第十五話「深夜の迎撃と糾弾」
放火部隊が火炎瓶を振りかざし、畑のあぜ道へと踏み込んだ瞬間だった。
リツは両足を踏ん張り、生活魔法【土壌感応】を限界まで解放した。
胸の奥から迸る魔力が、大地の脈動と完全に同調する。
「大地よ、悪意を呑み込め!」
リツの鋭い呼気に呼応し、敵の足元の土壌が生き物のようにうねりを上げた。
ズブッ、ズブブブッ――!
固いはずのあぜ道が一瞬にして液状化し、底なしの泥濘へと変貌したのだ。
「な、なんだこれは!? 足が……足が抜けねえ!」
「底がねえぞ! 沈む、体が沈んでいく!」
先頭の傭兵たちが膝まで泥に呑まれ、バランスを崩して折り重なるように倒れ込んだ。
藻掻けば藻掻くほど泥が脚に絡みつき、蟻地獄のように引きずり込まれていく。
慌てて火炎瓶を畑へと投げつけたが、リツが用水路から引いた満水の水幕が、空中で放物線を描く瓶を迎え撃った。
ドボン、ジュウウウッ――!
油の火は水路の水に触れた瞬間に勢いよく蒸気を吹き上げ、畑のトマトやキャベツに触れることなく完全に鎮火した。
大切な作物は、泥水の一滴すら浴びることなく無傷だった。
「今だ、突撃!」
水車小屋の影から、アルベルト小隊長の号令が夜気を切り裂いた。
銀の甲冑を鳴らし、槍を構えた騎士団の精鋭十数名が一斉に躍り出る。
同時に、周囲の麦畑や潅木から、松明を掲げたトマス率いるルカ村の農民三十名と、ミーシャ率いる市民自警団が飛び出した。
四方八方を松明の紅蓮の光で照らし出され、泥濘に足を取られた放火部隊は、完全に袋の鼠と化す。
「武器を捨てろ! 抵抗する者は容赦なく斬り捨てる!」
アルベルトの剣先が、泥まみれになって這い上がろうとしていた放火部隊の隊長の首元にピタリと突きつけられた。
周囲を取り囲む農民たちの鋤や鍬、市民たちの棍棒の圧力に、傭兵たちは完全に戦意を喪失した。
「ま、参った! 降参だ! 命だけは助けてくれ!」
蛮刀が次々と泥の中に投げ捨てられた。
二十名を超える放火部隊の全員が、その場で縄で固く縛り上げられ、現行犯で捕縛されたのだ。
アルベルトは隊長の懐をまさぐり、一枚の羊皮紙と重い革袋を引きずり出した。
羊皮紙には、ガルシアの署名とギルドの封蝋が押された『直売所放火および農夫暗殺の依頼書』が、鮮明に記されている。
革袋の中身は、前金として支払われた百枚もの金貨にほかならない。
「決定的な証拠だ。言い逃れは絶対にできんぞ」
アルベルトの冷徹な声が響く。
夜明けの光が東の地平線を白く染め上げる頃、オルバール東門が開放された。
しかし、普段の穏やかな朝とは決定的に異なる光景である。
縛り上げられた放火部隊を先頭に、アルベルト率いる騎士団、リツ、トマス、ミーシャ、そしてルカ村の農民たちが、堂々たる隊列を組んで都市の中央大広場へと進軍していったのだ。
広場を埋め尽くすのは、昨夜からの食料不足と飢えに不安を募らせた数千人の市民たちだ。
そこへ、贅沢な馬車に乗ったギルド長ガルシアが、護衛を引き連れて悠然と現れる。
ガルシアは民衆の前に立ち、脂ぎった顔にわざとらしい嘆きの表情を浮かべて演説を始めようとした。
城外の不法露店が今朝未明に火災で全滅した、食料危機を救うためにギルドが立ち上がる、と宣言する心づもりだ。
だが、広場の中央に進み出たリツたちの姿を目にした瞬間、ガルシアの顔からすべての血の気が引いていく。
「な、なぜ……貴様らがここにいる……!?」
「ガルシア支部長。お前の雇った放火部隊は、昨夜未明、畑の泥濘の中で全員捕縛されたよ」
リツが通る声で告げると、アルベルトが進み出て、領主の印章が輝く逮捕状をガルシアの顔前に突きつける。
「中央青果ギルド長ガルシア! 貴殿を無差別毒殺未遂、公道放火未遂、ならびに私兵を用いた反逆の現行犯で逮捕する!」
「ば、ばかなことを言うな! 私を誰だと思っている! 証拠もないのにそんな言いがかりが通るはずが……!」
「証拠なら、ここにあるぞ!」
トマスが叫び、放火部隊の隊長を引きずり出した。
隊長は青ざめ、震える声で広場の民衆に向けて叫んだ。
「全部ガルシア支部長の命令だ! この金貨も、畑を焼き払って農民を皆殺しにしろと書かれた依頼書も、全部この男から受け取ったんだ!」
民衆から地鳴りのような怒号が上がった。
だが、ガルシアはなおも往生際悪く叫び立てる。
「偽造だ! 捏造だ! そんなチンピラの証言など信じられるか! 都市が飢えているのは、城外の百姓どもが野菜を密輸しているからだ!」
その見苦しい足掻きを、背後から響いた巨大な地響きが粉砕する。
「道をあけろ! 大荷車のお通りだ!」
鍛冶屋の親方の咆哮とともに、広場へとなだれ込んできたのは、十台を超える巨大な荷馬車の列だった。
馬車を引いているのは、下町の若者たちと大衆食堂の店主たち、そしてミーシャの姿。
荷台の上に掛けられていた分厚い幌が一斉に引き剥がされた。
その瞬間、広場を埋め尽くしていた市民たちから、地鳴りのような大歓声が爆発した。
荷台の上に山積みになっていたのは、都市中の市場から姿を消していた、数千キロにも及ぶ新鮮な野菜の山にほかならない。
トマト、キャベツ、人参、玉ねぎ、ジャガイモ。
都市中の八百屋を何日も満たせるほどの膨大な食料が、鮮烈な光を放って朝日を浴びている。
「ギルド本部ビルの地下石造倉庫から、全部差し押さえてきたよ!」
ミーシャが馬車の上に立ち、羊皮紙の帳簿を高く掲げて叫んだ。
「ガルシアは街中の野菜を買い占めて倉庫に隠し、市民を飢えさせて野菜の値段を十倍に吊り上げようとしてたの! 帳簿には買い占めの全記録と、市政官への賄賂の金額まで全部書いてある!」
隠されていた動かぬ証拠が白日の下に晒された瞬間、市民たちの怒りは極限まで燃え上がる。
「お前が……お前が俺たちを飢えさせていた元凶だったのか!」
「人殺し! 強欲豚野郎!」
広場を揺るがす怒号と罵声の嵐が、ガルシアへと降り注いだ。
群衆が激高して詰め寄ると、ガルシアの私兵たちは怯えて武器を捨て、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
ガルシアは脂汗を滝のように流し、膝から崩れ落ちて石畳の上にへたり込む。
「あ、あ、ああ……私の、私のギルドが……」
アルベルトが合図を送ると、屈強な騎士たちが進み出て、ガルシアの腕に冷たい鉄の手錠を打ち込んだ。
「連行しろ! 領主閣下の特別法廷にて、すべての罪を裁く!」
背後から駆けつけた特命監察官も、ガルシアの全個人財産の差し押さえと、買い叩き被害に遭った全農家への損害賠償を公に布告した。
引きずられていくガルシアの背中に、民衆から容赦ない石と腐った泥が投げつけられる。
長年にわたり都市オルバールを支配し、農民と市民から生き血を吸い続けてきた強欲な怪物の、哀れな末路である。
朝日の温かな光が、中央広場を眩しく照らし出す。
大衆食堂の店主たちが喜びの涙を流して抱き合い、母親たちが子どもを抱いて野菜の山に駆け寄った。
今日からまた温かいスープが作れる、家族に腹いっぱい飯を食べさせられるという、切実な安堵がそこにある。
リツは荷馬車の上に立ち、広場の市民たちに向かって両手を広げた。
「皆さん! この野菜は、ガルシアが奪い去った皆さんの食料です! ルカ村と東街道の野菜も合わせて、全員に適正な価格で配給します! もう誰も、飢える必要はありません!」
ウオオオオオッ――!
割れんばかりの歓声と拍手が、広場から青空へと突き抜けていった。
不正を打ち破り、真実と信頼を勝ち取った瞬間だった。




