俺の築いた安心安定の生活と、それが崩れ去る日 1
「吉田。お前帰るのか?」
「はい?」
定時を五分過ぎた頃、パソコンを閉じて鞄を手に退社しようとしたところで、直属の上司、田崎さんから呼び止められた。
「今日飲み会だよ。社内メールで回ってきてただろ。参加しないのか?」
田崎さんに言われて記憶を辿る。ああ、そういえばそんなメールが飛んできてたような気がするなと、そこでようやく思い出した。
「あれ? 飲み会って今日でしたっけ? やべえ、今日彼女とデートの予定入れちゃいました」
はは、と笑いながら頭を掻くと、田崎さんは呆れたようにため息を吐く。
しかしこの人がこのくらいの事では怒らないことを、俺は知っている。だから何も問題はない。
「こないだの飲み会の時もそう言ってなかったかぁ? まあ、無理に参加しろとは言わんけどさ。たまには顔出せよ~一緒に飲もうぜ~」
そう言って茶化すように俺を肘で突っついてくる。
このやり取りももう何度目だろうか。いい加減諦めてくれると助かるんだけど。
決してこの人が嫌いというわけではない。面倒見いいし、怒ったりしないし、仕事も出来る、理想の上司だと思う。
ガチャで言うところの、いわゆる『SSレア』級の上司だ。
ただ俺が飲み会には参加したくない主義というだけで、それを表立って言うのもなぁと、変な忖度をしてしまっているから、こういうやり取りが毎回発生しまうというわけだ。
「俺、実はアルコールアレルギーなんですよねぇ~」
「嘘つけ。こないだリモート宅飲みしたって話してたろ」
「ついこないだ発症しまして」
「はいはい。茶番はもう結構。予定あるんだろ? もう帰っていいぞ」
「はい。じゃ、お先に失礼します」
「彼女大事にしろよ~」
「へ~い」
皆が飲み会の場所をスマホで調べながら談笑している中、俺は一足先にオフィスを後にした。
真っ直ぐ駅まで向かい、十分ほど電車に揺られ、改札を出る。
途中でコンビニに寄って野菜ジュースと弁当をカゴに放り込み、レジへ向かう。
110+532+3=645円
この余計な三円の正体はレジ袋だ。
三円といえど、塵も積もればなんとやら。勿体無いなと会計する度に思って、エコバックを持ち歩く習慣をつけたほうがいいような気がするのだが。
気がしているだけで、持ち歩かない。
出来るだけ身軽でいたいのだ。責任とか、人間関係とか、エコバックとか。
そういうごちゃついたものは、出来るだけ持ち歩きたくない。
駅から歩いて五分もすれば、我が家に到着だ。単身者用のアパート。一階の角部屋。ここが俺のオアシスだ。
鍵をガチャリと開け、鞄を玄関に置く。
はあ、とため息をつきながら奴隷の象徴……もとい社会人の象徴であるネクタイを外し、スーツと一緒に壁掛けハンガーに掛ける。
そのまま風呂場に直行。シャワーを浴びて一息ついたら、買ってきた弁当をコンビニ袋から取り出し、レンジに放り込む。
チンと温まった弁当を、スマホを見ながらだらだら食って、腹が満たされたら据え置きゲームを起動して、気が済むまでやって、そんで寝る。
朝起きたら、平日は仕事で。休日はまたエンドレスゲーム。ずっとそのサイクルの繰り返しだ。
飲み会? デート? アウトドア? そんなのはクソ食らえだ。インドア万歳。
『エース氏~聞こえてるでござるか~?』
インカムから声がする。『エース』とは、俺のゲーム上の名前だ。
通話の相手はオンラインゲーム上の仲間で、よく通話する相手。名前は確か……『サモ・ハン・キンポー』だ。
「すまん、サモ。ぼーっとしてた……何の話だっけ?」
『しょうがないでござるなぁ~。【拙者の彼女が可愛すぎて死にそうでござる】って話、もう一度一から百まで話して──』
「いや、いいわ。だってお前の彼女、画面から出て来ない系だろ?」
『ぐわぁっ!? エース氏が直球火の玉ストレートで拙者の心を砕いてきたでござる……! この人でなし! リア充っ!』
「いや、俺もお前と変わんねえよ。彼女いねーし」
便宜上、職場では彼女持ちという事で通っているが、これは職場での誘いを断るための、体の良い言い訳の為の設定でしかない。
彼女は居ない。要らない。作らない。何故なら面倒くさそうだから。
結婚願望もないしな……これは別に、強がりではない。誓って強がりでは無いのだ。
『なんだぁ~エース氏も【こちら側】の人間だったかぁ~。なんだか親近感でござるなぁ』
「勝手に仲間意識持つなよ。俺は『作らない』だけだから」
『強がっちゃって……男の子なんだからっ☆』
「はぁ……明日も仕事だし、そろそろ落ちるわ」
『もうそんな時間でござるか? 拙者はネオニートゆえ、庶民の感覚が分からないでござるよ~』
ハッハッハと、なんとも陽気で羨ましい笑い声が耳元で鳴り響く。
サモの事は嫌いじゃないが、友達がいない理由がよく分かる。
「はいはい。じゃあまた明日な」
『おやすみでござる~』
「おやすみ」
『あ、そういえばエース氏』
「なんだよ?」
『オフ会の件、考えてくれたでござるか?』
「あー……」
思わず言葉を濁してしまう。
そう。サモと俺は同じ東京住みで、つまりは会おうと思えばすぐ会える距離なのだ。
サモのことは嫌いじゃない。いや、むしろ好きな方だ。
気兼ねしないし、一緒に話してて楽だし。
「ごめん。今予定が立て込んでてさ。しばらくは無理かも」
毎日のようにオンラインゲームをしている癖に、何言ってんだろう。
バレバレの嘘を吐いたのに、サモは『ハッハッ、いやぁ~庶民は大変でござるなぁ』と豪快に笑った。
『ま、こちらはネオニートの上級国民ゆえ、エース氏の予定に合わせてあげるでござるよ~』
「ん、ありがとな」
『では拙者はもう一狩りしてくるでござるっ! エース氏は明日の労働に備え、充分な睡眠を取るがよい!』
「アイコピー、ネオニート閣下。じゃ、また明日」
通話を切り、ゲームの電源を落とす。そのままベッドに寝転ぶと、すぐに頭がぼんやりしてきた。
大学をストレートで出て超ホワイト優良企業に就職し、社会人やり始めて早二年。
つまり俺は今、二十四歳ってわけだ。
職場では何でもそつなくこなすと周囲からそれなりに評価されているし、オンライン上だが、毎日談笑する友だちもいる。
俺の人生、ようやく軌道に乗ってきた。
ようやく俺の人生の目標──『安居楽業』を実現出来たのだ。
現状維持の為の努力だけして、それなりにサボる。
それが一番ストレスも不安もなく生きられる効率の良い生き方で、俺の目指すべき生活だと、子供の頃に気付いた。そしてその為の努力をしてきた。
やっと掴んだこの安心安定の生活。
俺はこの生き方を、死ぬまでキープするつもりだ。
今のこの、他人との関わりを必要最低限にする生き方に、寂しさを感じる瞬間が無いかと問われれば、まあ、当然ある。
だが、他人との繋がりが思いもよらぬ物騒な事件に発展するこの時代、人間関係は最小限で済ませたほうが確実に安心だ。
誰もがネット上とリアルで、全く違う顔を持っている時代。
もしサモとリアルで会ってトラブルになったらと考えると、やはり今くらいの距離感が丁度いい。
今プライベートで関わっているのは、オンラインゲーム上で繋がったサモくらいだ。
リアルで会ったことはない。オンライン上で完結している関係だ。
学生時代には、一応つるんでいた奴らがいた。
だけど卒業し、誘いを断り続けていたら、当然のように連絡が来なくなった。
それについては少し、ほんの少しだけだが、後悔している。
だがそれだけだ。もう終わったことだし。
「面倒なんだよ、他人との繋がりなんて」
ぐじぐじ考えても仕方ない。秒針は常に未来にしか傾かないように出来ている。
今の俺が気にすべきは、明日の朝、ちゃんと起きられるかって事だ。
歯を磨いて布団に入る。スマホのアラームがセットされているか確認し、ベッドボードの充電器に繋げ、目を閉じた。
ピピピピ、ピピピピ。ピピピピ、ピピピピ。
スマホのアラームで意識が覚醒する。
寝ぼけ眼でスマホを手に取り、スヌーズを押して再び目を閉じた。
9分後、再びアラーム音が鳴る。スヌーズを押す。寝る。
9分後、再びアラーム音。さすがに起きた。
ぼんやりした頭で、一度ベッドに座る。なんか。なんだろう。異常に身体がだるい。
悪寒や喉の痛みは無いから、風邪って感じではないけど。
……あーめんどくせー。仕事行きたくねえ。
時刻は7:40。始業時間まではまだ時間がある。
スマホで部署のグループチャットを開く。なれた手付きで文章を打ち込んでいった。
『おはようございます。吉田です。体調悪いので本日欠勤します。有給使っても良いでしょうか?』
歯を磨いている間に通知が来ていた。部長からだ。
『おはよう! 有給扱いで大丈夫だよ~お大事に~』
さすがはホワイト企業。当欠しても怒られない。就活頑張った甲斐があるってもんだ。
『ありがとうございます。安静にしてます』と返事をし、スマホをベッドに放り投げる。ついでに自分もベッドに転がった。
世間ではこれをズル休み、というらしい。
しかし俺はこれを『戦略的休息』と呼んでいる。
だってこれは、明日からの仕事を頑張るための小休止なのだから。
世間は俺の機嫌など取っちゃくれない。所詮自分を甘やかせるのは自分だけだ。
仕事のスケジュールも余裕あるし。……マジでだるかったら、スケジュールやばくても休むけど。
黙ってれば誰にも気づかれないし、気づいた所で突っ込んでくる奴もいない。程度の違いはあれど、みんな同じように息抜きしているからだろう。
『えー、ここで速報です。先程殺人容疑で無職、吉田容疑者が逮捕されました。吉田容疑者は先週金曜日、20代女性を──』
「げっ、同じ苗字かよ」
テレビから聞こえた容疑者の名前に、思わず顔を顰める。
自分とは全く関係ない事件でも、こうやって微妙な共通点があると気まずい気がするのは何故なんだろう。
……はぁー。せっかく仕事サボれるってのに、朝から嫌な気分になった。
どうして犯罪者なんてモンが生まれるんだろうか。
境遇がどうとか。家庭環境がどうとか。って庇う頭のおかしな奴らがいるが。
だったらそんな劣悪な環境でも、真っ当に生きてる人間は?そいつらに理不尽に殺された、善良な人間の命の価値はどうなんだよ?
暴力だの、強盗だの、殺人だの。
んな事したっていつか『足が付くし』、そうでなくても一生隠して、逃げ続けなくちゃならない。
なんの得にもなんねえのに。馬鹿で愚かな奴らだ。
善良に健全に生きてるこっち側からしたら、ほんっとに迷惑で、害悪な存在でしかない。
「犯罪者とアル中は、一人残らずこの世から消えちまえっての」
……嫌な事思い出した。二度寝でもするか。
ベッドに寝転がると、途端に眠気に襲われる。
まじで体調悪いのかもしれない。自然と瞼が閉じて、気がつけば眠っていた。
次に目が覚めたのは、正午過ぎだった。
上半身を起こす。その時、強烈に違和感があった。まるで身体が鉛になったみたいに重い。
まるで立ち上がることを全身が拒絶してるみたいだ。さすがにおかしい。これ、病院行ったほうがいいんじゃ。
とりあえず水飲みたい。起きないと。
はぁはぁとまるで老人のように緩慢な動きで、ゆっくりと足を床につけ、両手をベッドに置く。
やばい。勢いをつけないと、立ち上がれなさそうだ。
上半身を一度前に傾け、ふー、と一つ深呼吸し、勢いをつけて立ち上がった。
「よい」
「しょっと」
ジャー。
洗面台。蛇口から水が勢いよく流れ、掌に当たって周囲に水滴が飛び散る。
バシャバシャと、まるで噴水だ。
水圧すげ。……つーかどんだけ水出してんだよ! 勿体ねえ!
慌てて水を止める。蛇口からしたたる水滴を見ながら、ふう、と一息つき、違和感に気づく。
おい、ちょっと待て。俺、さっきベッドから立ち上がったはず、だったよな?
なんで俺、洗面所に──。
手から視線を移し、顔をあげる。
目の前、至近距離に知らない男がいた。
顔と目がばっちりと合い、一瞬息を忘れる。
恐怖心が一気に湧き上がり、器官を這い上がって声として溢れ出した。




