無茶はしないでと言ったのに
「ヴィクトリア様のお加減はどう?」
「黒騎士殿を見送られてからはお疲れが出たのでございましょう。本日はよくお休みになっておられます」
「そう。よかったわ。これに懲りて、あまり無茶をしないようにしていただけるとよいのだけれど」
リラは主治医と一緒に女主人の不摂生気質を嘆きながら、療養用寝室を後にした。
寝台で大人しく眠っているように見えるヴィクトリアの角が全然縮んでいないことに、リラも主治医も気付いていなかった。
§§§
「あんれ、月?! お前、どうしたいきなり」
領主館の厩舎の前で厩頭は突然現れた月魄号に目を丸くした。
中天の日差しは明るく輝いていて幽鬼や幻が出るような頃合いではないし、見間違えようもない。
月魄は水桶の水をがぶがぶ飲み、それから厩頭の前に来て”さあ、世話をさせてやる”とばかりに、湯気の立つ馬体を押し付けた。
厩頭は訳がわからなかったが、とにかく全部の予定を後回しにして、せっせと月魄の面倒をみた。
大王のように横柄にあれやこれやと要求した名馬は、半刻ほど休息するとまた唐突に虹色の揺らぎの向こうに消えていった。
「帰ってきてくれるのは嬉しいが、あまり無茶なことはせんでほしいなぁ」
使用人一同の嘆きに近い願いは、残念ながら虹色の揺らぎの向こうには届かなかった。
§§§
昼頃に枯れ河の痕跡を見失ってから、二刻ほどたったころ。夕暮れというにはまだ明るい空の下、大きくそびえるガラ大山脈を背景にゆったり流れる大河の河畔に、その白い町はあった。
『見て! 町よ。きっとタキリだわ』
黒騎士は町の手前の河岸で馬を下りた。フォス村から約80リードを、中休みを挟んだとはいえほぼ一気に駆け抜けてきた月魄に水を飲ませてやろうとしたのだ。しかし、月魄は前足で強い抗議の意を表明した。
『ご機嫌斜め?』
カタリ(はい)。
ヴィクトリア人形は、黒騎士に頼んで、丸まって半分眠っている雛ごと自分を月魄の近くに寄せてもらった。
『おつかれさま。よく走ってくれたわね』
人形が小さな手でぺちぺち生身の部分を撫でてやると、月魄はまんざらでもなさそうに鼻を鳴らした。
『また、厩舎に戻ってちゃんと世話をしてもらってきなさいな。今度はゆっくりしてきていいわよ』
ヴィクトリアの許可が下りるや否や、月魄はさっさと虹色の揺らぎの向こうに消えてしまった。
『どうも……あの馬単独で好きなところに行っているように見えるのだけれど……そのあたりどうなっているの?』
カタカタカタ(わからない)。
とにかく、町に行こうということになって、黒騎士は昼下がりの河縁を歩き出した。
黒騎士は、町よりも東にあたる河の上流側から町に入った。河縁には大きな船着き場があったが人の気配はなく、舟もほとんど見当たらない。舟止めの杭は朽ちているし、複数ある桟橋の多くは使われていないようだ。
町の建物は、木の柱に漆喰壁の家と白い石造りの家が半々というところだ。木の家々の漆喰はくすんでいて、戸板や柱の塗装は剥げている。造りの立派な石の家の鎧戸が朽ちていたり、屋根の落ちた廃屋が所々にあったりで、全体的にうら寂しい。大きな馬車が何台も行き交えるような道幅の通りにもひと気はなく、端に筵が敷かれて、なにかの干物がしょぼしょぼと並んでいるのがわびしい。
『それにしても、人が全然いないわね。ここには工事の人手も来ているはずなのだけれど』
通りを歩いていくと、先の方から大勢の人の声が聞こえてきた。
黒騎士は声を頼りに足を速めた。どうやら河の方らしい。
二軒の家の間の細い通りに入ってその先の階段を下りると河原に出た。下流の方を見ると、なるほど、何やら人が集まっている。町の者らしい女子供も遠巻きに眺めているが、中心になっているのは河川工事の男衆だ。櫓で囲われた大きな岩の周りで大勢で何かをしている。よく見ると大岩に幾本もかけられたロープを皆で引いている。掛け声に合わせてロープが引かれるたびに大岩は少しづつ傾いていく。
『あれ、危ないわ。止めに入って』
黒騎士は一つ肯くと、大岩の方に駆けだした。
しかし、男達はそれに気づかずに、ひときわ大きな声を上げて力いっぱいロープを引いた。大岩はぐらりと大きく揺れて、斜めにずれるように倒れた。想定外の方向に倒れ掛かってきた大岩のために櫓が傾ぎ、その方向にいた数人が下敷きになりかけた。
『疾く汝に命ずる。我が力持て、漲り満ちよ。不壊!』
遠隔からの高速詠唱で黒騎士の身体に強化術式の輝きが奔る。
ヴィクトリアの魔導の力を得た黒騎士は悲鳴を上げる野次馬の頭上を飛び越えて、倒れ掛かる櫓の柱ごと大岩に飛び蹴りを喰らわせた。櫓の柱がへし折れ、柱が直撃した大岩にビシリと大きな亀裂が入った。
「うわ……」
一瞬、動きを止めた大岩は、一拍後、真っ二つに割れてそれぞれ別の方向に倒れ始めた。
「わぁああああ!!」
片側の岩はまだ崩れていない櫓の方に倒れ掛かったがもう片方は、河の中にいる男達の方に傾いた。男達は慌てて逃げようとするが、膝上まで水につかっているのでそう素早くは逃げられない。
黒騎士は目にもとまらぬ勢いで折れた櫓の柱をつかむと、倒れる岩の下側に潜って柱をつっかえ棒にして岩の勢いを止めた。
「ひやぁぁ」
男達が這う這うの体で逃げ終わるまで、黒騎士は倒れかかる石をがっしりつかんで支えていた。一番遅い男が仲間に引っ張られながら石の下になりそうな位置から離れたのを見計らって、黒騎士は大岩をゆっくりと人のいないところに引き倒した。
派手な水しぶきが上がった。
人形が濡れては一大事と、黒騎士は鳳雷鳥の雛がどこにいるか辺りを見回した。
黒騎士が駆けだしたときに肩から飛び上がっていた雛は、申し訳程度の小さな羽をパタパタさせながら黒騎士の前によろよろと降りてきた。とてつもなく眠そうな顔をしている。
『ごめんなさい。ちょっと休むわ』
受け止めた黒騎士の手の中で、雛とその上のヴィクトリア人形は、揃ってくたりと倒れてしまった。
おろおろする黒騎士に、遠巻きにしていた男達の中から声がかかった。
「黒騎士の旦那ぁ!」
そこにいたのはいつぞやギリ峠で出会った髭だらけの悪党面の山賊……"野盗将軍"のワルドだった。




