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翔太/Fantastic Edition  作者: 抹茶あいす
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カオス(混沌)

目も眩む閃光が走った。

大量の石油液化ガスが炎と交わり楕円の鋼鉄のタンクを、ティッシュペーパーの様にいとも簡単に引き裂いて炸裂した。

瞬く間に灼熱の火焔が『らうどねす』を満たした。

容赦なく燃え盛る炎のるつぼが何もかもを真っ赤に染めた。

全てを一瞬のうちに破壊し溶かす空前絶後の熱エネルギーが『らうどねす』を襲った。

優子の精神世界を激しい痛みが走り抜けた。


天窓がカッと光ったかと思うと爆風が沸き起こり屋上に火柱が上がった。

天窓から巨大なレーザー砲が夜空に向けて発射されたようだった。それも高熱の。

炎の剣がスパークを繰り返すドームを突き抜け夜空を焼き焦がした。

次いで、逆巻く火の渦の中から直径1メートルの四尺玉が地上800メートルまですっ飛んで大爆発した。次々と打ち上がる死の花火。


ドドン、パアーン!

ドーン!


人々は大停電の最中、奇妙な顔をして空を見上げた。



カラオケアメニティーらうどねすは紅蓮の炎に包まれていた。

雲が割れ、イカヅチが優子を直撃した。

優子はもんどり打って倒れた。

亡者の群れが優子に躍りかかった。

熱風が吹き荒ぶ中、優子は力を振り絞ってこれをひとなぎにした。

自分の肉が焦げる匂いがした。

もう限界だ。


Sonokoというイニシャルが刺繍されたハンカチがひらひらと舞った。


「優子ちゃん」

「翔太君」


「もうすぐ終わるよ」


消えかかるイメージの底へ、優子の身体も透き通ってゆく。


「待って。優太君の無念もあなたの園子さんへの想いもわかる。よくわかるけどこんなの誰も喜ばないよ。誰の為にもならない」


身体中の血液がさらさらと砂の様に流れてゆく。

さらさらと。


熱も音も、光りも感じなかった。


此処に来た時と同じように。


私、息をしているのかな。まだ心臓は動いているのかなと優子は思った。


死にたくないな。

死にたくない…



「どうして私が此処に来たか、翔太君わかる」

「俺がメールしたから」


「違う。あなたが呼んだの、心で。私に話したかったんでしょう。そして止めて欲しかった」

「俺は優子ちゃんが親父に俺の居場所を」


「よして。そうやって誰かのせいにするの。メールがどうとか。お父さんがどうの、お母さんがどうのって。誰かのせいにするの一番嫌いだよ。全部翔太君なのよ。あなたの思い過ごしや逆恨みに人を巻き込んで何が面白いの」

優子は興奮していた。


「何言ってんの。勝手に来といてさ」


亡者の生き残り達が優子の手足をつかんだ。

優子がその身にまとっていた鎧を引き剥がし、おぞましい鉤爪が肌に食い込んで来た。


死にたくない…

お母さん、お父さん…



「私が此処に来た時。覚えてる」

「何をさ」


「翔太君。ゴミ捨ててた」

「時間稼ぎかよ」


揺らぎが一段と強くなった。

歪み、ねじれ、裂けてゆくスキマ。


時間が逆再生し始め、空間がフリーズした。

それはあっという間であり、何千年という刻の流れでもあった。

記憶のスペクトラムが虹色に輝いていた。

絶え間なく続く曖昧なスキマで、切れ目のない無限の淵に最悪のほころびが生じようとしていた。



___葬儀の後、藤間俊一郎は園子の手をしっかり握った。

「お世話になりました。ありがとう」


藤間夫人は泣きはらした目をハンカチで拭いながら「佳い日になりましたわ。あなたのお陰です」と深々と頭を下げた。

「本当に援助はいらないのですか?」

俊一郎は年を押すように訊いた。この件はもう何度も話し合った。

亡くなる直前、翔太と園子は婚姻届を出したのだ。

「有難うございます。これは私達、翔太と私のケジメですから。当面は一人で頑張ってみます」

「わかりました。でも何かあったらすぐおっしゃって下さいね。必ずですよ」

花緒莉も何度も頷いた。

「園子さん。赤ちゃんが無事産まれたらぜひ抱かせて下さいね。ね。あなた?あなたからもほら!」

園子は妊娠していた。それは翔太の子ではなかった。翔太も翔太の家族もその事は重々承知していた。

「ああ、そうだ。私からも是非お願いします」

「はい。約束します」園子は答えた。



刺繍されたハンカチに火花が飛び移り、端からゆっくり燃えてゆく。


「これは」


「知ってる筈。覚えてる筈。思い出して。目覚めて、翔太君。あなたはもう一つの世界から来た。此処で、園子さんと出会う前の此処に来て過去を変える為に」


時間が遡り、立ち止まり、ふと見上げた刻。

矢のように走る光りと陰。鼓動。血。鼓動。血。

そして鼓動… 命の。


男と女は反転し、

老人は若返り……、

赤ん坊は、言葉を紡ぐ。



___「桜西歯科医院前~」


プシュー!

路線バスから乳飲み子を抱えた一組の親子が降り立った。

ポニーテールの母親はよっこらしょとベビーカーを歩道に着地させた。

園子だった。

産婦人科で乳幼児健診を終えたばかりだった。

「母子ともに健康、異常ナシ!」

園子は抱きしめた我が子に話しかけた。そうして話し掛けるのが大好きだった。

「健康優良児だって。良かったでちゅね~」

園子がおでこにキスすると赤ん坊はキャッキャッと笑った。


二人がベンチに腰掛けて一息ついていると、歯科医院から女性スタッフが現れて言った。

「こんにちは!バス降りるとこ間違えちゃいましたか?」

「こんにちは。いえそうじゃないんです。お花見をしようと思って」

園子は見事に咲いた早咲きの桜を眩しげに見上げた。



「園子さん?」


優子の周囲を懐かしい香りが立ち込めた。

子どもの頃から慣れ親しんだ空気。忘れていた憧れの情景。

良くある景色が穏やかな風を運んで来る。

特別な物語などいらない。



___「毎年綺麗に咲くんですよ!今年も綺麗に咲いてくれました!」嬉しそうにスタッフは答えた。

「去年見そびれたもので。今年は絶対見ようって決めてたんです。この子と。ねえ、月ちゃん~」

「あらぁ、可愛い!お名前は何ていうんですか?」

歯科医院のスタッフはちっちゃな手を握った。

「ツキオ。藤間月緒です。お月様の月に、鼻緒の緒で月緒です」

月夜に逝ってしまった翔太に想いを込めて、そう名付けた。


「まあ!可愛い名前!月緒く~ん」

「あ、あの、女の子なんです」

園子は照れて真っ赤になった。

「そうなのね。ごめんなさい」


月緒の小さな鼻の上に桜の花びらがくっついた。

ひとひら…

「月ちゃん~、ほら、パパの大好きなさくらよ~」

月緒はけらけらと良く笑った。


「ホント可愛いですね!あ、お団子があるんです。お茶でもいかがですか?」

園子は礼を言った。

「寒いですから。さあこちらへどうぞ!風邪でもひいたら大変」


「あざっす…!」

それは翔太の声だった。


スタッフは人の声を聞いたような気がして辺りを振り返った。

そして誰もいないはずの空を見上げた。


緩やかに流れる、刻。



「翔太君。手のひらを見て。手のひらの中を。覚えてるよね。ゴミ捨て場で拾った桜の花びら。持ってるよね。どうして持ってるか、わかる」

翔太は無言だった。

「翔太君、見に行ったんだよね。園子さんの事、忘れられなくて。いつもいつだって見守っていたんだよね」

優子は涙声になっていた。何故悲しいの。何故…

どうして泣けるの。こんな時に。


「その花びらは、あなたの赤ちゃんからの贈り物なの」

翔太は何も答えない。

「例え赤ちゃんと翔太君、血は繋がっていなくても。赤ちゃんからのメッセージは届いた筈だよね。赤ちゃんの未来が変わっても良いの?」


「翔太君はパパなんだよ」


ついに此の世が己れの重みに耐え切れず、ポッカリ空いたスキマの裂け目に沈んでゆく。

無限の虚無が口を開けたのだ。

月は欠け、空は欠け。夜は欠け。炎も欠けた。

デジタル放送中のノイズの様にカラフルなモザイクがかかっては元に戻り、そしてチカチカと明滅を繰り返し、やがてシンと静かになった。

真っ暗になった。


真っ暗に。

果てしない暗闇。


真の闇の奥で、最後に何者かが呟いた。


「パパ」と。


その声は輪になって波紋の様に広がり、優子と共に暗黒の彼方へ落ちていった。


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