第五篇外伝 十六章
神社を出たアキラが向かったのは、縞猫屋だった。
「失礼します」
暖簾をくぐり、声をかけると、オヤジが明るい表情で迎えてくれた。
「おお! 久しぶりだね! アキラさん……って、その手に持ってる汚えのは……
オヤジが、アキラの持っている外套に気が付いた。何度も見ているのだから、間違えようもないだろう。
「ええ。ハナガラスの外套です」
そういうと、アキラは外套をオヤジに手渡した。
「ハナガラスは――旅に出ました。もう、帰ってきません。餞別と言ってはなんですが」
オヤジは外套を受け取ると、しんみりとした顔をして、外套を見つめながら言った。
「そうかい……ま、何があったかは知らねえけど……少し、寂しいな」
「きっと、元気でやっていますよ――どこかでね」
まさか、すぐ近くの花鳥神社に封印されてるとは思わないだろう。ハナガラスも、縞猫屋のことは守ってくれるかもしれない――まあ、それを言うわけにもいかないが。
オヤジはその間にも、外套を広げ、目に涙を浮かべて眺めている。
いなくなった友人に思いを馳せて涙する――普通の感情、普通の人間。何も知らない、ただの人間。だが、それでいいのだ。このオヤジのように生きることは、間違いじゃない。正しいとまではいかないが、少なくとも、ハナガラスや慶のようにはならないだろう。
オヤジは、眺めていた外套を折りたたむと、鼻をすすりながら言った。
「ああ駄目だ……見ているとつれえや……泣けてくるよなあ……何でかなあ……あんなヤクザもんの男1人なあ……あいつ、俺のまずい飯でも、残さず食ってくれたんだよ……いいやつなんだよ……」
オヤジはグシグシと鼻をすすりながら、ハナガラスのことを思い出しては泣いていた。
見た目と違って、繊細な男なんだなと、アキラは苦笑する。
「もし――もしも、持っているのがつらいなら。価値のわかる人間に売ると良いですよ。その外套。面白い能力がありますから。わかる人には、高く売れます」
「面白い能力……?」
「ええ。天使の光を弾くことができます……ま、何のことやらわからないでしょうが」
「ああ、さっぱりわかんねえけど……ま、とりあえず覚えたよ」
「ええ、それでは、私はこれで。ああ、もし外套が不要になれば、私が引き取りますので」
そういうと、アキラは懐から鉛筆と紙を取り出し、さらさらと連絡先を書いた。
「よければ、ここへ連絡を。他の方に、教えてはいけませんよ」
オヤジは紙を受け取って読む。聞いたことのない住所が書いてあった。これが、アキラの勤めている屋敷の住所なのだろうか。そして最後に、「映」と書いてある。
「あの、アキラさん。これは何て読むんだい? 俺は学がなくってな」
オヤジは最後に書いてあった、映の一文字の意味がわからずにたずねた。
「ああ、私の名前ですよ。これでアキラと読むのです。映と書いて、アキラ」
「へえ、なるほどなあ……ま、わかったよ。色々、ありがとうな」
「いえ、それでは――さようなら」
そういうと、アキラは微笑みを残して去っていった。これまでとは違う、冷たい笑みを。
オヤジは、余韻も残さずに去って行くアキラの背中を見送った。
そして、姿が見えなくなると、独り言をつぶやいた。
「なんか……前に会った時と、ずいぶんと雰囲気が違うな……猫でもかぶってたのかな?」
ここからの縞猫屋での話は、誰も見ていない。記録に残っているわけでもいないから、アイシャ達も知らない話だ。もちろん、直巳も。でも、たしかに起こった出来事だ。
アキラが縞猫屋を出ていった後、入れ替わるように、まりがやってきた。母親もいる。
「おじさん! こんばんは!」
「おう、まりちゃんに、お母さん。こんな遅くにどうしたんだい?」
「あのね。まり達、今からこの町を出ることになったの。だから、ご挨拶にきたんだ」
「今からかい? もう遅いんだから、明日にすりゃいいのに」
オヤジが言うと、母親が困ったような顔をした。オヤジは、何か事情があるのだろうと思って、それ以上は何も言わなかった。
「よし! じゃ、ちょっと待ってな! おじちゃんが握り飯作ってやっからな! 2人で一緒に食べるといい。なに、金はいらねえよ。餞別だと思って、持ってってくれ」
「わあ! ありがとう! まりね、おじさんのおにぎり、大好きだよ!」
母親も、申し訳ないと言いたげに、ぺこぺこと頭を下げる。
そして、オヤジがおひつを持ってきて握り飯を作っていると、まりが、横に置いてある外套に気が付いた。
「あれ? それってハナガラスの?」
「ん……ああ、そうだよ。ハナガラスは、旅に出ちまったんだ。それだけ置いてったよ」
「旅に? そっかあ……ハナガラスにも、お別れ言いたかったなあ……」
まりが残念そうに言うと、オヤジは、まりとハナガラスの会話を思い出した。まりが大きくなったら、この外套をやる。指切りげんまんまでしていた。
「――なあ、まりちゃん。この外套、持っていきな。欲しがってただろ?」
「え……でも……これはおじさんにあげたんじゃ……」
「へっ! いい年したオヤジが、男の外套抱きしめて寝る趣味はねえよ! 大丈夫! 俺は物がなくても、あいつのことは忘れねえからよ!」
「で、でも……」
「なに、俺が持ってても、すぐに虫に食われちまう。それなら、まりちゃんみたいな可愛い子が持っててくれた方が、ハナガラスも喜ぶってもんだよ。指切りもしたんだしな」
オヤジがそこまで言うと、母親がまりの肩を叩いた。
「まり……もらい……な……おじさんに……ありがとうって……言って……」
母親に言われると、まりも心が決まったようだった。
「――うん! わかった! まり、これずっと大事にするね!」
「おう! 頼んだぜ! そういや、その外套には、なんか不思議な力があるって言ってたな……天使の光を弾くとかなんとか……」
「ふうん……ちょっと……見せて……もらえます?」
興味を持ったのか、母親は外套を手に取り、しげしげと眺めている。
「……これ……魔術具……だ……名前は……?」
「名前? いや、ハナガラスの外套としか、言いようがねえんだが……」
「なら……私が……つける……そうだね……背教者の外套……とか……」
「はいきょうしゃのがいとう? これが、この外套の名前なの?」
「そう……天使と……それと……多分……まあ……背いた人の外套……だから……」
「ふーん……?」
まりが首をかしげる。オヤジも良くわからないので、苦笑いするしかなかった。
そしてオヤジは、外套と、出来た握り飯をまりに渡した。
まりはぎゅうっと、外套を大事そうに抱きしめていた。
「それじゃ……お世話に……なりまし……た……」
母親が頭を下げると、まりもそれに合わせて頭を下げた。
「おう、道中、気をつけてな。また、この町に寄ったら顔出してくれよ」
「うん! 絶対くるね! おじさんも、まり達のこと、忘れちゃやだよ!」
「大丈夫だよ。まりちゃんに――そういや、お母さんの名前、聞いてなかったかな?」
オヤジがそういうと、母親はうんうんとうなずいて、自分の名前を名乗った。
「祀里……って……言います……伊武祀里……天使を……倒す……旅を……して……いま……す……」
伊武祀里と、伊武鞠。それが、彼女達の名前だった。
なお、鞠は、伊武希衣の曾祖母に当たる。そしてこの、「背教者の外套」は、娘や孫にも受け継がれていく魔術具となる。その一部がHgの手に渡り、つばめの足を治療している、「双頭の孔雀」にも使われることになった。
「おじさん! それじゃあね!」
外套と握り飯を大事そうに抱えた鞠が、オヤジに手を振って別れを告げる。
オヤジも手を振って、母娘に別れを告げた。
「はぁ……天使教会なんてのがいると思えば、天使を倒す、なんて人もいるんだねえ……」
オヤジは不思議そうに首をかしげると、暖簾を片付けて、1人で酒を飲み始めた。
「みんなで飯食ったのが懐かしいなあ……急に寂しくなっちまったよ。なあ、ハナガラス」
酒を注いだ茶碗は2つ。1つはもちろん、ハナガラスの分だった。




