469 天上へ届く調べ
ゾンビとなった赤ちゃんサルコールをシャツで包み、落っことさないよう身体に縛り付けておく。タルトのところへ連れて行けば、また仔豚死神を呼び出してくれるだろう。零れ落ちてしまった魂がこの赤ちゃんだけなのを確認し、全滅した防空壕のような洞窟を後にする。
――ちっ。デカブツが動きやがったか……
本体であるアイドルが持ち出されたことに反応したのか、虚ろなる神がゆっくりとこちらに向き直ろうと動き始めていた。注意散漫でない生真面目な見張りが報せたようで、敵襲だとオーク軍団の野営地は蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。まるで空襲警報のようにガンガンと金属鍋を打ち鳴らす音が響いてくる。どうやら、オークには夜目の利く奴がいる模様。尾根に向かう登り口まで戻ろうと獣道を急ぐ僕たちに突き刺さるような魔力が飛んできた。
「見ツカッタ……」
「大丈夫、手はある」
けしからん不審者を捕らえようと松明を掲げたオークの一団が獣道を登ってくる。道幅が狭いので、もちろん一列縦隊だ。横に広がれないこの場所なら一網打尽にする策は用意しておいた。こんなこともあろうかと開発したイボ汁煙を噴き出しながら飛んでいく信号弾を取り出す。
「悪いけど、お前たちの相手をしていられるほど暇じゃないんだ」
真っ暗な夜の山で松明なんて手にしているものだから、ロゥリングレーダーで確認するまでもなく隊列は一目瞭然だ。ノソノソ向かってくる灯りの列に向かって信号弾を2発ほど飛ばしてやれば、怒ったイノシシみたいな咆哮がいくつも上がって松明の動きがいっせいに乱れた。足を踏み外した連中が斜面を転げ落ちていったらしい。
「毒ヲ撒イタノ?」
「例の虫除け成分だよ。吸い込むとのたうち回るほどの苦味を感じる」
「ソレハ毒トハ違ウノ?」
「苦いけど健康にはいいんだ。お肌もツルツルになる」
どうやら、非人道的な毒ガス攻撃をしたものと勘違いされてしまった模様。吸い込んだだけで危ない毒かとクッコロちゃんが口元を手を覆っていた。生産地では健康食品の扱いだし、毒じゃないから悪食のバシリスクも耐性を得られないのだと教えてあげる。
「急ごう。デカブツが迫ってきた」
問題はオークよりも虚ろなる神の方だろう。生き物でない、ただそこに在るだけの相手を足止めする方法なんてありはしない。僕たちを捕まえようとしているわけではないから移動速度はさほど早くないものの、追いつかれたら飲み込まれてお陀仏だ。
エッホ、エッホとタルトたちの待つ尾根を目指して斜面を登っていく。ロープ代わりに垂らしておいた蔓が思いのほか役立ってくれた。さすが僕と自画自賛せざるを得ない。それでも、少しずつ差を縮められているようだ。そもそもが影みたいなものであるため重力の影響を受けないのか、急斜面にさしかかってもスピードを落とす気配がなく一定のペースを保ったまま迫ってくる。そこがまた、いかにも人の力では抗い難いナニカという感じがして怖ろしい。
「僕を待つ必要はないから、クッコロちゃんは先に行って」
ロゥリング族の欠点は身体能力の低さ。予想はしていたものの、尾根まであと半分といったところで息が上がってきた。これは種族的な問題であり、決して普段運動するのをサボっていたからではない。伸びしろが残っていなければ、どんなにがんばったところで無意味なのだ。いわゆる、レベル上限の壁というヤツである。とにかくアイドルがタルトの下まで届けられれば虚ろなる神は消えるはずなので、運び屋であるクッコロちゃんには先に行ってもらう。さすがに獣人の血が混じっているだけあって、息ひとつ切らしてない。僕にはマネできないようなスピードで斜面を登っていく。
「どうにか逃げ切ってみせるから、暴れないでいてくれよ」
『ヴィヴィアナロック』で作り出した足場の上で息を整え、再び斜面に向き直る。迫りくる脅威を感じ取ったのか、包んであるシャツの中で赤ちゃんサルコールがモゾモゾ蠢いていた。必ずイグドラシルに送り届けてやるから、僕を信用してくれとポンポン叩く。ここで虚ろなる神に飲み込まれたら、今度は魂だけアンデッドになって数百年という時間をひとりぼっちですごすハメになるかもしれないのだ。そんな思いはさせたくない。
ミッションの達成条件はクッコロちゃんがタルトのところにたどり着くまで逃げおおせること。これが飲み込まれるまでの時間を最も引き伸ばせる方法だと自分に言い聞かせながら、慌てずペースを保って着実に斜面を登っていく。先を急ぐあまり足を滑らせでもしたら、持ち直すのに洒落ないならない時間と体力を費やすハメになるのだ。ここでのうっかりロスは致命傷となる。
――焦るな。ピンチの時こそ冷静に……ずっとやってきたことじゃないか……
9回裏ツーアウトの状況までリードを保っていたとしても、最後のアウトを取りきれなければサヨナラ負けだってあり得る。それが勝負ってもんだ。決して焦らず冷静に勝利を確定させるのがピッチャーの役割。マウンドに上がるたび、田西宿実はそのことを忘れないよう心がけてきた。この場面でやらかすのはハリウッド映画の脚本家だけ。崩れやすい足元にも、ロープ代わりの蔓にも、しっかりと手ごたえがあることを確認しながら身体を引っ張り上げていく。
「ええぃ、ちっこいってのはマジで致命的だな……」
筋力も持久力も、かつての田西宿実に及ばない今の自分がもどかしい。ジャンボ田西と呼ばれたあのころの体躯があればクッコロちゃんに置いていかれたりしないものを、弱小種族に生まれついたばっかりにこのザマだ。僕はなにか神様に恨まれるようなことをしていたろうか。
――まだか……クッコロちゃん急いでくれ……
虚ろなる神があと数メートルというところまで接近してきた。信仰はロゥリング感覚でも捉えられないはずだけど、背後からもの凄い圧を感じる。心理的なものではない。手足にヌメッとした空気が絡みついてくるような感触があるのだ。もしかしたら、もう飲み込まれ始めているのかもしれない。腕も足もとっくに疲労で限界を迎えているけど、根性で斜面を這い上がる。
「まだだっ。こんなところで終わってたまるもんかっ」
目指した頂にたどり着くまで倒れるわけにはいかない。顔を上げ、はるか遠くに霞むドクロ山に向かって手を伸ばす。その瞬間、急に身体が軽くなった。おっぱいを想う気持ちが奇跡を……
――違うっ? これは吸い込まれてるんだっ!
攻撃してきた相手を飲み込むのは互いに引き寄せ合う力の作用だとタルトは言っていた。虚ろなる神の引っ張る力の影響が重力に勝るところまで近づかれた証拠である。全力で手近な樹木にしがみつく。
「ダルドォォォ――――ッ。早くなんどがしでえぇぇぇ――――っ」
幹にしがみついている手を離したら吸い込まれて終わる。僕はもうここから動けない。あとはクッコロちゃんが間に合ってくれることを祈るばかりだ。バカデカい真っ黒な影が迫ってきて、ほのかに地上を照らしていた星明りが遮られた。真っ暗で何も見えない。虚ろなる神に飲み込まれても息はできるのだろうか。窒息死は苦しいから嫌だと大きく息を吸い込んだ瞬間、どこからかパンパンと柏手を叩くような音が響いてきた。
「ちゃっちゃと元のところに戻るのです」
3歳児の声が命じた途端、虚ろなる神を形成していたナニカがものすごい勢いでどこかに流れていくのを感じた。ちょうどタルトの魔力を感じるあたりだ。きっと、本体であるアイドルへ戻されているに違いない。助かったと大きく息を吐き出す。
しばらくすると星明りが再び届いてきて、薄らぼんやりと辺りが見渡せるようになる。さっきまで目の前にいたはずの虚ろなる神は影も形もなくなっていた。幻でも見ていたのかと疑いたくなるくらい、きれいさっぱり跡形もない。
「別々になるなら、最初から違う方へ逃げておけばよかったではありませんか」
「虚ろなる神があんなに足が速いなんて思わなかったんだ」
「下僕の逃げ足が遅いだけなのです」
ずっしりと重く感じる身体に鞭打って斜面を登り切ると、仁王立ちしたタルトが待ち構えていやがった。クッコロちゃんに運ばせるつもりだったなら、違う方向へ避難していれば追っかけられることはなかったはずだと結果論で僕を非難してきやがる。計算違いは誰にでもあると言っても、自分の足の遅さくらい把握しておけと聞く耳を持たない。
「それよりタルト、赤ちゃんゾンビがいるんだ。コブータ司祭を呼び出してよ」
「どうして自分でやらないのですか?」
虚ろなる神が消えてオーク軍団は大混乱しているみたいだけど、僕たちのことは見失ってくれた模様。これでひと安心できると、身体に結び付けておいた包みを解く。仔豚死神を出してくれるようお願いしたところ、赤ちゃんに目がない3歳児は意外なことにイヤイヤしやがった。自分でやれと【思い出のがらくた箱】から春学期に作った楽器を取り出す。
「下僕はもう神々に願いを届けられるのです。それに――」
最初の言語で奏でられた祝詞は天上にいらっしゃる神様の下まで届く。自分でできるのに他人を頼るなと楽器を僕の前に置くと、タルトはその上にサルコールたちが祀っていたドラゴンの牙をゴトリと乗っけた。
「――言ったではありませんか。たいていの神は頼みを聞いてくれると……」
約束どおりこの信仰は僕の好きにさせてやると笑みを浮かべる3歳児。つまり、信仰がたっぷり詰まったアイドルを譲るのと引き換えにシネシネを派遣してくださるよう聖女様にお願い奉れということのようだ。自分に連れてこさせたいなら、今この場でバナナを食べさせろと食いしん坊は無理難題をふっかけてきやがった。谷底に蹴り落としてやりたい。
「聖女様に呼びかける旋律くらいは教えてくれるんだろうね?」
「お安い御用なのです」
これまでの苦労が全部タダ働きかと思うと気が重いけど躊躇うことはない。信仰惜しさに無力な赤ちゃんアンデッドを見捨てましたなんて、シネシネと契約しているドクロワルさんに言えるはずないのだ。そんな決断をすれば僕は絶対に知られてはならない秘密を抱え込むことになり、もう2度と彼女の笑顔をまっすぐ見つめ返すことができなくなるだろう。最終目標はドクロ山の確保。その方針に変更はなく、僕が優先順位を間違えると思ったら大間違いだ。
すべてはドクロ山のためにっ。ジーク、ドクロッ。ジーク、おっぱいっ!
タルトから【安らかなる終焉】を意味するメロディを教えてもらい、ほぼほぼ「タスケテ聖女様」とくり返すだけの内容スッカスカな祝詞を即興で作る。伝えられた工程を精霊がそのまま実行する魔術と違って、ご利益をどのような形で実現するかは神様次第。そのため、求めていることさえ伝われば充分だそうな。満願成就とするか、ある程度の後押しに留めておくか、はたまた無視するかは神様の決めることだという。
「アエ゛ェェェ……」
「すぐにお迎えがくるからね」
祝詞が完成するまでの間、ゾンビとなったサルコールの赤ちゃんは苦しそうなうめき声を上げていた。地面に敷いた布の上に寝かせてやり、隣に回収してきたアイドルを並べる。祝詞では詳しい事情なんて説明していないけど、状況を見れば聖女様はわかってくださるだろう。これで準備は整った。聖女様に届けと楽器で祝詞を奏でる。
「ナニッ?」
タスケテ、タスケテ、聖女様と演奏していたら、突如として空中に白く輝く魔法陣が現れた。タルトの使う神様や精霊にしかわからない文字や記号で描かれた魔法陣だ。そこから夏の夕暮れのような、黄金色というには赤みが強く、オレンジと呼ぶには黄色に近い輝きが溢れだしてくる。これはロゥリング族の神様がピーネちゃんを連れ去りに現れた時と同じ現象。まさか、天上にいらっしゃる聖女様がこの場に降臨されようとしているのだろうか。いったい何事だとクッコロちゃんが目を見開く。
「あなたの祈りは私に届きました。【安らかなる終焉】がその願いに応えましょう」
魔法陣から聞き覚えのある声が響き、太陽がひょっこり登り直してきたかのような輝きをまとって女性を跨らせた魔獣が飛び出す。真っ白な馬体に黄金色のたてがみと翼を持った馬。ペガサスって奴だ。跨っているのはもちろん聖女様である。ワルキューを依代に姿を現された時とはお召し物が異なっていて、背中にあった翼のような装飾がなくなっていた。タルトによれば人族だった聖女様に翼があるはずなく、あの装飾はこの愛馬を現したものであったらしい。
ゆったりと上空を旋回していたペガサスがバサバサと翼を羽ばたかせて僕たちの前に着地する。愛馬から降りてきた聖女様のアンドレーア級おっぱいには、けしからんことに仔豚死神が挟まっていやがった。はっきり言って羨ましい。僕の心は嫉妬と羨望と敗北感でいっぱいだ。
「コブータ。捕まえようとするから上手くいかないのです。こうするのですよ」
ヴィロードの魂を回収するのに苦労していたことをご存じなようで、どうやらお手本を見せるおつもりらしい。うめき声をあげながら蠢く赤ちゃんサルコールの前に屈みこんだ聖女様が、手にしていたランタンを掲げる。
「【安らかなる終焉】が迎えに参りました。あなたの還るべきところへ、共に参りましょう」
一緒に来いと声をかけ、ガラガラであやすようにランタンを振る聖女様。救いを求めて伸ばされていた腕が力を失ってパタリと地面に落ちる。そして、赤ちゃんサルコールの胸からホタルのように光るナニカが湧いて出てきた。フワリと浮き上がると、そのままランタンの中へ吸い込まれていく。魂は捕まえるのではない。導いてあげれば自ずから寄ってくるものだと聖女様が仔豚死神に説明していた。パフパフされている状態ではなにを言われても頭に入らないと思う。
「縁もゆかりもない魂のために、これだけの信仰を惜しげもなく捧げるなんて……。【忍び寄るいたずら】様が手放したくなくなるのもわかります」
「下僕はわたくしのものなのです。お前にはそのシネシネをあげたではありませんか。捧げ物は手に入ったのですから、そこらの零れ落ちた魂を連れてさっさと天上へ戻るのですよ」
神様的には破格のお供え物だったらしい。信仰の詰まったアイドルを手にした聖女様が、たまたま出会った相手のためにこれだけのお供えをするお人好しはそうそういないと微笑みかけてきた。下僕は自分のものだと所有権を主張するタルト。他人を物扱いするとはけしからん3歳児である。
僕はにまったく区別できないものの、戦場跡であるこの谷には他にもアンデッドがいるそうだ。虚ろなる神のいた谷底を指差して、さっさと連れて行けとタルトが促す。お供え物をいただいた聖女様は再びペガサスに跨ると、崖から飛び出してグライダーのようにゆったり降下していった。谷のあちこちからホタルのような光が湧いて聖女様の下へと集まっていく。しばらくして回収を終えたのかペガサスに大きく翼を羽ばたかせて加速させると、空中に現れた魔法陣へ飛び込んで姿を消した。
「いちおう、埋めるくらいはしておくか……」
赤ちゃんサルコールの魂は聖女様に連れられてイグドラシルへと還っていった。あの子はもうここにはいない。残されているのはただの抜け殻とわかっているけど、ほったらかしにしておくのも気が引けるので亡骸は埋葬しておく。そんなに深く埋める必要はないと思うので、近くに生えていた木の根元に浅い墓穴を掘る。
「下僕、イボ汁で染めた布を被せてはミミズが寄ってこないのです」
死に装束の代わりにと防水布で包んだところ、イボ汁成分が抜け落ちるまで土に還らないぞとタルトに止められた。イボ汁には防虫の他、菌の増殖を抑える効果もある。考えてみれば、それは土になるまでの時間を引き延ばすだけだ。この亡骸には養分となってこの木を大きく育ててもらいたい。
穴底に赤ちゃんサルコールを直に寝かせ、上から土をかけていく。最後に見たその顔は、なんだか微笑んでいるように思えた。




