第五篇外伝 十五章
慶はやってきたアキラを見ると、シモンの持っていた箱をちらりと見た。
「あなたは――誰の仲間? 天使教会?」
慶がたずねると、アキラは倒れているハナガラスの抜け殻を指差して言った。
「麻有ですよ。そこの、ハナガラスに取り憑いた、ね」
「鬼の仲間ですか。なるほど――それでは」
巫女は、シモンの持っていた白い箱――聖櫃を指差した。
「あなた達が欲しがっていたのは、これでしょう」
「そのとおり。それ、あなたには不要なものでしょう? 中身を取り出して、こちらに渡してもらえませんか」
「あら? 箱ごと持っていけばいいのに」
「――わかってて、言っていますね。あれは、私達には触れないんですよ。これ以上、血を流すこともないでしょう。お願いしますよ」
そういうと、アキラは懐から拳銃を取り出し、銃口を慶に向けた。
「言うとおりにしてもよいのですが、あのハナガラスについた鬼はしばらく借りますよ」
慶は銃口に怯えることもなく、しれっと言い放った。そのふてぶてしい態度を見て、アキラは苦笑する。アキラの好きなタイプの人物だった。
「無理矢理借りた後に言われましてもね。いつ、解放してもらえるのですか?」
「数十年か百年か――花鳥様の許しを得られるまで。私の血筋から、新たな巫女が生まれるまでです」
「まあ、ずいぶんと勝手を言いますね――仕方がありません。百年程度なら良いでしょう。そのかわり、ご神刀をお預かりさせていただきます。質屋だって、道具は預かるものでしょう。その時がきたら、ハナガラスについた麻有と、ご神刀を交換しましょう」
アキラの提案に慶はうなずき、花鳥ノ嘴を、アキラに手渡した。
「構いませんよ。花鳥様のお怒りが解けるまでは、どうせ役にも立ちませんから」
そして、聖櫃を開けると、中に入っている腕を取り出し、アキラに渡した。
アキラはその小さな腕を、大事そうに懐にしまった。
これでようやく、アキラは目的を果たせた――ずいぶんと、遠回りをした。
もう、この神社にも、巫女にも用はない。
「では、そういうことで――」
そういうと、アキラはにっこりと笑い、慶に向かって、花鳥ノ嘴を差し出した。
突き返されたのかと思い、慶は不思議そうな表情をする。
「どうして、私に返すの? あなたが持っていくのではなくて?」
アキラはククッ、と、笑いを押し殺すようにして、首を横に振った。
「いえ……ふふっ……あなたに渡しているわけではないんですよ」
笑いをこらえるアキラを見て、慶は不愉快な顔をする。
「妙なことを言うのね。鬼というのは、頭がおかしいのかしら」
「よく言われますよ――それでは、ごきげんよう――そして、さようなら」
アキラの手から、花鳥ノ嘴が消える。
慶がそれに気づいた時には、もう遅かった。
「あな……た……どうして……」
慶がごほ、と血を吐いて、後ろを見る。
悪鬼のような目をしたハナガラスが、「花鳥ノ嘴」を、慶の背中に突き立てていた。
「どうして……だと? 言わなければわからないか?」
「花鳥の巫女を……このように……」
「今は俺が花鳥だ」
「そう……そうだったわね……あなたが、花鳥様よ……」
慶は優しい声を出し、ハナガラスを落ち着かせようとした。まだ、諦めてはいない。
「慶――お前、俺の本当の名前を知っているか?」
ハナガラスがたずねると、慶は口から血を流しながら、笑って言った。
「ごめんなさい。みんな、お前の話はしないようにしていたから。私も知らないのよ」
「ほう。ならお前は、名前も知らない男に嫁ぐ気だったというわけか」
ハナガラスが、短刀を刺す手に力を加える。もう少しで、慶の心臓に刃先が到達してしまう。そうすれば、絶対に助からない。
慶はハナガラスに寄りかかると、彼の首に手を回し、甘い声を出した。
「ねえ、ハナガラス……あなた、私のことを好いていたのでしょう? 私からもらった手ぬぐいを、大事に持っていたのでしょう? 私だって、覚えているわ。あの日、あなたに手ぬぐいを渡したことを――」
「南無阿弥陀仏――祝詞の方が良いなら、自分で唱えろ」
ハナガラスは、グッと力を込めた。慶の心臓に、刃先が刺さった。
「お前……なぜっ……!?」
慶の顔が、死の恐怖に、ハナガラスへの憎悪にゆがむ。そこにはもう、美しい巫女様の面影はない。人を食らう鬼のような顔をしていた。
ハナガラスは、その顔をしっかりと見据えて、答えた。
「あの話は――嘘だ。お前の手ぬぐいは、俺が勝手に盗んだだけだ。俺はガキのころ、お前と話したことなど一度もない。お前は、俺を見ようとすらしなかったからな」
ハナガラスはあの時、慶を試していた。そして、慶は嘘をついた。それでも、それでもよかったのだ。最後に、慶が自分の隣りにいてくれたのなら。しかし、慶はそれすらも守らなかった。自分を花鳥の代わりにしようとし、刃を向けたのだ。
「貴様――貴様っ! 私を騙したか! カラスの分際で! この私を! 花鳥の巫女を!」
ハナガラスに手玉に取られたことを知った慶が、感情を剥き出しにして怒鳴り、ハナガラスの頬を引き裂かんばかりに爪を立てた。醜い顔。汚い声。顔に食い込む爪の、すさまじい力。今の慶に惚れる男など、あの世まで探してもいないだろう――いくら俺でもごめんだと、ハナガラスは自嘲して、鼻で笑った。
「慶よ。お前の願いどおり、俺と、俺に憑いた鬼が、この神社を守ってやろう――だが、代償はいただく。次の巫女がお役目を果たしたら、花鳥を呼び戻したら――鬼は、その巫女の命をいただく。そして俺は、この神社に二度と巫女が生まれぬよう、呪い続けてやる!」
ハナガラスが、刃先をひねる。慶の心臓が、動きを止めた。
慶は、一度息を吐くと、遠い空を見つめながらつぶやいた。
「ああ――花鳥様――なんというお美しいお姿――いつかまた――お会いしましょう――時を越えて――いつの日か――」
その言葉を最後に、慶の体が大量の花片となった。
同時に、ハナガラスの体が大量の黒い羽となった。
それらは風に吹かれて、空の彼方へと消えていく。
後に残ったのは、巫女服と学生服。そして、聖剣ラズイールだけ。
最後に立っていたのは、アキラだけだった。
「あなた達は――何のために、戦っていたのですかね」
アキラはそう呟いて立ち去ろうとしたが、ハナガラスの外套に目をとめた。
近付き、触ってみる。
「――魔術具になりましたか」
魔術師が凄惨な死に方をすれば、身につけていたものが魔術具になることがある。
それを、ハナガラスがやったのだ。
なるほど。麻有が取り憑いていたのだから、そうなっても不思議はないか。アキラはそんなことを考えながら、外套を拾い上げて、神社を後にした。まあ、よく働いてくれたのだから、形見ぐらいは届けてやるとしようと思った。
後にはもう、血の一滴、花びら一枚、羽根の一枚すら、残ってはいない。
ただ、ハナガラスの封じ込められた聖剣ラズイールが、転がっているだけだった。
この聖剣ラズイールが花鳥神社の御神体となる。封印を解き放たれたハナガラスの持っていた剣であり、令がアキコと戦う時に持っていた剣でもある。元は、天使教会のものだった。




