼女と会ったのは政宗と蓮の中身が入れ替わっていた時だったことを――悟り、急いで言い訳を取り繕った。
「急にごめんね。俺は佐藤政宗っていいます。柳井仁義くんや……そう、名波蓮くんと懇意にさせてもらっていて」
「名波くんとですか!?」
政宗の口からクラスメイトの名前を聞いた友実は、驚きで大きな目を更に見開いた。
すると、友実の方へ近づいてきた男性が、ユカの方を見て「おぉ」とリアクションを取る。
「あれ、君……あれだよね、あれ。えっと……そう!! 柳井の彼女の親戚の子だ!!」
ユカを指差してそう言った彼――矢野颯斗に、ユカは営業用の子どもの表情を貼り付け、「こんばんは」と軽く頭を下げる。
友実は颯斗の顔を見つめ、今の発言を確認するように問いかけた。
「矢野先輩、この女の子……柳井先輩の彼女さんの親戚なんですか?」
「そうなんだって。この間、本人達から聞いたんだ」
「そうなんですか……じゃあ、佐藤さんは本当に、名波くんともお知り合いなんですね」
どこか安心した表情の友実に、政宗は「驚かせてごめんね」と、自身の発言を詫びる。
「名波くんから、助けてもらったクラスメイトの名前で、刑部さんの名前を聞いたことがあってさ。彼がそんなことを言うのが珍しいから覚えていたんだ」
「そうだったんですね……でも、よくそれが私だって分かりましたね」
「そ、れは……柳井くんあたりから写真も見せてもらったのかな。とにかく、急に知らない野郎から名前を呼ばれたら怖いよね。驚かせて本当、ごめんね」
政宗がいつもの調子で再度謝辞を述べると、友実は「い、いえ、そんな……」と慌てて手を振って。
「名波くんが私のことを話してくれていたなんて、思っていなくて。嬉しいです」
すっかり話を信じてくれた様子に、2人して内心、胸をなでおろす。
すると友実が改めて持っていたスケッチブックを二人の前に掲げ、営業を始めた。
「私達、有志のボランティアで、光のページェントを背景にした写真撮影イベントを開催しています。思い出つくりに参加してみませんか? 並んでいる人がいるので、5分くらいお待たせするかとは思うんですけど……沢山撮影をしてきたので、腕は上がってると思いますっ!!」
こう言って2人を真っ直ぐ見つめる友実に、ユカと政宗は顔を見合わせ……目線で役割分担と打ち合わせを終える。
こういうときに率先して話を進めるのは、政宗の役割なのだ。
「ありがとう。でも、公園の中も見たいから……一周回ってきた後でもいいかな。もう終わっちゃう?」
彼の問いかけに、友実は腕時計で時間を確認して。
「20時30分までやってますので、その5分前までに戻ってきてもらえるとありがたいです」
「了解。ありがとう。寒いと思うけど頑張ってね」
政宗は2人へ営業スマイルを向けると、ユカを見て「フライドポテト食べようなー」と適当な話題を投げる。今はあくまでも仕事中。日常を楽しむのは、勾当台公園の巡回が終わってからだ。
ユカは2人へ無言で会釈をすると、政宗の隣に立って他の人に紛れる。
その背中を見送った友実は、颯斗を見やり、胸の中にあった疑問をぶつけた。
「矢野先輩……名波くんの知り合いの人と、柳井先輩の彼女の親戚の女の子が2人でいるのは……どうしてなんでしょうか」
「さぁ……あの男の人も、柳井の彼女の親族なんじゃね?」
颯斗は至極適当に言ってのけた後、友実を呼びに来た目的を思い出し、彼女が持っているスケッチブックを見下ろして。
「そのスケッチブック、相楽が弟と探してたぞ。『最後尾』って書きたいとか」
「そうなんですか!! すぐに返しに行かないと……!!」
慌てて公園の入口の方へ走っていく背中を、颯斗もワンテンポ遅れて追いかけた。
勾当台公園の中、市役所前の広場には、多くの露店が軒を連ね、客を引きよせる香りや、くじ引きの豪華景品をアピールしていた。
露店の営業時間は21時までなのだが、人の流れは絶えず、テントの下に設置された椅子とテーブルでは、多くの人が暖かい飲食を楽しんでいる。寒空の下で行列が出来ている店も多く、終わるギリギリのタイミングまでこの賑わいは続きそうな様相だ。
2人は瞬きをして、視える世界を切り替えた。そして、周囲を何となく警戒しながら歩いていると……不意に、ユカが政宗を見上げる。
「……政宗、完全に不審者やったよね……」
ジト目を向けると、彼が露骨に視線をそらした。
「言わないでくれよ……蓮くんと入れ替わったときにしか会ってなかったってすぐに思い出して、言い訳しただろ?」
政宗が友実と会ったのは、今年の秋、彼女が通う高校内だった。
ただし……外見は蓮。政宗と蓮の中身が入れ替わってしまった時、高校内で同じ頼まれ事をしていたのだ。
その時の明るい笑顔とハツラツとした立ち居振る舞いが印象に残っており、先ほど顔を合わせた際、知り合いと偶然、街中で会ったような感覚になってしまい……。
「まぁ……迂闊だったけどな」
自己評価の後、そう言って少し遠くを見つめ、白い息を吐く政宗。
ユカはそんな彼の隣に並ぶと、彼が着ていたコートを引っ張った。
「じゃあ、彼女にちゃんと信じてもらうために、さっさと巡回して、ポテト持って、写真を撮ってもらわんとね」
「ポテト……いるか?」
「いる。なんなら今すぐにでも」
真顔で頷くユカに、政宗は思わず肩をすくめる。
そして、それを売っている露店の位置を確認して、口元を緩めた。
「寒いし……小腹は満たしたいな。時間も時間だし、早めに買っとくか」
「わーいっ」
盛大に両手を挙げるユカと共に、数名ほどの行列に並ぶ。屋台の裏にあるフライヤーから湯気が立ち上っており、丁度出来立てを受け取れそうな気配だ。
順番待ちで立ち止まったところで、ユカはコートのポケットからスマートフォンを取り出す。
時間は20時10分。今からポテトを買って、周囲を巡回して……何事もなければ30分までには友実たちのところまで戻れるだろう。
そして、仕事を終えて、家に帰って……明日に備える。
そう、信じていた。
けれど。
人々の楽しそうな声は、全員のスマートフォンから均等に鳴り響いた警告音にかき消される。
「え……?」
マナーモードに設定していたはずなのに、ユカのスマートフォンから、聞いたことのない、本能的に不安になるような音階のアラートが、連続で鳴り続けている。
そして……画面に表示されたのは。
――地震です
スマートフォンから聞いたことのない電子音声が鳴り響いた、次の、瞬間、
地鳴りとともに、地面が一瞬だけ縦に振動した後、大きく横に揺れ始める。
安全装置が働いてブレーカーが落ちたのか、あれだけのイルミネーションに、電気に照らされた世界が、一瞬で暗闇に包まれた。先の見えない世界の中、悲鳴と警告音が広場中に広がり、混乱が広がっていく。
怖い。
意思を持ったように左右へ大きく、足元が揺れ続けている。ユカが思わずバランスを崩しそうになったところで、政宗が彼女の手を取り、彼女の頭を守るように自分の方へ抱きすくめた。
本当はしゃがみ込みたいところだが、人が多すぎる。逃げる人の邪魔になったり、最悪、自分たちが踏まれてしまうかもしれない。そう思うと……今はただ、早く、早く、この揺れが収まってくれと祈るしかない。
公園中のスマートフォンが、同じアラートを鳴らし続けている。
「政宗……!!」
「マジかよ……しかも揺れが長いな……!!」
怖い。
終わりが、分からない。
悲鳴が、
警報音が、
怒号が、
揺れが、
混乱が、
何一つ収まらないから。
足元が揺れる。
地面が波打つ。
逃げたいのに、足がすくんで……動かすことができない。
「政宗……ど、げんしよう……」
「とりあえず、揺れがおさまるまでは動かない方がいいと思うんだ」
まだ横揺れは収まらない。
地鳴りの音と警告音は、平穏が……日常が消える音に思えた。
ユカは彼のコートを、無意識のうちに握りしめる。
それが、最後の記憶。
――火を止めろ!! 引火するぞ!!
誰かの怒号が聞こえた、次の瞬間。
体が、地面に叩きつけられていた。
警告音も、人々の悲鳴も……地鳴りの音さえも、爆発音に全てかき消される。
そして……ユカの両手には、あたたかい何かで濡れている感覚があり。
何も、掴んでいなかった。
9幕は、この展開を目指して書いてきました。
私も、作品史上最も強い覚悟をもって書いたつもりです。
ただ……難しい。地震という自然災害の恐怖を伝えるためにどんな表現を使うのか、考えて、記憶も掘り起こして、色々考えました。
本当は9幕をここで終わらせるつもりだったのですが、もうちょっとだけ、当事者たちの夜の話を続けたいと思います。
苦手な方は無理をせず、いずれ更新されるであろうエピローグまでお進みください。




