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道案内の少女  作者: 小睦 博
第2章 アーレイ家の娘
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56 上を目指す者

 モロニダス・アーレイは死にました。治療術で治しながら繰り返し折檻するという無間地獄に落とされて、その魂まで砕かれてしまったのです。

 わたしはモロリーヌ・イレーア。どこにでもいる、これといった取柄もない7歳の女の子です。


 幼い頃から夜尿症を患っているわたしですが、主治医のドクロワル先生が嫌な顔ひとつせずにオムツを取り換えてくれます。先生はとってもスマートで美人で痩せていて誰にでも優しい均整のとれた体つきの素敵なお姉さん……


「……この設定はさすがに無理があるんじゃない?」

「そんなことありません。モロリーヌちゃんはこれでいいんですっ」


 僕は再びモロリーヌにされてしまっていた。悪いことを言うのは男の子の格好をしているせいだと、ドクロワルさんと首席に力尽くで女の子の水着を着せられたのだ。

 胸元が白いコサージュで飾られ、膝上まであるスカートの付いたピンクのワンピース水着。ドクロワルさんがこっそり用意していたらしい。


「いや、モロリーヌじゃなくって、ドクロワル先生の設定に……」

「お仕置きが足りませんでしたか?」

「ナンデモアリマセン……」


 この妙に体型に関する修飾が目立つ設定は、首席ならともかくドクロワルさんには似合わないよ。小柄でポチャなところがドクロワルさんの魅力なのに……


「とっても綺麗な髪ですね。どんな髪型が似合うでしょう」

「タルトさんはどうしてかつらをいくつも持っているんですの?」

「いたずらに変装は付き物なのです」


 僕が被らされているのは、わずかに紫がかって見える銀色の髪のかつらだ。タルトはいろんな色と髪質のかつらを持っていた。魔力を流せばまた伸びてくるのでカットもオーケーだという。

 首席とドクロワルさんはああでもないこうでもないと語りながら、後ろ髪を頭の高い位置で束ね、サイドを大きく垂らした後、毛先を後ろ髪を束ねたところに留めたようだ。鏡がないから自分では見ることはできない。


「はあぁ……とってもかわいいです。モロリーヌちゃん……」

「メイクでつり目を誤魔化しただけで、ずいぶんと印象が変わりますわね……」


 メイクを施したのはタルト。本人曰く、変装の達人であるらしい。

 3歳児はどんなに変装したって3歳児にしか見えないだろうに……


「急ぐのです。お昼ご飯がなくなってしまうのです」


 食いしん坊に手を引っ張られて浜辺に戻ると、ジュウジュウと香ばしい煙を上げながら金網の上で肉や野菜が焼かれていた。肉は買ってきたもので、野菜は園芸サークルで収穫されたものだ。数日前に獲ってきて泥を吐かせた大きなザリガニも用意してある。


 ヘルネストがよく焼けた牛の骨付きリブロースにかぶりついていた。隣ではムジヒダネさんが肉や野菜を串焼きにしたものを齧っている。西部派だけあってワイルドだ。

 酔っぱらいたちは焼きナスやシシトウの素焼き、タマネギとモヤシ炒めものを塩や醤油で味付けして酒の肴にしていた。


「先生。お肉も食べないと体に悪いですよ」

「うっさいわねぇ。わぁってるわよぅ。脂のよく乗ってるの取ってきてちょうだい」


 ドクロワルさんが脂身のたっぷりついた肉をプロセルピーネ先生に差し出す。森の狩猟民族であるロゥリング族の主食は肉だ。野菜や穀物は高価な嗜好品であり、ベジタリアンなどスナック菓子でお腹をいっぱいにしてしまう子供と変わらない。


 医者の不養生とはよく言ったもので、肉を食べないと身体から脂肪が落ちてしまう体質をしているのに、先生は放っておくと納豆ご飯や豆腐といった大豆食品ばっかり食べたがる。魔導院一の治療士のくせして、弟子であるドクロワルさんに健康管理されているのだ。


 プロセルピーネ先生が「豆喰ってりゃ生きていける人族が羨ましいわ」と脂の滴り落ちる肉にかぶりつく。リアリィ先生とモチカさんは、あんな脂身を食べるなんてと顔を引きつらせて震えていた。


「はい、モロリーヌちゃんもですよ。たくさん食べないと大きくなれませんからね」


 ロゥリング族はそもそも大きくならないのだけど、先生のに負けないくらい脂身がゴッテリと付いた肉を渡される。ハーフとはいえ、やっぱり僕もロゥリング族なので肉食は必須だ。

 だけどこの山盛りになった脂身からは、僕を太らせようという意思と自分だけ太らないなんて許せないという怨念がひしひしと感じられた。


 こんなに肉を食べたら、他のものがお腹に入らなくなっちゃうよ……


 次席が提供してくれた野菜やキノコも食べたかった。隣を見れば、タルトが蜜の精霊と焼きトウモロコシをモッシャモッシャと頬張っている。シルヒメさんが醤油を塗りながら丁寧に焼き上げてくれたもので、焦げた醤油の香ばしい匂いが食欲をそそる。むっちゃ旨そうだ。


「まったく、ロゥリング族なんかに生れつくもんじゃないわね……」


 肉でお腹が膨らんでしまったらしいプロセルピーネ先生が、だらしなく寝転がりながらお腹を擦っていた。


「姉さん。脂身はもう許してよぅ……」

「悪い子には脂身で充分だわ……黙って食べなさい……」


 クセーラさんはまだ許されていなかった。首から下を埋められた状態で、次席と発芽の精霊が食べ残した脂身を処理させられている。


「姉さん。お願いだからお手洗いに……」

「大丈夫……誰も見てないから……」


 そりゃまぁ、埋まってるんだから誰にもわからないだろうけどさ……


「見てる見てないの問題じゃないよっ。乙女のプライドの問題だよっ」

「鋼を欲しがらないって……約束する?」

「しないよっ。姉さんがこんなことするなら、私にも考えがあるよっ」


 鋼の意思で脅迫には屈しないと宣言したクセーラさんから魔力が立ち昇る。


「この程度で私を押さえ込もうなんてっ。燃え上がれ私の乙女ソウルッ!」


 魔力には物理的な力はない。いくら放出したところで砂を吹き飛ばすことはできないし、無駄に垂れ流すことにしかならないのだけど、怪しげな内なるパワーに目覚めたらしいクセーラさんはアホみたいな魔力を迸らせながら歯を喰いしばっている。

 まさか力尽くで発芽の精霊の拘束を引き千切るつもりなのか?


「おおぉぉぉっ! バアァァァニングゥ、ハアァァァ――――あっ!」


 クセーラさんから放出されていた魔力がピタリと止まった。そのまま「ああぁぁぁ……」と声を漏らしながらピクピクと震えている。しばらくして、魂が抜けてしまったかのようにコテリと空を見上げた。


「姉さん……あの空は、どこに続いているのかな……」

「空はね……明日に続いているのよ……」


 唐突に悟ったような声で意味不明な会話を始める。どうやら、力み過ぎて違うものまで迸らせてしまったご様子。気付かなかったことにしてあげよう。

 僕が彼女にしてあげられるのはそれだけだ……


「ダイジョウブ……クサタチハヨロコンデル……」

「だからクソビッチはオムツを穿けといつも言っているのです」


 血も涙もお手洗いの必要もない精霊たちが容赦なくとどめを刺した。


 クセーラさんの魂が天に昇っていったころ、美味しそうな匂いに惹かれたのか、湖水浴に来ていた他の生徒たちが僕たちを取り囲み始めた。仲間を求めるゾンビの如き虚ろな表情でこちらの様子を伺っている。


「浜辺でバーベキューですって……」

「俺たちは購買で買った総菜パンだっていうのに……」

「先生までこんな卑劣なテロ行為に加担しているのか……」


 勝手なことを言うなぁ……簡単ではないのはわかるけどね……


 鋼で作られた焼き網は買えば結構な値段のする贅沢品で、普段は料理などしない生徒たちが高級調理器具など持っているはずもない。お店に並んでいる調理器具のほとんどは銅か鋳物で、鋼を使ったものはオーダーメイドになる。

 前世のようにホームセンターで気軽に買ってこれるものではないのだ。


 とはいえ、ゾンビに囲まれていてはせっかくのバーベキューも楽しくないので、集まってきた生徒たちも含めてパーティーにしてしまう。女子はタダだけど、馬みたいに食べる野郎どもは食材の提供が条件だ。

 そのことを伝えると、一緒に遊んでいた男どもを放り出して、女子たちがキャアキャア歓声を上げながら竃へと駆けだした。


 食材を探しに行った野郎どもから情報が流れたらしく、いつの間にやら50人くらい集まっている。竃はひとつしかないので、順番で思い思いのものを焼いているようだ。


 集まってきた生徒たちの中にアンドレーアとメルエラの姿を見つけた。メルエラはワンピース水着に半袖シャツを羽織っていて可愛らしい。一方、大きめの長袖シャツを着て首元まできっちりとボタンを留めているアンドレーアは、水着が隠れていることもあって裸ワイシャツのお姉さんに見えなくもない。

 アリだな……


「アーレイ先輩の姿が見えませんね」

「まったく、来て欲しくない時には現れるのに、探すといないんだから……」


 どうやら僕を探しているようだけど、モロリーヌの姿でアンドレーアの前に出ていけば、また家の恥だなんだと騒ぎだすに決まっている。ここは他人の振りだ。キョロキョロと辺りを見回しながら、アンドレーアは焼きザリガニに焼きシイタケを、メルエラはタルトと同じ焼きトウモロコシを頬張っていた。

 くそぅ……お腹がいっぱいでなければ僕も食べたいのに……


「ほら、付いちゃってるわよ。はしたない……」

「ん~」


 メルエラのほっぺたにくっついていたトウモロコシの粒を、アンドレーアが指で取ってパクリと口にする。怒っているアンドレーアとイッちゃってるメルエラばかり目にするけど、僕がいなければ仲のいい姉妹のようだ。


「せっかく限りなく紐に近い水着を用意したのに、肝心の先輩がいないとは残念です……」

「いっ、いいのよっ。あんな奴見つからなくたってっ」


 ちょっ。限りなく紐に近いって……

 アンドレーアのワイシャツの下はアレか? マイクロビキニってヤツか?

 それ着て浜辺に来ちゃってるのかっ?

 ヤバイ……もの凄く見てみたい……


 僕が見つからないとため息を吐くメルエラを、顔を真っ赤にして両手で身体を隠すようにシャツを押さえたアンドレーアがたしなめる。


「では、湖に入って遊びますか?」

「こんな水着で入れるわけないでしょうっ。お昼寝よっ。お昼寝にしましょうっ」


 アーレイ姉妹はお昼寝をすることに決めたようだ。アンドレーアはシャツの裾が捲り上がらないようにしっかりとタオルをかけてチラ見せすら許さない。メルエラは意外にも甘えん坊のようで、アンドレーアの胸元に顔を埋めるようにして3歳児みたいに甘えていた。アンドレーアが妹の髪を愛おしそうになでている。


 ――アンドレーア……あんな表情もできたのか……


 いつもの勝気そうな表情はすっかり影を潜め、まるで母親のような顔つきだ。怒っているところしか見たことなかったから、年中怒っているのかと思っていたよ。

 お昼寝を始めたアーレイ姉妹を見て、お昼寝をしたがっている3歳児がいたことを思い出す。そろそろ言いだす頃合いだな……


「タルト、お昼寝はいいの? まだ食べてる?」

「いっぱい食べたのでお昼寝にするのです。ヌトヌトも一緒に来るのです」

「ヌトリエッタが行くなら、私もご一緒させていただきますわよ」


 デザートのナシを食べていたタルトに声をかけると、案の定お昼寝となった。蜜の精霊についてきた首席と一緒に騒がしくない場所を探し、ちょうど酔っぱらいたちの隣が空いていたので腰を下ろす。下手に絡まれたくないらしく、生徒たちは寄ってこないようだ。


「グルグルを寄越すのです」


 タルトがモチカさんに要求すると、ニュルッと巻きつく精霊が出てきて3歳児に巻きついた。


「お待ちください。精霊とお昼寝をするなら私も一緒です」

「では、モチカは私の隣で……」

「いいえ、モロリーヌさんの隣で休ませていただきましょう」


 タルトと蜜の精霊が真ん中なので、僕と首席が両サイドになる。自分の隣に来いと言う首席に反して、モチカさんは僕の隣を主張した。


「モチカ、あなたっ……」

「ずっ、ずるいですっ。わたしだってモロリーヌちゃんとっ」

「精霊とお昼寝するのですから、精霊を連れてない方にはご遠慮願います」


 リアリィ先生とドクロワルさんがそろって非難声明を出すものの、精霊のいない者は黙ってろとモチカさんが突っぱねる。リアリィ先生の精霊は、本の精霊らしく水に濡れるのが嫌いなので連れてきていないそうだ。

 さっさとお昼寝をするのだと、タルトが巻きつく精霊に命じて僕たちをグルグル巻きにしてしまった。


 ゴールド水着の首席とシルバー水着のモチカさんに挟まれてお昼寝なんて、なんだか凄くイケナイことをしている感じがする。首席との間には精霊たちが挟まっているけど、背中からピッタリとくっついたモチカさんに抱きしめられているのだ。


 このままではイケナイ道に堕ちてしまうと、3歳児のほっぺたをヨチヨチとくすぐって気を紛らわす。蜜の精霊も首席にナデナデされて気持ちよさそうだ。愛おしそうに精霊をあやす首席の姿に、先程のアンドレーアの姿が思い出された。

 彼女があんな表情するなんてねぇ……って、おかしい。怒りん坊のアンドレーアをかわいいと思ってしまうなんて、今日の僕はどうかしているぞ。


 きっと疲れているんだ。タルトも寝付いてくれたことだし、余計なことを考えずに僕もさっさと寝てしまおう…………






 精霊たちがお昼寝から目を覚まし、バーベキューパーティーもそろそろお開きというころ、僕は変装を解いてアンドレーアに会いに行った。何度も探させてしまうのも悪いと思ったからだ。

 決して、ワイシャツの下に期待しての行動ではない。


「やあ、メルエラ。今日は姉さんと湖水浴だったのかい」


 偶然を装い、アンドレーアではなくメルエラに声をかける。僕に用があるならアンドレーアの方から切り出してくるだろう。


「ちょうど良かったわ。あんた学期末の順位はどうだったの?」


 僕の順位を聞き出したかったのか。挑戦状を叩きつけたのは僕の方だから、ここで答えないのはカッコ悪いな。


「36位だけど、聞いたからには教えてくれるんだろうね?」

「もちろんよ」


 アンドレーアが自信満々にシャツの胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。あれは、成績票?


「…………35位……」


 いつの間にかアンドレーアの奴も成績を上げてやがった。学期末の順位では抜かせたと思っていたのにっ!

 しかも、試験の成績は34位で運動会でひとつ落ちての35位だ。僕は試験の成績では38位。運動会の成績を加えて36位だった。


「Aクラスに上がるのは、あんたじゃなくて私よ。憶えておきなさい」


 震える僕の手から成績票を取り返しながら、むっちゃ高飛車に宣言する。それを言うために、わざわざ僕を探していやがったのかっ。

 やっぱり、アンドレーアをかわいいなんて思った僕はどうかしていた。たかだかひとつ上なだけで勝ち誇ったような顔しやがって……


「メルエラはずいぶんと可愛らしい水着だね。よく似あってるよ」

「まあ先輩、似合うというなら姉様の方が……」


 このまま引き下がったのでは腹の虫が収まらない。そんなイケナイ水着で僕の前に来たことを後悔させてやろう……

 水着に話題を振られたメルエラの目にギュピィーンと光が灯る。妹のスイッチが入ってしまったことを察したアンドレーアが顔を引きつらせて後ずさった。


「アンドレーアもシャツの下は水着なの?」

「あ、あんたなんかに見せるもんじゃないわ……」

「姉様っ。先輩に見せないで誰に見せるというのですかっ!」


 メルエラがアンドレーアに襲いかかり、シャツのボタンを無理やり外そうとする。


「やめなさいっ。こんな人目のあるところでっ」

「人目がなければいいんですねっ。すぐに場所をご用意しますからっ」

「そういう意味じゃなくてっ! あんたもなにニヤけてんのよっ!」


 おっと、いけない。アンドレーアのマイクロビキニを想像していたら、つい顔が緩んでしまったようだ。


「分家が本家に敵うなんて思わないことねっ!」


 アンドレーアは捨て台詞を残して逃げるように走り去った。その後を近くにあまり使われていない倉庫があるからとメルエラが追いかけていく。


 くそぅ……まさかアンドレーアがAクラス入りを狙うとは……


 誤算だった。アンドレーアだけではない。クダシーナ君も密かに44位と順位を上げてきているのだ。どいつもこいつも、人の尻馬に乗りやがって……


 いいだろう。秋学期の成績でBクラスに叩き落して吠え面かかせてやんよ。


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