音を捨てた日04 side 果琳
ふと目を開けたら白い天井が見えた。
辺りを見回して、ここが病院だってことが分かった。
ただ違和感を覚えた。
ベッドの隣に座る心配した顔のお母さん、そして沈黙している看護婦さん。
「どうしたの? お母さん」
ずっと沈黙を続ける母親に私は居心地が悪くて、声をかけた。
「お母さん、お仕事はどうしたの?」
傍らに座るお母さんは余りにも悲しそうな顔をするものだから、あたしも心の中もだんだんと不安に駆られてきた。
………かりん。
お母さんが名前を呼んだ気がした。
でも、違和感はすぐにわかった気がした。
「お母さん、あたし、耳が聞こえないの?」
そう言うとお母さんは泣き崩れるように、ベッドにひれ伏してしまった。
あぁ……可哀想に。
お母さんのその言葉で、あたしは瞬間にして、冷静さを取り戻したのだ。
あたしは誰かを不幸にしたのだろうか。
聞きたかった言葉は、そんな言葉じゃない。
お母さんの隣で、あたしは他人事のようにその姿を見ていた。
可哀想な、お母さん。
お父さんの裏切りを知らない、仕事命のお母さん。
あたしは心の中でそう言っていた。
ベッドの脇に置かれた花束が、事故の前を思い出す。
花束に交じった、嫌気のする香水の匂い。
長いこと眠っていたような気がしたけど、鮮明に思い出せる、思い出してしまう。
「……きれいな、花束ね」
皮肉に歪んだあたしの顔にさえ気づかないくらいお母さんは泣き続け、あたしは音の消えた世界で夢に消えていった歌を探していた。
****
あれから耳が聞こえなくなった影響から、平衡感覚がうまく掴めなくなって、ウォーキング練習と、精神科でカウンセリングを受けるようになった。
事故の原因。
先生に話していけば話していくほど、あたしは窮地に追い込まれた。
父親の不倫。
家族がバラバラになるというのを分かっていたあたしには、その事実は非常に重すぎた。
隠そうとすれば隠そうとするほど重荷になってくる。
そしてついに言ってしまった。
「お父さんが、お母さんと違う人と話しているのが聞こえたんです」
【なんて聞こえたんだい?】
音は聞こえないけれど、音が出るあたしの口。
「『俺はユカが一番だよ』って」
耳の聞こえないあたしを利用して、2人が診察室の後ろで話しを聴いてるとは思わなかった。
ホントだったら、精神科のカウンセリングはたとえ、両親でも診察室には入れないのが決まり。
でも、今回はあたしの精神不安定の原因は、両親にあると判断した先生が決めて行ったこと。
だから、これはほんの例外に過ぎない。
それから月日が流れて、私の証言を元に、
お父さんとお母さんは調停離婚が確定した。
私の親権は、お母さんに渡った。
両親の離婚後私はお母さんに連れられて、東京にやってきた。
煌びやかに光るライトは眠る夜など知らない。
都市に群がる雑踏はきっとうるさいくらい、音で溢れているんだろう。
でも、私は音を捨てた。
音を捨てたおかげで、世の中の煩わしさが半減してよかったと思っている。
けれど、運命の歯車はすでにクルクルとわずかながらに回っている。
もう一度、暗闇の中で聞いた歌が、
傘を手に
悲しそうな顔をしてたあなたを導いて、
私は「音」を見つけた。
そして、今何も聞こえない私の世界で、
記憶の底に眠っていた
音が鳴り始めた――……。