逃亡生活 8
「……え、」
寝起きの頭に突然飛び込んできた『検問』という言葉に、頭が真っ白になる。
身体の血の気が波のように引いていき、なのに冷や汗がダラダラと止まらなかった。
「け、検問って……なんで──」
前方に目を凝らす。少し向こうに料金所があり、その辺りでパトカーが赤色灯が点滅させながら停車している。
そして警官がそこを通る車の運転席を覗き、話しているのが見えた。
嫌な予感が身体中を這いずり回る。
思い過ごしかもしれない。ただの飲酒運転の取締かも。でも、もしかして──俺を探しているのか?
事件はニュースで報道されていた。きっと『俺』は指名手配されているはずだ。
顔写真がニュースに出てないとはいえ、警察は確実に『俺』の顔を把握しているに決まってる。
このまま車が進んだら──確実に捕まる。
まずい! 今からでもトラックの荷台に……無理だ。ここは高速だし、この距離だと、怪しい動きをすれば、検問所から丸見えのはず。
どうしよう。どうしよう──。
「瑛太くん」
鋭い声が渋滞している思考を遮る。ハナさんの方を見ると、自分の背後を指差し、そして言った。
「ちょっとの間、そこにおってくれへん?」
トラックがゆっくりと、しかし着実に進み、そしてついに──検問所にたどり着いた。
といっても、トラックの停止時間と体感で『そうなんだろう』思っただけで、本当の様子は分からない。
俺は今、ハナさんの背後──運転席の真後ろに設置されているカーテンに隠されている、就寝用スペースの隅で膝を抱え、ただの一つも身じろぎせずじっとしているのだから。
ハナさんに説明されて知ったが、トラックのキャビン(運転席)には、いくつか種類があるらしい。
ショートキャブ、フルキャブ、ワイドキャブ……その他色々あり、ハナさんのトラックのキャビンは『フルキャブ』と言われている種類だ。
このフルキャブは一般的に長距離運転のトラックに採用されていて、運転席の真後ろに、人が一人寝転べる程度の就寝用のスペースが設置されている。
つまり俺は今、そこで膝を抱えて息を潜めてじっとしている、ということだ。
ハナさんが運転席の窓を開ける音がする。どうやら本当に検問所に辿り着いたようだ。すぐに警官の声がした。
「お急ぎのところすみません。ただいま検問を実施しておりまして、少々お時間よろしいですか?」
「は~い。ええですよ」
警官が質問し、ハナさんがそれに答えている声が聞こえる。
俺は会話の内容すら頭に入らず、ただひたすらに存在感を殺していた。
カーテン越しとはいえ、警察がすぐそこにいる。
もし物音一つでも立てようものなら──バクバクと口から飛び出してしまいそうな心臓と早まる呼吸を、口元を両手で覆って必死で押し殺し、身じろぎもせず、時が過ぎるのを待つ。
ハナさんを巻き込まない為に。自分の為に。今の俺に出来ることは、そのくらいしかなかった。
頼む。早く……早く終わってくれ!
「お時間取らせてすみません。次で最後の質問なのですが──」
『次で最後』という言葉に内心ほっとしていると、
「この写真の少年に、見覚えはありませんか? 罪状は言えませんが、現在逃亡中の少年でして」
警官の言葉が耳に入り、ぎくりと硬直する。
きっと今、俺の写真をハナさんに見せているんだ。
ここを出る時、テツさんが耳打ちしてくれた。「ハナにはお前の事情は話してないから安心しろ」と。
ハナさんは、俺がどうして東京を目指しているかを知らない。さっき聞かれた時も、俺は頑なに何も言わなかった。
でもきっと、これで色々と察してしまっただろう。もしかしたらこのまま警察に突き出されるかもしれない。
ハナさんはどう答えるだろう。答えによっては、俺はここで──。
「うーん……知らんわぁ、こんな子」
「そうですか。お時間取らせてすみませんでした。行ってください」
「は~い。ご苦労様です」
ハナさんは知らないフリをしてくれたようだ。良かった。とりあえずは……助かった。
ふう、と小さく安堵のため息を吐き、ハナさんがトラックを発進させようとしたその時──。
「すみません! 一つ確認し忘れてました」
警官の声が、それを制止する。
「このトラック、運転席の後ろにスペースがあるタイプですね?」
「え、まあ、そうですけど……」
「念の為、カーテンを開けて中を確認させてもらってよろしいですか?」
警官の言葉に、弛緩していた身体が急速に縮こまる。きっとハナさんも同じはずだ。
「え……え~? なんでそこまで見せなあかんの?」
カーテン越しにも、ハナさんの声には明らかな動揺の色が見て取れる。警官もそれに気付いたようだ。
「すみません。大型トラックの方には、全車確認させていただいてまして」
警官の声が食い気味に迫ると、ハナさんはうう、と小さく唸って答えた。
「ほんまに開けなあかん?」
「はい。申し訳ありませんが」
「……分かりました」
やばい。ついに来る。
身体中が心臓になってしまったみたいに、鼓動で全身が揺れ、冷や汗がダラダラと流れる。
もう、ここまで来たら逃げられない。
必死で身体の震えを抑え込み、膝を抱える腕に力を込める。一度大きく息を吸い、止める。
ハナさんが万が一に備えて用意してくれた奥の手。一か八か──頼む!
すぐにシャッとカーテンの開く音がし、ぼんやりと視界が明るくなる。誰かが覗く気配が、すぐ傍まで来た。
「これは……」
「見たらわかるやろ? アタシの着替え」
そう。俺は今、甘やかな香りに全身が覆われている──つまり、ハナさんのジャケットや着替えを頭から被って、身動ぎせずにいるのだ。
検問所に着く前、就寝用スペースに隠れる際、ハナさんに「カーテン開けられた時の念のために」と言われ、ジャケットや着替えを被せられたのだ。
でも、少しでも身体を動かそうものなら、俺が隠れているのがバレる。
頼む。気づくな。気付かないでくれ。
「はぁ~……だから言ったのにぃ」
俺から気を逸らすためだろう、ハナさんが大げさなくらいのため息を吐き、気恥ずかしそうな声で話し始めた。
「アタシは長距離走ってるの。下着から作業着まで、着替え一式積んでるに決まってるやん。これでも一応女なんやから……お兄さん。もしかしてこれ全部、アタシの目の前で確認していくつもり?」
「あっいやっ、それは! ……大変失礼しました! どうぞ行ってください!」
警官の慌てたような声の後、ふんと鼻を鳴らしてハナさんはトラックを発進させた。トラックが無事料金所を通り過ぎ、しばらく走ると、
「もう出てきてええよ」
と声を掛けられた。
その声でようやく、良い香りのする衣類の山からもそもそと抜け出し、助手席に座り直した。
「あの……ありがとうございました」
「別にええよ。でもちょっと焦ったわぁ~。瑛太くん、相当訳ありみたいやね?」
「はい……すみません。巻き込んで」
ハナさんは身体を張って俺の事を庇ってくれたんだ。ここまでしてもらったのに事情を話さないなんて、そんなのはあまりにも不義理だと思った。
テツさんに話した時と同様、俺はハナさんに、今まであったことを包み隠さず話した。
ハナさんは驚くことも取り乱すこともなく、俺の話に心地のいい相槌を打ちながら、最後まで静かに聞いてくれた。
「そうやったんや。じゃあ瑛太くんは、ほんまはアタシより歳上ってことかあ~」
「まあ……そうですね」
「じゃあ、『瑛太さん』って呼んだ方がええんかな?」
「それは別に、今のままで大丈夫です。つーか、信じてもらえるか分かんないんすけど……でも俺、本当にやってないんです」
「うん。瑛太くんはやってない」
まるで真実を見てきたかのような、はっきりとした答えだった。
驚いてハナさんの顔を見る。ハナさんはそれに気付いたのか、前を見据えたまま、にこりと口元に笑みを浮かべた。
「だって、瑛太くんがそんな事するような人じゃないって、ちょっと一緒におっただけでも分かるもん。きっとテツさん達もみんなそう思ったから、瑛太くんを信用したんやで?」
「……俺は別に、そんな奴じゃ」
「もう、こんだけ言ってるのに全然信じてくれへんなぁ~。瑛太くんのそういうとこ、アタシの旦那にちょっと似てる」
「旦那さん酷い奴なんでしょ。あんまり一緒にされたくないんすけど……」
「う~ん。さっきは言い方悪かったけど、旦那、結構ええ人なんよ?」
「現状ハナさんと子供を放置して連絡も寄越さない時点で、極悪人でしょ。俺のクソ親父と一緒だ」
「瑛太くん。お父さんと仲良くないんやね?」
しまった。口が滑った。
「あ、いや……」
言葉を濁していると、ハナさんは「言いたくないなら言わんでもええよ」と付け加えた。
あんまり親の話を人にするのは好きじゃないけど、ハナさんになら……良いか。




