表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/12

第10話【夕陽に溶けた、芽の涙】

 揺らぎはいつも、日常の喧騒の中で静かに息づく。


 学園祭の笑い声と足音が響く廊下。


 マイクの前に立つ心が、初めて震えながらも開かれる。


 小さな光が、みんなの視線に触れた瞬間、未来への扉が開かれる――。


(AIイラストによる挿絵で、物語の情景をそっと彩っています)

挿絵(By みてみん)


・かすかな気配・


 本選から1週間が経った。


 学園祭が間近に迫る中、綾乃(あやの)(りょう)のお見舞いに病院へ通うのが日課になっていた。


 退院の日が近づくなか、病室の亨は、まだかすれ声だけど、筆談ではなく『ありがとう……綾乃』と小さな声で言えるまで回復していた。


 声は掠れて、息が混じる。


 でも、その掠れは、かつての完璧を追いすぎた声ではなく、温かさを帯びたものに変わっていた。


 まだ完全ではないけれど、少しずつ、声が戻り始めている。


 窓から入る柔らかな光が、亨の顔を優しく照らし、目尻の小さな皺を浮かび上がらせていた。


 綾乃は涙を堪えきれず、亨の手を握る。


「亨さん……声、戻り始めてる」


 亨は弱々しく微笑む。


「君の歌が……喉を動かしてくれたみたいだ」


 その言葉が、綾乃の胸を熱くした。


 指先が震え、亨の手を強く握り返す。


「……いつか、一緒に歌いたい」


 亨は目を閉じて、ゆっくり息を吐く。


 かすれた声で、ほとんど聞こえないくらい小さな声で、「……うん」


 それだけ。


 でも、その一言に、すべてが込められていた。


 亨は綾乃の手を強く握り返し、涙を浮かべながら微笑む。


 病室の空気が、温かく震えているようだった。


 病院を出た綾乃は、(めい)からのメッセージを見る。


「学園祭の設営がそろそろ始まるみたい。クラス合唱のソロパート、みんな綾乃に期待してる! 審査員特別賞+観客賞の自信をみんなに見せてあげて!」


 綾乃は笑顔になる。


(あのコンテストで得たものを……クラスに還元したい)



・重なる息吹・


 翌日の放課後、綾乃も学園祭の準備を進める中、音楽室で芽と二人きりになる。


 窓から差し込む夕陽が、床を橙色に染め、古いピアノの蓋に柔らかな光を落としていた。


 芽が綾乃のギターケースを見て、ぽつりと言う。


「ねえ、綾乃っていつもこのギター持ってるよね。弾けるの?」


 綾乃は少し驚き、恥ずかしそうに答える。


「うん、亨さんに少し教えてもらってるけど……まだ全然下手で」


 それを聞いた芽は、笑顔で続ける。


「実はね……この前、妹が通ってる霧咲(きりさき)高校の学園祭に行ってきたんだけど、ギター弾きながら歌うめっちゃカッコいい子がいてね。声も表情も全部で感情ぶつけてて……見てて胸が熱くなったよ」


 芽の目は輝き、ポニーテールが軽く揺れる。


「ギターとキーボードの二人組だったんだけど、ギターの子はエレキでカッコよく弾きまくってて、キーボードの子は優しい音とコーラスで支えてて……二人で歌うと、感情が爆発するみたいに心に響いたんだ。綾乃もギター持ってるし、弾きながら歌ったら絶対カッコいいって!」


 芽は自分の手を強く握って、笑顔を作りながら続ける。


「私もね……見てたら、また歌いたいって、心から思っちゃった……。綾乃が頑張ってる姿と重なってね、これは絶対に伝えなきゃって思ってたんだ」


 綾乃は芽の目を見て、胸が熱くなる。


 芽の言葉……私の中の「弾きながら歌いたい」という想いを、ちゃんと引き出してくれた。


「芽、いつも応援してくれて、本当にありがとう。ギター、もっとちゃんと練習してみようと思う。歌いながら弾くのって、私もちょっと憧れていたから……」


 芽は目を輝かせ、突然真剣な顔になる。


「……ねえ、綾乃。学園祭の合唱、私もソロパート、入れてみてもいいかな?」


 綾乃は一瞬息を呑む。


 芽の過去の告白を思い出す――小学生の時、「ソロで歌うには声が弱い」と言われて歌うのが怖くなったと話していたこと。


 でも、学園祭で合唱をやることが決まった時、彼女は「一緒に歌おう」と言ってくれた。


 その芽が今、自分からソロを望んでいる。


 綾乃はゆっくり頷く。


「……もちろん。」


 芽は涙を浮かべながら、ぎゅっと綾乃の手を握った。


「ありがとう……綾乃のおかげで、勇気が出たよ」


 綾乃はゆっくり頷き、少し照れながら言った。


「じゃあ……今から少し練習してみない? 私、亨さんに教わったこと、芽にも伝えるよ」


 その言葉を口にした瞬間、綾乃は自分で驚いた。


(私……誰かに教える立場なんて、思ってもみなかった)


 あの雨の夜、声すら出せなかった自分が、今、芽に歌を教えようとしている。 


 芽の顔がパッと明るくなる。


「え、いいの? 今から?」


「うん。音楽室じゃちょっと緊張しちゃうかなと思って……屋上、行ってみない?」


 二人はギターと水筒を持って階段を駆け上がった。


 屋上のドアを開けると、夕陽が一面に広がり、風が優しく髪を揺らした。


 綾乃はギターを抱え、芽を隣に立たせた。


「まずは、息を深く。下腹部を支えて……喉は開けたまま。声が揺れても、怖がらないで」


 芽が恐る恐る息を吸う。


 水筒をマイク代わりに口元に当て、手が少し震えていた。


「……♪ 光の道を……」


 声は小さく、途中で息が詰まった。


 綾乃は優しくギターを爪弾きながら、芽の背中にそっと手を当てた。


「いいよ、そのまま。芽の声は、優しさがそのまま音になってる。私も最初は声が出せなくて、亨さんに同じこと言われたよ。『完璧じゃなくていい』って。あの言葉、芽にもあげたい」


 芽の目が潤んだ。


 二度、三度と歌ううちに、声に少しずつ温かさが乗ってきた。


 歌い終えた芽は、水筒を胸に抱きしめて言った。


「……綾乃、ありがとう。私、初めて自分の声が嫌いじゃなくなったかも」


挿絵(By みてみん)


 綾乃はギターを置いて、芽をそっと抱きしめた。


「一緒に、学園祭で歌おうね。芽の声、絶対みんなに届くよ」


 風が二人の歌の余韻を、街の灯りへ運んでいくようだった。



・学園祭のステージ・


 学園祭当日。


 体育館のステージは、色とりどりの飾り付けと、観客の熱気で満ちていた。


 クラス全員が壇上に立ち、先生のタクトが上がる。


 体育館を埋める観衆を前にした生徒たちは、いつもの喧騒とは異なる緊張感に満ちていた。


 合唱が始まる。


 イントロが流れ、綾乃のソロパートへ。


 綾乃は深く息を吸い、下腹部を支える。


 本選で得た張りのある声で、揺らぎを活かした温かい歌声が響く。


「……♪ 光の道を……」


 声に芯があり、息が優しく混じる。


 会場が静まり、観客の目が綾乃に集まる。


 クラスメイトの顔が、驚きと感動で輝く。


 綾乃のソロが終わると、間髪入れず、芽のパートが続く。


 芽は一瞬目を閉じ、深呼吸する。


 過去が、頭をよぎる。「声が弱い」といわれたあの日の教室の冷たさ……


――でも、今は違う。綾乃が隣にいる。


「……♪ 優しい風が……吹き抜けて……」


 芽の声は、最初は小さく震えていた。


 でも、綾乃の視線を感じ、深く息を吸う。


 フレーズを重ねるごとに、力強さと優しさが混じり合っていく。


 それは、綾乃の揺らぎとは違う、芽だけの「光」。


 観客の胸に、静かに染み込んでいく。


 そして、二人の声が重なった。


 綾乃と芽のハーモニー。


 綾乃の温かな揺らぎが、芽の優しい光を包み込む。


挿絵(By みてみん)


 二人の声が溶け合い、クラス全員が息を呑む。


 そして、自然に全員の声が重なり始めた。


 最初は小さかった響きが、徐々に大きく、力強く広がっていく。


 クラスメイトの目が輝き、涙を浮かべる者もいる。


「一緒に歌おう」と言ったあの日の約束が、今、ここで花開いた。


 拍手が沸き起こり、歓声が体育館を埋め尽くす。


 先生も、目を潤ませながらタクトを下ろす。


 ステージを降りた芽は、涙声で綾乃に抱きついた。


「綾乃……ありがとう。私、歌えたよ……本当に歌えた……」


 綾乃は芽の背中を優しく抱きしめ返し、それからゆっくりとクラスメイトの方を向いた。


 声が少し震えていた。


「……みんな、ありがとう。最初の練習の時、私、全く歌えなかったのに、こうして私の声を待ってくれていたこと、本当に感謝してる。今日、みんなと一緒に歌えて……心から嬉しいよ。」


 その言葉に、クラスメイトから温かい拍手が自然に沸き起こった。


「綾乃と芽のハモリ、最高だったよ!」

「芽のソロ、泣きそうになった!」

 

 いつも声を出すのに苦労していた子も、目を潤ませながら叫んだ。


「私も次はソロやりたい!」


 クラス全体が、笑顔と涙で一つになった。



・未来への招待状・


 学園祭の数日後、綾乃の元に一通の封書が届いた。


 封筒には「第12回 咲良(さくら)町ボーカルコンテスト実行委員会」と金色の箔押し。


 中を開くと、丁寧な文面の招待状。


「水瀬綾乃様

 貴殿の『揺らぎのある歌声』は、会場に温かな感動を与えるものと確信しております。つきましては、入賞記念として来る11月開催の音楽フェスティバル『咲良Bloom(ブルーム) Festa(フェスタ)』にゲストアーティストとしてご出演いただきたく、ご依頼申し上げます。」


 綾乃は招待状を握りしめ、胸が高鳴る。


(あの時の歌声……「声なき歌」が、ちゃんと認められたんだ)



・静かに蘇る音・


 綾乃に招待状が届けられた同じ頃、(はな)は自宅のピアノ室にいた。 


 鍵盤にそっと指を置く。


 綾乃の『声なき歌』のイントロが、頭の中で蘇る。


 震える指で、ゆっくりと最初のフレーズを弾き始めた。


……久しぶりのピアノ。


 指が、思うように動かない。


 かつての華なら、こんな不自由さに苛立ち、自分を許せなかっただろう。


 しかし今、指先から生まれるわずかに乱れた音に、不思議な温かさを感じていた。


 完璧を目指した、かつての自分とは違う、どこか柔らかく息づくような響き……。


 華は目に涙を浮かべながら、小さく呟いた。


「……これが、揺らぎ……?」


挿絵(By みてみん)


 指先が鍵盤に触れるたび、息遣いが混じった柔らかい音が部屋に広がった。


 ミスをしそうになっても、慌てて直さず、そのまま次の音に繋げる。


 初めて、自分の音を「ありのまま」受け止めた。


 そして、久しぶりに感じるこの純粋な喜びに、華は静かに驚いていた。


 ドアが静かに開く。


「……華?」


 母が入ってきた。


 華はハッとして手を止めた。


 母は驚いた顔で、ピアノを見つめる。


「あなたが……ピアノに触るなんて、何年ぶりかしらね」


 華は目を伏せ、唇を噛む。


「……少し、弾いてみたくなっただけ」


 母はゆっくり近づき、華の隣に座った。


「そう……」


 母は優しく微笑む。


「あなたがピアノを怖がるようになったあの日から、ずっと待ってたの。もう一度、弾いてみる?」


 華は迷いながら、鍵盤に指を置く。


 母は静かに続ける。


「咲良Bloom Festaに、うちの教室が協賛することになったの。いま、伴奏者を決めようと思ってるんだけど……」


 母の目には、静かな喜びが浮かんでいた。


 華はゆっくり頷く。


「……考えてみる」


 母は華の肩にそっと手を置く。


「無理にとは言わないわ。でも……あなたの音、久しぶりに聴いてみたい」


 華は鍵盤を見つめ、涙を零した。


(綾乃……私も、変わってみようかな)


 小さな光は、響き合いながら、さらに広がり始めた。

次回予告:第11話【溶け合う響き】(4月21日【金】 20:00公開)


 預けられた夢が、ステージのスポットライトの下で息づく。

 ギターの弦が震え、声が揺らぎながら、みんなの心に届き始める。

 温かな拍手が広がる瞬間。

 小さな光は、永遠に響き始めた――。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

芽の涙が夕陽に溶けた瞬間、クラス全員が一つになったステージ……

「芽の成長に泣いた」「二人のハーモニーを聴いてみたい」など、感想をいただけると嬉しいです。

ブックマーク・評価ポイントも、心から感謝しています。

次回は、みんなの音が溶け合う瞬間です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ