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エピソード4.5:また明日から始めよう

 部屋での話し合いを終えた直後、政宗は「もう一度大浴場に行ってくる」と早口で言い残し、タオルとスマートフォンに財布、部屋の鍵を持って出ていった。

 残されたユカは、和室の中央に用意された敷布団の上に寝転がって、天井を見上げる。

 煌々と照らす電気の光が、自分ひとりだけを映し出している。

 静かな夜だ。他の部屋からの音も聞こえず、風や雨の音もない。もしかしたら雪が降っているのかもしれないけれど、わざわざ確認するために立ち上がるのも……面倒くさい。

 スマートフォンも特に震えない。テレビをつける気にもならない。

 まるで、世界に一人しかいないような錯覚。

 そんな心境で転がっていたユカは……ぼんやりと、思い返した。

「約束……」

 つい今しがた交わした、未来へ立ち向かうための新しい約束。

 軽い気持ちで提案したのだが、彼が予想以上の内容を提示(プレゼン)してきたから。

 その熱意にほだされて、賭けてみようと思えた。

 ……の、だが。

「……」

 とあることが引っかかっているため、ユカは布団の上に上半身を起こす。

 そして……眉間にシワを寄せると、訝しげな表情で呟いた。

「本当に……あげな約束で良かったとやか……?」

 

 一方その頃。

 男性用大浴場の脱衣所に入ってきた政宗は、ひとまず貴重品をロッカーに片付けた。そして、空いているカゴを見つけてそこにタオルを放り込むと……一度、息をつく。

 脱衣所に人はいないが、カゴの中に着替えがぽつぽつと見受けられた。

 温泉を楽しみたい気持ちは嘘ではない。けれど今は、それ以上に……あの場で過ごすことが急に気恥ずかしくなり、逃げるようにここまで来てしまったのだ。

 逃げたところで、同じ部屋で一晩を過ごす事実に変わりはないのに。

「……言って、しまった……」

 ポツリと吐き出した言葉は、高い位置で首を振っている扇風機の駆動音にかき消される。

 昨日の夜からずっと、胸の中に残っていた決意。それを彼女にぶつけた結果、すぐに承諾……ではないにせよ、いつも以上に期待できる反応だったように思う。そう思いたい。

 それに……。

「にしても、あいつ……何のつもりで……」

 まだ感覚を思い出せる頬に手を添えた。じんわりと熱い。まだ風呂には入っていないのに。

「……」

 感情を言語化出来ず、とりあえずその場で大きく息を吐いた。


 ユカから頬にキスをされた。

 昨日から、自分に都合の良い夢のような展開ばかりで……本当に夢なんじゃないかと疑いたくなってしまう。


 彼女のことだから、さほど深い意味はないのだろう。余計な傷を負いたくもないので、これ以上は深く追求しないようにするけれど。

 温泉に入って、部屋に戻れば、彼女が当たり前にそこにいてくれる。

 その事実を認識するだけで、無意識のうちに口元が緩んだ。

 改めて思う。今の彼は、間違いなく。

「……浮足立ちすぎだよな、俺……」

 どうしたってニヤける口元を、制御することが出来ないまま。

 政宗はとりあえず着ていたものを脱いだ後、意気揚々と大浴場へ向かった。


 そして、結局。


「政宗を一人にするんじゃなかった……!!」

 約1時間後、部屋の中で悔しそうに呟くユカ。

 そんな彼女の右隣であぐらをかいて座っている彼は、至極、それはもう、この世を手中におさめたかと思うほど上機嫌だった。

「どーしたんだよーケッカー、カニ食べたかー?」

「一緒に食べたやんね……もう忘れたと?」

「よしケッカ!! カニ食べ行こう!!」

「だから!! もうカニは食べたと!!」

 先ほどから、会話が成立しない堂々巡り。

 遡ること数分前、大浴場からゆっくり戻ってきた政宗は、顔が不自然に赤みを帯びていた。そして、足元がちょっとおぼつかない様子にも見えた。

 最初は風呂でのぼせたのかと思ったが……彼の、どこか眠そうで楽しそうな眼差しを見た瞬間、強烈な既視感を感じる。そして、これまでの経験から、一つの仮定を導き出すことが出来た。

「政宗……お酒、飲んできた?」

 今日の政宗は、夕食時に飲酒していない。それはユカが「食後に話をしたい」と伝えていたから。

 しかし、毎夜ごとに晩酌をしている彼が、この温泉地で、皆が浮かれている温泉宿の中で、ユカとの話し合いも無事に終わった今、飲酒を我慢出来るだろか。

 要するに……話を終えて、風呂も終えて、適度に疲れている今、もしも、部屋へ戻る道すがら、冷えたビールでも売っている売店があったのだとすれば。

 ユカの訝しげな眼差しを受けた彼は、盛大に笑い飛ばしてみせる。

「飲んでないぞー。缶ビール2本しかー」

「飲んどる!! 思ったより飲んどる!!」

 やはり、体が程よく疲れており、胃の中にも程よく食べ物が残っており、いつもより血の巡りが程よい状態で、アルコールを欲望のままに摂取してしまったらしい。

 ユカは盛大にため息をつきながら、部屋に備え付けられた冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出した。大分割高だがしょうがない。どうせ支払いは彼なのだ。

「ほら政宗、水、飲まんといかんよ」

「えー。酒が薄くなるよー」

「文句言わない。布団の上にこぼすといかんけん、向こうのテーブルで、ほらっ」

 ユカはそう言って、彼の浴衣を少し強引に引っ張った。政宗は数秒間抵抗した後、まんざらでもない表情で「しょーがないなー」と言いながら立ち上がる。そして再び、広縁の椅子に腰を下ろした。

 ユカはそんな彼の隣に立つと、ペットボトルを目の前に置く。

「はい、飲んで」

「えー」

「……あんまり聞き分けがないと、ケッカちゃんは無関心になるけんね」

「へーい」

 ユカによる真顔の忠告に、政宗はヘラヘラと頷いて、ペットボトルのキャップを開けた。そして中身を一口飲んだ後、それをユカの方へ突き出して。

「ケッカも水分取っとくかー?」

 その申し出を、ユカは丁寧にお断りする。

「……結構です。政宗はもう一口飲んだほうがよかよ」

「そっかー」

 特に理由もなく納得した政宗は、もう一口飲んでからキャップを閉めた。そしてそれをテーブルの上に戻すと、隣に立っているユカを見上げて。

「……ヘヘッ」

 とても楽しそうに笑っているから、ユカは呆れ顔で呟く。

「楽しそうやねぇ……」

「楽しいぞー」

「……あっそ。それは良かった」

 あまりにも無防備な笑顔を向けられ、思わず肩をすくめてしまった。

 調子が狂う。いつものことだけど、今日はいつもよりうざ絡みが多い気がする。

 それだけ酒が回っているならば……これから尋ねることは、きっと、明日の彼の記憶には残らないだろう。そう思ったユカは、努めて自然な流れを意識して口を開く。

「あのさ、政宗。一つ聞いてもいい?」

「んー?」

「政宗は……その、えぇっと……」


 ――本当に生涯の伴侶は自分でいいのか。


 今なら聞けるかと思った質問も、いざ口に出そうとすると、自分の羞恥心に勝てない。

 ユカが言葉を探してモゴモゴしていると、政宗は肘置きに頬杖をつき、彼女を見つめる目を細める。

「……ありがとな、ケッカ。俺のこと、連れ出してくれて」

「え? いや……あたし一人の力じゃなかよ」

 急に話題と彼の雰囲気が変わったので、ユカは思わず面食らっていると……彼はとても嬉しそうに笑いながら言葉を続けた。

「それでも、嬉しかった。うん……そうだな、一緒に旅行できて、同じ思い出を増やせて、嬉しいんだ」

「なら、良かった」

「帰ったら、また、頑張る……から、それで……頑張って、また……」

 政宗は同じ言葉を繰り返しながら、体をゆっくり揺らしている。睡魔との戦いは始まったばかりだが、明らかに彼の劣勢だ。

 どっちが年上なんだか分からない状況に、ユカは腰に手を当ててため息をつくしかない。

「ほら政宗、今日はもう寢らんね。明日もあるけんね」

「えー……一緒にー、寝るー……?」

「なして2人分用意されとる布団を狭く使わんといかんとね……ほら立って、とりあえず移動するっ」

 ユカは再度、彼の浴衣を引っ張って立ち上がらせた。そして、足元がおぼつかない彼を布団の方へ誘導し、息をつく。

「ったく……こげん酒に弱いとに、なして限界を知らんで飲めるとやろうか……」

「へー……」

「駄目だこりゃ……」

 布団の上に座ってぼんやりしている彼を見下ろし、何度目か分からないため息をついた。

 そしてそのまま入口のところへ移動し、電気のスイッチへ手を伸ばす。

「ほら政宗、電気消すよー?」

「えー」

「えー、じゃない。明日も運転してもらわんと帰れんけんね。はい、おやすみっ!!」

 ユカは強引に電気を保安灯に切り替えると、薄暗い部屋の中を慎重に移動する。そして、彼の隣に用意された布団の中に潜り込んだ。

 慣れない高さの枕と、肌ざりや重さの違う布団。

 なんだか特別で、少しだけ落ち着かなくて。

 雑多な音も届かない、2人だけの空間。

 相手の顔も見えないし、酔って眠たそうな今なら聞ける、そんな気になった。

「……あのさ、政宗。一つ、聞いてもよか?」

「えー……?」

 眠気に負けそうな返事が聞こえる。ユカはしばし言葉を探した後……意を決して、問いかけた。

「政宗の家族……に、なる、人……本当に、その……あたしで、いいのかなって……思って」

 後半、ボリュームが尻すぼみに小さくなったことが自分でも分かった。色々な感情が渦巻いて、反射的に背を向けてしまう。


 自信がないのは、自分自身なのに。

 ユカが自己嫌悪に陥りかけた、次の瞬間。



「君がいい」



 迷いなくはっきりと言われ、驚いた全身がビクリと反応する。

 政宗は上を向いたまま、軽く目を閉じて……もう一度、口を開いた。


「俺は……家族が何なのか、多分、よく分かってないけどさ。けど……俺がずっと一緒にいたいのは……一緒に、いてほしい、のは……ゆい……」


 そこで、言葉が途切れて。

 代わりに聞こえてきたのは、急に規則正しい寝息。


 ユカは思わず布団の上に上半身を起こすと、寝落ちした彼を見下ろす。

「えぇー……!?」

 信じられない、とか、迂闊に本名を呼ぼうとするな、とか、伝えたいことは色々あるけれど。

「……約束、考え直そうかなぁ……」

 こう呟いて、結局笑ってしまう。その時点である程度受け入れていることは、自分でも認めざるをえない。

「あーもう……なんかバカバカしくなってきた」

 ユカはそう言って立ち上がると、歯磨きをするために洗面所へ向かった。


 約5分後、歯磨きとトイレをすませて戻ってきたユカは、広縁のテーブルにペットボトルが残ったままになっていることに気付く。冷蔵庫に入れるため、まずは布団の上を慎重に移動して……テーブルの前に移動した。

 そして、ペットボトルを掴むと……キャップをあけて、一口。常温で飲みやすいミネラルウォーターが体内を下降していく。

 蓋をしめた後、窓の方を見つめた、カーテンを閉めているし、そもそも夜なので景色は見えないけれど、普段とは明らかに異なる静寂。耳を澄ましても特に目立つ音はない。雪が降っているのであれば、世界中の音は全て、それに吸い込まれているのかもしれない。

 ユカは一人、椅子に座って……自身の左手を見つめる。

 小指は政宗と『関係縁』が繋がっているし、薬指はそれこそ結婚の象徴のようなものだ。

 今は当然、何もないけれど……そう遠くない未来に、もしかしたら。

「約束……」

 ポツリと呟き、息を吐いた。

 考えすぎて煮詰まってしまうのは、自分の悪いところだと思う。

 こんな時、政宗だったら。

 きっと……結論を求めて行動するのだろう。


 ――今度こそ、3人で乗り切るんだ。俺たちの底力、麻里子様に見せつけてやろうぜ!


 あの時のように、逆境で最も目を輝かせて。

 そんな彼を近くで見てきたら信じられるし、それに……。


「ふぁ……」

 次の瞬間、あくびが出る。程よい疲れと部屋の暖かさも相まって、眠気がだんだん強くなってきた。

「……あたしも、寝よ」

 普段より、寝る時間が少し早いけれど。話し相手もいない今、これ以上夜ふかしをするよりも……明日、スッキリした気分で目覚めて、この旅路を最後まで楽しみたい。

 冷蔵庫にペットボトルを入れたユカは、自分の布団に戻る……前に、彼の頭の上に座り込んだ。そして、彼の頭に右手を添えた後、口元に笑みを浮かべる。

 不意に頭を撫でられることはあるけれど、身長が高い彼の頭にユカが手を添えられるのは、今のタイミングしかない。

「……また明日からもよろしくね、政宗」

 ユカはそう言って手を離すと、自分の布団に潜り込む。

 そして……少しだけ政宗の方へ体を傾け、そっと目を閉じた。


 翌日、先に目を覚ましたのは、政宗だった。

「……あー……?」

 寝ぼけ眼と、曖昧な発語。視線の先にあるのは見慣れぬ天井。とりあえず体を起こすと、グズグズになった浴衣が右肩からずり落ちた。

 普段と違う枕で熟睡できるのか、不安がなかったわけではないけれど……目覚めはすこぶる良い。自分がどのタイミングで寝たのか、その直前までユカとどんなやり取りをしていたのかは、鮮明に覚えていないけれど……アルコール分も残っていないし、久しぶりに熟睡できた、そんな気がしている。

 枕元に転がっていたスマートフォンで時間を確認すると、朝の6時。普段起きる時間だ。

 休日でも正確な体内時計に苦笑いを浮かべつつ、喉の乾きを感じ、広縁の方を見やる。確か昨日、ペットボトルの水が、あった、ような?

「……あれ?」

 期待した場所には何もなかった。酔ったことによる都合の良い妄想かと思って冷蔵庫を開けると、中には開封済みの水が一本。それを取り出してスマートフォンと共に握り、テーブルがある方へ移動した。

 椅子に座って水を飲み、ふと、カーテンの隙間から外を見ると……。

「……マジで降ってる……」

 目に飛び込んできたのは、しんしんと降っている雪と、真っ白な山肌。帰りの運転を思って乾いた笑いを浮かべるしかない。

「やべ、統治への連絡……」

 昨日の夜、統治から届いていた定時連絡。それを慌てて確認した政宗は、その内容を頭の片隅に残し、とりあえず返信をした。

 そして、寝ているユカの方を見やる。起きる気配はまだ、特にない。

 政宗はスマートフォンを操作して、データフォルダを呼び出した。その中に入っている新しい1枚、昨日、2人で撮影した画像を表示させる。

 自分から写真を撮ろう、なんて、彼女は滅多に言わない。だからこそ、この1枚は貴重だ。

 政宗は画面を消してスマートフォンを机に置くと、自身の左手の小指を見つめ、瞬きをした。

 小指から繋がった『関係縁』、色が違うのは、揺るがぬ思いがあるから。


 今はこうして、すぐに会えるようになって。

 声も直接聞けるし、一緒に仕事をすることも出来ている。

 会いたくて泣きそうになることはなくなったけれど、己の不甲斐なさに涙を流すことはあって。

 彼女の『生命縁』に傷をつけろ、なんて提案をされた時には、身がすくみ上がる思いがしたけれど。


 彼女は生きている。

 そして、全てが成功すれば……これからもずっと、自分の隣にいてくれる、かも、しれない。

 不安は残っているけれど、そう思うだけで、何にも変えられない力が湧いてくる。

 政宗は自分の左手の小指を見つめた後、まだ眠っている布団の方へ視線を向けて……浮かべた笑みと共に、そっと、思いを口にした。


「俺は……好きだよ、ユカ」


 いつかまた、ここに来るために。

 いつかきっと、必ず、2人の約束を果たすために。

 その日のために、生きていこう。


 政宗はこの日、自分の生きる理由を、改めて自覚することが出来た。

 折角の婚前旅行なのだから、なんかイチャイチャさせたいなぁと思って……アルコールを召喚しました。なんでこの2人は付き合ってないんだと思わなくもないですが、付き合わなくても書類出せば結婚できますからね。二人の間にあるのは恋愛感情より深い至情なんだろうなぁと思って書いています。

 ただ、書いていて一番楽しかったのは、脱衣所で一人ニヤつく政宗です。思春期かよ!!

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