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道案内の少女  作者: 小睦 博
第3章 モロリーヌの夏休み

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59 出来上がった乳母車は……

 7月も終わりに近づいてきた今日、ようやく完成した乳母車のお披露目が行われた。


 8本のバネを使った4輪独立懸架。バスケットの部分を支えるアームも美しいアーチを描きサスペンションとしての機能を持たされていて、スプリングが使用されたフルフラットリクライニングシートは、適度な弾力で最高の寝心地を提供してくれるという。


 シュセンドゥ先輩考案のリクライニング方式は、ヒンジの部分がスライドしながら背もたれが立ち上がるようになっていて、座面が後退すると一段低い足を置く場所が出来上がる。タルトはなんとも小憎らしい仕掛けだと喜んでいた。


 タルトの要求した収納式のテーブルと出し入れできる日除けに加えて、雨避けに折り畳み式の幌を追加。バスケットの部分は編み籠ではなく木製の頑丈な造りとなっていて、明るいこげ茶色に塗られた落ち着きのある仕上がりだ。


 あまり大きくはないものの掛布団なんかを入れておける収納もついた、異常に完成度の高い贅沢な乳母車である。唯一にして、致命的な欠点に目をつぶれば……


「でっか……これ、僕が押すの?」


 その乳母車はでかかった。発芽の精霊の要望により、タルトとふたりでゆったりお昼寝ができるサイズになったため、小型の荷車くらいの大きさがあるのだ。重量もハンパではなく、僕の力では片側を持ち上げることすらできない。

 バスケットの位置も高いため、タルトを抱っこして寝かせるには僕の身長では足りない。シルヒメさんでなければ無理だ。


「ちょっと……大きかったかしら?」


 バネに加えてリクライニングシートを担当してくれたシュセンドゥ先輩が呟いた。

 ちょっとどころじゃありませんよ……すごく大きいです。


「タルト。喜んでるところ悪いけど、平地ならともかく坂道は僕じゃ押せないよ」

「むむぅ。下僕は貧弱なのです」

「ロゥリング族が貧弱なのは僕のせいじゃない」


 そんな文句は神様にでも言ってくれと首を振ると、タルトはむぅむぅ唸り出した。乳母車が諦めきれないらしい。


「なにもアーレイが押さなくても、コケトリスに牽かせればいいんじゃないかい」


 乳母車のバネの利きなんかを確認していた【皇帝】が助け舟を出した。タルトがポンと手を打つ。


「エロオヤジはいいところに気が付いたのです。コケトリスに引っ張ってもらえば解決なのです」

「僕の名前はエリオヤージュだ。エロ親父じゃない……」


 【皇帝】のフルネームは、エリオヤージュ・ムケズールというのだけど、タルトはエロオヤジと呼んでいる。老け顔にビール腹という見た目なので違和感がまったくない。

 すぐさま乳母車に手が加えられ、押手の握りの部分を切り落としハーネスを付けられるように改造。ドアと昇降用のステップも追加された。もう乳母車ではなく鶏車である。


「さっそく牽かせるのです」


 イリーガルピッチに乳母車を繋いで僕は鞍に跨る。乳母車には御者台なんてないし、コケトリスは荷車を牽くように訓練されていないから、御者台からでは操れないのだ。タルトと発芽の精霊を乳母車に乗せて、試しに人が歩くくらいのスピードでトコトコと歩かせる。


「湖に向かわせるのです」


 背もたれを立たせ、椅子に座った姿勢で足を組んだタルトがえっらそうに指示してきた。タルトはよっぽどこの乳母車が気に入ったらしい。湖面に浮かぶお祭り船を指差して「もうそんな船、羨ましくなんてないのです」と、実に3歳児らしい大人げない態度でヴィヴィアナ様に喧嘩を売っていた。


「乗り心地の方は問題なさそうね」


 魔導院をぐるりと周って工作棟に戻ったところ、乳母車の精霊たちはフルフラットにしたシートの上でお昼寝の真っ最中だった。気持ちよさそうに寝息をたてている精霊たちにタオルを掛けてあげながら、シュセンドゥ先輩が満足そうに頷く。

 バネが出来上がったところで報酬の魔法陣は渡してあり、遠征実習の間に量産型ガラガラの魔導器を売りさばくと言っていた。


「これ……乳母車で街の外に出かけられないかしら……」


 次席が看護士講座に行くのに乳母車を馬車代わりに使えるのではないかと言ってきた。


 看護士講座を受講するのはカリューア姉妹に僕の3人なのだけど、僕たちまで遠征実習の先輩と出かけていくのを指をくわえて見ている脳筋ズではない。放っておくと勝手についてきてしまうから、監督に【皇帝】を付けることを条件に連れて行くそうだ。

 結果として、僕、カリューア姉妹、【皇帝】、ヘルネストにムジヒダネさんの6人にシルヒメさんを含む精霊3体が加わり、結構な大所帯になってしまった。


 ちょうど今、クセーラさんと脳筋ズが大型の荷車にベンチシートと幌を取り付けて荷台に人が乗れるよう改造している。これに全員乗っていく予定だったのだけど、乳母車が使えればスペースに余裕ができるというわけだ。

 僕は最初からイリーガルピッチに乗っていくつもりだったし、乳母車にしては大きめの車輪が取り付けられている。街道を行く分には問題ないだろう。


「タルトと次席の精霊は乳母車でいいんじゃないかな」


 サスペンションのない荷車なんかに乗せたら、ブーブー文句を垂れるに決まっている。上流階級向けの高級馬車を借りることも考えたのだけど、実習で遠征に行く先輩たちに高級馬車で混じるのも失礼だ。騎士が贅沢に慣れるべきではないと次席に却下された。


「よくやったのです【萌え出づる生命】。褒めて遣わすのですよ」

「モッタイナキオコトバ……」


 お昼寝から目を覚ましたタルトは大儀であったと発芽の精霊に二つ名を贈った。【ニューゴブリン】などという二つ名を賜った僕にはさっぱり理解できないけど、発芽の精霊はずいぶんと嬉しそうだ。

 僕にも、もうちょっとカッコイイ二つ名をくれれば良かったのに……


「クスリナ……」


 次席が喜んでいる精霊の頭をナデナデしようとしたところ、発芽の精霊がその手を避けた。


「…………ゴメンナサイ……キライニナッタ?」


 自分が使役者に逆らっていると自覚はしていたのだろう。魔力を読むまでもなく、次席を見つめるその瞳は不安に揺らめき、怒られるのを待つ子供のように肩を震わせている。


「クスリナ……私には言ってくれないのかしら……それが欲しいって……」

「……クサンサ?」

「アーレイの精霊は特別……それは私にもわかる……でも契約者である私にも……あなたの願いを叶えさせてちょうだい……」


 次席がおねだりは私にしなさいと発芽の精霊をそっと抱きしめた。


「ユルシテクレルノ?」

「謝る必要なんてないの……でも次からは……欲しいものがあったら私に言うのよ……」

「ソウスル……」


 しばらくの間、次席に髪を撫でられていた発芽の精霊がひまわりを見に行きたいと言いだし、ふたりは園芸サークルのひまわり畑へ出かけて行った。次席の望んだとおり、少しは我が儘を言うようになってくれたろうか。


 僕たちはサンダース先輩にイリーガルピッチの轡を取らせて飼育サークルへ向かう。タルトが乳母車に乗って行けと言うので乗せてもらったところ、サスペンションがよく効いていて石畳の上でもゴツゴツしない。微妙な振動が伝わってくるのだけど、これはアレだ。眠くなる振動である。


「先生、クゲナンデスの精霊に気に入られる方法を……」

「そう急かすのではないのです。クゲビッチに知られてしまっては元も子もないのですよ」


 サンダース先輩が待ちきれずにくっつく精霊のご機嫌の取り方を聞き出そうとしたけど、タルトは他人の耳があってはマズいとおあずけにした。クゲナンデス先輩に知られないよう、先輩がアキマヘン嬢たちの指導に手を取られているタイミングを見計らってお昼寝部屋へ入り込み内側から鍵をかける。


「櫛なのです」


 今、お昼寝部屋にいるのは僕とタルト、サンダース先輩に雷鳴の精霊だけだ。早く知りたくてソワソワしているサンダース先輩に、毛玉のようなくっつく精霊が綺麗に洗ってもらったのなら、次は梳かして欲しがるに決まっているのだとタルトは自信満々に答えた。


 精霊を喜ばせるには、魔力をたくさん含んで生命力に溢れた素材で作られた櫛が良い。魔力の高い土地に生えて、切り株にされてもまた芽を出すような樹木とか、亀のような甲羅を持った亜竜から採れる鼈甲のような素材が適しているそうだ。


「今年は大遠征で魔物の領域深くまで侵攻するから、上手くすれば……」

「まさか、最前線まで行くつもりですか?」


 遠征実習は魔物と戦うことが目的ではない。領軍と同じ編成を作って行動することで、軍を動かすのに必要になる人員や物資。軍事行動に伴う諸問題を理解しましょうというのが主題だ。なので、騎士課程の先輩たちが行うのは拠点近くのパトロール任務。遭遇する可能性があるのは騎士団や領軍の狩り残した魔物くらいだろう。

 だけど、先輩のヒッポグリフなら最前線まで到達することも不可能ではない。


「部隊指揮を放り出して抜け駆けなんて考えてないぞ……」


 僕がジト目になっていることに気付いた先輩が言い訳を始めた。領軍が入手した素材なんかは拠点に集められるから、取引で手に入れることは可能だ。そして、拠点には先発したプロセルピーネ先生がいる。

 先生は軍医の傍ら、授業の一環として集まった素材の解説や騎士団が倒した魔物の解体ショーをしてくれるらしい。先輩は目利きをお願いするつもりだそうだ。


「櫛が手に入っても、絶対に櫛をクゲビッチに渡してはいけないのですよ」


 どんなにおねだりされても、櫛をクゲナンデス先輩にプレゼントしてはいけない。贈り物にしてしまっては、一時感謝されるだけで終わってしまう。大切なのは、くっつく精霊がサンダース先輩を気に入って寄ってくるようになることだとタルトは言う。


「クゲビッチの機嫌など取る必要はないのです。ペトペトに好かれれば、頼まれなくてもお前とクゲビッチを結び付けようとするのです」

「結びつける? 精霊が?」

「お前たちの物知らずっぷりには呆れるばかりなのです。ペトペトは生き物をつがわせる『くっつける』精霊。【神々の女王】の権能の一部なのですよ」


 お気に入りではなく、女神様の権能の一部ときやがった……


 【神々の女王】は結婚や出産を祝福してくれる女神様として信仰されている。タルトによると、くっつく精霊は生き物がつがいを作って安定を得ようとする心を司り、精霊がふたりをくっつけようとすれば、使役者であるクゲナンデス先輩にはサンダース先輩のキラキラ度が増して感じられるそうだ。


「恋の精霊ってわけか、クゲナンデスらしいな……」

「全然違うのです。恋などというものは、単に発情を言い換えたに過ぎないのです」


 クゲナンデス先輩はロマンチックだなと呟いたサンダース先輩の幻想を、タルトがあっさりと叩き潰した。生き物を発情させる精霊は別にいて、それは【愛の女神】様の眷属らしい。くっつく精霊と契約しているクゲナンデス先輩は憧れや恋愛感情で相手を決めたりしない。結婚に将来の安定を求める現実的な考えの持ち主だとタルトが分析する。


「ペトペトがくっつけたつがいはたいてい一生寄り添うのです。どうしてそんなに残念そうな顔をするのですか?」


 意中のお相手への幻想を砕かれてガックリしているサンダース先輩に、恋の精霊が訪れるのは一時だけ。ゆえに、恋は時が過ぎれば醒めてしまうのにとタルトは不思議そうだ。

 3歳児曰く、くっつく精霊が司るものをストルゲー。恋の精霊が司るものをエロースと呼んで、両者はまったく異なるものらしい。


「現実的か……」


 サンダース先輩が難しそうな顔をして考え込み始めた。タルトが分析したとおりなら、クゲナンデス先輩は好きな相手よりも相応しい相手を選ぶ。恋愛と結婚は別というタイプだ。

 まあ、後はサンダース先輩に悩んでもらおう。櫛のことだけでなく、精霊の正体に結婚観まで教えてあげたのだから、タルトは充分にサービスしたと思う。


 お昼寝部屋を後にすると乳母車に人だかりが出来ていた。シュセンドゥ先輩がサスペンションやフルフラットリクライニングシートの説明をしていて、製作期間の関係で装飾には凝れなかったけど、乗り心地は最高級の馬車にも劣らないと自信満々だ。


 相も変わらずアキマヘン嬢の取り巻きたちが「公爵家のご息女を差し置いてこのような……」などとほざいていたけど、クゲナンデス先輩に「公爵家のご息女に乳母車が相応しいとお考えですか?」とツッコまれていた。

 他人の物を召し上げてる暇があったら、自分の作品をプレゼントすりゃいいのに……


「アーレイ先輩はコケトリスの調教をされたことはございますか?」

「イリーガルピッチを訓練したのは僕だけど……なんで?」


 唐突にコケトリスの調教ができないかとアキマヘン嬢が尋ねてきた。理由を聞いてみたところ、アキマヘン家はコケトリスのつがいを保有していて雛も孵ったのだけど、調教の仕方がさっぱりなので騎獣にできず観賞するしかないという。

 僕に調教をお願いできるなら、実家から若鶏を送ってもらって自分の騎獣にしたいそうだ。


「そういえば、ロゥリング族と人族の交流が再開された記念に、人族の王様にコケトリスのつがいを贈ったって話があったね」

「そうなのですけど、ロゥリング族が飼育方法などをまとめたという文書には、『ニワトリと変わんないから』としか書かれていなかったらしく……」


 ……すいません。それはきっとウチのロリオカンの仕業です。


 僕の母親は大雑把なうえに感覚派ときている。コケトリスの乗り方も、「こうクイクイッとしてググッときたらガッとすんのっ」なんて指導しかしてくんなかった。

 仕方がない。デキる息子の僕が尻拭いをしてやるか……


「雌鶏ならいいよ。雄鶏は黒スケに乗れるようでないと無理だから」


 コケトリスの雄鶏は気位が高く、自分が認めた相手しかその背に跨ることを許さないツンデレさんだ。黒スケに跨れるのは、プロセルピーネ先生に僕とタルト、そして昨年一年間黒スケに挑み続けたシュセンドゥ先輩だけで、他の子は先生か僕が近くにいて命じなければ乗っけてくれない。

 雄鶏を訓練したところでアキマヘン嬢が乗れなければ意味ないからね。


 夏学期の間は黒スケもイリーガルピッチもいなくなってしまうので、秋学期の初めくらいに連れてくるようにお願いしておこう。


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