妹の気持ち
帝国中が喪に伏したようだった。城下町は機能しているが、道行く人々に活気がない。時折、立ち話をしている人たちが話題にしているのは共通して、皇女方の安否だった。嘘か真か分からない内容が飛び交っているのは、城から詳細な情報がないからだ。噂話が好きな者や心底から皇女を気に掛ける者まで、巡回中の騎士に問い詰める者は後を絶たない。おかげで下の隊から仕事にならないと苦情がきているが緘口令が下されている今、一兵の騎士に真実を伝えるわけにもいかなかった。
大広間での巨大魔物及び未明の魔物襲撃から早一週間。フロリアーナ殿下は意識を取り戻し一命を取り留めたが、折れた左腕と失った右足は本人の希望でそのままだった。骨折は長い時間を掛ければどうにかなるだろうが、足は駄目だ。幾人もが説得させようとするが、フロリアーナ殿下が首を縦に振らない。カーリンも、本人が希望しない治療はしないと一点張り。フロリアーナ殿下の希望とはいえ、帝国の皇女を治療しないカーリンの評判は急落し、カーリンの行動も以前より制限され、自由に帝都内を回ることもできなくなった。
もちろん、俺も以前より俺への不満を募らしていた貴族勢がここぞとばかりに退役、もしくは死罪の申し出を皇帝にしている。だが、ここでも皇帝は首を縦に振らないおかげで、未だ執務机に向かうことになっている。
「こちらにサインを」
「あぁ」
波風立てないようにと表立った実労部分は全てアドルフォに任せ、俺はサインするだけのハリボテ騎士団長に徹していた。文句たらたらのアドルフォだったが、あいつの一番嫌いな書類業務を請け負うことでなんとかこの形に収まっている。フロリアーナ殿下の容態はアドルフォもしくはカーリン経由に聞いているが、当然良くはない。気丈に振舞っている様子が分かり、あの時俺がした判断は本当に合っていたのかと何度も考えた。その度に、フロリアーナ殿下の台詞を思い出す。
『私が切らせたの』
あの一言で、俺の首が繋がっている。俺自身もそう思っているし、騎士団全体も詳細は知らないものの「フロリアーナ殿下がザッカルト騎士団長をかばっている」ことは察している。周囲がどういう形で俺に責任を取らせたがっているのか言わずとも分かるが、俺はそれを受け入れるつもりはない。なら、”傷ついた皇女”はどうなるのだろうか。ここでいつも考えが詰まる。
帝国はカーリンに頼ることはしないだろう。現に、当日にテレンツィオ皇太子の反感を買っている。何度かフロリアーナ殿下の元に訪れて話はしているみたいだが、やはりフロリアーナ殿下は首を縦に振らない。頑固な妹の態度にも、テレンツィオ皇太子は煮え切らぬ思いを抱いているはずだ。
クラウディアも、まだベッドから出られる状態ではなかった。熱が下がらず、魘されてあまりよく寝れていないようだ。医師や”貢献者”らも本人の体力次第、絶対安静と診られ、皇帝含む皇族らは見舞いもできず周囲はただひたすらに回復を願うばかりだった。おそらく心のダメージの方が重い。なんせ、目の前に大切な姉が血だらけになったんだ。心優しいクラウディアはきっと、自分のせいだと思うだろう。否定しようにも、事実フロリアーナ殿下の体は無事とは言い難かった
「はぁ」
最後の書類にサインをし終え、俺は大きく椅子に凭れ掛かった。仕事が終わればリッカルドは文句なしとサイン済みの書類を手際よく整理し、ついでとばかりに紅茶を入れてくれる手腕は、嫌みで腹立つが手放せない理由の一つだ。なんせ、リッカルドの入れる紅茶は大層俺の好み通りなのだ。
「失礼致します。リッカルド騎士団長に言伝です」
今俺が剣を握る必要はないし今日はもう休もうと思った矢先、俺への伝言。嫌な予感しかしないが、リッカルドが俺の許可なしに取り付いてしまう。やはり、こいつは俺が上司と思っていないんじゃないか。
「ザッカルト騎士団長、お呼び出しです」
「誰からだ」
「クラウディア殿下です」
「なに?」
クラウディアから?回復したのか。思わず椅子から立ち上がると、リッカルドとドアの隙間から見覚えのある人物が立ってこちらに頭を下げている。クラウディア付きの侍女長だ。彼女が来るということは、個人的な呼び出しということか。
「会いに行って、いいのか?」
すぐに行こうと思ったが、少し戸惑った。こうして俺を指名していたということは話が出来るまでになったということだが、先に皇族らに報告をした方がいいんじゃないか。それに俺がクラウディアに抱く想いの正体が、”血”のせいかもしれないという疑念がまだ消化しきれていない。会いに行って、俺は素直に喜べるのだろうか。
「クラウディア殿下直々の御指名です。貴方様にお会いするまで、皇帝陛下にも皇妃殿下にもお会いしたくないと」
嬉しくも、複雑な申し出だ。クラウディアの部屋の前で皇帝らが睨みを利かせていそうだったが、余計に会いに行かないわけにはいかない。少し立ち尽くしていると、リッカルドが今日はもういいですよ、と何様で俺に許可を出してくる。言い返してやりたいところだが今は無視して、覚悟を決めて会いに行こう。
「すぐに行く」
俺の返答を確認してから、侍女長は廊下で待っていると一度下がった。念のため失礼のない位服か自分の格好を確認し、騎士団長の証である宝剣を腰に差してから俺は廊下へと出た。控えていた侍女長は俺の姿を見るとどこかほっとした顔になり、もう一度腰を折ってから先導してくれる。少し見ないうちに、侍女長は疲れが溜まっているように見えた。
クラウディアの部屋の前に辿り着くと想像していた皇族方の壁はなく、思いのほかいつも通り、ドアの両端に護衛の騎士と控えの侍女が立っているだけだった。クラウディアが回復したというのに、嫌に落ち着いている雰囲気が妙だった。
「殿下は中に。未だ床におりますが、ザッカルト騎士団長なら構わないとのことです」
ドアの前で一度足を止めた侍女長が事務的な口調で話す。ドアをノックする前に手を止め、彼女は振り返る。その顔は痛々しく、周囲の落ち着き様と合わせて、本当はクラウディアは良くない状態じゃないのかと思ってしまった。
「何度か」
侍女長が言葉を切る。
「殿下は熱に魘されている中、何度か貴方様のお名前をお呼びしておりました」
俺の名を、クラウディアが?
「以前より、殿下のお気持ちを知っておりました。身分が違えど殿下が少しでも穏やかにお過ごしになられるのならお力になれることはしてきたつもりです」
上げていた手を下げ、侍女長は真っすぐに俺を見上げる。
「私だけではありません。帝国の者は皆がクラウディア殿下のことを愛しております」
”帝国の者は皆”
その言葉に俺は少し戸惑う。よくないな、この前の”夢物語”のせいで敏感になってる。
「ですから、もし殿下に何かあったときは」
「これで俺を刺せばいい」
俺は腰に下げていた宝剣を外し、侍女長へと差し出す。よほど覚悟を決めて先ほどの台詞を口にしたのか、侍女長は目を見開いて俺と宝剣を何度か見行きさせた。少しためらってから、彼女は震える手で宝剣を受け取った。剣の重みによろめきながらも両手でしっかりと受け止める侍女長をよけ、俺はドアをノックした。
「ザッカルドです」
「どうぞ」
ドアの向こうからは、細いがはっきりとした声が返ってくる。少し待ってからドアを開けると、カーテンが閉められ薄暗い部屋の端、ベッドの横にクラウディアが立っていた。その姿は話に聞いていた弱弱しいものとは違い、いつもの”帝国の聖女”らしく凛とした、でも儚げな笑みを浮かべてこちらを見ている。
「お入りください、ザッカルト騎士団長」
ドアの外で聞こえた声よりもはっきりとした音でクラウディアは答えた。一礼をしてから、俺は足を進める。背中でドアが閉まる音が聞こえ、部屋は俺の足音以外は静寂に包まれた。
久しく会った彼女は病状の中のはずなのに、とてもはっきりとした存在に見えた。部屋着にガウンという簡易な姿ではあったが、真っすぐと背を伸ばして立つ姿はまさに”皇族”らしく、頬を軽く緩ませた笑みはさらに”聖女”らしかった。
「こんな姿で申し訳ございません」
「いえ。もう起きて平気なのですか」
「はい。貴方様にはいつもご心配をお掛けしていて、申し訳ございません」
ゆっくりと腰を折るクラウディアを見ながら、俺は違和感を覚えた。妙によそよそしい。そんな彼女の態度が、嫌な考えに結び付く。もしかして、”建国王”の記憶に目覚めたのか。肩にかけただけのガウンを細い手で直しながら、クラウディアはまた儚げな”聖女”の笑みを浮かべた。
どうしようもなく、不安になる。緊張で胸の鼓動が大きくなる。俺の一言で彼女の何かが変わってしまいそうだった。
「姉のことも、お聞きしました」
しばしの沈黙の後、クラウディアの口からフロリアーナ殿下のことが出てきた。また違った不安が頭をよぎる。今度こそ、咎められるのだろうか。早まった鼓動が更にうるさくなる。真っすぐに向けられた蜂蜜色の瞳から目が離せない。この瞳から軽蔑されたら、”俺”はどうなる。多分、何回か死ぬな。
「お呼び立てしたのは、他でもない姉のことです」
クラウディアは俺を見つめたまま、ゆっくりと近づいてきた。瞳の中に俺の顔が映るほど近くなってから、大きな瞳は伏せられた。それは薄い空色の髪で飾られた小さな頭と共に。
「どうか、我が帝国の第一皇女フロリアーナをお救いください」
クラウディアは俺の前で床に両手を着き、頭を深々と下げた。
「フロリアーナは我がダヴォリア帝国が誇る第一の皇女。彼女なくして帝国の栄光はありません。彼女は成人したばかり。光り輝く未来も多くあります。そんな矢先、あまりにも酷すぎます」
ゆっくりと、だがはっきりと落ち着いた声が部屋に続いて響く。
「ザッカルト騎士団長。貴方様なら、」
一度言葉を切り、クラウディアは頭を上げた。続きの言葉は分かっていた。俺なら傷を癒せる。その事実を彼女は身を持って知っている。
「勝手とは承知しております。貴方様が置かれている今のお立場も重々理解しているつもりです。ですが、私はこうして頭を下げることしかできません」
もう一度、小さな頭が下がる。
「どうか、、、お願いしますっ、、、フロリアーナは、、お姉様は私を庇って、あのような、、、」
頭が伏せられた小さな体が小さく震え始める。あの日、どういう状況でフロリアーナ殿下が瓦礫の下にいたのかは想像できた。皆あえて口にしなかったのは、こうなると分かっていたからだ。帝国が誇る皇女。光り輝く未来。それは自身にも言えることなのに、自分をよそにフロリアーナ殿下のことを想う我が帝国の聖女は、必ず自分を責める。
「私のせい、なんですっ、、、私が、あの時っ」
顔を上げたクラウディアの大きな瞳から、涙が零れ始めた。揺れる蜂蜜色の先に、俺はほかの者を見た。
”貴方様のお力を、お貸しください”
聞きなれた少し高い声が頭に響いた。懇願するクラウディアの小さな体に、声の主の影が重なる。
”貴方様ほどの力があれば、きっと”
かつての建国王だ。彼女と同色の瞳を持つ伝説物語の登場人物。
「なんの力も持っていませんが、私に何かできることがあるのなら、なんでもしますっ」
彼も、同じ様に龍王へと懇願したのだろうか。
「私はいつも、守られてばかりっ、、だからっ、何かお役目をっ」
こうやって、自分の無力さで心を痛めたのだろうか。”龍王”は、どうしたんだろう。
何か役目をというのなら、クラウディアには大役がある。伝えれば、彼女は誉とばかりに喜ぶだろう。自分も誰かの力になれると、何の力も無いだなんて悲しむこともないのだろう。だが。
「チェーザレ様っ」
「何も、ない」
俺はそっと抱きしめた。
言えるはずがない。震える肩も、小さくなる声も、今にも消えてしまいそうなのに、彼女は全てを背負おうとする。俺の腕にすがる小さな手が救えるのはほんの一握りしかないというのに、全てを救おうとする彼女の誇り(きもち)に、応えたらきっと彼女は壊れてしまう。それは、だめだ。そう思うのに。
「っ、、なら、お姉様をっ、、、リリー、お姉様を、、」
濡れた蜂蜜色が俺に懇願する。また、胸が鼓動する。今度は血が沸き立つように、体の奥から熱を帯びてくる。つい先日まではこれが俺自身の熱と思っていたが、今は。
「できない」
想いとは裏腹、思考を焦げつくすような熱が信じられない。
「っ、、、ど、うして」
「フロリアーナ殿下の傷は重い。あれほどのものを治すということは、あの時以上のことをフロリアーナ殿下にするということだ」
思った以上に事務的な声だった。俺の言葉にクラウディアは大きな瞳をさらに見開く。言葉に嘘はない。だが、それ以上にあの甘美な治療をクラウディア以外の者にするつもりもなかった。
「クラウディアは、俺にフロリアーナ殿下と体を重ねろと言うのか」
「そんな!」
ひどい言い方だと分かっている。信じられないと俺を見上げるクラウディアの瞳から涙が溢れても、俺の気持ちが変わることはない。そう思うと、”血”が騒ぐほど、頭が冴えてきた。
「俺は、クラウディア以外に触れるつもりはない」
たとえこの感情が、
「貴女以上に」
”龍王”のものであっても。
「愛する人はいない」
俺はクラウディアを愛している。この気持ちに嘘偽りはない。
筋書き通りにすれば、きっとクラウディアの希望通り、主人公の一人になって帝国のために使命を全うするだろう。だが、そんなことはさせたくない。こんな想いをさせないようにどこかに閉じ込めてしまいたい。でも、空の下で同じ色の髪を揺らしながら自由に羽ばたかせてやりたい。外の世界に行きたいというのなら、どこへでも連れて行ってやりたい。そんな矛盾な感情を持つぐらい、思考が狂うぐらい。
「ディ」
愛してるんだ。決められた物語なんて、俺が壊してやる。
「チェ、んっ」
涙で濡れる頬に手を添え、俺は半場無理やりクラウディアの唇を塞いだ。最初は固まっていたクラウディアだったが、少しして抵抗をしてくる。それを抑え込むように腰に回した手に力を入れて、口づけを深くする。
甘い。クラウディアの足に口づけをした時よりも、より強く、濃い。もっとと欲深く欲するのに、不思議と深みに嵌るような感覚はない。
「はっ」
ゆっくりと、口を外す。熱くなった息がクラウディアの薄い唇から漏れそれが俺の頬を掠めるぐらい近くで、俺はクラウディアを見つめた。まだ瞳は涙で濡れている。蜂蜜色の奥に赤い光が反射して揺らぐ。突然の口づけに彼女の甘い色の瞳が戸惑い、悲しみ、そして何かの感情が溢れ出していくのが分かった。
「ぁ、、あぁあ!」
ついにクラウディアは声を上げて泣き出した。崩れ落ちる小さな体を更に抱きかかえ、強く、でも壊れないように腕の中に閉じ込めた。俺の腕の中で、小さな両手を使った胸に縋りつき、クラウディアは何度も繰り返す。
どうして。なんで。あの時。私が。
自身を責める言葉が涙と共に吐き出される度に、俺は腕の力を強くした。嗚咽の中で、クラウディアが小さく呟く。
「ごめん、なさい」
誰に、何に謝ったのか分からない。彼女が謝る必要なんてどこにもなかった。それでも自身を責めずにはいられない彼女が、愛おしくて、苦しかった。どんな言葉もクラウディアを更に苦しめる気がして、言葉が出てこない。腕の力を込めても、小さな頭を撫でても、愛しい人の震えは止まらなかった。
自責の言葉も、謝罪の言葉も、彼女の感情全てを受け止めてもいいと思うのに、恐らく彼女はそれを望まない。それが分かってしまい、そんな彼女も愛していて、ただただ抱き締めた。
それからしばらく、クラウディアの震えが収まるまで俺はずっと彼女の頭を撫で、時折口づけをしては、再度腕に閉じ込めた。それは、日が傾き、月が高いところに登り、沈み、朝日が昇るまで続いた。




