逃亡生活 5
……駄目だ。人の人生を──テツさんの人生を詮索するのは良くないよな。
写真立てを収納棚の上に場所に戻し、毛布を被って寝ようとする。しかし、なかなか寝付けなかった。
さっき目にした家族写真と今のテツさんの姿が、何度も脳裏をチラチラと掠めるのだ。
もしあの写真の人がテツさんだとしたら、あの写真の奥さんと子供は一体どうしたんだ?
つーか、今なんでこんな生活を? ……駄目だ。気になって全然眠れない。身体はめちゃくちゃ疲れてるってのに!
よし、散歩して落ち着こう。
ビニールシートの隙間から、こっそりと外の様子を窺う。
さっきまでテツさん達が宴会していた場所は明かりも消え、みんな居なくなっていた。寝てしまったのだろうか。
外に出るとびゅうと北風が吹きつけ、その冷たさに思わず身震いした。
寒すぎだろっ! テツさんこんな中で寝るって……ほんとに大丈夫なのか?
テツさんを探しがてら、とりあえず川沿いを歩く。
少し歩くと、テツさんとは別のグループらしき人達がダンボールを敷いて毛布を被り、橋の下で眠っていた。
今まで考えたこともなかったが、ホームレスやってる人達にも、過去があったんだよな。
家庭とか、学校とか、仕事とか、その他諸々の『その人なりの当たり前』が。
俺だって、将来どうなるかなんて分からない。
もしかしたら数年後にはダンボール敷いて、外で眠る日々を過ごす可能性だってあるってことだ。
……つーか、今の身体のままだと、その可能性かなり高くね?
悶々としながら川沿いを歩いていると、少し向こうに、欄干に上半身を預け、ネオン揺らめく川の水面を眺めている人の姿があった。テツさんだ。
やはりその憂いを含んだ横顔、眼差しは──あの写真の男の人とかなり重なって見えた。
「テツさん」
声を掛けると、テツさんがこちらを見る。そして驚いたような顔で言った。
「瑛太。眠れないのか?」
「あ、いや……なんとなく、散歩したくなって」
「……そうか」
テツさんはそう呟くと、再び川の方へと視線を戻した。なんとなく、俺もその横に並んで川を眺める。
川の向こう岸にも河川敷があり、その向こうには街並みが見えた。高いビルやマンションがいくつも建っていて、こちら側よりかなり栄えていそうだ。
深夜でもその色とりどりの明かりが消えることはなく、夜の真っ黒な川へと反転して映り、水面をぼんやりと漂っていた。
隣に立ってようやく分かった。
テツさんは川を見ていたのではない。ずっと向こう岸の街を見ていた。
まるで「あそこが俺の居場所だったんだ」とでも言っているように。その目は過去への思いを馳せるように、じっと景色を見つめていた。
「……テツさん。いっこ聞きたいことあるんすけど、いいですか」
「なんだよ改まって」
「さっきテツさん家にあった写真立て、見ちゃったんすけど……ああいうのって、聞いてもいいのかなって」
ちらりと横目でテツさんの様子を窺う。テツさんはにやにやしながら俺の顔を見ていた。
「ちょ、なんすかその顔っ!」
「なんだぁ? もしかして、俺の過去が気になって眠れなかったのか?」
「う……まあ、図星です」
「しょーがねえなあ。お前が眠ってくれんと、俺が寒空の下で寝る意味が無くなっちまうからな。話してやるよ」
テツさんが胸元のポケットを探る。そしてタバコとライターを取り出し、火をつけた。
ふう、と白い煙を吐きながら、テツさんは話し始めた。
「人はな、貪欲な生き物なんだ。自分の手の中に有る物には目もくれず、もっと、もっとと次を求め続ける。そうせずには生きていけない。そういう風に出来ているんだ……だが、そんな生き方では何も手に入らない。失うばかりだったんだ。それに気付いたのは、全てを失ってからだったよ」
テツさんが欄干に上半身を預け、川の向こう岸の、一番背の高い高層ビルをタバコで指した。
「あのビル、すげえだろ?」
「……はい」
「あのビルの上のほう全部──俺の会社のオフィスだったんだ」
ああ、やっぱりと、俺はそこで合点がいった。
テツさんは憂いのため息を吐き出すように、白い煙を薄く開いた唇から吹く。
その煙が高くそびえ立つ煌めくビルへと掛かった。
「業界ではかなり名の通った建設会社でな。全国に支社があったよ。俺はそこで、平社員から社長まで成り上がったんだ」
「すげえっすね」
「別に、褒められたもんじゃねえよ。その時の俺は、人から席を奪い取る事と、蹴落とす事と、切り捨てる事ばかり考えてたからな。『自分以外の全ては敵だ』常にそう思いながら、誰のことも信じる事をせず、自分を育ててくれた上司も、俺に必死でついてきた部下も──守るべき家族がいる社員すら、使い勝手や都合が悪くなれば、簡単に首を切ってきた」
リストラか。そういえば俺のクソ親父も、リストラされてから自暴自棄になったんだったか。
「努力はしたさ。それこそ寝食を忘れるほどの、血の滲む様な努力をな。そして俺は社長の座まで登りつめ、美しく聡明な妻と、明るく素直な息子にも恵まれた。俺は欲しかった物を全て手に入れたんだ。幸せだったよ。生まれて初めて、『安寧』というものを確かに感じた……その幸せも、そう長くは続かんかったがな」
テツさんの目が苦しげに細められ、欄干を握る手に力が籠る。
「社長に就任してからしばらく経った頃、俺の側近が横領したんだ。それも会社が傾く程の大金をな……寝耳に水だったよ。そいつは若かったが、俺が認めるほど優秀で忠実な奴で、『腹心』と言ってもいい程信頼して、全てを任せていたからな。横領が発覚して、俺はそいつを問い詰めた。『何故あんな事をした。俺の与えてやった恩を忘れたのか』と。するとそいつは、嘲笑うように言ったんだ。『あの時の仕返しだよ。ざまあみろ』とな」
「もしかして、その部下の人って」
「ああ……そいつはな。俺がいつかリストラした部下の一人息子だったんだ。俺がリストラして間もなく自殺した父親の復讐を、成し遂げたかったんだとさ……自分の事しか考えずいた俺にとっての当然の報い、因果応報だったって訳だ」
びゅうと、重苦しい空気を冷たい風が攫っていく。テツさんは煙草を咥えたまま、じっとビルを見つめている。
俺はただ、その憂いを秘めた横顔を見ていた。
「その側近は横領で逮捕され、会社は呆気なく倒産。俺は新たな事業を立ち上げようと、元いた社員を募った。だが、誰一人としてついてこなかった。当然だよな。今まで散々こき使って、都合が悪くなれば切り捨てるような冷血社長だったんだからな。妻とは離婚して、家を売っぱらって作った金と、残っていた全財産を渡して、それきりだ……そして無一文になった俺は、ずっとここにいるってわけだ」
はは、とテツさんは歯を見せて俺に笑いかける。その寂しげな笑みに、苦笑くらい返せばよかったのだろう。でも俺は、どうしても笑えなかった。笑いたくなかった。
「ムカつかないんすか。社員の奴らとか、奥さんとか」
「ん?」
「だって、酷いじゃないっすか。テツさんが必死こいて会社やってたから、テツさんの会社の社員も、家族も、何不自由なく暮らせてたってのに。テツさんが稼げなくなった途端見放すなんて。みんなテツさんがどれだけ頑張ってたかも知らないで、保身にばかり走って……俺だったら絶対、テツさんについてくのに」
やり方は間違っていたかもしれない。だけどテツさんは会社を存続する為、家族の為に必死に頑張ってた。なのにこんなの、残酷すぎる。
「なんだよ、照れるじゃねえか」
テツさんは困ったように頬を掻いて笑う。どうしてなんだ。話を聞いただけの俺が、こんなに許せない気持ちになってるってのに。
「子供にも、それから会ってないんですか」
「そらそうだ。こんな姿見せられねえからなぁ。それに息子も──奏汰だって、自分を見捨てた俺を、恨んでるに違いねぇ」
「……結婚て、やっぱクソっすね」
「そうでもねえさ。過去は過去で幸せだったよ。後悔は無い。あの頃の俺は、『ああしないといけない』と思って、それを信じて愚直に突き進んでいただけだ。それに俺は、今だって幸せだ。ここでカンとネジと一緒に暮らすようになった今、『生きる喜び』と『自由』を肌で感じてるからな──無理せず適当に働いて、困ったときはお互い助け合って生きるってのは、居心地が良いもんだなぁ」
テツさんはそう言って、すうと深く息を吸い込んだ。その口元にある笑みには、嘘は無さそうに見えた。
『人は見かけによらない』とはよく聞く言葉だけど、今日ほどその言葉を実感した日は無いだろう。みんな見せないだけで、色んな過去を抱えながら生きてるんだ。
「……テツさんにも、色々あったんすね」
「まあな。こんな生活してると昔話する機会もねえし、暇つぶしになったよ」
「テツさんの話聞いて、やっぱ俺、結婚はいいやって思いました」
「何言ってんだ。お前の人生、これからだろ? もっと欲張れよ若造っ!」
「痛って!」
テツさんが俺の背中を叩き、がははっと声を立てて笑う。
確かに、今のテツさんは幸せそうだ。でも過去のテツさんが幸せだったとは、どうしても思えない。
俺自身、両親の諍いを見ていたせいか、結婚に夢も希望を持てなかったから、生涯独り身を貫く予定だ。
でも、そんな俺でも、誰かと暮らしたい。守ってやりたいと、そう思う日が来るのだろうか。
今はまだ、そんなイメージ微塵も持てないけど。
「瑛太、そろそろ寝ろ。明日はタイミングが来たら起こしてやるから」
「そういえば、テツさんが言ってた『良い考え』って何なんすか?」
「明日になったら分かる。今は難しい事考えず、身体を休めとけ」
「……分かりました。おやすみなさい」
「おう」
寝床に戻ろうと踵を返す。
そこで俺は、大事なことを言い忘れていた事に気付く。明日の朝でも良いか。気恥ずかしいし。
一瞬そう過ぎったが、さっきの話を聞いて、やはり今言っておこうと、そう思い直した。
意を決して、テツさんを振り返る。
「テツさん」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「さっきのこと、なんですけど」
「ん?」
「さっき、俺が一人で膝抱えて泣いてた時。声掛けてくれて……ありがとうございました。俺あの時、自分が世界で一人ぼっちだったみたいな気分で……だから、テツさんが居てくれて、ほんとに俺、救われました……昨日食べたあんパンの味、一生忘れないです」
ああ、クソ。やっぱりこういうのは俺の性に合わない。かなりしどろもどろになってしまった。
テツさんが驚いたように目を丸くして俺を見る。
そしてははっと声を立て、「なんだよ、照れるじゃねえか」と歯を見せて笑ってくれた。




