第二話「閉ざされた市場」
重厚な石造りの東門をくぐると、商業都市オルバールの重苦しいざわめきが鼓膜を打った。
石畳の目地に馬車の車輪が擦れる鈍い軋み、荷車を引く人夫たちの嗄れた怒号、遠くの鐘楼から響く陰鬱な鐘の音。
城壁の外に広がるのどかな畑とは対照的に、街の中はどこか息苦しく、焦げた石炭と饐えた残飯の臭いが淀んでいた。
リツは背負い籠の麻紐を肩の骨に食い込ませながら、大通りを中央市場へと歩を進める。
籠の中には、今朝収穫したばかりの赤丸トマトと滋養キャベツが、冷涼な露の香気を微かに漂わせていた。
行き交う人々は皆、うつむき加減に足早に通り過ぎていく。
擦り切れた麻布をまとった下町の住人や、傷ついた革鎧を繕った冒険者たちの顔色は総じて青白く、眉間には疲労の色が深く刻まれていた。
それも無理のない話だった。
大通りの両脇にひしめく商店の軒先を覗き込むと、並べられている食料の惨状にリツは思わず足を止めた。
(……これが、大都市の市場で売られている野菜なのか?)
木箱に盛られているのは、いつ収穫されたのかも見当がつかないほど萎びた人参や、外葉が茶色く腐敗したキャベツばかりだ。
芋はしわが寄り、所々から白っぽい芽が伸びている。
鮮度は完全に失われ、水分も大地の甘みも抜け落ちた残飯のような野菜たち。
それにもかかわらず、手書きの木札に記された値段は常軌を逸していた。
小さな古人参が一本で銅貨二枚、変色したキャベツが半玉で銅貨四枚。
日雇い労働者の日当が銅貨十枚から十五枚程度だというのに、これではまともな野菜を日々の食卓に乗せることなど叶うはずもない。
痩せた子どもの手を引いた母親が、小銭入れの中のわずかな銅貨を指で数え、重いため息をついて立ち去っていく姿が視界をよぎった。
前世の記憶をたどれば、中間搾取組織が不当に流通を牛耳り、市場を独占した時に起こる典型的な流通崩壊の縮図だった。
この都市オルバールにおいて、その元凶となっているのが『中央青果ギルド』である。
都市内で流通するすべての農産物は、ギルドの認可を受け、ギルド直轄の査定所を通さなければ販売が許されない。
違反すれば密売の重罪と見なされ、作物は没収、当人は容赦なく地下牢へと送られる。
独占が生み出した傲慢と腐敗が、街全体の活力を根こそぎ奪い取っていた。
中央広場の一角に構える、巨大な石造りの青果ギルド荷受所。
そこには近隣の農村から粗末な荷車を引いてきた農民たちが、不安と恐怖をにじませた表情で列をなしていた。
リツもその列の最後尾に並び、静かに自分の番を待つ。
受付の頑丈な樫の木カウンターの奥では、脂ぎった顔をした恰幅の良い査定員の男が、退屈そうに羽ペンを回していた。
農夫たちが差し出す作物を、査定員は手にした棒切れでつつき回しながら、ぞんざいに撥ねつけていく。
「はい、形が不揃いだから半値。次は小粒だから三割引だ。文句があるなら荷を引いて帰れ、よそじゃ一文にもならんぞ」
農夫たちは固く拳を握りしめながらも、ここで逆らえば来季の出荷契約すら打ち切られる恐怖から、悔しさを押し殺して差し出されたわずかな銅貨を受け取っていた。
買い叩きなどという生易しい行為ではない。
農民の汗と血を吸い上げる、冷酷無比な組織的搾取だ。
やがて、リツの番が回ってきた。
「次だ。……おい、見ねえ面だな。荷を台に乗せろ」
査定員が顎でカウンターの上をしゃくった。
リツは背負い籠を静かに下ろし、野菜を保護していた濡れ布をゆっくりとめくった。
その瞬間、淀んだ荷受所の空気が一変した。
朝露をまとった深紅のトマトが、薄暗い空間の中で宝石のような光彩を放つ。
傷一つない張り詰めた薄皮、青々とした力強いヘタ、そして漂い出す濃厚で甘酸っぱい芳醇な香り。
隣に置かれたキャベツは、幾重にも重なる濃緑の葉が固く巻き込み、まるで大地の彫刻のように美しい。
「な、なんだこれは……」
査定員の手から羽ペンが転がり落ちた。
並んでいた他の農夫たちや、荷運びの男たちまでもが作業の手を止め、リツの籠を凝視している。
査定員は震える指先でトマトを一つ持ち上げ、食い入るように眺め回した。
「傷も虫食いもねえ……それにこの瑞々しさと張り、王都の貴族街へ納める特級品ですらここまでの代物は滅多に拝めねえぞ。おい、お前、これをどこの大農園の温室から盗んできた?」
「盗んだりするものか。俺が城壁の外、東街道沿いの畑で、土を一から作り直して育てた野菜だ」
リツが静かに告げると、査定員は疑わしげに目を細めた。
そして、カウンターの引き出しから分厚い出荷登録台帳を取り出し、乱暴な手つきでページをめくった。
「東街道……あそこはただの岩交じりの荒れ地だ。あんな場所でこんな見事なものが育つはずがねえ。……それに、お前の名前は何だ? ギルドの正規鑑札番号を出せ」
「鑑札は持っていない。今年開墾を始めたばかりの独立農民だ。今日が初めての持ち込みになる」
リツが事実を告げた瞬間、査定員の表情から驚愕の色が急速に消え去った。
代わりに浮かび上がったのは、品性のない嘲笑と露骨な侮蔑だった。
男は手にしていたトマトを乱暴にカウンターの上に放り出すと、革張りの椅子に深く背を預け、冷え切った視線でリツを足先から頭までなめ回した。
「なんだ、無鑑札の野良百姓か。驚かせやがって」
「無鑑札だと、正当な価格で買い取ってもらえないのか?」
「規則だ。オルバールの市場で野菜を売るには、ギルドに加入して高額な鑑札料を納め、毎月の組合費を支払い続ける義務がある。鑑札も持たねえ流しの持ち込みなんぞ、門前払いに決まってるだろうが」
査定員はわざとらしく両手を広げてみせ、肩をすくめた。
周囲の農夫たちが痛ましげな同情の視線をリツへと向ける。
だが、査定員の話はそこでは終わらなかった。
男は脂ぎった舌先で唇を舐めると、カウンター越しに身を乗り出し、ねっとりとした濁った声を潜めた。
「……だが、まあ、俺も鬼じゃねえ。せっかく重い荷を背負って運んできたんだ、特別に情けをかけてやるよ」
「情け?」
「そうだ。本来なら無許可持ち込みとして全量没収の上で衛兵に突き出すところだが、お前のその荷――トマト二十個とキャベツ十玉、全部まとめて『銅貨三枚』で引き取ってやる」
耳を疑うような言葉だった。
銅貨三枚。
それは、都市の東門を通過する際の通行税とほとんど同額だ。
種苗屋で買った売れ残りの苗代すら回収できない。
この極上の野菜三十個を、市場の片隅で売られている古人参一玉半の値段で掠め取ろうというのだ。
「ふざけているのか? この品質なら、市場で一つ銅貨二枚でも飛ぶように売れるはずだ」
リツが低く硬い声で問い返すと、査定員は勝ち誇ったように喉を鳴らした。
「売れるさ。うちのギルドが高級貴族や大商人たちへ銀貨で卸せば、大儲け間違いなしだ。だがな、小僧、それは『うちのギルドが売るから』だ。鑑札も持たねえお前が、都市内で勝手に売り歩いてみろ。即座に治安維持違反で衛兵に捕縛され、全財産没収の上で地下牢行きだぞ?」
査定員はカウンターを力任せに叩き、嘲笑を投げつけた。
「持って帰ったところで、野菜なんぞ数日で腐るだけだ。銅貨三枚でも金になるだけありがたいと思え。嫌ならその生ゴミを背負って失せろ!」
男の細い瞳の奥には、リツが屈辱に耐えかねて銅貨三枚にすがりつくのを確信している光があった。
これまでにも、こうして無力な農民から富を巻き上げてきたのだろう。
組織の壁を盾にした、冷徹な強奪そのものだった。
だが、リツは怒りに任せて声を荒らげることはしなかった。
深く息を吸い込み、冷徹に男の顔を見据えた。
「断る。自分の育てた作物を、そんな汚いやり口で買い叩かれる筋合いはない」
リツはトマトを優しく拾い上げ、キャベツとともに背負い籠へと戻した。
手早く濡れ布を掛け直し、麻紐をしっかりと結ぶ。
「なっ……おい、正気か!? 持って帰っても腐らせるだけだぞ!」
査定員が慌てたように身を乗り出したが、リツは一瞥もくれず、背負い籠を背負い直した。
肩にかかる確かな重みは、リツが注いだ時間と愛情そのものだ。
これをこんな腐った連中の懐を肥やす道具にさせてたまるか。
「腐らせたりはしない。本当に美味いものを、本当に求めている人へ届ける方法を自分で見つける」
リツは踵を返し、中央市場の出口へと歩き出した。
背後から査定員の罵声が怒号となって追いかけてくる。
「後悔するなよ! 二度とこの市場の敷居を跨げると思うな! 飢え死にしやがれ!」
市場の外へ出ると、正午近い日差しが石畳を容赦なく照りつけていた。
道行く人々は相変わらず疲れ切った顔をし、露先の腐りかけた野菜を値踏みしている。
都市の内側は、ギルドという強欲な怪物の胃袋に呑み込まれていた。
ここで正攻法の商売を挑むことは不可能だ。
だが、だからといって引き下がる気は微塵もなかった。
都市の中で売れないなら、都市の外で売るまでだ。
リツは麦わら帽子の下で、確かな闘志を瞳に宿した。
オルバールの城門の外、あの東街道沿い。
ギルドの掟が及ばないあの場所で、自分にしかできない流通を作ってやる。
リツは東門を目指し、力強い足取りで歩き始めた。




