72 ダンジョンマスターの真価
痛みで立ち上がれない俺の体にフライフォグが容赦なく集る。
無駄な抵抗だとわかっていながらも必死に払い除けるように手足をばたつかせて地面を転がって悪足掻きする。
「くそっ!あっちいけ!」
耳元では絶えずブンブンと鬱陶しい羽音が響いている。
「離れろってんだ!」
くそっ、最期がハエに食われての死だなんて最悪だ。どうしてこんなことになったんだ。なんで魔王なんかと戦ってたんだ俺は。なにが勇者ごっこだ馬鹿か俺は。ちょっと魔法っぽい事ができるからって調子に乗って、なんで前線に出てんだよ。死ぬだろそりゃ。死ぬよ。一般人だもの。
「ああああああ!!!食わないでくれぇ!死にたくなーーーい!!!」
フライフォグは獲物に集ってあっという間に食い尽くすとルルが言ってたな。
食い尽くすというわりには痛みは感じない。
「あーーーー!うわーーーー!ぬあーーー!!」
俺、もう死んだかな
こっちの世界に来て出会った人々の姿が脳裏をよぎる。
リリ、何考えてるか最後まで分からなかったぞ。
ルル、お前のツンデレ、本当は全部聞こえてたぞ
ソルテ、死神設定はイタいから止めた方がいいぞ。
アイリー、天国をありがとう。
クレイ、飯処を紹介してくれてありがとう
アーヴァイン、ご飯をくれてありがとう
マッシュ、俺がいなくても受付嬢とよろしくやるんだぞ
ゴードン、…………死ねっ!
後半の人選おかしいだろふざけんな。
でも短い転生生活だったけどまぁまぁ楽しかったぜ。ありがとうプロンタルト、ありがとう異世界。掘手ススム先生の来世にご期待ください。
――――てかよぉ
ブンブンブンブンブンブンうっさいんじゃあ!死んだ後くらい静かにさせろや!
いつまでも鳴り止まない羽音に、流石に海よりも広い俺の堪忍袋も耐え切れなかった。
目を開くと暗い闇の中……いや、闇に見える何がが蠢いており、時折細やかな隙間から明かりが見える。これ、フライフォグの塊か、気持ち悪っ!
フライフォグは確かに俺に集ってはいるものの、何故か体には1匹も止まってはいない。俺に触れないように、周囲を包むように飛び回っている。
なんだこれ。
まぁ、とりあえず立ち上がる。
フライフォグも俺の動きに合わせて、触れないよう一定の距離を保って動く。
俺、生きてる?
落下時の痛みももうない。ダンジョンマスターはダンジョン内にいれば体力を回復し続ける能力を持っているようで、意識せずとも自然と発動するもののようだ。
フライフォグの意思なのか、ガルムがそうさせているのか。フライフォグは俺の周りを包むばかりで触れようとしない。
「ったく、落とし穴って子供の遊びかよ。うわぁ………」
ガルムが上を見上げている。
地上から落ちてきた穴が塞がるのを見て露骨に嫌な顔をしている。
陽の光が遮られ、あたりは暗闇となる。
「フレイムホース」
ガルムの影から揺らめくシルエットを持つ馬型の黒獣が現れた。
馬の体は火を焚いたように光を発し、洞窟内を照らした。
「プロンタルト地下大空洞だよなぁ、めんどくせぇ。とりあえず地上はフライフォグに任せるか。あーあ、人族の奴らの最後を見たかったんだけど、脱出間に合うかなぁ」
ガルムが手をかざすとフライフォグが俺の体を離れてガルムの前に集まる。フレイムホースが宙を漂う黒い塊に火を吹き、それを焼き払った。
「自分もスポーンポイントを通れればいいの……に………?」
ガルムが驚きで言葉尻を霞めた。
俺の姿に気づいたんだろう。
暗いのもなんなのでダンジョンの内を照らしてやる。
俺が念じると、ダンジョン内は閉鎖空間とは思えない、蛍光灯をつけた部屋のように明るくなる。
「ススム、生きてるのか?…………どうしてフライフォグに食われてない」
「さぁ…」
ガルムの質問に首を傾げて答える。実際、なぜフライフォグが俺を攻撃しなかったのかは俺にも分からない。
もしかして、ダンジョンマスターはダンジョン内にいればあらゆる攻撃を受け付けないとか、そんな能力でもあるんだろうか。もしそうなら無敵じゃないか!
「ふーん……、ちょっと甘く見てたかもな。ちょっと本気で消しといた方がよさそうだ」
ガルムは体をほぐすようにその場で軽く跳ねる。
数度跳ねたところで一気に身を屈めてこちらに飛びかかってきた。
一瞬で俺の背後に回りこみ容赦なく顔面に脚を振るってきた。
しかし遅い。飛び込みも、蹴りも、本気になるのも。
ガルムと自分の間に土の板が伸び、蹴りを防ぐ。
ガルムは驚きで一瞬たじろいだようだが、身を翻して地面を蹴り、そのままダンジョンの側面に着地、慣性力をバネに再び俺に飛びかかってくるが、その爪が俺に届くより早く、地面から生えた石柱がガルムの腹を打つ。石柱はそのままガルムを運んで天井で挟もうとするも、ガルムは身をよじって逃れる。
石柱を蹴って俺から距離を置いて着地したガルムの足元は泥、その泥はガルムの足が埋もれるや否や固まって地面と同化、ガルムをその場に磔にした。
その隙を庇うようにフレイムホースが突進してくるも、壁から生えた土の棘に体を貫かれ、霧散した。
ガルムはちょっと本気を出すと言っていたが、本気を出すのがちょっと遅かったようだ。
もう、ガルムが俺に勝てる見込みはない。ダンジョンに入った時点で俺の勝ち確だ。
ダンジョンの中で戦う。それがダンジョンマスターの、俺の最も正しい戦い方なのだろう。
今の俺は、例え目を閉じていても全てが見える。ガルムの動き、一挙手一投足、息遣いのひとつひとつまで感じられる。攻撃が俺に届くことはもうない。
ここまで地上での能力行使にあれこれと四苦八苦したが、よくよく考えれば相手を地下に落としてやればよかっただけだ。もっと早く気づけよ俺。今度からは積極的に敵は地中に沈めてやることにしよう。
足首まで埋まったガルムはなんとか身を屈めて自分の影に触れる。
「ヘッドロックアックス」
巨大な角を持つサイの黒獣がガルムの影から飛び出す。
「マグマダイバー」
別に技名を呼ぶ必要はない訳だが、自身のスキルを魔法と偽る時の為に元々考えていたものだったので、すっと言葉に出た。
サイの進路がマグマと化して、サイは体半分を沈めたところで霧散した。
「フェアリーフェイク。こいつは土魔法じゃ倒せねぇぜ?」
黒獣とは例外なく真っ黒に赤い瞳なのが相場だが、ガルムが次に呼び出したのは向こうが透けるほど希薄な黒い光だった。それが10ほど浮かんでいる。小さすぎて霧状に見えていたフライフォグと違って黒獣そのものの色が薄い。
ダンジョン内にいる以上、俺はその魔物の情報を得ることが出来る。実態を持たないゴースト系の魔物らしい。
まぁ、たしかにここまで物理的な攻撃しかしてないからな。
だが問題ない。
「ルーム:ホーリー」
ダンジョン内一帯の明るさと白味が少し増す。フェアリーフェイクは焼け尽きるように消えた。
攻撃はしていない。ここら一帯のフロアに聖属性を追加しただけだ。聖属性のエリアではアンデット系・ゴースト系などの魔物は弱体化する、もしくは存在を許されなくなる。
「ふんっ!」
ガルムが足元の地面に両拳を叩きつけるが地面はビクともしない。地面を壊して足を抜いての脱出も許さない。
「お前の負けだ」
ガルムは何も言わず俺を睨みつける――――が、少ししてその表情を緩めてため息をついた。
「あーあ。いつもそうだ、本当に大事なことは最後の最後で上手くいかない」
ガルムは思いに耽けるように目を閉じて天井を仰ぐ。
「結局さ、人間は俺達の何が気に入らなかったんだ?そうまでして殺されなきゃならない理由があったのか?」
「…………」
この国の騎士によって獣人が掃討された。そう聞いている。
ガルムはその生き残りで、復讐のために王都の人間の殲滅を企てた。
人間と獣人の関係性を知らない俺は、ガルムの問いには答えられない。
典型的な『憎しみは憎しみを生む』『争いは争いを生む』というものなのだろうかという感想くらいしか持てない。
話だけ聞けばガルムに同情もできるが、それまでの成り行きや背景を知らない分、俺は自分の目の前の守りたいものに集中出来る。
俺が守ってやると約束したものを狙う以上、ガルムは敵である。それだけだ。
だが、それが脅かされなければ、例え戦争しようと俺が戦う理由はない。
「大人しく引け。下手なことしなけりゃ俺も戦う理由はない」
「…………帰る場所なんてない。俺が行けるのは仲間の元だけだ」
ガルムの影から1人の獣人の黒獣が現れる。小柄で華奢なその影の顔をガルムは大事そうに両手で優しく包み、親指で頬を撫でる。
「サーニャ、待たせたな。すぐ行くから」
黒獣の腕がガルムの胸を貫いた。




