守る者、導く者
「なんてこと……」
人形越しに見た光景は、にわかには信じがたいものだった。
巨大な白い蛇のような首と尾を何本もうねらせながら、黒い山が動いていく。
私は、あまりに想定外な事態に目眩を感じた。
『住民の避難を』
なんとか黒騎士にそれだけまず伝えて、必死にフォス村周辺の地図を思い出そうとする。
ルオボ川から荒地に水路を引こうと計画したときに、あの辺りはかなり詳しく調べた。結局、台地の途切れ目にあたる伏鉢山付近の地盤が固すぎて、工事は無理だと断念し、タキリ側からナジェール河の水を引く計画に注力することにしたのだが、計画を変更していて良かった。ルオボ川の現場の者達は全員タキリに行かせて、誰も残っていないはずだ。……が、万一ということもある。
私は療養用寝室を飛び出して執務室に向かった。
「グレン、ムーアを呼んで!」
私一人では判断が狭くて遅い。
療養着の裾をからげて階段を一段飛ばしで駆け上がる。下でリラの悲鳴が上がるが、気にせず執務室に駆け込んだ。
「フォス村開発とルオボの用水計画時の地図を全部出してちょうだい」
椅子に座った私の目の前に地図が次々と広げられる。それらに目を走らせながら、黒騎士の人形を握りしめて私は集中した。
肉体の目が見ている執務室の机の上とは別に、フォス村の光景が脳裏に浮かぶ。黒騎士は私の頼みに従ってフォス村の住人の避難を進めるために、領主館から派遣している部隊のところへ行ってくれたらしい。
『ねぇ! そこにいるのは建築主任ね』
「え? あ??」
突然話しかけられて、馬小屋建築計画のリーダーは目を白黒させていた。無理もない。黒騎士の肩にいる鳥に乗った人形がしゃべるという現象に一般人は慣れていない。だが、ことは急を要する。
『落ち着いて。ヴィクトリアです。この人形は魔導で領主館の私が動かしています』
「ヴィクトリア様!?」
『今、ルオボの現場に人は残ってる?』
「川下り組は昨日のうちに全員タキリに行ったはずですが、ひょっとしたら舟小屋に何人かいるかも」
『そちらは、私達が確認します。あなたは村の人と協力して、今、フォスにいる人を避難させて。物資は無視でいい。できるだけ枯れ底から離れた高台を南へ。トリルと近隣村落には伝令を』
「は、はい」
『村長には、ヴィクトリアはあなた達と共にあります、と伝えて』
「はい、奥様」
『大丈夫。私達はけしてバロールの民を見捨てません』
私の言葉に合わせて、黒騎士が胸をガシンと叩く。
頼もしい。こういうのは私がやるよりも、強そうな武人がやるのが効果的だ。
村人は「"しらんじゃ"様じゃ」「杖石を壊してお怒りじゃ」と騒いでいる。
今、話せない黒騎士ではあの集団をまとめられない。
『ディック、ボー。"石洗い"の家の人に杖石の杖は破損していないから問題ないと村の人を説得させて』
「うえっ?! 俺ら?」
「うん、わかった。ユン君のおじいちゃんだね。行くよ、ディック」
走り出した従者の二人はそれ以上気にせずに、私は黒騎士に地図のイメージを送りつつ、ひとっ走りしてルオボの舟小屋の様子を見てきてくれと頼んだ。黒騎士はカチンと一つ拳で胸部装甲を鳴らして、すぐに月魄を駆って台地の東に向かった。
『フィヨ、飛んで。上から全体が見たいわ』
黒騎士の肩から飛び立ったフィヨはそのまま村の上空に昇ってくれた。東のルオボ川の方に矢のように駆けていく黒い騎馬をちらりと見てから、西の枯れ底方向に目を向ける。
昨日、黒騎士と辿った杖石跡から河の痕跡がどのあたりか見当をつけ、位置関係を整理する。
伏鉢山だった"亀"が大きすぎて現実味がないが、上空からの俯瞰だと全体像が把握しやすい。
西からくる"鱗のある獣"は、思った通り忠実に河の痕跡を遡ってくる。
"亀"は杖石のあった枯れ底方向に向かっている。
1,2,3,4,5……。心の中で数を数えて、それぞれの怪物の速度を確認する。
「グレン。日没まであとどれくらい?」
「一刻程でしょう」
私は地図を選んで、真鍮製のピンを手に取った。
「"鱗のある獣"……長いわね。以後、ケトゥスと呼称します。ケトゥスの現在位置はここ。枯れ底到着予想は日没間際。旧伏鉢山、通称"亀"の進行速度が上がらなければこのまま邂逅は杖石付近になるわ」
ケトゥスの現在位置に刺したピンから、予想進路を指で辿って見せてやるとグレンは肯いた。
「思ったより、猶予がありますな」
「"亀"の能力がわからないわ。うーん、この"亀"って名前は脅威度を低く見積もりがちになるわね。見ればわかると思うけど、全然亀じゃないのよ」
「さようでございますか。では、エレバスではいかがでしょう」
「どこから出てきた名前?」
「こちらの古い地図では伏鉢山の位置にその名が書かれております」
「いいわね。以後、巨大岩石蛇亀をエレバスと呼称します」
私は丸い石の文鎮を地図のエレバスの位置に置いた。
「ムーア、遅参いたしました」
「タキリに引き続きフォスにて非常事態発生。状況を説明します。住民の避難計画を立案して」
「はい、奥様」
さぁ、ここからが正念場だ。ローガン先生がいて欲しいところだが贅沢は言えない。現場は私と黒騎士で何とか支えて見せる。……そう考えて、私の口元に笑みが浮かんだ。
なんだ。かなり状況はいいじゃないか。
§§§
ルオボ川に駆けつけた黒騎士は小さな舟小屋の周りをぐるりと見た。
トールス山系から東西に流れてきた急流が北に進路を変える場所に舟小屋はあった。北のナジェール河に向かってルオボ川を下った小舟は、その後、牛にひかれて川辺を遡ってきてこの舟小屋に戻される。今は小舟は全部出払っていて舟小屋はがらんとしていた。
誰もいないようだと、黒騎士は安心した。しかし、月魄はグイっと頭を川下に振った。
そこに老人が一人いた。舟小屋の番人だろうか。身なりは貧しい。
老人は、川が北に曲がっている角の内側の川原に立って、向かいの岸壁の先の伏鉢山……だったものを見上げていた。黒騎士は老人のところに行こうとしたが、老人のいる位置からは黒騎士から見て対岸に当たる。急流の曲がる角のこちらの岸は深い淵になっていて、馬を乗り入れるのはためらわれた。
主のためらいが手綱越しに分かったのか、月魄は不満そうに前足をカッと鳴らした。
その時、大きな地鳴りと共に、淵の脇の急流の当たる崖にヒビが幾本も入った。
崩れた岩が淵に落下し、大きな水飛沫が上がる。黒騎士は馬首を巡らせすぐ近くにある河岸の大岩の方に馬を駆ると、そこを足場に対岸に飛んだ。
普通なら馬鎧を着た重装甲の馬が全身鎧の騎士を乗せて飛べる川幅ではなかったが、黒い騎馬は虹色の揺らぎを抜けながらひらりと川原に降り立った。
黒騎士はそのまま老人の方に駆け寄って馬上にすくいあげた。
割れた岸壁の合間に音を立てて水が流れ込んでいく。崖の崩落は止まらず、広い川原には次々と大きな波が打ち寄せた。
黒騎士は老人を連れたまま虹色の揺らぎを通るわけにもいかず、やむなく山側に登って水を避けた。
「おお、おお……すまぬな」
どうにか川を渡ってフォス村の方に帰ろうとしていた黒騎士に、老人はこの先に小さな湖があるから、そこの近くで降ろして欲しいと頼んだ。
馬の通れぬような茂みや断崖を避けながら老人の案内通りに山に分け入ると、なるほど青い湖水があった。少し開けた場所に老人を降ろした黒騎士は、本当にこんなところに一人残してよいのかと不安げに老人の手を取って村の方向を指さした。
「いやいや、ワシはここでよい」
黒騎士は振り返って自分が射した方角を見てみた。……ここからでも巨大な岩山が動いているのとその周囲にうねうねと白い蛇のようなものが何本ものたくっているのが見えた。
確かにここの方が村より安全そうな気はする。
それでもこんな何にもないところで長いこと待たせるのは酷だろうと、黒騎士は鞍の荷物入れを探った。ろくに物が入っていない袋の中に見覚えのない瓶を見つけて黒騎士は首をかしげた。
取り出してみると酒だった。瓶の隣に1枚の紙片が入っていて「よくやった!いっぱい奢るぜ」と書かれていた。署名はワルド。タキリにいた男だ。
「ほう。西の酒か」
酒を渡すと老人は目を細めて喜んだ。どうせ自分では飲めぬものなので黒騎士は瓶ごと老人に渡した。
ついでにトリル村で亀を探してくれたお礼にと塩売りから貰っていた岩塩も、酒のアテにと差し出すと、老人は「ほうほう」と愉快そうに笑って、よいことを教えようと告げた。
「あれは、頭が生命、甲羅が不死をつかさどる。頭をみな切り落とせば眠る」
切り落とせと言われて、黒騎士は自分の腰の武器を見た。
鉄棍……打撃武器だ。
よほど当惑が表に出たのだろう。老人は呵呵と笑って「よい、よい」と黒騎士の武器を叩いた。
「これはよい"剣"だ。使えるとも」
いってこい、と老人は黒騎士の背を押した。
「ワシはここで一杯やりながら見ておる」
酒瓶を手に嬉しそうな老人に見送られて、黒騎士はその場を後にした。
空は陰り、日は西に傾き始めていた。




