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王都の夜は、うまそうな匂いばかりする。
屋台の湯気、香草の香り、焼いた肉から溢れる脂と焦げの匂い。
どれもこれも、無遠慮に胃袋をくすぐってくる。 ――なのに。
今、めっちゃ吐きそう。
緊張で。
俺は酒場の壁際でバケツを抱え、キリキリ痛む腹部を摩りつつ、少し離れたところで盛り上がる仲間たちの宴を眺めていた。
「勇者さん、改めてよろしくお願いします――!」
数時間前。魔王討伐を目指す旅の途中、俺たちは拠点とする王都ユグドラムの酒場に立ち寄り、新しい仲間を迎えた。
第一印象。笑顔がたいへん眩しい。
新しい仲間――戦士は、明るくて素直で、まるで人型のわんこだ。
キラキラしたまっすぐな瞳で見つめてくるから、思わず視線をぐりっと逸らしてしまう。
俺はそう、自他共に認める極度の人見知り。
聖剣に選ばれでもしなければ、きっと一生、故郷の寒村で芋を掘っていた男だ。
「必ず、魔王を倒しましょうね!」
「……おお」
いつもの人見知り発動で、たいして気の利いた言葉も出ない俺に、彼はハーフエルフ特有の小さく尖った耳を揺らして笑顔で言った。
「勇者さんの活躍は常々聞いておりました。僕、ずっと会ってみたかったんです」
ううっ。いいやつ……! いいやつすぎて、なんか胃がキュッとする。
ごめんな、視線逸らしてばっかで。俺も本当は会えて嬉しい。嬉しい。嬉しいんだけど――、
対面から二分と三十秒、がっちり掴まれた両手で絶好調に高まる緊張。喉が渇き、足元から砂になるように力が抜け、ふらーっと遠のく意識。
そして今に至る。
「勇者さん、大丈夫ですか?」
神官がこちらへやって来て、俺の抱えているバケツを見下ろした。
「……大丈夫」
「その格好で言われましても」
ですよね。俺もそう思う。
俺抜きの宴は大いに盛り上がっていた。
肉と酒、笑い声と拍手。グラスのぶつかり合う音。新しい仲間を囲んで、みんな楽しそうに笑っている。
俺も混ざりたい……。でも今はまだ、物理的な距離が必要そうだ。
「あ、勇者さーん!」
戦士が振り返って手を振ってくる。陽光のような笑みに気圧されつつ、引きつった笑みを浮かべひらひらと手を返す。
せっかくの歓迎の席なのだ。新しく入った仲間には、大いに楽しんでもらいたい。俺が横でいつまでも青い顔をしていたら、気を遣わせるだけだ。俺はバケツを足元に置いて椅子から腰を浮かす。さて……。
「悪い。ちょっと、外の空気を吸ってくる……」
「ええ、そろそろだと思ってました。どうぞお好きに」
健康管理担当の彼女は、俺の行動を完全に把握している。
戦闘後や宴のあと、俺がふらっとパーティを離脱するのは、もはや恒例行事。戦士にフォローはしておくと、慣れた様子で頷く神官。
「この時間に塩分過多は早死にすんぞ」
エルフの弓使いが酒を片手に声を飛ばしてくる。
……まだ何も言ってないのに。
「まあ、あれで心の平穏が保てるならいいではないか」
年長者の武闘家が笑うと、戦士が首を傾げた。
「心の平穏ってなんですか?」
最年少の魔法使いが、こそこそ耳打ちする。
「勇者の習性……? 趣味だよ。パーティ公認の」
「へえ……勇者さんの趣味! 興味あります!」
会話のネタにされてる……。まあ、仕方ない。
笑い声の中を抜け、俺はそそくさと酒場の外へと出た。
吐いた息が白く漂い、街灯の光にじんわり溶けていく。
やっと、一人になれた……。
仲間の加入を喜ぶ半面、新たな人間関係の構築を前にビビり散らかす心臓がようやく軽くなる。
勇者にされてはや三年。
各地で向けられる魔王討伐への期待に息苦しさを感じる日々だが、こうして一人、パーティから離れても仲間たちは気にしないでいてくれる。そこに本当に救われている。
星空を見上げながら宴の席を思い出す。
あの戦士、俺より少し年上だろうけど、随分張り切っていたなあ。
戦士は常に前衛に出る役職。
頑張りすぎて、死なないといいな……。
王都の灯りはあたたかく、昼の人混みが消えて、街はほどよく静かだ。
遠くで馬車の車輪が軋む音。夜店の屋台の灯りが、誘うように揺れている。
麺が鉄板で踊る匂い、王都名物の揚げ物と、フルーツを煮たソースの甘酸っぱい香り。
その中でひときわ濃厚な香りが鼻を突いた。
これは脂……?
……なんだこの、暴力的な香りは……。
路地の奥に、提灯の吊るされたちんまりとした屋台が一つ。
黒い暖簾が風に揺れて、金色の文字が光っていた。
《るぁーめん専門店マシマシ屋》




