エピソード2:家族ごっこ②
師走はいつもよりも時間が進むのが速い気がする。
卓上カレンダーで日付を確認した瑞希は、空になった加湿器のタンクを抱え、息を吐いた。
本日、12月12日。
今年の『仙台光のページェント』、初日である。
時刻は午前10時過ぎ、瑞希が政宗から頼まれた資料をパソコンで作成していると、コーヒーを自身のカップに補充するために立ち上がったユカが、その帰り道に瑞希の机へ立ち寄った。
「支倉さん、今日の打ち合わせなんですけど、何時からなら大丈夫ですか?」
「はいっ!! え、えぇっと……す、すいません、11時からでも大丈夫ですか……?」
「大丈夫です。じゃあ、資料を用意しておきますので、よろしくお願いします」
ユカは軽く会釈をすると、自身の席へ戻った。その背中を視線で追いかけながら、瑞希も改めて気合を入れる。
今日はイベントの初日であり、かつ、ユカと瑞希は『仙台支局』1年目ということもあり、政宗が学生メンバーと2人を連れて、警戒すべきポイントなどを教えていくことになっていた。特に『縁故』ではなく、かつ、霊的に干渉されやすい瑞希に対して、注意事項や持ち物の確認をしておいて欲しい、と、ユカは政宗から頼まれていたのである。
加湿器をセットした瑞希は、椅子に座り直して、気合を入れ直した。
「頑張らないと……!!」
そんな彼女の様子を横目で見ていた統治は、視線を自身のモニターへ戻しつつ……個人宛に届いていたメールの文面を、改めて目線で追う。
送信者:伊達聖人
件名:来週の月曜日、ケッカちゃんってあいてる?
約1時間後、応接用スペースで向かい合って座る瑞希へ、ユカは手元の資料と、茶封筒を手渡した。
「そこに書いてあるのは、『痕』による体調不良を感じた際にやってほしいことです。原因が違っていてもいいので、いつもと違う何かを感じたらよろしくお願いします」
「は、はいっ……!!」
瑞希は資料を両手で自分の方へ引き寄せると、ざっと目を通す。
そこに書かれていたことを要約すると、『先月のように急に寒気がひどくなったり、いつもと違う何かを感じたら、いつ、どこで、どう感じたのかを記録して速攻で報告してほしい』ということだった。
「山本さん、この封筒は……あけてもいいですか?」
「はい。中にペンダントが入っているんですけど……それ、『絶縁体』なので、可能であれば年末まで外さないでください」
ユカの言葉どおり、封筒の中から出てきたのは、シルバーのネックレスだった。瑞希は先月、エレベーターホールで偶然に空と鉢合わせた際、急に体調が悪くなってしまったことがある。彼女のこれまでを鑑みた結果、より強固な対策を講じるべきだということになったのだ。
瑞希はそれを首につけると、目立たないようにシャツの後ろ側へ移動させた。そして、背筋を正す。
「色々と、ありがとうございますっ……!!」
「当然のことです。ただ、それも万能ではないと思っているので、何か気になることがあったら教えてください」
「わ、分かりましたっ……!!」
彼女が何度も頷いたことを確認したユカは、残り数時間で始まる今年最後の一大イベントへ向けて、よりいっそう気合を入れるのだった。
そして、時刻は18時を過ぎた頃。
ユカと瑞希、そして政宗は、学生メンバー4人を連れて、西公園のSL前にいた。
既にイベントは始まっており、初日、しかも金曜日の夜ということもあって、多くの人が行き交っている。公園内には露店もあるため、ホットミールで暖を取りたい人も集まり始めていた。
吹き付ける北風が鋭さを増す時間帯、頭上で輝くイルミネーションをゆっくり見る余裕もなく、ユカが思わずニット帽を深くかぶり直す。それを見た政宗が口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「どうだケッカ、仙台の冬は寒いだろう!!」
「な、なして威張ると……!? っていうか、風が強くて耳が痛い……!!」
「時間が遅くなるともっと冷え込むから、支局にあるホッカイロとか使って、各自で暖かくしてくれ。と、いうわけで、簡単に説明するな」
ユカ以上に着込んでいる学生メンバーを確認した政宗は、「まず」と順を追って説明を始める。
「この西公園は、イルミネーションの終点だ。こんな感じで出店が出ているから人も多いけど……去年やその前の経験から言うと、メディアテークをこえてから西公園までの間で、突発的なトラブルは少ない」
政宗の言葉に、里穂が巨大こけしを見上げながら呟いた。
「そうなんっすか。この巨大こけしが守り神なんっすかねぇ……」
「かもしれないね。みんなも自分の担当の時間になったら、必ず西公園までは来てほしいんだけど……ここは休憩スポットになると思う。問題が多いのは、国分町から勾当台公園にかけてのエリアかな。と、いうわけで移動するから、はぐれないように着いてきてね」
ガイド役の政宗が率先して歩きだし、里穂と仁義、瑞希と環がその後に続いた。
「……心愛ちゃん?」
ユカが反応の遅れた心愛に声をかけると、彼女は目を大きく開いてから頭を振る。
「ごめん、移動するのよね」
「そ。迷子になってもケッカちゃんをちゃんと連れて帰ってくれんと困るけんね」
「どうして心愛がケッカを連れて帰るのよ……逆でしょ」
ジト目を向けて自分を見る心愛にユカは愛想笑いを返しつつ、瞬きをして視える世界を切り替えた。頭上には空も控えており、何かあったのかと首を傾げている。
「……何か気になることでもあったと?」
「う、ううん。そういうわけじゃなんだけど……ただ……」
「ただ?」
「あ、あのおっきなこけし……夜見ると、怖いなって……!!」
刹那、心愛の側にいた空が「分かるー!!」と大きく膝を打った。
「あのこけし、プレッシャー半端ないよね!! ユカちゃんもそう思うっしょ!?」
「……気持ちは分かるけど集中しようねー」
2人に向けて声をかけたユカは、はぐれないように5人を追いかけた。
光のページェントでは、定禅寺通の木々に電飾が飾り付けられている。また、この通りは中央部にも広い歩道が整備されているため、多くの人が中央の通路を歩き、左右から降り注ぐ光を楽しんでいた。
7人は中央ではなく、西公園から向かって左側の歩道を歩きながら、もう一端となっている勾当台公園を目指す。
瑞希は、隙間をすり抜けてくる冷たい風に口元を歪めつつ、隣を歩く環へ視線を落とした。
「も、森くん、寒くないですかっ……?」
「……余裕っす」
口元までネックウォーマーで覆った環が、前を見つめたまま首肯する。
多くの人は立ち止まり、頭上に広がるイルミネーションを見上げていた。真っ直ぐに移動をする自分たちが、どこか異質とも思えてしまう。
「森くんは……光のページェント、見に来たことあるんですか?」
「初体験っす」
「そうなの!?」
思わず声をあげた瑞希に、環は目線だけを向けて。
「……どうしてそんなに驚くんすか?」
「えぇっ!? あ、その……特に驚いたりしてなかったから、来たことあるのかなって……」
「一応、バイト中だと思ってるんで。あんま浮かれないようにしてるっすわ」
「そ、そうだよね……ごめんなさい……」
少し浮足立ってしまった自分が情けなくなり、瑞希はガックリと肩を落とした。
環は、そんな彼女を見る……ことは特になく、視線を前に戻し、ネックウォーマーの下で言葉を続ける。
「……一応、俺、新入りなんで、邪魔にならないようにしないと。また怒られたくないんで」
――今日の『縁切り』……俺がやりたいんすけど。
――素人に出来るわけないやろうが。
7月、環の言葉はユカによって即座に否定された。
その時は、そんなに厳しく言わなくても……と、思わなかったわけではないが、その直後、自身の発言が浅はかだったことを思い知る事態に遭遇する。
――そう、私はお姉さんのせいで死んだ!! だから、お姉さんを殺すつもりで一緒にいたんだよ!!
かつてクラスメイトだった少女が、災害で命を落とし……環を含む周囲への恨みだけでこの世に留まっていた。
そして、少女は……隣を歩く瑞希を殺そうとした。
人の『縁』なんて、脆いものだと思っていた。
親は離婚した。
引っ越しをしたら直後に地元が大災害に見舞われ、かつてのクラスメイトとの連絡も取りづらくなってしまった。例えば今、道ですれ違ったとしても……即座に思い出せる自信はない。
自分のことなんてみんないずれ忘れてしまう。自分も同じだからそれでいい。
そう思っていたけれど。
人の悪意は、死してもなお消えないのだということを思い知って。
人の善意は、思わぬ形でつながっていることを知って。
――良かった……生きてて、くれたんだね……っ……。
自分が生きていることを泣いて喜んでくれる人が、両親以外にいることを知った。
環が言葉を切ったことで慌てた瑞希が、「で、でもっ!!」と慌てて言葉を紡ぐ。
「森くんは試験の成績も良かったし、『縁切り』も問題なかったから大丈夫だよ!! だ、だから……一緒に頑張ろうね!!」
瑞希と自分は請け負う仕事が違うので、一緒に頑張るのは無理なのでは。
……という感想を飲み込んだ環は、少しだけ視線を上に向けて……冬の寒空へ呟いた。
「……あざっす」
7人は程なくして、盛大に混み合っている勾当台公園、市役所側の市民広場の入り口までやってきた。
公園内には飲食ブースが多く出店しており、テント内で食べることも出来るようになっている。暖を求めて公園に入る人と、地下鉄の駅から出てきた人が大挙しており、身動きが取りづらくなってきた。
「みんな、ちょっとこっちに移動してくれ」
政宗が手をあげて誘導し、園内の脇へ移動した。そして、全員が揃っていることを確認すると、周囲の雑音に負けないように少し声を張り上げる。
「今日は初日っていうこともあるけど、週末とかクリスマス近辺の人出もこんな感じだから、はぐれたときは連絡を取り合って落ち合うようにしてね。特に盛り上がるのは、『スターライトウィンク』っていうイベントのタイミングだから、その時間帯はこっちのエリアにいたほうがいいと思う」
『スターライトウィンク』は、決まった時間にイルミネーションが消灯の後、一斉に再点灯するイベントだ。暗闇から一斉に広がる光の海を見ようと、その時間帯には特に多くの人が集まってくる。
「動き方や休憩の取り方は任せるから、事前に相談をしておいてね。報告は里穂ちゃんと仁義くんにお願いしてるけど、慣れてきたタイミングでいいから、心愛ちゃんと森くんも、期間中に1回は担当してほしいかな」
政宗の言葉に、心愛と環がそれぞれに頷いた。
それを確認した彼は、腕時計で時間を確認して、次の指示を出す。
「それじゃあ、今日の担当の俺と仁義くん、川瀬さんは居残り、残りのメンバーは『支局』に戻って統治に時間を報告して解散ってことで。ケッカ、ちゃんと連れて帰るんだぞ」
「分かっとるよ。3人とも気をつけてね」
その後、人並みをくぐり抜けて地下鉄の駅へたどり着いたユカは、多すぎる人並みに辟易としていた。
「ひ、人が、多い……!!」
地下へと続く長いエスカレーターの上でため息をつくと、隣に立つ里穂が「すごいっすね」と周囲を見渡す。
「覚悟はしてたつもりっすけど……七夕の時と同じくらい多いっすね」
「しかも夜やけん、七夕の時とも勝手が違うやろうね。頑張って乗り越えんと……」
西公園からここまで徒歩で移動してきたというのに……今日はちっとも、イルミネーションを堪能した気になれない。仕事なのだからこれで正解なのだと言い聞かせるユカは、ずれたニット帽を整えながら、途切れることのない人の流れを前に、気持ちを新たにする。
程なくして改札口にたどり着いた4人は、各々のICカードをタッチして抜けようとしたのだが。
「うわっ!? またエラー……」
ユカのみエラーが出てしまい、後ろの人に「スイマセン」と呟いてから有人改札へと踵を返すのだった。
4人が『仙台支局』に戻った時、時刻は19時30分を過ぎていた。
扉を開けた瞬間、ソファに座っていた女性が立ち上がって4人を出迎える。
「皆さんお疲れ様です。寒かったでしょう?」
「櫻子さん!! どうして……」
そこにいたのは、統治の婚約者の透名櫻子だった。彼女はこちら側の事情にも明るいが、『縁故』ではない。人出が足りずに手伝ってほしいという打診はしていたが、それは来週以降の話だったはずなのに。
目を丸くするユカへ、櫻子は軽く周囲を確認した後、穏やかな笑顔で理由を告げる。
「伊達先生から頼まれていたものを届けにきたんです。統治さんに渡しておきました」
「あ……!!」
盛大に心当たりがあったユカは、目を見開いた後……改めて頭を下げる。
「わざわざありがとうございます」
「お安い御用です。実は統治さんからも、学生さん達を近くまで送って欲しいと頼まれていたので、ちょうどいいタイミングでした」
そう言ってこともなげに笑う彼女が、とても頼もしく思えた。
程なくして、統治への報告を終えた学生メンバーが、荷物を持って集合する。彼らと連れ立って奥から出てきた統治は、コートを着た櫻子へ軽く頭を下げた。
「今日はわざわざすまな……ありがとう。俺はまだ動けないから、よろしく頼む」
「三陸道を使って帰るので通り道です。伊達先生も皆さんによろしくと仰っていました」
「ハッ!? そうっす伊達先生!!」
刹那、何かを思い出した里穂が大声と共に櫻子を見やり、きょとんとしている櫻子へ勢いよく質問をぶん投げる。
「櫻子さんは伊達先生の彼女さんらしき赤いコートの女性を知ってるっすか!?」
「え……? 赤い、コート……!?」
里穂の言葉に、櫻子は何か思い当たったのか、みるみる目を見開いていく。
一方、里穂の目撃情報を知らなかったユカ以外の3人は、訝しげな表情で互いを見合わせた。
「なぁ名杙、伊達先生って……俺に『ばんのーくん』をくれた、胡散臭いあの人?」
ちなみに『ばんのーくん』とは、環が『縁切り』に使う道具である。
心愛は「う、うん……」と頷きつつ、同じく怪訝そうな表情の統治を見上げて問いかけた。
「ねぇお兄様、その女性って富沢さんじゃないのかしら?」
「だとすれば、里穂もこんなに騒がないと思うんだがな……」
と、各々に顔をしかめて思案する中、櫻子が少し興奮した口調で言葉を続ける。
「昨日、登米で仕事があったんですけど、昼休みの時間帯に、伊達先生が病院の近くにあるコーヒーショップで、赤いコートを着た髪の長い女性と待ち合わせしているところをお見かけしましたっ!!」
新たな、しかも信ぴょう性のある目撃情報に、里穂が水を得た魚のような勢いで同意を求めた。
「やっぱり!! あれ、絶対に彩衣さんじゃないっすよね!?」
「違います違います。彩衣さんはあんなコートを着る方ではないですし」
目を合わせた里穂と櫻子が頷き合う横で、ユカは、正直な感想を口にする。
「赤いコートを着て神出鬼没……サンタクロースみたいな人やね」
その後……学生3名は予定通り、櫻子が車で送っていくことになり。
瑞希は20時まで、ユカと統治は21時――政宗と仁義が戻ってくるまで、事務所に待機することになっていた。
時刻は間もなく20時。明日・土曜日の予定を確認していた瑞希が、隣席の統治へ「すいません」と声をかける。
「あ、あの、名杙さん、明日の14時から15時まで、事務所の中には入れないってメッセージが佐藤支局長から届いていたんですけれど……何かご存知ですか?」
「え? あぁ、それは……」
瑞希の言葉に心当たりがある統治は、椅子を少しずらして彼女の方へ体を向ける。
明日の『仙台支局』は、16時からの稼働だ。瑞希も明日は16時から21時まで事務所で連絡係として待機することになっている。
だから、上記時間にここへ入ることが出来なくても、特に問題はないのだが……わざわざ通達される理由をしっておきたかった。
訝しげな瑞希に向けて、統治はその理由を告げる。
「明日、佐藤の身内が今後の話をするために来仙するそうです。込み入った話をするので、人払いをして欲しいと」
「そ、そうだったんですね!! 分かりました……うまくいくといいですねっ……!!」
「……ええ、本当に。うまくいくと、いいですね」
瑞希とは違う理由で統治が同意した次の瞬間、壁の時計が20時を指した。
作中の挿絵は、4幕公開時におが茶さんが描いてくださったものを再活用させていただきました。本当にありがとうございます。主人公の目つきが鋭くてニヤニヤします。いいぞもっとやれ。




