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天竺への旅を続け烏斯蔵国に着いた涼香と悟空は、高老荘という邑に立ち寄った。
なかなか活気のある邑で、馬上で涼香はにこりと微笑む。
「いい邑ですね」
「ええ、まあ。そうですね」
しかし、悟空は涼香の言葉に気の無い返事を返しつつ辺りを見回していた。
「……どうかしたのですか?」
「いえ……どうも妖の気配がするような。お師匠さんも気をつけてください」
「妖の……」
明るい雰囲気に気を緩めていた涼香はぎくりと身体を強張らせた。悟空がついているとはいえ、妖は怖い。
緊張にごくりと唾を飲む涼香の前に、一人の村人が進み出た。
「もし。旅のお坊様。今夜はこの邑で過ごすおつもりでしょうか?」
「ええ、そのつもりですが……なにか?」
にこやかに話し掛けられ、涼香は戸惑いながらも答えた。
「ああ、やはり。いえ、実は私は商いを営んでいる高大公と申す者で。今夜は是非に私の家にお泊まりになってはいかがかと」
「……あなたの家に?」
「はい。是非とも」
高大公と名乗った壮年の男は両手をもみ合わせ、笑顔で「お坊様のありがたい教えをお聞きしたいのです」と続けた。
そういうことなら、と涼香も笑顔で頷く。
「わかりました。お邪魔させていただきます」
「おお! ありがとうございます! ささ、こちらでございますよ」
早速案内を始める高大公について行こうとして、涼香は首をひねった。
「悟空?」
猿の大妖である青年が妙におとなしい。不思議に思う涼香に、なにやら考え込んでいた悟空はゆるりと首を振ってみせた。
「いえ。取り敢えずついて行ってみましょう」
「え、ええ」
いったいどうしたというのか。もう一度首をひねり、涼香はリョータの手綱を引いて先を行く高大公の後を追った。
*****
高大公の家はなかなか大きく、商売はうまくいっているようだった。
「さあさあ、どうぞ中へ」
「ええ、お邪魔いたします」
「お師匠さん。ちょっと待ってください」
勧められるまま中に入ろうとした涼香を悟空が止めた。皮肉げな笑みを浮かべて高大公を見やる。
「ど、どうなさったのですか?」
「どうなさったのですか、ねえ。白々しい。あんた、こんな妖の匂いがぷんぷんしてるとこに俺達を連れてきて、どうするつもりだ?」
「妖!?」
ぎょっとして涼香は高大公から一歩離れた。高大公はそんな涼香を見ることなく、苦々しく呟いた。
「やはり、妖か……」
「高大公、これはいったい」
「お助けください、お坊様!」
問い質そうとした涼香を遮るように、高大公は頭を下げた。
「私は……いえ、私の娘は豚の妖に苦しめられているのです!」
「娘さんが……豚の妖に」
高大公の言葉に涼香は目を見開いた。どこかで聞いたような気がする話だった。
ひとまず話を聞くことになり、涼香と悟空は高大公にもてなしを受けていた。
お茶をふるまい、高大公は切々と話しだす。
「私の娘は翠蘭と申しまして、それはもう親のひいき目なしで美しく育ちましてね。妻は早くに亡くなり私が男手一つで育てたのですが、美しいだけでなく気立てもよく育ってくれまして。これなら良い婿を迎えることが出来るだろうと思っていたのですが……うう」
袖口で目頭を抑える高大公の姿に、涼香は痛ましく思いながら躊躇いがちに尋ねた。
「その……豚の妖が?」
「はい。翠蘭を無理やり妻にして、そればかりか私の家を乗っ取るつもりなのか、我が家に住みつく有様で」
ううう、と再び涙を拭う高大公。すっかりと同情しながら涼香は物語を思い出していた。
人間の娘に無理やり婿入りした豚の妖といえば。
(猪八戒、だよね)
悟空と並び、三蔵の弟子になるはずだった妖だ。ならば、懲らしめるのもやむなし、だろうか。
(だって……三蔵は、もう)
ちらり、と傍らに座る悟空を見やる。悟空はなにやら難しい顔をしていた。
「悟空?」
「はい? なんですか、お師匠さん」
「い、いえ、何も」
しかし、涼香が声をかけると笑みを浮かべて返事をする。気のせいだったのだろうかと涼香は再び前を向く。そんな涼香に、ともかく、と高大公は涙を拭いながら言った。
「お坊様。是非ともあなた方にあの妖を退治してほしいのです」
「退治……ですか」
高大公の訴えに涼香は悩みながら口を開いた。
「そう、ですね。この家から出るように話して、場合によっては懲らしめれば……」
「そんな、生ぬるい!」
涼香の言葉に高大公は声を荒げて卓に拳を叩きつけた。がちゃん、と茶器が音をたてる。
「あの豚めの首を切り落とし、始末してやって下さい」
「く、首を……」
なんて過激な、と涼香が驚くと、高大公はハッとしたように表情を取り繕った。
「す、すみません……娘の苦しみを思うと、つい……」
「ああ……なるほど」
娘を思う父親の親心、というものだろうか。納得する涼香に、更に高大公は言い募る。
「ですから、どうかお願いいたします。あの妖を退治して下さいませ」
「それは……」
涼香は困って眉をひそめる。相手はおそらく猪八戒。さすがに退治は出来ない。
心苦しいがここは断ろうと思った時、今まで沈黙していた悟空が口を開いた。
「あー、なんだ。あんたの言い分はわかった。けどな、今は引いてくれ。なにしろお師匠さんは長旅で疲れているんだ。早く休ませたい」
「おお、これは気が付きませんで」
悟空の言葉に高大公は謝罪し、「では話はまた後で改めて」と言い置いて部屋を出ていった。
扉が閉まり、しばらく間を置いてから涼香は悟空を見た。
「悟空。あの話は断ろうと……」
「ええ。お師匠さんがそう言うつもりだったのはわかってます。俺も同じ意見ですよ。あの男、うさんくさすぎる」
「うさんくさい? どこがですか?」
「どこもかしこもですよ。だいたい、隠し事をしているヤツにろくなのはいない」
「隠し事、ですか?」
「ええ。それが何かはわからないですけどね、あいつは何かを隠して自分に都合のいい様に言っている。――そんな気がします」
そうだろうか。娘を思い泣いていた高大公からは、親心しか感じなかったのだけれど。
しかし、それならばどうして、と涼香は首をひねった。
「なら、やはりここに留まるわけにはいかないのでは? どうして止めたんです?」
「やだなあ、お師匠さん。決まっているでしょう」
爽やかな笑顔で悟空は続けた。
「せっかくだから歓待を受けて、今夜一晩ゆっくり考えてから断りましょうよ。きっと晩餐も豪華でしょうし、お師匠さんの疲れもとれますよ」
「……それが狙いですか」
ちゃっかり者の弟子の言葉に、涼香は呆れた顔をしたのだった。




