特別編 バレンタインイベント
バレンタイン。
女神暦以前から存在する由緒正しい行事だとかお菓子を売り捌きたい商会の陰謀だとかこのイベントが大陸中に広まった説は色々とあるが、だ。
この日は好きな人にチョコと共に想いを告げる……というのが紆余曲折あって友チョコとか義理チョコとか何でもアリになっていた。
つまりイベントには全力で乗っかれというわけだ。
商売であればなおのこと。
小さな酒場でもバレンタイン限定のアレやソレやがメニューに並んでいた。チョコに関連づけるだけで多少割高にしてもまあバレンタイン限定商品だからと売れやすくなるのだ!!
「チョコ煮込みにチョコ焼き鳥にチョコビールにと節操がねえなあ。しかも高いし」
「ふっふん! 若い女の子にチョコをもらえる付加価値がついているんだから当然よねっ」
「いつのまにか商魂たくましく成長していたようで。でもやっぱり高い気がだなあ」
「で、ご注文は? あ、ちなみに今日はチョコ関連以外は売り切れなんだよねっ」
「ほんっとう商魂たくましいな、おい」
客の半分以上が常連客だからこそ成り立つ流れだった。ガルドを筆頭に半分呆れ半分まあシャルリアの手作りチョコなら仕方がないかあくまで他のが売り切れだから仕方がなくなのだ!! と誰にともなく言い訳していたり。
……ちなみにバレンタインだろうが何だろうが調理担当はいつも通りシャルリアの父親である。シャルリアがチョコを運んでくるからとそれが手作りだなんて誰も言っていないのだから。
「チョコ枝豆……。意外といけるでありますね。お口が肥えている姫様に差し上げるならこういう変わり種のほうがアリかもであります?」
「にゃっはっはっ。当日にもなって何を渡すか悩んでいる時点でお粗末にも程があるっしょー!!」
「うっうるさいでありますなっ」
「まあ真面目な話をすると今から準備する時間ないし、ホワイトデーでお返しという流れでよくないかにゃー? あんなに凝ったチョコをくれたのに、急いで取り繕ったの渡されるのはリアルルが可哀想だし」
「は?」
「そっちもリアルルからチョコもらったっしょー。あれ? もしかしてもらっていない感じ?」
「は???」
「あー……ごめん」
「は、はは……。殺す。ぶっ殺すでありますう!!!!」
ナタリーとアリスフォリアがつかみ合ってドタバタ暴れていたり。
「あっ、見つけた……遊び終わったら……チョコ、渡そう」
リアルルが女騎士とエルフの(大抵の戦士なら即死する攻撃が飛び交っている)取っ組み合いの大喧嘩を戯れ合いの遊びだと思ってナタリーに渡す用の友チョコ片手に終わるまで待っていたり。
「ムウ」
「なんでそう睨んでいるのよお、ラピスリリアあ?」
「お姉ちゃんがわらわから以外のチョコを食べているからだゾ」
「チョコ関連以外が売り切れなんだから仕方ないわよねえ」
「お姉ちゃんの浮気者オ!!」
「外食に愛情だの何だの特別な意味がこもっているわけないのにこの言われようはあんまりよねえ。っていうかいつからワタシたち浮気をするされるような関係になったわけえ?」
「フグゥ!? そんな正論ぶつけてくるのは反則なんだゾ!!」
涙目のラピスリリアをクルフィアが面白がっていたり。
「魂魄復元式エインヘリヤル試作72号。……まだ完全再現には程遠いなれば」
『相談役』ジークルーネが人形(?)を侍らせてチョコビールを飲んでいたり。
そんなこんなでいつも通りな酒場に彼女はやってきた。
つまりはアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢その人がである。
甘い匂いで満たされた空間。
そこで店員なのだから当然なのだが客にチョコを片っ端から配っているシャルリア。
そうだ、店員なのだから商品を提供するのは当然だ。そこに深い意味はない。バレンタインだろうが何だろうが、そこに愛情とか何とかそんなものは一切込められていない。
そもそも、だ。
ナンダカンダあってアンジェリカはシャルリアと付き合っている。そう、目の前でチョコを配っている店員はアンジェリカの恋人なのだ。
『わたくし、シャルリアのことが大好きですわ』『そんなの私のほうがアンジェリカのこと大好きなんだからね!!』、とそんなことを言い合えるほどの関係なのだ。
だからアンジェリカ=ヴァーミリオン公爵令嬢は髪をかき上げて笑みを浮かべるだけの余裕があった。
「全員死刑ですわ」
そんなわけがなかった。
「落ち着いてください、お嬢様」
同伴していたメイドの言葉にアンジェリカはくしゃっと顔を歪めて、
「だってぇっ。チョコっ、チョコがぁっ!!」
「はいはい。アルコールが入っていないのに淑女の仮面が木っ端微塵になるくらい衝撃的だったのはわかったので爆撃系統魔法をぶっ放そうとしないでください。普通に死人が出ますので」
「ぐくうっ!!」
「仕方がないですね。店員さあーん!!」
「ちょおっ!?」
基本的に忠臣ではあっても忠実とは無縁なメイドは主人を押しつけることに躊躇はなかった。
「はーい、いらっしゃいませっ」
「うっぐ」
改めて考えてみると、だ。
バレンタインでチョコとはいってもシャルリアが注文の品を届けるという店員のお仕事に従事しているのが許せない、というのは流石に嫉妬深すぎないか?
「アンジェリカ? どうかした???」
純粋な眼が今は直視できない。
だからアンジェリカは目を逸らしてこう言うしかなかった。
「べっ別にどうもしませんわ」
ーーー☆ーーー
「いーやーでーすーわあーっ!! シャルリアはわたくしの恋人ですのに、こんなっ、不特定多数の野郎どもにチョコを配るだなんて許せるわけないでーすわあ!!!!」
理性なんてアルコールの前には無力だった。
ジョッキ片手に机に突っ伏したアンジェリカの叫びが小さな酒場に響く。
「わたくしのですわ……。シャルリアはわたくしだけのものでえ、シャルリアからのチョコはわたくしだけのものでえ! シャルリアの愛はわたくしだけのものなのですわあ!!」
そんな叫びが小さな酒場に響き渡っていた。
これが二人きりであればまだよかったのだが、
「はっはっはっ。楽しそうでなによりだ!」
「片想い中の身には辛いものがありますッ!!」
「にゃっはっはっ! 珍しく気が合うっしょー。見せつけやがってこんにゃろう」
「……アツアツ」
「ほらア!! やっぱりチョコだったら大切な人から以外は何だってアウトなんだゾ!!」
「こういう恋愛脳一直線なのは好みだけどお、今だけはやめて欲しかったよねえ。ああもう、わかったわよお。もうチョコは口にしないから肩を掴んで揺らすのはやめてよねえ」
「……………………、」
まあ普通にがっつり見られていた。
冒険者だの女騎士だのエルフだの姫だの魔族の親玉だのサキュバスだのちょっとよくわからない生命体だのに、だ。
アルコールで頭が茹っているアンジェリカは視線に気づきもしていない。
だけどシャルリアは違う。
がっつり当事者で、なおかつシラフなシャルリアが知り合いからの生暖かな視線に耐えられるわけがなった。
「もお! こっぱずかしいからやめてよお!!」
そんな必死の訴えも酔っ払いに届くわけがなかった。
ーーー☆ーーー
閉店後。
あれだけ生暖かな視線を向けてくれた常連客たちももういない。
小さな酒場には二人だけ。
シャルリアとアンジェリカだけが残っていた。
「もうっ。恥ずかしかったんだからね!?」
「も、申し訳ありませんわ」
頭を下げるアンジェリカ。
一通り叫んでアルコールも多少抜けたのだろう。気まずそうにシャルリアを伺いながら、
「怒っています?」
「別に怒ってはないよ。それより、さ。今日はバレンタインだよね」
「え、ええ」
「だから、だからねっ!!」
そこでシャルリアは勢いよく『それ』を前に突き出した。
かわいらしくラッピングされた『それ』。
バレンタインで、恋人に差し出すものといえばそんなの一つしかない。
「どれだけ店でチョコを提供したってねえっ、私の本命チョコはアンジェリカにだけ渡すに決まっているってのよお!!」
もう勢いしかなかった。
もっと恋人同士のバレンタインに相応しい渡し方を考えていたのに頭の中真っ白で勢いに任せるしかなかった。
しばらくシャルリアはアンジェリカの顔を見られなかった。
「……リア」
だから。
次の瞬間に身構える余裕がなかった。
半ば飛びかかるような抱擁。
勢いを殺しきれずに二人揃って酒場の床に倒れる。
「ありがとうございます、シャルリアっ」
「いたた。喜んでくれたようでよかったよ」
バレンタイン。
チョコに想いを乗せる今日この日。
「これは……もしかして手作りですか?」
「うん。アンジェリカの口に合えばいいけど」
「絶対に! この世のどんなチョコよりも!! おいしいですわ!!!!」
「まだ食べていないのに断言しちゃった!?」
一組の恋人の初々しいバレンタインも終わ──
「そうですっ。わたくしもシャルリアにチョコを用意しているのですっ。受け取ってくれますか?」
「もちろん」
途端にどこに隠していたのか、バケツいっぱいのチョコを両手で持ち上げるアンジェリカ。
「バレンタインとは想いをチョコに乗せて最愛の人にプレゼントする日。であれば思い出に残るチョコを差し上げるべきだと考えたのですわ」
ちゃぽん、と液状のチョコがバケツの中で揺れる。
「既製品の最高級チョコ? それとも手作りチョコ? どちらもそれぞれの良さがあるでしょうが、わたくしはメイドに聞いたのです」
嫌な予感がした。
『あの』メイドから何か聞いたというのが猛烈に嫌な予感を加速させる。
「わたくし自身がチョコになってプレゼントすれば身も心もシャルリアに差し上げても構わないほどに愛しているのだと伝えることができると……ひっく」
そもそもの話をしよう。
あれだけ叫び散らすくらいでろんでろんに酔っ払っていたアンジェリカがそんなに早く酔いから覚めるだろうか?
そう、酔いはまだ抜けきっていなかった。
『あの』メイドの悪ふざけを採用しちゃうくらいにはだ!!
おそらく悩みに悩んで、それでも一つに絞りきれなくて、とにかく片っ端から色んなチョコを用意していたのだろう。それが最悪の形で爆発していた。
「ちょっ、まっ」
「わたくし、食べてくれますわよね?」
「初めてはもっとムードを大事にしたいよお!!」
……ギリギリで最後の一線だけは阻止できたのは救いだろう。
ちなみに翌日、アンジェリカは何も覚えておらず、チョコが撒き散らされた酒場でいったい何があったのかと首を傾げていた。