ヒナ、追放へ
聖都ネオシュバルツにあるお父様家の別宅。貴族院と呼ばれる学校から帰宅したわたくしはブレザーの制服からセーラー服に着替え、筋力トレーニングに励んでいました。
「お嬢様!」
どうしてかエルサが部屋に飛び込んで来る。彼女は何やらかなり慌てているみたいですわね。
「おめでとうございます、お嬢様!」
何が何だか分かりません。ノックすらせず部屋へと入ったエルサは、どうしてか満面の笑みを浮かべているのですから。
「どうしたの? そんなに焦って……」
「いえ、落ち着いてなどいられませんよ! 何しろ……」
エルサは荒い息のまま、今し方聞いたという話を口にしております。
「お嬢様のご婚約が決まったのですから!」
はい? 耳が悪くなったのかしら?
お嬢様とはわたくしのことであり、ご婚約とは間違いなく結婚のことでしょうね。しかしながら、わたくしはその二つをなかなか整理できずにいました。
少しばかり考える。さりとて、わたくしも事の重大さに気付いております。
「えええっ!? わたくし一言も聞いておりませんよ!?」
お父様とは毎日顔を合わせております。けれども、婚約だなんて話は一度も聞いておりませんの。今朝も一緒に朝食を取ったというのに、婚約の話は初耳ですわ。
「いえ、お嬢様は既に承諾済みとのことですが……」
眉根を寄せるしかありません。しかし、次の瞬間には筋トレ器具から身体を起こし、セーラー服をパンと叩く。どうにもステータス強化を図るような場面ではないと思って。
「エルサ、お父様はどこ?」
「書斎におられます……」
父の居場所を聞くや、わたくしは駆け出している。ご令嬢らしくなく、それはもう全力疾走ですの。
「お父様!?」
ノックすることなく、書斎の扉を勢いよく開いている。礼儀や行儀については前世から厳しく躾けられていましたが、此度の話はそれらを守っている場合ではありません。
「婚約とかどういうことでしょう!?」
バンっと勢いよく机を叩き、わたくしは大声で問う。
過去に一度も見たことのない表情であったことでしょう。わたくしは婚約を望んでいるのではなく、追放を願っておるのですから。
「ルーカス殿下からヒナも了承していると聞いたのだ。だから、謹んでお受けしただけだぞ?」
「だけだぞじゃありませんわ! わたくしは婚約するなら幼い頃であったとお伝えしただけなのです! 今更、婚約など言われても面倒なだけですの!」
お父様は眉根を寄せています。ルーカス殿下から聞いていた話とまるで異なるのだと。わたくしの説明には困惑するしかないようです。
「いや、ヒナは殿下に会いたがっていたのだろう? 両想いだと殿下は話されて……」
「殿下に特別な感情はありませんわ! わたくしは出来れば追放して欲しいとお願いしただけですの!」
「お前が追放とか天地がひっくり返ってもないだろう? ヒナの評判は聖女なのだぞ? それに殿下との婚約は悪くない話じゃ……」
「即刻、破棄してくださいまし! わたくしは王家に嫁ぐつもりなどありませんから!」
未だかつて、これ程までに苛烈な感情表現はしたことがありません。お父様はわたくしが本当に婚約を望んでいないことを今さらながらに知らされたようです。
「しかし、もうサインしてしまったしな。王家から贈り物も多数届くはずだ……」
頭を抱えるしかありません。けれど、お父様の話に妙案を閃く。この状況はある意味、チャンスかもしれないと。
婚約から婚約破棄。そして待ち望んだ追放ルートが今し方、解放されたのではないでしょうか?
「お父様、無理難題を押し付け、この話を破棄してくださいまし。わたくしは王家になどお世話になるつもりはありませんし、殿下のことはすこーーーしも好きではありませんから! よくお伝えください。殿下のことなんか眼中にありませんの!」
流石にお父様は苦い顔をする。既に王家と約束を交わしたあと。好きではないという理由なんかで破棄できるはずもありません。
「しかし、ヒナ。もう調印したあとなのだぞ? 今さら破棄しようものなら、王家だけでなく、各諸侯たちにも申し訳が立たない。我が公爵家はかなり立場が悪くなってしまう」
公爵領には五十万という領民がおります。政治的立場の弱体化は領地運営に影を落とし、そのしわ寄せは守るべき領民へと向かうことでしょう。
理路整然とした説明ですけれど、わたくしは首を振る。周囲を黙らせるべく秘話がわたくしにはあるのです。それを口にするだけで婚約など容易に破棄できるはずですわ。
「今まで黙っておりましたけれど、わたくしは18歳の誕生日を迎える前日に死ぬ運命なのです。幼い頃、ディーテ様が降臨され、わたくしにそう告げられました……」
ディーテ様から制約について公表するようにと聞いていました。王家に嫁ぐことになるくらいなら、今こそ発表のときでしょう。
「ヒナ、冗談は……」
「冗談ではありません。ディーテ様は仰いました。数奇な運命にあること。そして運命に争う術があることを……」
何度も顔を振るお父様にわたくしは続けました。運命を切り開く方法が残されていることについて。
「わたくしは旅に出て、強くなることで運命を変えられるのです。だからそこ、幼い頃から今の今まで鍛錬を続けてまいりました……」
お父様には身に覚えのある内容でしょう。幼い頃から剣術を習いたいだとか、トレーニング器具の製造とか妙なお願いをしていたのです。不思議に思っていたことの全ては、女神ディーテ様に誘われていたからだと。
「確かに幼すぎる頃から鍛錬を始めていたな……。ヒナはそのような頃からディーテ様の神託を受けていたのか?」
「ええまあ、物心ついた折に。それで、わたくしは18歳の誕生日を無事に迎えたあと、世界を救うべく行動を促されております」
頭を上下させるお父様にわたくしもまた頷きを返す。わたくしが成すべきこと。それを明らかにする時ですわね。
「魔王と邪竜の討伐――――」
再び息を呑むお父様。流石にその内容は受け入れられないのかもしれません。わたくしは一人娘であり、公爵家には他に子供がおりませんでしたから。
「いや、ヒナ……」
「お父様、どうしようもないのですよ。わたくしは何もしなければ18の誕生日を迎えられません。わたくしに未来があるとすれば、世界を救うという対価によって、その先を女神様より授かるだけなのですから」
お父様は頭を抱えていました。愛娘が救世主に選定されるだなんて信じられないことでしょう。非業の死を回避するためには世界を救うしかないなんて。
「お父様、別にわたくし一人ではございません。南大陸にシルアンナ様の使徒様がおられます。わたくしは鍛錬を続けつつ、彼と合流するようにと伺っておりますの」
「それは本当か!? ヒナが一人で戦うわけではないのだな?」
「最終的にはですけれど。とりあえず、わたくしはエルサを連れて旅立とうと考えております」
まだ神聖魔法を完璧に習得しておりません。ライトヒールと浄化は覚えただけであり、熟練度上げの最中でした。しかしながら、わたくしはもう旅立つ時だと分かっています。
対するお父様は何度も溜め息を吐きつつも、ようやくと頷いていました。
「そうか、よく分かった。お前がずっと努力してきたこと。それは公爵家だけでなく、誰もが知っている話だ。人知れず運命に抗っていたとは、我が娘ながら頭が下がる。私はヒナを誇りに思うよ……」
目尻の涙を拭いながらお父様が言った。悲痛な運命を嘆くことすらせず、真摯に向き合ってきた愛娘には賞賛の言葉しか口を衝かないのだと。
「王家には私から連絡しておこう。此度の婚姻は誤解であって、ヒナには残された時間がないことをな……」
何とか婚約騒動は収束しそうです。かといって、わたくしには関連する秘めた野望がございますの。ただの騒動で終わらせるつもりはありませんわ。
「お父様、婚姻を破棄するだけでは示しがつきません。ここはわたくしを追放するという罰則が必要かと存じます。わたくしは嫁げないのですし、誤解とはいえ王家を混乱させてしまったのですから……」
再び涙ぐむお父様。流石にそれは避けたく感じているのでしょう。けれども、心配ご無用ですわ。公爵家の身代わりとして罰を受けるようで、わたくしは自らの願望を遂げられるのですから。
「ヒナ、お前は本当に世の評判通りだ。聖女だという話は決して大袈裟なものじゃない。お前の申し出は領地や領民にとって本当に有り難いものだ。私は情状酌量を求めるつもりだが、恐らく廃嫡でしか折り合えないだろう。しかし、書類上において親子の縁が切られようとも、ヒナは私の気高き娘。お前はテオドール家の一員だ……」
わたくしとしては自身の願望を口にしただけ。だけど、お父様は領民を含めた全ての人たちのため、わたくしが罪を一身に引き受けているように思えているみたい。
「お父様、よろしくお願いいたします。わたくしは覚悟しておりますの。公爵家からの廃嫡をわたくしは望んでおります」
もうお父様の涙は止まりませんでした。お父様は号泣し、わたくしを強く抱きしめています。
「ヒナ、お前は何があろうと私の娘だ。この先に何が起きようとも……」
どうやらお父様も覚悟を決められたらしい。わたくしがいうところの追放でもって、この騒動に終止符を打つのでしょう。
「お父様、わたくしは世界を救って戻ってきますから……」
今一度、抱きしめる腕に力が込められた。父と娘の決意のほど。愛情の深さだけ、それは強く固定されています。
双方が思いの丈を伝えられたと、わたくしは考えていました……。
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