657 最後のゲボク
ノースポートから亡国跡地までは船で丸3日かかる。湖がデカいのと、鈍足な貨物船であることと、海上ほど安定して強い風が吹かないせいだ。それでも、陸路で迂回しようものなら30日はかかるとあって渡し船は繁盛している模様。波止場にあるドンブラ湖水運公社の建物は乗船待ちの人々でごった返していた。外には積み込み待ちの荷を乗せた荷車が何台も並んでいる。
船を運航しているのはこの公社で、人数と積荷を申告すると乗船可能な船を割り当ててくれるのだけど、僕たちは受付の列に並ぶ暇さえなくVIPルームへ案内された。公社という名称からわかるとおり、ここは国を統治するエウフォリア教団の下位組織なのだ。オッツァン総大司教崩御の報せはすでに届いており、それを外国に駐在している大使のもとへ伝えに向かうのはれっきとした公務。足止めなんてした日には責任者の首が物理的にとばされてしまうと、次に出港する船に最優先で乗船させてくれた。
「はあぁぁぁ……船旅は携帯食しか食べられないのがつらいところですねぇ……」
ノースポートを離れて2日目。司祭様にあてがわれた上級船室の中で焼き菓子をボリボリ齧りながらベコッタ司祭がため息を吐いている。船上は火気厳禁なため、あらかじめ持ち込んだ携帯食や保存食しか食べられないのがご不満らしい。遠洋航路と比べれば波なんてないも同然なくらい水面は穏やかなのだけど、そもそも船上で調理することを考えていないため厨房もなければ燃料も積んでないそうだ。まぁ、たった3日なのだから我慢しろって思想なのだろう。
「じゃあ、ベコッタ司祭の食事はそれでいいね」
「むむっ、豚肉をどうするつもりです。そのまま食べたらお腹壊しますよっ」
肉食種族であるロゥリング族は焼き菓子で栄養を摂取できないため、このままでは3日間の断食となる。修行僧じゃあるまいし、そんなことしてられるかと乗船前に市場で購入しておいたロースベーコンの塊を取り出せば、いくら燻製してあってもそのまま食べるのは危ないぞと食いしん坊司祭から警告された。
「火を使わなくてもフライパンを加熱することはできます」
荷物の中から深型フライパンと先端がふたつに割れた柄の長いフォークのような魔導器を取り出す。ロリオカンに作ってもらったマキマキドライの魔導器はとうに寿命を迎えてしまったため、術式を最適化して僕が作り直したマキマキドライ改の魔導器だ。ミスト洗浄の魔導器と水だけを通す濾過器を使って水瓶をいっぱいにし、お米を入れた袋に具材のタマネギ、ニンニク、ニラと調味料をテーブルの上に並べれば、いったい何をするつもりなのかと食いしん坊司祭がのぞき込んでくる。
「フライパンひとつあれば味付けして炊いたご飯くらい作れますからね」
「まさかっ、ここで調理するつもりなんですかっ?」
ワンパンあればピラフくらい楽勝よと告げれば、船の上で調理ができるなんてとベコッタ司祭が驚いたように目を見開く。食べたければ手伝うよう告げたところ、頬を赤く染めてクネクネと身体を悶えさせ始めた。
「あの……それってプロポーズ、ですよね?」
「違います。寝ぼけたことぬかしてる暇があったら野菜を刻んでください」
「そんなっ。今、一生食べさせてほしければ、生涯にわたって自分を手伝えってっ?」
「言ってません」
目の前にある一食のことを、一生の約束に置き換えるベコッタ司祭。「月がきれいですね」とか「君の味噌汁が飲みたい」をプロポーズの言葉に使うのは誤解のもとだから法律で禁止すべきだと思う。くだらない問答に時間を費やしていてはいつまでたっても食事が出来上がらないので、命尽きるまで聖女様にお仕えする聖職者の誓いはどこへ行ったとタマネギを押し付け、僕は切り落とした脂身をフライパンで熱し油をひいていく。
「ごんな酷い仕打ぢを受げだのは生まれで初めてです。涙が止まりません……」
「涙が止まらないのはタマネギを刻んでいるからでしょう」
ザクザクとタマネギをみじん切りにしながら、悪い男に乙女の純情を弄ばれたとベコッタ司祭が人聞きの悪いことを口にする。涙が止まらないのはタマネギに含まれる成分のせいだと、この世界の人々は知らないのだろうか。もっとも、お米と刻んだ具材を炒め始めたところで乙女の純情はど~でもよくなった模様。彼女はもう香ばしい匂いを漂わせるフライパンの中身に夢中だ。水と調味料を加えて炊き始めれば、まだかまだかとソワソワして落ち着かない。どうして食いしん坊はどいつもこいつも同じ反応をするのだろう。
「はあぁぁぁ……。まさか、船旅でちゃんとしたご飯が食べられるなんて……」
出来上がったピラフを器に盛って渡せば、毎度毎度パサパサの焼き菓子を覚悟していたのに真っ当な食事が出てきたと食いしん坊司祭はプルプル震えて感動していた。食事が美味しいことに勝る幸せはないと一心不乱にモックモック平らげる。その姿はさながら牛のようだ。
「これなら、船旅で1日4食も安心ですねっ」
「運動しないんだから2食で充分です」
ピラフを食べ終えたベコッタ司祭が日に4回の食事を要求してくる。僕は食いしん坊に厳しい男。そう思いどおりになると考えるのは早計ってもんだ。どっさり買い込んだ焼き菓子があるのだから、半分はそれで我慢するよう言い渡す。
「あうぅぅぅ……わかっていたら、焼き菓子じゃなくて食材を用意したのに……」
どうして乗船する前に教えてくれなかったのだと涙を流す食いしん坊司祭様。憎たらしい焼き菓子なんてやっつけてやるとおやつ袋の中からクッキーを取り出すと、食事を終えたばかりだというのにボリボリ齧り始めた。
3泊4日の船旅を終え、僕たちは亡国跡地に上陸をはたす。交易の中継点であるためか予想していた以上の賑わいだ。ベコッタ司祭によれば、教国からの水上路と東側にある周辺諸国からの交易路、そして王国怒りのロードの3つが交差するポイントなので、必然的に市場取引が活発になる。そのため、自然と人や物が集まってくるのだという。
ちなみに、この亡国跡地はエウフォリア教国を含む周辺三国が共同で総督府を運営し統治にあたっているらしい。カルハズミーナ公国の支配者層を一掃したアーカン王国軍が引き揚げた後、この地には政治的空白が生じたものの、周辺各国は虎の尾を踏んでしまうことを恐れ自らの領土だと主張することをためらった。とはいえ、ならず者が集まって山賊国家など形成されても厄介なので、いざという時にはトカゲの尻尾のように切り離せる総督府を共同で設立したそうだ。そういった経緯もあって、どの国も今さら自分の領土だと言い出せない状況にあるとベコッタ司祭が教えてくれた。外務派の司祭だけあって事情に通じている。
「滅ぼされた公爵家のお城なんですけど、建物の損傷は少なかったそうで今は歴史資料館になってます。周辺も公園として整備し直されたので行ってみませんか?」
港を見下ろす小高い丘の上に中層までが石造りで、その上に木造の建屋を乗っけたようなお城が建てられている。かつて、この地を治めていたカルハズミーナ公爵の居城跡だそうな。後を継いだとみなされないよう総督府は別の場所に館を構え、見晴らしがよいという理由で城跡は公園として住民たちに解放されたらしい。せっかくだから寄ってみようとベコッタ司祭に観光をオススメされる。物見遊山の旅ではないのだけれど、ちょっと気になったことがあるので歴史資料館をのぞいてみることにした。
城跡公園までは近道である階段と丘をグルリと螺旋状に登っていく遊歩道があるようだ。遊歩道の方は馬車も通行できるので、ふもとにある停留所から乗合馬車も運行されている模様。コケトリスに跨って遊歩道を駆けていけば途中で12人乗りの観光馬車を追い抜いた。おぞましい気配を感じて観察してみれば、乗っているのは20代くらいの男女が6人ずつだ。なんだか嫌な予感がする。
「お城にたてこもっていた人たちはひとり残らず皆殺しにされたって話ですけど、建物が残ってるってことは毒でも撒いたんでしょうか?」
開けっ放しになっている城塞の門をくぐり城跡公園に入ると敷地内案内マップが掲示されていた。中央の建物、いわゆる天守閣にあたる部分が歴史資料館になっていて、周辺施設も当時のものが多く残されているそうな。礼拝堂や厩舎は今でもそのまま、営舎や倉庫は売店や食事処として再利用されているという。ベコッタ司祭は戦争の傷跡が少ないのが不思議なようで、王国は毒を使ったのかと首を傾げている。
「おそらく違うでしょう。毒を使ったなら、ここはバシリスク公園になっているはずです」
大量の毒が撒かれたなら、それを嗅ぎつけてバシリスクたちが集まってくるはずだ。そうなってないということは、別の兵器が使用されたのだろう。歴史資料館に入り、当時の様子を城下町から視ていた人の証言を読んだところで僕の予想が的中していたと判明した。50騎を超える魔導騎士により上空を制圧され、大量のナニカが投下されてしばらく経った後、お城というより丘の上が丸ごと燃え上がったとある。やはり、使われたのは霧化燃料弾だった模様。建物の損傷が少ないのは、霧化した燃料が建物内にまで充満するのを待ってから着火したせいだろう。壁の外側と内側の圧力差が小さかったからぶっ壊れずに済んだわけだ。
「火を使ったんですか? それにしては、木造の建物が残っているような……」
「炎が燃え続けるには空気に含まれる成分が必要なんです。燃料を投入し過ぎたせいで、そいつを使い尽くしてしまったんでしょう」
展示資料に目を通したベコッタ司祭が、焼夷弾を使ったのに火災が起きないとはこれ如何にと頭の上にハテナマークを浮かべていた。燃焼を維持するのに必要な空気が足りなくなったせいだと説明しておく。木造部分が延焼しなかったのは、燃料過多の状態になるほど霧化燃料弾をぶっ込んだものだから酸素不足で自然鎮火したに違いない。
――それにしても、ブチギレ過ぎだろう。気持ちはわからなくもないけど……
わざわざ魔物の領域を切り開いて街道を通し、50騎を超える魔導騎士を一度に投入するなんて非常識もいいところだ。原因を作ったカルハズミーナ公国も、まさかアーカン王国がここまでしてくるとは予想できなかっただろう。自業自得ではあるものの、あまりにも苛烈な報復に尿意が込み上がってくるのを感じる。
おそろしや、おそろしやとプルプル震えながら歴史資料館から出れば、お日様が傾いて空全体が茜色に染まっていた。眺望が最高と評判の展望施設があるのだとベコッタ司祭に手を引かれ行ってみれば、夕陽を反射して輝く湖と港が視界に飛び込んでくる。と同時にベンチや建物、木立の影に潜むカップルどもの魔力がロゥリングレーダーで捉えられた。人目を忍んでいるのだか、はたまた見せつけているのだか判断しにくい位置でイチャイチャとちちくりあってやがる。どうやら、ここは夕陽が美しい港の見える丘公園であったようだ。もう一度、霧化燃料弾で一掃した方がいいかもしんない。
「将来を誓い合いたくなるような、素敵な眺めですねぇ。これから毎日、美味しいものを食べさせるって約束してくれてもいいんですよ」
僕が雰囲気に流されて軽はずみな約束をしてしまうことに期待しているのか、毎日のご馳走を誓ってくれてよいのだぞとベコッタ司祭が食欲に瞳をウルウルさせる。ご馳走にありつくためなら手段を選ばないなんて、とんでもない食いしん坊モンスターだ。
「一緒に旅をしている間はちゃんと食べさせてあげますよ。食材の調達には自信がありますからね」
「ぶぶぅ~。そこは一生って言うところですよぅ」
今は夏の初め。農作物はよく実っているけど、ドングリなど山の幸が生るには早い時期だ。つまり、流離いのクマハンター需要はいくらでもある。ご馳走を入手するアテはあるから安心するよう伝えたところ、勢いに任せて生涯を約束するのが若気の至りってものだとベコッタ司祭は頬を膨らませた。
「僕はもう約束をしちゃってますから、別の人とはできません」
「ええっ、結婚してたんですかっ?」
左手の中指にはめられた契約の指輪を示して、なんでも言うことを聞く。いつだって傍にいる。いつまでも大切にすると約束してしまったのだと伝えれば、また乙女の純情を弄んだのかと食いしん坊司祭はおっぱいを怒らせた。僕が利用するのは純情でなく胃袋だ。それなら、いくら弄んでも罪にはならない。
「いいえ、これは神様との契約です。僕の方が従僕ですが……」
「じゃあ、聖職者だったんですか?」
「教団もない神様ですから位階なんてありませんけど、聖女様からもある神様の下僕と認識されてるはずです」
残念なことにオムツ教徒は数えるほどしかいないし教団組織もない。聖職者だったのかという質問には、タルトの下僕ってことで神様たちの認識は一致していると答えておく。
「その神様っていうのは?」
「いなくなってしまいました……だから、捜しているんです」
今はシルヒメさんが管理しているであろうタルトの館も、こんな風に湖が一望できる場所にあったなと思い返しながら夏らしい赤みを帯びた夕陽に照らされる港を見下ろす。どこにいるのかは神々ですらわからない。だけど、確かに存在しているのだと指輪に宿った精霊が告げている。先に交わした約束が残っている以上、他の誰かを最優先する約束はできないと伝えたところ、ベコッタ司祭はポロポロと涙を零し始めた。
「まさか、ずっと探し続けているんですか? たったひとりで……」
「僕があいつの最後の下僕です。後を託せる相手なんていません」
後に続く者などいない。この約束は僕がはたすしかないのだ。たとえ、イグドラシルから零れ落ちることになろうとも……
「街へ戻りましょう。宿も探さなきゃいけません」
お天道様が地平線の向こうへ隠れ始め、茜色だった空が東から徐々に薄い紫色へと変わっていく。宿を確保して食事にしようと丘を下り、貧乏な傭兵ではなく懐に余裕のある商人向けの宿を取る。確保した部屋には寝台がふたつあったものの、どうしてかベコッタ司祭はなにも言わないまま一緒の寝台で添い寝してくれた。




