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……チェリーパイは、当分見たくない。
夕暮れの草原を心地よい風が吹き抜ける。
王都ユグドラムを目前にした街道を、俺は前のめりになりながらよろよろと歩いていた。
足取りは重く。
同じくらい胃も重い。
つまり吐きそう。
結局、試合には負けた。
王者の男が三十皿。
俺は、二十九皿目の半分残し。
あれだけ必死に食って、あれだけ食らいついて、それでも届かなかった。
負けた。
その事実だけが、ずしりと胸に落ち、静かに項垂れる。
「――チェリーパイ大食い大会‼︎ 優勝はッ、不動の絶対王者ーーーーーーーー‼︎」
勝負事は元々好きじゃない。多分、俺は今回はじめて誰かと真剣に勝負をした。それで味わった負けが、こんなにも……悔しいなんて。
「いやーッ、痺れたぜ!」
広場の熱気と拍手喝采の中、王者の男は、さっきまでの冷ややかな顔が嘘のような豪快な笑みを浮かべて、テーブルに突っ伏し動けなくなっていた俺の肩を叩いた。
「ナイスなファイトだった、英雄! まさか本当にあそこまで食らいついてくるとは思わなかったぜ」
散々煽り散らかしてくれたというのに、一体どういう風の吹き回しだろう。
「悪かったな。あんたに本気になってほしくて、わざと挑発させてもらった」
「……は?」
「人数合わせで放り込まれたんだろ? 最初は完全に巻き込まれたって顔してたからな。けど、あの青い石を見た瞬間、目の色変えただろう」
気づかれていたのか。
「やっぱり狙いはアレだったか。理由までは聞かねえが、それでもあんたが見せる、“絶対に負けられねえっていう本気の顔”は、なかなかに滾るものがあった」
彼はそう言って愉快そうに笑うと、俺の腕を強引に引っ張り、手のひらに重量感のある《《なにか》》を握らせてきた。
「――これ……」
「試合は俺の勝ちだが、俺はあんたのガッツを讃えるよ」
顔を上げ、手に押し付けられたアダマントゥスの一塊を見て、言葉を失う。
「コイツの価値、あんたが一番よく分かってるみてえだからな。持ってけ、餞別だ」
「いや……、俺は負けたんだ。こんな、受け取れないよ……。これは王都で売ればとんでもない値が――イッテッ」
言い終える前に、彼は再びバシッと俺の背中を叩いて黙らせる。
やめ……口から出しちゃいけないもの出ちゃうから……。
「俺は別に、こんな石っころ興味ねえんだ。……その代わり、あんたまた来年もこの祭りに来い。それでまた勝負しようぜ。次は最初っから本気でな」
その一言に力が抜けて、俺は差し出されたゴツゴツとした手を返事の代わりに握り返した。
「……う、っぷ……」
……バケツ……借りれば良かった。
いや、だめだ。食べ物を粗末にするのは、個人的に許し難い大罪だ。
胃の底からせり上がってきそうなチェリーパイを気合いで押し留め、俺はようやく眼前に聳える王都の門を見上げた。
ああ……帰ってきたな。
石壁に、黒鉄で補強された重厚な木扉。
門の向こうには夕陽に染まる街並みと、ぽつぽつと灯り始めた明かり。見慣れた景色に、安堵が広がる。
顔馴染みの門兵たちに敬礼され、ふらつく足で門を潜った――その時。
「――勇者さぁぁぁん‼︎」
聞き覚えのある声に、ハッと顔を上げる。
視線の先。夕陽を背に、医療用の補助杖に身を預けた戦士が満面の笑みで手を振りまくっていた。
「おかえりなさい……‼︎」
その姿を見た瞬間、目の奥が熱くなりかけて、慌てて乱暴に目元を擦って、はは……と笑う。
「……歩いて平気なのか」
真っ直ぐに歩み寄る俺に、戦士はへらっと笑って、補助杖を軽く持ち上げてみせる。
「へへ……、外側の傷は殆ど塞がってるので。ああでも、神官には内緒でお願いします」
「その方がいいだろうな」
見るからに治療室から抜け出して来ちゃいましたって格好だもんなあ……。
神官も王宮の治癒師たちも、今頃大騒ぎになっていやしないだろうか。
「ていうか、勇者さんの方がなんかボロボロじゃないですか?」
「……まあ、色々あって……話せば長くなるっていうか……」
いや、そんなことより。
「戦士、」
「はい?」
「その……俺がしっかりしていないせいで……、大変な目に遭わせた……ほんとうに、不甲斐ないリーダーで、悪……」
そこまで言って、違うなと思い、後頭部を掻いた。
本当に言いたいのは、そんなことじゃない。
「戦士、守ってくれて……ありがとうな」
改めて告げると、きょとんとしていた戦士は、またにっこりと微笑んだ。
「はい……!」
戦士の胴から斜めに走る裂傷は、治癒魔法で塞がったとはいえ、完全には癒すことができなかったようだ。
下顎にまで残る生傷が、その一撃の重さを余計に思い出させる。
「傷……残ったんだな……」
「え……? ああ、はい! 結構気に入ってます!」
いや…………。
なんでそんなに嬉しそうなんだ。
「だってほら、こう! 数々の修羅場を潜り抜けた歴戦の猛者って感じがして格好いいじゃないですか!」
「ポ……ポジティブが過ぎる……」
頼むからあんまり無茶しないでくれ……。俺は多分、今回のことで結構寿命が縮んだと思うから。
「普段無茶しまくりな勇者さんがソレ言っちゃいます?」
…………はい、言えない、かもです。
なんか、付き合いが深くなるほど食えない奴になっていく気がする。
とはいえ、元気そうでなによりだ。
ほんと、これに尽きる。良かった……。
ほんとうに良かった。
ここでようやく、どこか宙に浮いたままの心が還ってきたように思えた。
「そろそろ戻らないと、神官にどやされるんじゃないか」
「ハハ、ですね。じゃ、帰りますか、みんなのところに」
頷いて、杖に身を預ける戦士の歩調に俺も合わせる。
「そういえば、さっき勇者さんが言ってた“色々”の話、聞きたいです」
「ああ……後でゆっくり話すよ」
土産話も、話したいことも、たくさんあるんだ。




