690 始まりの場所
ヤーブナルって奴はムジヒダネ領軍の情報参謀を務めるソコツダネ家の現当主で、そいつの息子がちょうど魔導院に在学中とのこと。【月の女神】様よりいただいた必中のご利益は、その効果をいかんなく発揮したようだ。魔性レディは僕の子供を身ごもって、今では孫までいるらしい。確かに遺伝学的には僕が親ということになるのだろう。とはいえ、そいつの名前に引っかかるところを覚えた。亡くなったヤーブドゥク氏からいただいた名であることは誰の目にも明らかである。
「魔性はそのヤーブナルってのを僕の子供だと言ってるの?」
「いや、父親が誰であるかは明言されてないんだが、あいつがロゥリング族であることは間違いない」
そもそも魔性レディ自身が言いふらしていることなのかと確認してみれば、思ったとおり父親が誰であるかは明らかにされていないようだ。もっとも、ヘルネストの話によればコロリーヌと同じくらいちっこくて、アホみたいな量の魔力を有しているうえ、隠れている生き物の居場所を察知できる。この国にオスのロゥリング族は僕しかいなかったのだから、父親が誰であるかなんて考えるまでもないという。
「全部、状況証拠にすぎないぢゃないか。ヘルネスト、そういうのを根拠のない憶測って言うんだよ」
「お前っ、すっとぼけるつもりかっ?」
魔性レディ改め、魔性グランドマザーが明かしていないことを僕が認めてしまうわけにはいかない。お前の言い分は下世話な憶測だと断じたところ、とぼけるなとヘルネストの奴は目を剥いた。サクラちゃんにクセーラさんまで男らしゅうないと僕を非難する。
「君たち、そんなに魔性が不貞を働いたって証拠を握りたいわけ?」
魔性グランマの夫を名乗ってよいのは、今でも故ヤーブドゥク氏ひとりだけだ。誰よりも彼女自身がそう考えているからこそ、亡くなった許嫁にちなんだ名前を息子に与えたのだろう。今さら種の提供者に父親面されたって迷惑なだけ。秘密は秘密のまま、ファルノスミーレ・ソコツダネは最後までヤーブドゥク氏の妻であったと貫かせてやればよい。
「ファル姉の不貞って……お前が夫じゃダメなのか?」
「魔性の夫はヤーブドゥク氏だ。間男と通じていたことを暴きたいなら、言い逃れできない証拠を探すことだね。多分、ムジヒダネ子爵ならすべて承知していると思うよ」
僕が夫になればよいと、ヘルネスト本人しか納得しないであろう安直な解決策を口にする迂闊なる男。真実ならお前んとこの殿様がご承知だから問い質してこいと言ってやる。ウカツダネ家の魔力が衰退していたあの時期に、誰とも知れない男の種を残った分家の跡継ぎと認めるはずないのだ。領主命令で夫をあてがわなかったのは、産まれてくる子は間違いなく魔力に恵まれていると確信するに足る理由があったからだろう。
「そのくらいにしておきなさい……父親が誰であるのか明らかにしたところで……誰の得にもならない……アーレイはそう言っているのよ……」
ヤーブナルが自分の息子であると認知することは魔性グランマに不利益しかもたらさない。そう理解したうえですっとぼけている確信犯を問い詰めたところで時間の無駄だと次席が援護射撃をしてくれた。真実を知る者が揃って口をつぐむのは、母親の側を慮ってのことだと納得してくれたようだ。
「な~んかすっきりしないなぁ。すっとぼけてる伯爵が正しいみたいなとこが特に……」
一方、僕の言い分を認めることに正義が納得しないとクセーラさんは首を傾げている。真実は常にひとつ。それがすべてだとでも言いたいのだろうか。彼女はあくまでも正義の味方であって、間違っても弱者の味方ではなかったことを思い出す。
「クセーラ……ヒトというものはね――」
イボナマコが詰まってるみたいでスッキリしないと顔を曇らせてる妹に、よく聞けと次席が声をかける。このパターンは火に油を注ぐだけな結果に終わると予想しているのは僕だけだろうか。
「――自分にとって都合がよければ……真実なんてどうでもいいドブネズミなのよ……」
「悪だよっ。その思想こそが世に悪を蔓延らせているんだよっ」
思ったとおり、お姉さんにドヤ顔でドブネズミの心得を語られてクセーラさんが爆発した。楽をしたい。得をしたい。その方が都合がいい。そういった誘惑を振り切って正道を歩むのがヒトのあるべき姿だと理想論を振りかざす。残念だけど、それができるのは仏様だけだ。わかっちゃいるけどやめられない生き物をヒトと呼ぶのである。
「ムジヒダネ子爵とソコツダネ先生があえて口を閉ざしているのであれば、余計な差出口は控えるべきでしょう。それは領の方針なわけですから」
事情をわかったうえでムジヒダネ子爵が黙っているのなら、それは魔性グランマの意思を尊重するということ。第3者が余計な口出しをしてよい事柄ではないと、リアリィ先生がまだ納得できない連中をなだめてくれる。脳筋ズは不満そうな顔をしていたものの、領主の思惑をぶち壊してヤーブナルを不義の子にしたいのかと問い詰められ反論できずに黙り込んだ。
「モロニダスは孫がかわいくないのか?」
「血縁者と名乗り出ないってだけで、興味がないわけじゃない。もちろん――」
リアリィ先生に言い負かされたヘルネストは理屈でなく情に訴える作戦に切り換えた模様。子供を大切に思わない冷血漢だと僕に矛先を向けてきた。こいつはひとつ勘違いをしている。お爺ちゃんだよと名乗り出ることだけが愛情の示し方ではない。
「――いけ好かない小僧だったら鼻っ柱を叩き折ってやるつもりだよ」
「マイフレンド、お前はどうしてそう大人げないんだ」
式典実行委員会の初会合を終え、僕たちはそそくさとモウヴィヴィアーナへ向かう。だんだんと見覚えのある景色が増えてきて、帰ってきたのだという実感が湧いてきた。ヴィヴィアナ湖から流れ出たヴィヴィアナ川に沿ってクネクネと登っていく道は記憶に残っているとおりだ。油断したら涙が零れてしまいそうになる。
とはいえ、モウヴィヴィアーナの街はかつてのままではなかった。けっこう拡大したみたいで、ジラント討伐のためにホンマニ領軍が駐屯していた郊外の空き地や、その隣にあった緩やかな斜面はきれいに造成され新しい建物が並んでいる。コロリが在学していたころはまだ手付かずの斜面で訓練に使用できたという話なので、ここ20年くらいの間に街が大きくなったのだろう。それでも、街の入り口からヴィヴィアナ様公園へ至るメインストリートは懐かしさで溢れていた。
――お祭りみたいな雰囲気は変わってないな……
もちろん建物やお店は新しくなっているものの、繁忙期の観光地らしい賑やかな様子は昔のままだ。魔導院の生徒だったころに戻ったような気がして、気づかないうちにバナナンダーの足元へと視線を向けていた。そこに三輪車を漕ぐ3歳児がいるような気がして、ついついあるはずのない姿を探してしまわずにはいられない。
ここにはひとつひとつの場所にタルトとの思い出がある。今でもまだ3歳児の姿を鮮明に思い出せることに安堵しながら街路を進めば、卒業はしていない心の母校であるホンマニ魔導院の門が見えてきた。石造りの門柱や壁は最後に見た時のままだ。
――ただいま。戻ってきたよ……
この場所を去る時にサヨウナラという言葉が浮かばず、行ってきますと心の中で告げていたことを思い出す。無意識のうちに再び戻ってくる日が訪れると確信していたのかもしれない。ここでタルトと出会わなければ、僕はただ魔力に恵まれただけの役立たずでしかなかっただろう。魔導院は僕たちにとって始まりの場所、いわば故郷だ。帰ってきたのだという感慨深い思いに身を震わせながら門をくぐる。
まずは学長先生にご挨拶と中央管理棟へ向かえば、玄関先でマジスカ君が出迎えてくれた。理事長室は使えるようにしてあるし、僕たちの逗留場所としてホンマニ家の館に客間を用意してあるそうだ。さっそくリアリィ先生と実行委員に選抜された官吏たちが打ち合わせを始める。その間に僕たちは久しぶりの魔導院を見学しようという話になった。案内役は教員に復帰しているプロセルピーネ先生で、最初はもちろん飼育サークルの騎乗部門だ。ちなみにコケトリス部門はもうない。ウカツ訓練場を始めとする外部の訓練施設が充実したことで、その役目を終えたと判断され再び騎乗部門へ吸収されたという。
「やっぱり、崖下り技術まで仕込んでおくべきだったかなぁ……」
「崖から突き落とされるって知ったら、誰も参加してくれなくなるよ」
バナナンダーを騎乗部門へ向かわせながら、無理やりにでも崖下りを習得させるべきだったかと口にしたものの、メンバーが集まらなくなって潰れるだけだとコロリーヌに指摘されてしまう。コロリが崖下りをしっかり伝えていれば、他では身につかない技術があると存続が許されたのではあるまいか。ちょっとは責任を感じていただきたい。
「プロセルピーネ先生、戻られてたんですか」
「たった今ね。こいつら……ひとりを除いて卒業生なの。ちょっと見物させてもらうわよ」
騎乗部門へ到着すれば、僕たちに気づいた生徒のひとりがプロセルピーネ先生に声をかけてきた。やっぱり飼育サークルの顧問をしているそうだ。なお、プッピーのコケトリスは魔導院で孵った黒スケの孫で【星闇を閉ざす暗黒の翼】という脳みそ14歳な名前がつけられているのだけど、生徒たちからは黒スケと呼ばれているらしい。
コケトリス部門は消滅したものの、サークル舎は築40年以上が経過した今も健在な模様。談話スペースなどは生徒たちの憩いの場として活用されているようだ。もっとも、タルトがお気に入りだったヒヨコ育成室は物置にされていた。騎乗部門に吸収された際、コケトリスの繁殖はペット部門へ引き継がれたという。汗水たらして整備したにもかかわらず荒れ放題になっているかつてのアオムシ畑を前にしてヘルネストの奴が呆然としている。
「俺たちの作ったコケトリス部門がなくなっちまったのは寂しいな」
「まぁ、コケトリスが一般化したってことなんだろうね。今はもう特別でもなんでもない。それはきっと歓迎すべきことなんだよ」
途中参加のくせに俺たちが育てたなどと口にするヘルネスト。ちょっぴり寂しいのは事実だけど、コケトリス部門は訓練技術や繁殖技術を普及させるために設立された。それが役目を終えたとは、すなわち目的が達成されたということでもある。いつまでも目標未達のままズルズルと存続し続けるよりはずっとマシだろう。
「プロセルピーネ先生。なんですか、この魔獣みたいな雄鶏は?」
奉納の式典が終わればすぐに魔導院祭、秋のヴィヴィアナ様祭りと続くお祭りウィークがやってくる。魔導院祭で開かれる競技会に向けて練習に励む様子を眺めていたところ、なんだこの野生の魔獣みたいなコケトリスはとバナナンダーの周りに生徒たちが集まってきた。初代黒スケやイリーガルピッチがいなくなって久しく、もう純粋な競技用血統は残っていないのだろう。プッピーの2代目黒スケも観賞用コケトリスの血が混じっているのか、バナナンダーに比べると短足で丸っこい。
「そいつはロゥリング族が競技用に身体能力を突き詰めたコケトリスよ。あんたらに扱えるようなシロモノじゃないわ」
バナナンダーを指差して、こいつは崖を駆け下りるのに谷底へ向かって加速させるトチ狂った連中が使うコケトリス。まともに乗りこなせるのはロゥリング族でもひと握りなうえ、狂暴だから迂闊に触れるなとプッピーが警告する。酷い言い種だと思うけど、めんこいメスがいっぱいなこの場所を新しい縄張りにしようと考えたのか、さっきからバナナンダーが周囲を威圧しているのは事実だ。そのせいで、馬場を走っているコケトリスや馬たちは練習に集中できていない。ヤバそうな奴がギロギロ睨みつけてくるもんだから気になって仕方がないだろう。
「ふ~ん、なんかおかしな気配をした奴が多いと思ったけど、先生の知り合いでしたか」
こいつは狂暴だと言われバナナンダーを取り囲んでいた生徒たちが一斉に後ずさる。だけど、彼らの間からひとりの男子生徒が進み出てきた。12歳くらいだろうか。まだ専門課程には上がっていなさそうな年齢なのだけど、黒い指抜き革グローブなんかはめちゃって14歳の気配がビンビン伝わってくる。
「こいつが【絶叫王】の孫よ。名前はモロ――」
「それは現世における仮初めの名っ。我が魂に刻まれし真名は【闇を統べる黒金の男爵】っ。ダァァァクバロンッ!」
どうやら、この男子生徒が魔性グランマの孫であるらしい。僕に紹介しようとしたプッピーの発言を遮り、右手を後方に振り上げ左手で顔を隠すようなポーズをとりながら、まるで正義のヒーローであるかのように名乗りをあげた。なるほど、こいつは確かに彼女の孫だ。疑う余地など微塵もない。
「ヘルネスト。これはもう手遅れだ。彼のことは諦めよう」
「お前、投げやり過ぎるだろ……」




