【1.おまえを愛するつもりはない】
トレボロー伯爵の結婚式は、王都の古い大聖堂で堂々と行われ、多くの貴族のほか、一部の王族まで出席するという、たいへん格式高いものだった。
しかし、結婚式が終わり、邸に帰ってくると、当主のブラッドレイは、そういう格式高さをすべてぶっ潰すようなことを平然と宣った。
「おまえを愛するつもりはない」
ブラッドレイはさらさら黒髪を肩まで垂らした、背の高いイケメンだ。
言われた方の妻はドリーローズという。エッセンフィールド伯爵家出身のほんわか、朗らか系の可愛らしい女性だ。
驚いて嘆くかと思いきや、ドリーローズの方はまったく気にしない感じの笑顔で、にっこりした。
「あ、いきなりそう来ます? じゃあ、分かりました。私もです! そういう感じでいきましょう! ノープロブレムですわ!」
ドリーローズの口調ははきはきしている。
だから、言われた方のブラッドレイの方が呆気に取られて聞き返してしまった。
「え?」
「え、じゃありませんでしょう? そう決めたのでしたら、さっそく、その旨一筆よろしくお願いいたします!」
「は?」
「は、じゃありませんわ。こちらの紙にね。『わたくしブラッドレイ・トレボローは契約妻ドリーローズ・トレボローを愛することはない。またドリーローズ・トレボローがブラッドレイ・トレボローを愛さないことを問題視しない』としたためてくださいまし~」
ドリーローズは笑顔のまま、上等な便箋にペンを添えて、ブラッドレイにずいっと押し付けた。
「か、書いてどうするのだ? 何のためにそんなものを?」
ブラッドレイはドリーローズのノリノリな様子に気圧されていたが、便箋は受け取らずに聞いた。
「ええ! ですから、次の文章が大事なのです。『双方に恋人ができても互いに無関心とする』。よろしいですか?」
「双方に恋人?」
「はい、双方に」
「おまえも恋人を作るのか?」
「はい、もちろん! だって、旦那様とはそういう関係を望めないわけでしょう? じゃあ私だって外に恋人を作りますわよ」
ドリーローズの言い方はまったくよどみがない。
ブラッドレイは気味が悪そうにドリーローズを見ながら言った。
「そんなことが許されると?」
「ええ。夫婦なのに、旦那様だけ恋人を作っていいなんて変な話でしょう? その権利は私にもくださいな。平等でしょう?」
ドリーローズがさも当然のように微笑むので、ブラッドレイはたじたじとなった。
しかし、威厳を保とうと胸を反らしながら、かろうじて言う。
「平等か。ふん。わざわざ書くほどのことかね?」
「書くほどのことですわ! 後で『浮気なんて認めた覚えはないぞ』なんて言われたくありませんもの」
「おまえ、恋人がいるのか?」
「いいえ、まだですわ。婚約期間も長かったことですし、私があなたに嫁ぐことはだいぶ前から決まっていたわけです。だから、こと恋愛に関しては実家の監視の目が厳しくて。ずっと田舎に押し込められて。変な虫がつかないようにですけど。おかげで恋愛らしい恋愛を全くしたことがないんですよ」
ドリーローズの目は、まだ経験のない『恋』というものを夢見てキラキラしている。
そもそも、この結婚はトレボロー伯爵家とエッセンフィールド伯爵家の、完全な政略結婚だった。
最近は平和な期間が長く、商業が発展してきたため、一方的な徴税者である貴族に対する民からの抵抗・要望が強くなってきていたのだった。商家に集まりがちな富は貴族統治のシステムを弱体化させようとしていた。力を持った商人や野心ある若者たちはあちらこちらの地域で評議会の設立を要求し、貴族によって一方的に富を収奪されることを抑制しようとしていた。貴族は税を取り過ぎだ、市民に比べて贅沢をし過ぎだ、市民の暮らしを見てみろ――それが彼らの主張だった。彼らは、もっと自由に経済活動を行えるように、もっと暮らしやすい社会になるように、貴族の特権を制限しようとしていた。
だから、貴族も自衛として、いざというときに財力・武力を融通し合えるように貴族間の結びつきを強めようという風潮が起こっていたのだ。
「ですから、やっとですわ! 結婚してしまったから、やっと恋愛できるってわけなの! 楽しみだわ! 侍女たちのコイバナにどれだけ耳を澄ましたことか!」
ドリーローズはウキウキしている。
「はあ……?」
ブラッドレイは変な顔をしている。まさか妻に浮気宣言されるとは思っていなかった。
俺はブラッドレイ・トレボローだぞ?
王宮内の令嬢たちに俺がいったいどれだけ人気か、この田舎娘は知らないのだな?
この俺と結婚できるだけで王宮中の女の羨望の的だというのに、この俺を差し置いて浮気だと!?
最初に『愛さない』と宣言したのは自分だということを完全に棚に上げて、ブラッドレイは胸の奥で憤慨していた。
しかし、ドリーローズは夫が憤慨していることなどどうでもいいようだった。
「残念ながら、現在の貴族をとりまく状況はよくありませんから、私たちは家のために結婚という形をとらなければなりません。社会は変わる――家の結びつきはある意味私たちの生命線――でも、家のために人間らしい豊かな生活まで失うのはよくありませんわよね。私たち夫婦の形はそういうことで。ええ、これは契約結婚です。家のために離婚はしない。でも、それでいいわ。旦那様。お互い、人生楽しみましょうね!」
ドリーローズの顔は晴れ晴れとしていた。
初夜となるその日の夜、一応ブラッドレイはドリーローズの部屋を覗いたが、ドリーローズは平和な顔ですやすやと眠りこけ、ブラッドレイはなんだか拍子抜けしてため息をつき、そっと部屋を後にしたのだった。
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