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 人は死ぬけれど、普段、人はそれについて考えたりしない。私もそうだった。

 色々な事があるだろう。色々な喜びや苦しみ、悲しみがあるだろう。けれど、死に比べれば小さなものだ。私はそう思う。そうして、全ての人は死ぬ事が決定されている。にも関わらず、私達はそれをきちんと見ようとしない。私達の側にそいつはいつもいるのに、みんなが知らんぷりをして奴をいじめてきた。死ーー奴は、いじめられた仕返しをしようとしているのか。

 少なくとも、私はたっぷりと仕返しをされた。そうしてまだ私一人分が残っている。でも、斎藤君の言う通り、私にそれがやってくる時はもう、私はいない。私は既に死んでいるから、死を感じる事はできない。死に、待ちぼうけを食らわせてやろう。死が私を襲う。だけど、死が私を征服した時、そこに私はいない。ざまあみやがれ。私は一足先に、あっちに行っちゃったんだ。死よ。あなたは勘違いして、空っぽの肉体を襲ったんだ。そこに私がいると思って。そうだろう? 馬鹿め。

 …変な事を考えるのはやめよう。考えたって仕方ない。無駄だ。斎藤君は死んだ。それは事実だった。昔の聖人は生き返ったりした。伝説の人物は今もどこかで生きていると噂されたりする。それは、人がそういう希望を持つからだ。そういう願望を事実だと思いたいからだ。だけど希望はいつも打ち砕かれる。私の希望、漠然とした(なんとかなるだろう)(どうにかなるだろう)(大丈夫だろう)は打ち砕かれた。見事に、無残に、打ち砕かれた。恥ずかしい話だけど私は、斎藤君が死んで、斎藤君が死ぬ可能性があった、という事にやっと気づいた。はっきりと、そういう現実が本当に存在可能だったのだと気づいた。斎藤君が実際に死ぬまでは心の底でどこか安心があった。(なんだかんだ言って大丈夫だろう)と思っていた。だけど、大丈夫じゃなかった。全然、大丈夫なかった。

 

 葬儀に私は呼ばれなかった。葬儀は家族だけでひっそりやったらしい。

 店の人達は色々と話をした。同僚が死んだ事について。でもそのすべては無駄なおしゃべりで、なんの意味もない戯言だから、ここでくどくど報告したりしない。どうでもいい事だ。誰が何と言おうが死ぬものは死ぬし、生き返ったりしない。後に残るのは悲しみだけ。悲しみを語るなんて、はしたない。悲しみは沈黙の中にある。少なくとも、私の胸の中には水たまりのように悲しみが存在して、それは言葉を要求したりなんかしなかった。

 斎藤君は死んだ。それにも関わらず、太陽は昨日と同じように巡り、パチンコ店もまた、一日も休んだりしなかった。それはそうだ。バイトの一人二人死んだりしたぐらいで、パチンコ店が休みになったりしない。大事な利益が減ったら、大変だから。そうだ。利益は大切だ。多分、人類みんなが滅んでも、パチンコ店とか、コンビニとか、銀行とかはやっているんだろうと思う。それで誰もいないカウンターに、幽霊が列を成して、一円足りないとか、十円稼いだとか、そんな事をやっているんだ。ずっと。ずっと。

 

 人一人が死んでも、世界は何も変わらなかった。斎藤君が死んだ翌日、酔っ払ったおじさんが「当たらねえじゃねえか!」と怒鳴って暴れた。何をしているんだ、こいつは。一体、何をしているんだ。馬鹿な事を。この世界には、何の罪もなく死ぬ人間もいるのに、何を腹を立てているんだ。馬鹿野郎。

 荒んだ気持ちになっていた。でも、一番の馬鹿は私だった。私はボサッとカウンターに突っ立って、笑顔で接客したりしていた。何やってんだ、私。私はいつも通りの業務をこなしていた。アホ面晒して。

 

 ※

 

 私はノートを開けた。二冊のノート。斎藤くんが魂を置いてきたと言ったノート。

 そこには几帳面な文字が並んでいた。ボールペンの字だった。時々、修正がされている。ページを破り捨てた痕もあった。ページごと書き直したんだろうな、と私は思った。

 内容は…私には難しすぎてわからなかった。いくつかの哲学。とりわけ、人が生きている意味について。死について。

 

 「人生は旅のようなものだ。時間という名の旅。ただし、それは始点と終端を感じている者に限られる。旅には終わりと始まりがある。だが、ある種の人々は輪廻し続ける。彼らは始まりと終わりを待たない。彼らは生きる事も死ぬ事もない。ダンテはそうした人々を地獄にも天国に入れない人々として描いた。彼らには時間が存在しない。時間を感じる者だけが、人生という旅を生きる。過ぎ去っていくものの寂寥を感じる。」

 

 今あげた文章は何気なく取り上げただけだけれど、私には難しくてよくわからなかった。わかるような、わわからないような。でも確かに、文章の感じは「アデン・アラビア」と似ていた。うねうねと続く、哲学のような、エッセイのような。それでも、私みたいな頓珍漢には今ひとつピンと来なかった。

 

 ノートを見て、どうしようかと考えた。処分しろと言われている。本人に。私にはその価値ははっきりとわからない。でも、すぐに処分する気になれない。私はぐずぐずしていた。斎藤君のお母さんに渡した方がいいんじゃないか。どうすればいいんだろう。私は考えた。でも、結論は出なかった。そうこうしている内に、スマートフォンが鳴った。斎藤君のお母さんが電話を掛けてきたのだった。

 

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