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Memory  作者: 浪速
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第9話 集会緊急出動

「今日来るのはこれで全員かい?」


 長身の男が見渡した。薄汚れた白衣を着て、眼鏡をかけていた。左頬に小さな傷痕がある。今日はまだ小奇麗なほうだ。いつもなら頭から何かを滴らせているのだから。だが、目の下の隈はいつも以上に酷い。


「はい、こっちは」ハンナは芝居がかった動作で敬礼する。「情報部からの連絡通りです」


「じゃあ、さっそく始めようか」


 全員にテーブルに置いていた資料の束を一人ひとりに配った。

 ウィルキーは空いている肘掛椅子に腰かけ、自分用に資料を一束取る。細かい字に目を凝らし、眼鏡を調節しながら文字を確認する。


「資料を参考に見てくれ。まず、魔断志師狩りが行われているとの報告が入っている。まだ、被害は少ないが気を付ける事にこした事はないからね。それから「扉」への破壊があった。侵入は未遂ではあったものの何者かがこちらに明確な意図を持って敵視している。その事は後の事と合わせて話したいと思ってる。それから資料に書かれているが――」


 すでに懇願や詳細を問う疑問の声が上がり、非難すらあった。

 そこで初めてソラは手渡された資料に目を移した。「死亡者」と書かれた欄が設けられ、数十名の名前がある。肺を押し潰されたようだった。


「静かに、聞いてくれ。本部所属のデレク・ホスター、ケーシ・パリントン、セルリ・リビングストン、ケイトー・スター、宮口美夏ミヤグチ・ミカ河野祐樹コウノ・ユウキ、魔封師のウェラ、武器使いの泉本健イズモト・ケン、癒術師のリヤ・ジェンナ。さらに支部所属七十四名が死んだ」


 誰もが息をのみ、空気が一瞬固まった。

 静かに涙を流す者もいた。ソラは息を呑み、ルーナは口元に手を当てた。レオはソラの心を読み取ってシュンとした。


 全盛期――特に十六年前の時――に魔人に殺される事は珍しくはなかったが、近年では何もなく突然の事だったうえに人数が多いために驚きは増した。

 デレクはスタンリーと仲がよかった。ケーシとセルリはルーナと一緒に町に遊びに出かけたりもしていた。ケイトーはデイビットとルードヤット――相手を台から叩き落すスポーツ――の戦い仲間だったし、美夏はジャック=ジャガーの彼女だ。誰もが羨ましがる恋人たちだった。その彼氏は喪失感でいっぱいに違いない、すでに彼の目に涙が浮かんでいる。祐樹と健はみんなに郷土料理をよく振舞っていた。ソラは水羊羹が好きだった。ウェラは一人でよくいたが、ソラとは気があったしジョアンは彼女に付きまとって懐いていた。リヤの癒術の手腕は誰もが一目置くもので、優秀なベイリーすら教わっていたほどのために、ソラは頼りにしたがそれも出来なくなってしまった。交友関係は幅広く、特にエニスの兄のレアルと仲がよかった。ほとんど全員が全員と交流があり、顔見知りではなく仕事仲間の枠を超えた仲間だった。

 支部所属の何人かとも知り合いかもしれない。


 ソラは胸を押し潰されたようで息をするのも忘れた。レオがパタリと尻尾を脱力させた。唐突に一人ひとりの顔が脳裏に浮かんできて、涙が出そうだったがグッと堪えた。泣いてしまうと引きずるからだ。



「そして、ケビン・ジェームズは一命を取り留めたが、退魔力を失った」 


 魔封師フィガティアの誰もが、退魔力を失ったケビンを思わずにはいられなかった。退魔力を失う――すなわち封じ込められた魔物を失う痛みは生半可ではない。「魔封の儀式」に匹敵する痛みだと聞かされる。そして、退魔力を失うのは魔封師として生きれなくなるだけではなく、時として自身の魔力を失う事にもなり、精神的にも身体的にも苦痛が伴う。


「何か大きな事件があったのか?」


 スタンリー・リデルが恐怖を押し殺した語気の強い声で問う。


「北の方でかなり強い魔物が現れたって聞いたぞ」


 デイビット・ハリスが腕を組んで、周りを見た。何人か知っているものもいたが、大半が知らないようだ。


「四日前、ラスタの支部が魔人に襲われた。そして魔物も押し寄せた。死者はその任務に出向いていた者だ」


 どこにも酸素がなくなってしまったのではないかと思うほどに全員が息を止めていた。


「その前にも村が魔人によって消し去られた。八日前、そうだったね、エニス」


 瞬きすら控えめにしていた少女の肩が、名前を呼ばれ小さく揺れた。部屋にいるほぼすべての視線が自分にあたり、サンディブロンドの前髪で顔を隠すようにうつむいた。


「あの、……はい。八日前に、あ、ある村が消滅しました。……村人の、せ、生存者はゼロです。でも……、唯一の目撃者の証言によれば、ひ、ひ、光が見えた瞬間に、高温と……爆音がし、む、村は塵になったそうです。その目撃者は、そ、そぅ、相当遠くにいたにもかかわらず……、魔気で平衡感覚が、おかしくなったそうです。ど、どの魔人かはわかりませんが、五大魔人の一人……ま、または匹敵する力を持つ魔人です……」



「そう、五大魔人が現れたんだ」

 



 昔――今から約三千年前に落ちてきた巨大な力により、世界は魔力で埋め尽くされた。現在では「ノア」と呼ばれる出来事だ。そして、同時に「扉」と呼ばれる穴が出来た。

 人々は魔力を持ち、世界には魔物があふれた。「扉」は魔界とつながっていて、そこから魔物が出てきている。

 魔物は人々に害を及ぼし、生活に影響を与え、時には人を殺す。人々に害を及ぼす根本的な原因は不明だが、魔人――とてつもない魔力を持った人の形をした魔物とされる――の命に従い、さらに最上位の魔王に随っている。

 何度か魔王が勢力を誇り、世界が魔界に侵食されかけたが、そのたびにこの世界は防いできた。


 それが十六年前にもあった。

 世界を崩壊させようとした魔王は突然現れ、魔物を従えて世界を覆い尽くそうとした。しかし、魔王は倒され、五大魔人は魔界に逃げ去った。

 五大魔人と呼ばれるのは魔人の中でももっとも力を持つものであり、魔王に次ぐ魔力を持つ者である。


 世間的には尻尾を巻いて逃げたとされているが、当時の魔断志師のほとんどの見解は時を見ているのだという事だった。

 



「村の件はその五大魔人が関わっているのかわかっていないが、魔王を倒した時に各地に散らばった五大魔人の中の一人、ユダがラスタ支部を襲撃、複数名を彼が殺した。だが、ユダは死んだ……」


「ちょっと待て。ユダが死んだ?」スタンリーが問う。「倒したじゃなくて?」


「はっきりとは言えない。事実確認が遅れてるんだ。ラスタの支部が壊滅状態でほとんど機能していない。こちらも少し混乱してる」


「どっちにしろ死んだんだから結果オーライでしょ?」


 ウィルがそう言うと、あまりに能天気ではないかと非難の視線が浴びせられた。


 五大魔人の一人が死んでも、他に四人いる。さらに五大魔人と呼ばれる以外の魔人も多くいるのだ。たった一人倒すのに支部が壊滅状態では、こちらの損害の方が大きい。命の計算ではないとしてもそう考えられずにはいられない。



「空気重くするのもあれだから、ここでいい知らせを一つしよう」


 ウィルキーは全体を見渡し、少し茶目っ気を混ぜた。誰も顔を上げていつもの表情ではなく、悲しみの混じった真剣な面持ちだ。まだ涙を流している者もいた。ここでいい知らせなど何の効果もない。それどころかほんの些細な効果は悪影響だった。


「五大魔人は四大魔人となった」


 ユダが死んだ事は難なく理解出来たが、言葉にされると衝撃だった。魔王に仕える魔物の中でも上位の存在である魔人。その魔人たちの中でもさらに上位の存在の一角が消えた。何であれ具体的な数が減ったのだ。驚愕でもあり、喜びでもあった。


 だが、それはいい知らせとは断言できる気がせず、死んだか倒されたかのスタンリーの疑問が何か違和感を引っかからせた。


 空気が物理的な重みをもち、全員の頭に伸し掛かるようだった。誰も何を言えばいいのかわからなかった。




「全員思ってる事は違うだろうけど、ユダは死んだ。それはかわりない」


 いいね、と全員にウィルキーが目くばせし、続ける。いい知らせ、なんて言わなければよかったと後悔していた。


「でも、そんなコロッと変わっていいの? 私は五大魔人で習ったけど」


 ハンナが言う。一人減って四大魔人になるという事は、ある国の国王が鳥になって飛んで行ってしまったという突飛な話にも匹敵する。それにハンナの言うように学校でも、五大魔人以外の名称は習っていない。だからと言って問題はないのだが。


「エニス、昔からあるようだね」


「……はい、ひゃ、百年に二、三回、そ、そのような事があるみたいです。……六大魔人の時には、お、オブリンが退き、四大魔人の時にはトリアンヌが死に……そ、総称が変わりました。

 ふ、増える事でも……、変わるみたいですが、こ、こ、こちらが把握しない限り……呼び方は変わらないでしょう」


 彼女はエルフの血筋のために外見の年齢よりも数十年は歳を重ねている。そのため多くの事を知っており、記憶もしている。


「なんて呼べばいいの?」少し子供染みた質問だった。「五大? 四大?」


「呼び方はどうでもいい。確かにこの方が呼びやすいが、倒すべき魔王直属の臣下だと思ってくれていい。

 約十六年前確認出来たのはケイマ、ユダ、エンケラドゥス、ガルグイ、エリールだが、増えた可能性も減った可能性もある。しかし、ケイマは二千年前から不動だ。今もそうだろう。他はわからない。五大……いや、四大魔人であるという可能性が今は大きい。

 それと、ユダと共にエンケラドゥスを目撃したとも聞いているが真偽は不明だ。だが、ケビンはエンケラドゥスに封じ込んだ魔物ごと奪われていると証言してる。意識は朦朧としてるが、可能性はある。四人の詳細は資料に書いている。目を通しておいてほしい」


 ハンナに目くばせし、釘を刺す。ただでさえ力任せの子だったからだ。だが、ケビンの名前が再び出て、数人は落ち込んだ。


「ケビンは大丈夫なのか?」グレイルが尋ねる。


「ケビンは魔力と同時に左腕と左顔面を失った。だが、一命を取り留めている。直によくなるけど……」


 最悪の場合、ケビンは魔力を失っているかもしれない。そうなると魔封師はもちろん魔術師にすら戻れない。後遺症はそれだけではないだろう。


「そこまでとは……支部を襲い、村を塵にするなど十六年前以来だな」


「ついにって感じね……。最近の荒れ具合もその影響ね」


 ベテランのグレイル・ロッグベアとユースリス・コファが確認を取るようにウィルキーを見た。

 この談話室にいるほとんどの魔断志師は十代で、協会に所属したのも四、五年前と最近である。若い方が魔物に乗っ取られる事も少なく、魔力量も多いために優れており、今日では十代の術師が多い。

 グレイルとユースリスの二人は、若い術師の多い中では指導役のようでもあり、慕われている。十六年前の事も知るこの場では数少ない術師でもあった。


「そう……そうなんだ。何人か感じていただろう。魔人の話を聞いて思った者もいるだろう。最近、魔物が増加傾向にある。ユダが現れた影響だろう」


          「魔物が増えてきたのは目に見えてる。見る事が多くなってるよ」

 「ああ、普段なら来ないような場所にまで」

                        「俺は戦っていた時複数体現れて不意打ちを食らった」

             「それならあたしも……」

  「北に魔物が飛んでいくのを見たよ」

                    「ドゥーゲル山脈の山頂にも現れたって聞いてるわ」

          「それ、アクアリランの方じゃない?」

    


「コートリーの劇場で闇黒師に遇った。魔物を連れて……」


 ぽつりと言ったソラの言葉に場の空気が凍った。全員が言葉を止め、ソラの言葉を待った。


「闇黒師?」


「あの闇黒師か?」


 人は魔界から来るものと敵対しているが、ごく一部の人は魔王や魔人の配下へと下る事がある。その者たちを闇黒師と呼び、魔物と同等の扱いをしていた。


「私たちより小さな――もしかしたらハンナより――男の子だった。でも、あまりに残忍で……」


 小さな男の子だったという事実を口にすると、痛ましい事実となって胸に刺さる。あんなに幼い子が戦いに、それも傷つける側にいるなど……。

 ウィルキーは公私混同しない性格だが、悲痛に顔をゆがめた。敵であるとしてもまだ子供だ。

 そして、何より街に魔物からの被害が及んでいなかった事から、それは魔物が迷い込んで来たのではなく、従って来た事を意味する。違和感はそれだった。計画的で狙いは魔断志師だったのだろう。意図されていたと思うとやはり黒く小さな針は心臓を突くようだった。


「魔断志師狩りの一部だろう。闇黒師以外の者が魔断志師狩りを行っていると聞いてもいたが…………最初に言った「扉」の破壊も闇黒師によるものだと思われる。「扉」への破壊、侵入は初めてだ。「扉」の知識、技術、所在を知る者の手助けがあると考えられる。残念だが……。

 その闇黒師は何か言ってなかったかい?」


 ちなみにその「扉」と魔物が出てくる魔界に繋がる「扉」はまったく別物である。


「何も……これと言って」


 そう言ってソラは、最初に魔物と交戦したライアンに目配せした。


「ああ、魔人の事すら言ってなかった。ただ、残酷な奴には違いない」


 ライアンの言い方は誇大表現だったが、ソラも同意せざるを得ない。あの子供は自分が何をしているのかわかったうえでの残虐な行為をしていた。


「魔人が現れたのにいち早く気づいたために闇黒師が活動し始めたのか……。もしかしたら我々よりも伝達は早いかもしれない」


 魔人とのつながりも闇黒師は持つために、直接的な関わりがある。魔界から出てきた魔人を匿う事も多く、闇黒師たちはすぐに情報を得られる。

 それに敵対する魔断協会は情報を得る事が一歩遅くなってしまう。


「魔物の増加、闇黒師の再訪、魔人の出現。アクアリランやルードフィでも魔物の目撃は報告されている」


 アクアリランは大陸から離れた島および近海の海洋王国。ルードフィは大陸の端にある自然豊かなエルフの国。異常さえなければどちらの国でも魔物の目撃は少ない、今までは。


「魔人の魔気は凄まじい。少しでも感じた事のある者は知っているかもしれないが、魔物とはくらべものにならない。そして、その魔気の残りを得ようと、魔物が群がる事がある。ユダの襲撃もそうだった。その影響もあると思うが、大陸各地にわたっている事から――」


 ウィルキーはベイリーに目くばせした。ベイリーは悲しみを抑えるために飲んでいたマグカップから口を離し、言った。


「「扉」の奥で何かが起きているという事ですね?」


 思っていた通りの答えが返ってきたためにウィルキーは軽快に言葉を続けた。


「魔物の増加から見るとそうに違いない。魔人が村を全滅させた事、魔断志師狩り…………十六年前の全盛期と似ている。もしかしたら、新しい魔王が生まれたのかもしれない」


 ライアンが勢いだけで立ち上がった。ソラがライアンの腕を引っ張り、座るように促すとハッとしたようにソファに腰掛けた。


「……魔王が生まれるなんてありえないんじゃないか?」


 スタンリーが腕を組み、顎に手を当てて俯くように考えた。

 魔人の中でも最上級の力を持ち、「扉」の奥にある魔界の頂点に君臨する魔王はそう簡単に生まれるものでもない。十六年前に滅んだ魔王は、三千年前の「ノア」が起きてから三人目の魔王だった。


「魔人が活発化した」ユースリスが言った。「エンケラドゥスの目撃が真実なら、なおさらその可能性は濃い、と言いたいんでしょ」


 ウィルキーはいったん脱力してからもう一度シャキッと背筋を伸ばすようにして、眼鏡をかけなおした。


「本部の見解は、近頃魔人が現れ、魔物の増加は新しい魔王が現れる前触れだという見方をしている。僕もそうだと思っている」


 ソラはルーナに目くばせした。何か知っていたのか、と。だが、ルーナは首を横に振って知らなかったと否定した。ルーナは実戦任務や外交に出される事が多く、協会内での事をあまり把握はしていないらしい。

 

「邪魔になる魔断志師ぼくらを消していって……今度こそ征服をするための前置き」


 ずっと黙って聞いていたチャッキー・タリメが静かに重々しく言う。


 魔王の征服はこの世界が闇に包まれる事を意味する。一体何が目的なのかは知らなくてもいい。魔王は、敵対する者も従わない者も非力な者ですら無差別に殺す。勢力を広げれば、人は魔物のためだけに生かされる事になる。

 それが世界中で行われ、魔物で埋め尽くされ、世界が滅びてしまう。人の営みは死に絶え、文明と呼ばれるものは失われる。

 

「だったらする事は一つじゃない?」隣に座っていたニア・サンプソン。


「魔物も魔人も倒す」ヴィンス・エリュールが勢いよく首を鳴らす。「それだけだろ」

 

「暗い日々の終わった十六年前の出来事から今までそうやって来た」

 ウィルキーが頬の傷を指で撫でながら言った。

 

「ああ今まで受け継がれてきたんだ」とウィル。


「断つわけにはいきませんね」ベイリーが言う。

 

「あわよくば新しい魔王なんてのが現れる前に、ってね」

 ペニュニアがニヤリとして言う。


「だったら、根絶するために最後のひと踏ん張りってところね」髪を掻き上げてルーナが言う。


「やられっぱなしなんて魔断志師の名が廃るぜ」とジェニオラ。


「血の気もたいがいにしてほしいものだな」グレイルが若い者たちを見て言う。

 

「そういうあなたを戦場で冷静にさせるのがどれほど大変か……」呆れたユースリスが首を振って言う。

 



「暗い話ばかりだったが、良い話もしておこう。今年本部所属者は四十一名に上った。それとソラ・ルリーに癒者の力が現れた」


 興奮冷めやらぬようにしゃべっていた数人も含め、全員が無音になって、談話室は水を打ったような静寂に包まれる。

 ソラは自分に全員の目線が刺さった気がして、背筋が曲がったまま固まってしまった気がした。アラトリア一座にいる時は別として、注目されるのは苦手だった。


「ユースリスいいかい?」


「ええ、構わないわ」


 腕の包帯を解くと、まだ血のにじむ生傷があらわになる。


「ソラ、やってもらえる?」


 ソラはゴクリと生唾を飲み下し、その傷に手をかざす。指先に意識を集中させるかたちで魔力を手に送る。手のひらが日光に照らされたようにふわりと温かくなるのがわかったが、劇的な変化は感じなかった。

 それでもユースリスの傷は端の方から徐々に皮膚が沸き立つように元に戻り、最後には流れだした血だけが残っていた。

 服の裾で血を拭うと、傷を負っていたのかもわからないほど皮膚は滑らかになっていた。


「痛みもすっかり消えてるわ!」


「本当なのか!?」


 呪文なしでの、癒術は信じられないのだろう。誰もが食い入るように見つめた。

 デイビットが目をこすって見た。


「こんな近くで初めて見るなぁ……」


「でも、それって……魔封師でしょ?」ペニュニアが疑うように訊く。「そんな事があるの?」


「こんな事って……」


 ユースリスは自身の腕を触って確かめ、引っ張ったりもしたが、皮膚が裂ける事も捲れ上がる事もなかった。


 確かに魔封師が癒者になる事は多くはない。むしろ数えるほどしか前例がないはずだった。

 理由はいくつかあり、特定は出来ない。

 その一つに、魔封師である者が癒者でないのは、魔物を封じ込める時に反発を起こし、癒やしの力を持つ魔物の方が喰われてしまうからだと考えられている。

 癒者は魔封師と同様、魔物の力を借りている。

 魔物と言っても封じ込めたわけではなく、身体に埋め込まれているような状態で存在している。外見的な変化は何もない。その魔物が普通の魔物と同じであるのか、いつから存在していたのかはわかっていない。


「今頃なんて、ちょっと遅すぎじゃない?」ルーナが言う。


「ちょっと怪我して、それで現れただけみたい」


「怪我?」


 数人の声が重なって返ってくる。癒者の力が現れる事自体珍しい。誰もが興味と好奇心と探究心をくすぐられるものなのだろう。

 ああもうやめてくれ、とソラは頭を抱えそうになった。あまり思い出したくもないし、何となくライアンの視線が突き刺さっている気がしたからだ。


「ほんの少しだよ。傷を癒やす魔物だからそれが嫌だったんじゃないかな?」


 癒者としての力が現れるのは、魔力のコントロールが出来るようになる六歳前後だとソラは記憶している。その例外が自分に起こって少々困惑はしているのだが。


「でも、癒者が増えてくれればさ、苦い薬を飲まずにすむんじゃない……?」


「リヤが亡くなったからよけいになぁ……」


 ソラも頼りにしていたリヤは誰からも信頼を置かれるほど優れた癒術師だった。誰もが一度はリヤのに助けられている。本部での医療を支えていたのがリヤだと言っても過言ではない。その大きく開いた穴は埋めるのに時間がかかるだろう。


「だったら、私が……」

「ねぇ、ソラ。魔物が二体になって痛くないの?」


 ソラが言いかけたところ、ハンナが小さな声で訊いてきた。小声でも耳には十分な衝撃だった。ハンナは去年学校を卒業したばかりで、少し成績も悪かった。さらに魔封師フィガティアでも武器使いアルマトロイでもない。そのためかそちらの知識は一般常識程度しかなく、癒者兼魔封師の者は稀であるという事は少し掘り下げた部分であるため知らなかった。


「今は痛くないけど、いつ反発を起こすかはわからないかな。それに本当は三体いるの」


 隠す事でもなかったが、あまり知られたい事でもなかった。自分の身に少しずつ魔物が増えていくのは少し奇妙で気味が悪かった。

 個人差はあれども魔封師だからと言って、自分の身体に魔物がいる事は心を大きく開いて悠々と受け入れられるものではない。


「痛そう……。ソラのママもそうなんだよね?」


「そうだよ」この事には少しうんざりする。今まで何度も母が英雄の一人だと認識させられてきた。



 母自身何も語ろうとはしないが、それでも周りの反応を見れば偉大である事はわかった。だからと言って子供染みた反抗ではなかった。ただ娘の自分が、英雄である母を知らない事への妙な不安だった。

 だから、母の話になるたびに、話される事が母の姿であるのかわからなくなる。


「遺伝って奴みてーだよな」


「そうなるとソマリにたっぷり調べ上げられるぞ」チャフティが言う。「耐え切る事を祈ってるよ」


「ホントに痛そう……」


 それだけは否定出来ない。魔封師の能力管理職に就くソマリはちょっとした変わり者で、強行突破も厭わない性格をしている。術者が痛がろうと気にもしない。定期健診は誰もが理由をつけて延期しようとするほどにトラウマがある。

 

 

 みんなが口々に噂話をするように話すなか、ウィルキーは耳につけている通信機から何か聞き取っているらしく、右耳に手を当てている。眉根を寄せ、床に視線を向けていたが、何か焦点が定まっておらず頭の中を探っているようだった。

 

 

「そう、魔封師でありながら、というのは非常に珍しい。ソマリの調査が終われば、正式に癒者サナーラティオーとして認可してもらおう。すぐにでもソラは研究室へ行ってくれ」


 ウィルキーは一息つくとクマのある目をしゃきりとさせた。

  

「聴いてくれ。エンケラドゥスが現れた」


 突拍子もない突然の言葉に普通なら信じる事は出来ないが、その真剣な口調と強張った表情から真実だとしか思いようがなかった。


「ルンデリ。スカンジスタのルンデリだと報告が入った」

 

 グレイルはまるで準備運動でもするかのように指の関節を鳴らした。


 エニスは怯えるのをやめ、部屋の中央に少し歩み出た。


 デイビットとジャックは自信があるのか目を爛々と輝かせ、今にも雄叫びでも上げそうな雰囲気だ。

 

 ウィルキー司令長は全員をなだめるように指を立てた。


「少しでも魔気を知る者はわかっているかもしれないが、恐ろしい魔気だ」


 魔人の魔気を感じた事のあるソラは思い出して身震いした。恐ろしい。それを言葉や感情で理解するのではなく、身で実感する。その本能的な恐怖に襲われる。


「誰もがすぐにわかるだろう。だから――」


 ウィルキーが言い終わらないうちにワープタイルから跳びだすように何かが現れた。


「司令長……はぁ……」ふらふらとする研究員が肩で息をしながら言う。「エンケラ、エンケラドゥスが……現れ、ました」


 肺に空気を送り込めず、大口を開けて息を吸っていた。


「わかっている。呼びに来てくれてすまない」少し待ってくれと研究員に手で示し、全員を見渡した。「志願する者は?」


 魔人、それも四大魔人となれば人数も人選も慎重に選ぶが、今は緊急を要していた。

 この集会中に臆病風に吹かれた者は誰一人いない。全員、感情は違えど挑む覚悟はあった。

 

 何も臆する事なく率先して手を上げる者もいれば、目を閉じて考える者もいた。

 ジャックが一番に手を挙げ、相棒のデイビットも続いて挙げた。談話室にいる半数以上が手を上げた。ハンナはトイレに行きたそうに何度も手を上げたり下げたりしていた。

 ソラは手を上げなかった。ソマリのところに行かなければならないからだ。手を上げて無理に押し切ったところで仲間の力を信用していないと言われれば、それはある意味反論出来ない。


「デイビット・ハリス、ジャック=ジャガー・ウェルベン、フリーシア・ルイス、ロザーリア・ジュプトー、ニア・サンプソン、ペチュニア・サリア、ベイリー・ベイカー、ウィル・ウォレス、チャフティ・マックラーゲン、ヴィンス・エリュール、ネイサン・コルトーナ、バートン・カーターソン、ニィミヤ・ヒカガリ、ジェニオラ・アールズで行ってくれ」


その人数は今までにない規模だった。国王の護衛だとしても人数が多すぎるぐらいだ。


「グレイル、ユースリス。申し訳ないが、連絡役として行ってくれ」


 戦闘になった場合、参加させないと言う事らしい。何人かは訝しんだ。

 大人数での戦闘は魔封師がいるかいないだけで、大きな差が出る。それも複数となれば、その差は天と地ほどにもなる。しかし、解放した魔封師が出す魔気が反発し合い予期せぬ事態も起きてしまう。そのためのストッパー役でもあった。

 何より全滅した場合に、帰ってきて状況を伝える役目でもある。


 

「正式任務中である事を示す制服を着る事。油断しないように。では、解散」


 握った拳を左胸にあて、その右手の中指と人差し指を揃えて、額の右端につけてから、跳ねるように前へと振る。

 創立当初からの敬礼で、決意と信念を表している。


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