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 薄暗かった横穴の中は炎で赤く照らされていた。悟空が集めてきた枝で火をおこしたのだ。


「この雨はとうぶん止みませんから、今夜はここで休むことにしましょうか」


 そう言って悟空は涼香に布の包みを手渡した。


「これは?」

「托鉢でもらってきた食糧と、そこらでとってきた果物ですよ。どうぞ、食ってください」

「悟空は?」

「俺は食ってきたんで、気にしないでいいですよ」

「そうですか……ありがとう、ございます」

「いえいえ」


 包みの中には、干し飯や饅頭が果物や木の実とともに入っていた。水の入った竹の水筒も渡され、涼香は礼を言って受け取った。

 壁際に座ったまま、もそもそと食べはじめる。

 雨はざあざあと降りしきり、横穴の中は木がはぜる音が響く。

 炎を挟んで対面に座る悟空は酒らしき物をちびりちびりとやっていた。


(……気まずい)


 沈黙がいたたまれない。だが、仲良くなりたいわけではなく、いつも涼香はこの沈黙を持て余していた。


(何を喋ったらいいのかわからないし、変なことを口にするのは避けたいし)


 結果として涼香は沈黙を続けるしかなく、自然、会話の糸口は常に悟空の方からである。


「――うまいですか?」


 丸い果実を口にしたところで話し掛けられ、涼香はあやうく喉につまらせかけた。慌てて竹筒に入った水を飲み、なんとかことなきを得る。


「……おいしいです」


 クックッと笑う妖を睨みながら、涼香は憮然と答えた。果実は梨に似て甘く汁気たっぷりで、涼香の好みにあっていた。


「それは良かった」


 悟空は涼香の言葉を聞き、柔らかく微笑む。その表情を見て、ふと、この実は悟空がもいできたのかもしれないと思う。すると何故か恥ずかしくなり、涼香は目線を落とす。

 三つあった果実の一つを手に取ると、悟空を見た。


「……ええと、どうぞ」


 いらないと言っていたのに、つい差し出してしまう。自分でも何をしているのかわからないが、とにかく気恥ずかしく、何かをしなければ落ち着かなかったのだ。

 一瞬きょとんとした悟空は再び先ほどの笑みを浮かべると「投げてください」と言った。言われた通りに投げると、危なげなく受け取り、かじりつく。

 たったの三口で食べおわると、悟空はぺろり、と指についた果汁を舐めながら涼香を見やった。


「うまいですね」

「……ええ」


 心をざわめかせる金の瞳から目を逸らし、涼香も果実を口にする。

 雨音と、時折はぜる枝の音と、火の粉が舞う音。

 静かな空間の中に漂うのは、息がつまるような攻防の気配。

 しゃく、ともう一度果実をかじりながら、涼香はこの先の道程に心を向けていた。

 旅の果てに何があるのか。只人の身には、予想もつかない。

 今はただ、一時の休息に浸かるのみであった。



   *****



 西へ、西へ。


 さらに数日がたち両界山をこえた二人は休息をとっていた。木の根元に腰を下ろして涼香はぐったりとうなだれている。


「どこかで馬を調達したほうがいいですね」


 疲労を濃く滲ませた涼香の様子を眺め、考えを巡らせる表情で悟空は言う。しかし、涼香は首を振った。


「い、いえ……そんな贅沢など、とても」


 顔は青白く声も擦れているが、口調は強い。馬は非常に高価なのだ。

 そもそも、妖が現実に存在するこの世界において、人の暮らしぶりは過酷なものである。痩せた土地を汗水流して開墾しても、作物のほとんどは税に取られ、人々の生活は一向に良くならない。なんとか畑を広げて暮らしが落ち着いても、妖やならず者に襲われればまた一からやり直しである。

 そんな中、痩せた馬でも持てるのは、邑の長か多少は裕福な者くらいで、旅に使えるような馬ともなると、お偉い貴人か役人か、といったところであった。

 元は孤児であり、つい先頃まで見習い坊主として貧乏寺に住んでいた涼香が固辞するのも当然であったが、妖は人の理など気にしない。

 腕を組み、困ったと呟く。


「贅沢かどうかはどうだっていいんですけどね。問題はここらにいい馬を持ってるヤツがいそうにないんですよね」

「……持っていたらどうしたんですか」

「ちょっと遠出して、というのはお師匠さんが心配ですしね」

「まさか、持っている人がいたなら盗みを……」

「困りましたね」


 涼香の言葉をことごとく無視して悟空は考え込む。

 涼香は顔を引きつらせ、そんな悟空を見ることしかできない。

 と、そこへ白い兎が藪から飛び出してきた。


「おや」


 かわいらしいその姿に涼香は頬を緩ませる。兎はひくひくと鼻を動かし、円らな瞳で二人を見た。


「あれは……」


 悟空が腕組みをとく。兎はもう一度二人を見て出てきた藪に飛び込んだ。


「追い掛けましょう、お師匠さん」

「え」


 この世界は西遊記であって不思議の国じゃないのに? と疑問に思いつつも涼香は悟空と共に兎を追った。

 すると、木立の間に栗毛の馬が立っていたのである。


「ええ? なんでこんな所に馬が……」

「おそらく、山賊か妖に襲われたヤツがいたんでしょう。ほら、人に慣れているし、鞍もついている。いったいいつからここにいるのかはわかりませんが、丁度良かったですね」

「丁度良かったって……」


 あまりにも都合がよすぎて涼香は困惑する。この世界がそんなに優しくないことは、十年前に噛み締めている。

 そんな彼女に悟空は馬のたてがみを撫でながら笑う。


「あの兎。あれは土地神の遣いだったんですよ」

「え。土地神様の?」

「ええ。おおかた俺達の話を聞いて、気をきかせてくれたんですよ。ありがたくもらっておきましょう」

「……そう、ですね」


 そういうことなら、と涼香は頷く。悟空に促され間近に寄ってみると、馬は円らな黒い瞳でなかなか可愛らしい。


(……ちょっと、あの子に似てる、かな)


 そっと手をのばし、鼻先を撫でてもじっとしている。どうやらおとなしい気性らしい。


「さて、これで問題はあと一つだけですね」

「あと一つ?」


 小首を傾げる涼香に悟空はにやりと笑ってみせる。


「お師匠さん、馬に乗ったことはないでしょ? いざという時にそなえて、駆け足ができるくらいになってもらいますからね」

「……え」


 楽しげな悟空に何故か嫌な予感を覚え、涼香は顔を青ざめた。

 その予感は的中し、悟空の厳しい訓練になんとか乗るだけならできるようになった時、涼香は動けないほど疲れていた。

 生きる屍のような涼香を心配したのか、栗毛の馬が鼻面を寄せる。


「ありがとう、リョータ。お前は優しいね……」

「おや。まるで俺が優しくないような口振りですね」

「…………」


 無言で目を逸らした涼香を軽く睨みつけて、悟空は「それはそうと」と、首をひねった。


「リョータ? 変わった名前ですね」

「……ええ」


 静かに頷き、涼香は馬――リョータの鼻先を撫でた。


(涼太……)


 懐かしい前世の弟の笑顔が、ぼんやりと瞼に浮かんでいた。




 かくして馬を手に入れた涼香達は、さらに西へと歩を進める。そして、烏斯蔵国。三蔵の三人の弟子の一人、猪八戒がいる国に着いたのであった。

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