疲れたときに好きなものは甘く浸みる
「ヴィクトリア様、お目覚めください」
泣くのをこらえているようなリラの声がする。
いやあね。また、夜更かしのし過ぎだとか、今日の予定に間に合わないとか、寝坊のお小言を言われそう。……でも、なんで泣きそうなのかしら? リラをつらい目に合わせるような奴がいるなら、どんな豪の者か見てみたいけど、とりあえずとっちめてやらないと。
「リラ」
まぶたを開いたら、目を真っ赤に泣きはらしたリラが思いっきり抱きついてきた。
§§§
「失礼しました」
いつもの調子に戻ったけれど、ちょっと気恥ずかしそうなリラが私の髪を整えてくれている間に、ラリーとサムソンが状況を簡単に教えてくれた。私はかなり長く瞑想状態にいたらしい。
琵琶が鳴りやんで、儀礼の間の壁や床の光が消えても私は目を覚まさず、台座の上で倒れてしまったので、皆、とても心配したそうだ。それは悪いことをした。
「ヴィクトリア様がつけた明かりは消えていなかったので、ご無事だとは信じていましたが……」
台座の上から動かしていいものかどうかもわからなかったので、負傷したヴァントのように寝台に移すこともできなかったのだという。
「ヴァンは大丈夫なの?」
「あの程度でくたばる男なら"灰色の幽霊"なんて二つ名はついていません」
「後で様子を見てあげなきゃ。あれで彼、結構、平気な顔で無理をするし、実は助けてって自分から言えない寂しがり屋なのよ」
「それはヴィクトリア様のことでしょう。少しはご自愛なさることを覚えてください……お身体に痛みはありませんか」
「ありがとう。大丈夫よ」
自分の周りになんだか無駄にいっぱいあるクッションを見て思わず笑みがこぼれてしまった。
こういう最適でなくても真心を感じる気遣いが心地よい。
きっとこれを運んでくれたのであろう相手を探して顔を上げると、目の前に大きな籠を差し出された。
ふわりと美味しそうな良い香りが漂う。急に空腹を感じて、自分のお腹と口の中を意識した。
「おいしそう。食べてもいいかしら」
籠を抱えた黒騎士は、優しくカタリと兜を一つ鳴らした。
§§§
「何か私のこと以外で困ったことはなかった?」
私は麦と豆の粉で作ったパンをミルクと一緒にゆっくりかみしめながら、改めて辺りを見回した。
儀礼の間の中央には、大きな石の"杖"が突き立っている。翼の生えた双頭の蛇の杖。瞑想中に見たモチーフだ。元ジ・ボーダンの像の石片が姿を変えたのだろう。まるで最初からそう彫刻された石のように立っている。
部屋自体はすっかり綺麗に片付いていた。戦闘で削れたり壊れたりした跡は残っているが、床はピカピカだ。持ち手付きのずんぐりしたカップに入れてもらったスープを飲みながら考える。床がピカピカ過ぎないだろうか?
「ずいぶん綺麗にしてくれたのね」
「はい。扉の間のアイツ便利ですね!」
「んんん?」
詳しく聞いてみると、なんと扉の間にいた竜頭の番人の額に宝石を戻して動かしたのだという。
護符持ちのラリーの命令にはある程度従ったということだろうか?
「本当は扉の間で単純な動きしかできなかったみたいなんですが、シャーザーが頑張ってくれたんです」
想定外の話が出てきて思考が追い付かない。寝起きでちょっとまだ本調子ではないのかしら。
「シャーザー……リラのアレのこと? いなくなったんじゃなかったの?」
「と、思ったんですけど」
なんと、落雷の時に、サムソンが持ってた赤い石に入っていたのだという。
「どうも肉の身体が欲しかったのに、それが全部燃えちゃったので、大きな術で吹き飛ばされかけたときに、手近にあった石に憑いたみたいです」
もともと勇者の宝珠と同様の水晶に入っていたシャーザーは、宝石との相性が良かったのだろう。
竜頭の額に石を戻して門番を動かしているときにリラが、嵌めた石の中にシャーザーがいると見抜いたのだと説明された。
「そこにいるなら、さぼってないで働け! って言ったんです」
リラは、魔導師が聞いたら卒倒しそうになるようなことをさらっと言った。
「ほら、シャーザー。出て来てヴィクトリア様にご挨拶なさい!」
リラの影の一部が濃くなって、その中から扉の間にいた番人の竜頭がひょこっと遠慮がちに出てきた。
床に落ちた影の中からするすると現れたそれは、元は青銅の像だったはずだが、どうにも人がましい動きで頭をかいた。
「シャーザー?」
声をかけると竜頭人身の番人は、気後れしているおじさんみたいにペコペコしながら私の前に周って平伏した。
「帰れって言われたのに居残っているのを気にしているんです」
「言葉がわかるの?!」
「なんとなくだけです。ほら、シャーザー。これから心を入れ替えて働くから許してくださいとヴィクトリア様によくお願いしなさい。偉大なヴィクトリア様はお前ごときが仕えるには高貴すぎるお方だけれど、ご機嫌を損ねなければひょっとしたらお目こぼしいただけるかもしれないわよ」
ちょっと反応に困ることを、本調子じゃないときに持ち込むのはやめて欲しい。
どうしたものかと思ったが、リラのために私はやむなく目の前の怪異に声をかけた。
「お前が私にしたことを許す気はないけれど、罪をあがなうというならば、リラに従い、リラを守りなさい」
私やリラに仇なすならば現世、幽世を問わず存在を抹消してやるつもりだ、という私の意思が伝わったのか、シャーザーは細かく震えて、平伏したまま何度も頭を下げた。
「どうもヴィクトリア様に、凄い術で喝を入れられてから、ちょっと頭がマシになったみたいです。自分がやらかしてきたことを自覚してかなり落ち込んでましたよ」
なんと言えばいいのか言葉に困った私を慰めるように、黒騎士はベリーのタルトを差し出してくれた。
酸味と甘みがじんわり染みて、なんだか力が抜けてしまった私の肩を、黒騎士は軽く抱き寄せた。彼の手が控えめに二度軽く前後と左右に振られる。
"そんなに頑張らなくてもいいよ"のハンドサイン。
私は彼のしっかりした装甲に、遠慮なく寄りかからせてもらった。
籠のご飯は新しく貰ってきたものです。
(ベリーは生だと痛んじゃうので煮てタルトになりました)




