逃亡生活 3
「坊主、名前は?」
「瑛太です。吉田瑛太」
「瑛太、良かったら俺の仲間の所で、一杯やらんか?」
「え?」
「今から飯にしようと思っていたところだったんだ。あんパンだけじゃ足りんだろう? 少し分けてやるぞ」
おじさんが川べりの方を指差す。見ると、おじさんの仲間がこちらに手を振ってくれていた。
どうやらここに来た時に睨まれたと思ってたのは勘違いで、俺を心配してくれていたようだ。
失礼な偏見と被害妄想を抱いてしまっていた。……恥ずかしい奴だな、俺。
「で、どうすんだ?」
「行きます!」
勢い余って答えると、おじさんはニカッと歯を見せて笑った。
「お、来た来た」
「テツさ~ん。湯がもう沸くぞ~」
二人のおじさんがダンボールを敷いた上に座り、カセットコンロを囲んでこちらを見上げていた。
「『テツさん』って、おじさんの名前ですか?」
「おう。あだ名だけどな。チータラとワンカップ持って陽気に笑ってる方が『カン』、ニット帽被ってるおとぼけ顔の方が『ネジ』だ」
その後俺は、お言葉に甘えて三人の宴会にお邪魔させてもらった。みんな話してみると気さくで楽しい人達だった。
話を聞いていると、どうやらここは関西の地方都市らしい。東京までは車で六、七時間は掛かる距離だろう。
「おいテツさん。酒が切れちまったぞ~」
「我慢しろよカン。次の酒が飲みたきゃ、また缶集めに行ってくりゃいいだろぉ~?」
「今日はもう働きたくねえよ~」
「はっはっはっ、テツさんもカンも酔いが回ってらぁ」
テツさんはどうやら関西の出身では無いらしい。
カンさんもネジさんも、テツさんの標準語が移ったのだろうか、みんな標準語で話していた。
俺は三人に少しずつ分けてもらったカップラーメンと、缶のオレンジジュースを貰った。最高に美味かった。
「でだ、瑛太。お前、今一体どういう状況なんだ?」
「え?」
カップラーメンを啜りながら、テツさんが俺に問いかける。カンさんとネジさんの二人も興味があるようだ。
そうだった。楽しくて自分の置かれた状況をすっかり忘れていた。
せっかくの楽しい雰囲気をブチ壊すことになりかねないが、でも、このイカれた状況を聞いた貰ったほうが、頭の中も整理出来るだろう。
「あの、信じてもらえ無いかもしれないんすけど」
「うん」
「俺、朝起きたら、この『けい』って名前の中学生と身体が入れ替わってて……元の俺は、東京に住んでる二十四歳の社会人、『吉田瑛太』なんです」
「身体が入れ替わった?」
「そりゃ本当か?」
カンさんとネジさんが驚きの声を上げる。
「瑛太。お前はさっき、『無実の罪で逃げてる』って言ってたな。それと身体が入れ替わった事と、何か関係あるのか? ……話せる範囲で大丈夫だから、話してみろ」
そうだ。テツさんにはさっき、俺が『人殺し』になってしまって、無実の罪で逃げていることを話したんだ。
あえてそれを明言しないのは、テツさんの優しさだろう。
どこまで話すべきだろう。何も知らないカンさんとネジさんにとっては、全てを話すのは衝撃的すぎるだろうか。
一瞬躊躇いはしたが、俺は全てを話すことにした。
「俺、急に身体が入れ替わって。わけ分かんなくて……まずは『こいつ』の家から出ようとしたんです。そしたら、玄関に行く途中に、こいつの父親っぽい男と犬の死体が転がってて──洗濯機の中に、明らかに中学生が制服として着るような、ワイシャツがありました。血がべっとり着いた。真っ赤なワイシャツが……そんで俺、ビビってそのまま逃げてきました。一日中、理由も分からず走って、気が付いたら、ここにいて──」
自分で言ってても信じられない話だ。
他の奴がこんな事話してたら、『こいつ、頭おかしいのか?』と、俺ならそう訝しむに決まってる。
テツさん達は、どう思っただろう。
恐る恐る顔をあげる。そしてぎくりとした。
茶化すでもなく、訝しむでもなく、皆一様に、俺に対して真剣な眼差しを向けていたのだ。
「瑛太」
テツさんの声が低く響く。その眉間には、深い皺が刻まれていた。もしかして……怒らせてしまったのか? 馬鹿げた嘘をぬかすなと、そう思われたか?
固唾を呑んで固まっていると、テツさんがその重い口を──開いた。
「じゃあ今、元の瑛太の身体はどうなってるんだろうな?」
「……え、」
テツさんの口から出た意外な言葉に、怒られるとばかり思っていた俺は、拍子抜けする。
「信じて、くれるんすか?」
「当たり前だろ。瑛太が今この場で嘘をつく理由なんて、ねえだろ。それに……そんだけ憔悴しきった顔してりゃ、疑う余地なんかねえよ」
テツさんが労るような視線を俺に投げかける。そうか。今の俺、そんな酷い顔してるのか。
でもこんな話をすぐに信じてくれるなんて……やっぱりこの人達は、マジで良い人達だ。
「で、どうなんだ? 元のお前について。確かめたのか?」
「わ、分かりません。確かめようにも、手段がねぇし。ベッドから立ち上がった瞬間には、この体になってて……あ、でも。この身体になる直前、めちゃくちゃ体調が悪かったんです。もしかしたら元の俺……ぶっ倒れてるかも」
「……ふむふむ」
テツさんが難しい顔をして考え込むポーズになる。そしてすぐに顔を上げた。
「お前さん、スマホってやつは持ってたのか?」
「え? そりゃ元の身体の時はもちろん持ってたけど、今は持ってないっすよ。だから、そういう意味でも今けっこう詰んでて」
「小銭も持ってねえか?」
「ああ、小銭なら……さっき自販機の釣り銭入れ探って拾った、130円なら」
スラックスのポケットから出した130円を見せると、「よし」とテツさんが意気込んだ。
「瑛太。お前自分のスマホに電話掛けてみたか?」
「え? だから今、スマホ持ってないんですって」
「だったらアレ使えよ、アレ!」
ネジさんが突然割り込んできた。テツさんもそれに深く頷く。俺は意味がわからず問いかけた。
「え、あれって……何のことっすか?」
「テツさん。最近の子は『アレ』の使い方知らないんだってよ」
「え!? そうなのか!? カ~ッ! 俺の時代は連絡するとなったら、『アレ』だったのによお~。もう耄碌してきたって事かぁ~」
カンさんとテツさんが何やら話しているが、何の事か全く検討がつかなかった。
「あの……『アレ』ってなんの事っすか?」
「あれだよ、あれ」
カンさんが河川敷の上──川を渡る大きな橋の始点部分を指さす。そこには、電話ボックスがあった。
「……あ、」
「自分の番号覚えてるか? 小銭持ってるなら、あれで自分の番号に掛けてみろよ」
そうか、その手があった! 今まで通ってきた道にも、電話ボックスなんていくつもあったってのに。
どうしてこんな簡単な事に、今まで気付かなかったんだ!
「すいませんっ! ちょっと行ってきます!」
小銭を握りしめ、飛び出すように走り出す。河川敷の雑草を踏み分けて坂を駆け上がった。
電話ボックスの扉を突き破る勢いで開き、受話器を取る。
焦る指先で十円玉をガチャンと投入し、自分の携帯番号を素早く押した。
トゥルルルル、トゥルルルル。
コール音が受話器に鳴り響く、耳を押し付け、コール音に耳を研ぎ澄ます。
電話ボックスのすぐ側、小さな公園に設置されている時計に視線を移す。
今の時刻は──深夜一時。本来の俺なら寝ているはずだ。
俺は寝る時、いつもスマホのマナーモードを切っている。
設定上大丈夫だということは理解しているが、それでも万が一スマホのアラームが鳴らなかったら、という事態を考えての事だった。
だから、もし俺の身体が生きているなら、絶対電話に出るか。ガチャ切りするか。何かしらのアクションを起こすはずだ。
『俺』は今、一体どういう状態になってる。生きているというのなら──もし他の誰かが俺の中に『入っている』というなら、まだ希望はある。
体調が悪化して、野垂れ死んじまってたとしたら──頼む、出ろ──出てくれ!
バクバクと全身脈打つような鼓動と呼吸を押し殺しながら、受話器へと全感覚を研ぎ澄ませながら、その時を待つ。
トゥルルルル、トゥルルルル。
たった六コールの間が、まるで一時間はこうしていたみたいに、気が遠くなる程長く感じた。
焦燥感が募り、心臓は張り裂けそうだ。全身に汗をかいているのに、受話器を持つ掌は、まるで氷のように冷え切っていた。
クソッ! 駄目なのか? ……いや、まだだ。まだ。もう少し待てば、もしかしたら──。
七回目のコールが、まるでスロー再生のように長く、それこそ永遠のように耳元で鳴り響く。
頼む。たのむ。神様──。
そして、八回目のコール切り替わろうとしたその時──。
「……はい。もしもし」
受話器の向こう側から声が、確かに聞こえた。




