465 ドラゴンの棲んでいた山
目を覚ました時、僕は人喰い3歳児にお尻を齧られていた。バナナを食いちぎるほどの鋭い歯もオムツに阻まれて肌まで届かない。寝ぼけたまま布をクチャクチャしているタルトが不満の意を表すかのように脚をバタバタさせ3歳児キックを放ってくる。
「むぅ~、妙に皮の厚いモモなのです~。まるでオムツなのでずぅ~」
皮が厚すぎて歯が通らない。まるでオムツのようだと寝言を漏らす3歳児。それは実際にオムツだとユサユサして叩き起こす。
「もうちょっとのところだったのに、下僕のせいでモモに逃げられてしまったのです」
「どうせ皮がむけなかったんでしょ」
「どっ、どうしてわかるのですかっ?」
僕に起こされたせいでモモを食べ損ねたとタルトの奴が言いがかりをつけてきやがった。全然食べられていなかっただろうと指摘してやったところ、もしや心を読んだのかと鋼の塊より頑丈な3歳児が珍しく防御の構えをとる。ロゥリング感覚でわからなくても、お前の考えることなんてお見通しだと言い渡しておく。
昨晩は食事にありつき損ねたので先を急がず、道々生っている果実をバナナンテに食べさせながらゆっくり進む。注意して探せばキイチゴなんかはそこそこ見つかるのだ。首席やアキマヘン嬢が聞いたらまなじりを吊り上げるだろうけど、サバイバルにおいて勤勉なことは美徳ではない。危険が迫っていない時は可能な限り楽をして疲労を溜めないのが正解である。
「さて、ゆっくりしている間に匂いを嗅ぎつけられたかな……」
なぜなら、いつ危機に陥るかわかったものではないからだ。僕たちが夜を明かしたあたりに、いくつかの魔力が集まってくるのをロゥリングレーダーが捉えていた。群れで狩りをするタイプの魔物だろう。跡を追ってくることはほぼ確実なので、食事を楽しむのもここまでだとバナナンテを駆けさせる。タルトもクッコロちゃんも魔力を感じ取れるので、脳筋ズのようにいちいち状況を尋ねてきたりはしない。魔物たちは予想どおり追跡してきたものの、薄れていく匂いから獲物がトンズラを始めたと察した模様。追いつけそうにないと諦めてくれたのか、足を止めて引き返していった。
「判断が早いね。ヘルネストより賢いんじゃない?」
「ウカツ男みたいなのは、群れの中にいないとす~ぐやられてしまうのです」
僕たちのような肉食の生き物は、獲物に期待できる以上のエネルギーを狩猟に費やすわけにはいかない。収支がマイナスになってしまえば、待っているのは飢え死にだからだ。かかる労力と得られる食べ物を天秤にかけて、割に合わないと判断したのだろう。冷静に計算できているあたり、脳筋ズより賢いのではなかろうか。タルトも同感のようで、しょせんあいつらは群れに支えてもらわなければ生きていけない穀潰しだと鼻を鳴らす。
「まぁ、それが農耕民族の強みだからね……」
食べられもしない相手に全力なんてことが許されるのは、収支を気にする必要がなくなるほど莫大なエネルギーを農耕によって得られるからだ。穀物から栄養を摂取できないロゥリング族は、やっぱり恵まれない弱小種族なのだと痛感する。人族こそ勝ち組種族。異論は認めない。
「甘いお菓子でデブれるっていいよね?」
「ソンナ恵マレタ種族ハ爆発シテイイ」
クッコロちゃんもやっぱり同意見みたいで、バナナで生きていけるなら苦労はしない。そんなインチキ種族がいるなんて世界は理不尽と不公平に溢れていると頬を膨らませた。飽食の末に無駄な運動でせっかく蓄えた栄養を減らす罰当たりな連中に聞かせてやりたいと思う。
「下僕、クマネストがなにか嗅ぎつけたのですよ」
再びキイチゴなんかを探しながらトコトコ進んでいたところ、クマネストがご馳走の匂いを嗅ぎつけたらしい。こっちだとはしゃぐ3歳児を乗っけて藪を踏み分け進んでいく。後を追っていった先にあったのは甘~い芳香を放つ果実をたわわに実らせた桃の樹と、実をムシャムシャしている1頭の魔獣だった。全体的にシカっぽいのだけど、牛みたいに前方へ湾曲した角をはやしている。
「アレハ、ウシコーン。ゴブリンニ食ベラレルタメニ存在スル憐レナ獣……」
「つまり、美味しいんだね」
魔物図鑑にも載っていなかったと思うけどクッコロちゃんが知っていた。ウシコーンという、牛の角を生やした鹿に見えて肉は牛という魔獣なのだと瞳をギラギラさせている。反応から察するに、かなり貴重なご馳走のようだ。
「ヒトリ立チシタバカリノオス。絶対ニ仕留メル」
ウシコーンは1頭のオスを中心とした群れを形成する魔物で、子供は群れの中で大切に育てられる。ただし、メスが成長しても群れに残る一方、オスは自らの群れを得るべく生まれ育った群れから離れていくそうだ。あそこでモモをムシャムシャしているのは、ひとり立ちしたばかりの若いオス。約束された上物であるという。
なるほど、あいつはその胸に大望を抱き、己の力で運命を切り開いていこうと生まれ故郷を旅立った男。いつの日かビッグになることを夢見て、希望の未来へレディ・ゴーというわけだ。きっと、明日は今日より輝いていると根拠もなく信じているに違いない。
――おっめ~に明日なんて日はこないけどな……
ご馳走に夢中になって無防備な姿を晒すような迂闊は、遠からず他の魔物に食べられてしまうのがオチだ。それなら、ここで僕が美味しくいただかせてもらおう。枝に生っている桃の実を齧ろうと首を伸ばすタイミングを待って、角の生え際よりやや下あたりをサクッと射貫く。
「ゴッジョブ」
パタリと力なく倒れる獲物を見てクッコロちゃんが褒めてくれた。周囲に漁夫の利を狙っている魔物がいないことを確認して近寄り、頭に刺さった矢を抜き取る。名前からユニコーンの仲間かと思ったけど、ふたつに割れた蹄をしているのでまったく別の種族のようだ。ご馳走という話なので、仕留めた後の処理は丁寧に行いたい。魔術で心臓を動かして血を搾り出す。
僕が腹わたを抜いている間に傷のない実を収穫してくるとクッコロちゃんが桃の樹へ登っていく。マナーのなってないクマネストは低い場所に張り出した枝に飛びついてへし折りやがった。虫が喰っていようがおかまいなしなバナナンテと一緒にモモをムシャムシャ貪り始める。
「アナタハ優レタゴブリン。約束ノ谷ニクレバ、ホブゴブリンノ娘タチガ放ッテオカナイ」
「下僕はわたくしのものなのです。【捨てられた子を守る母】にはあげないのです」
お前も手伝えとモモに夢中なクマネストを蹴飛ばして獲物を枝から逆さ吊りにしてもらい、皮を剥いでロースやバラ、モモなどの部位を切り落としていたところ、きれいな実を収穫してきたクッコロちゃんが樹から降りてくる。バラされている獲物を見て、狩猟と解体が得意なゴブリンはモテモテだと教えてくれた。僕はやらんけどモモは寄越せと3歳児がご馳走に飛びつく。
「角はとっておくとよいのです。ドクロビッチにまたロリヴァの素を作らせるのです」
さすがに全部は食べきれないし、運んでもいけない。残った獲物をそのまま捨てておくと魔獣に匂いを嗅ぎつけられるので、僕が目利きして厳選した部分を切り落とした後は『ヴィヴィアナピット』で作り出した底なし沼に沈めてしまう。切り落とされた頭を放り込もうとしたところ、角は魔法薬の材料になるとタルトが教えてくれた。ドクロワルさんとの交渉材料にするつもりのようだ。腹わたからもイワオオカミ級の魔力結晶が手に入った。
「こりゃ、まるっきり牛だね」
「オイシイ」
ウシコーンは美味しかった。リブロースの部分をステーキにしたのだけど、まだ若い個体だからなのか肉は柔らかくほどよくサシも入っている。田西宿実は食べたことがないから知らないけど、高級霜降り和牛はこんな感じなのかもしれない。あまり肉には興味を示さない3歳児まで食べさせろと僕の肉を横取りしてきやがった。獣人の血が混じっているせいかクッコロちゃんは健啖家で、700グラムはあった肉をペロリと平らげてしまう。彼女なら大ボリューム3段重ねも余裕で食べきれるに違いない。
「モモもいっぱい生ってるし、明日の朝まではここにいようか」
今はまだお昼前なものの、本日はここでキャンプすることに決める。モモは食べきれないくらい生っているので、食べ物が見つからない日に備えてバナナンテとクマネストにたらふく食べさせておきたい。1日モモが食べ放題と知って食いしん坊どもは大喜びだ。肉も生肉のままではすぐに傷んでしまうので、今晩の分を残してローストしておく。ブロック肉のままフライパンで蒸し焼きにしていると、クッコロちゃんが隣に腰かけてピッタリくっついてきた。外見は12歳の美少女がニッコリと微笑みかけてくる。
――さてはアレだな。僕はそう甘くないぞ……
これは肉バカの妹たちがつまみ食いしたいときによく使う手だ。魔導院に入学する以前は、特にオウステナの奴がよくこうして無言のおねだりをしてきた。お兄ちゃん歴の長い僕にその手は通用しない。
「夕飯の分はちゃんと取り置いてあるから、つまみ食いはダメです」
「ブゥー、誰モツマミ食イシタイナンテ言ッテナイ」
つまみ食い禁止を言い渡したところ、新たなる食いしん坊は頬を膨らませて不満の意を伝えてきた。ドワーフのように太くはないもののしなやかで力強い腕を僕の左腕に絡ませると、これでどうだと12歳のちっぱいを押しつけてくる。残念ながら、僕の心を突入軌道へ引き摺り込むには圧倒的に質量が足りてない。ダメなものはダメと鉄の意志でオアズケを宣告する。しばらくしてクッコロちゃんも諦めてくれたようで、プンスカ怒りながらモモばかりでは飽きると木の実を探し始めた食いしん坊仲間を手伝いに去っていった。
「下僕~、おやすみの時間なのです。抱っこするのですよ~」
夜になって飽きるほどモモを喰い散らかしたタルトが上機嫌でしがみついてきた。バナナンテとクマネストもお腹いっぱいで満足そうだ。つまみ食いし損ねた分を取り返すような勢いで夕飯をガツガツしていたクッコロちゃんは食べ過ぎたのかお腹をさすっている。おやすみの前にラトルジラントのガラガラを使った魔導器を鳴らしてやれば、周囲に感じていた魔力があっという間に散っていった。ひと晩は誰も近づいてこないだろう。
「むふふ~、ごちぞうがいっぱいなのでう~」
おやすみ体勢を整えてヨチヨチとあやしてやれば、甘えん坊の3歳児はあっという間にバナナの国へと旅立っていく。今日はご馳走いっぱいだったので、底なしの食いしん坊も満足してくれたはず。寝ている間に噛みつかれることはないはずだ。ないと……思いたい。
翌朝、朝食を済ませて桃の樹キャンプ地を出発する。いっぱい食べてゆっくり休んだおかげかバナナンテの足取りは軽い。急かしているわけでもないのに勝手にペースを上げていく。クマネストも同様のようで、自分の足で走っているクッコロちゃんが疲れてしまわないか心配しなければいけなくなるほどだ。
僕たちが進む西の方角に、北側に見える山脈とはつながってない独立峰が見えた。タルトの話によれば、ティコアの母親が縄張りにしていた山だそうな。魔物を引き寄せるナニカがあるのか、近づくにつれ強力な魔力の反応が増えてきた気がする。
「ブサオークガ食ベラレテル……」
「うへぇ……」
魔物が集まっていそうなところを回避して高台になっている場所から眺めてみたら、4体ほどの亜竜が集落から追い出されたと思しきオークを餌食にしていた。人族がスプリンターと呼んでいるハシリドレイクの一種だろう。バナナンテと同じくらいの大きさで成長したコケトリスよりひと回り小さいものの、鋭い爪と牙でオークの屍を食いちぎっている。クッコロちゃんは害悪が仲間と合流する前に始末されたと喜んでいるご様子。ブサオークへの恨みは深いようだ。
「近くにオークの集落があるのかな?」
「オークハ洞窟ニメスト子供ヲ隠ス習性ガアル。沢ニ近イ斜面ニ集落ヲ構エテイルコトガ多イ」
ゴブリンの勇者様は魔物の習性に詳しい。オークは洞窟をシェルター代わりにする種族で、入口を守るように集落を構えていることがほとんどだそうな。地形と魔物が集まっているっぽい魔力の反応から集落のありそうな位置が割り出せたので、斜面の上側を通過するルートを選択する。仮に見つかったとしても、こっちの方が高い位置にいるなら坂を登って追いかけてこようとはしないだろう。
集落の上方を通り過ぎる際にのぞいてみたら、オークの集落というのが砦のような配置になっていることが見て取れた。洞窟の入口周辺を守るように掘っ立て小屋と柵でグルリと取り囲まれている。密集して守りを固めようという発想なので、霧化燃料弾を投下されたらまとめてお陀仏だ。オムツ01に見つからないことを祈るしかない。
オークの集落を通り越しティコアが住んでいたという山に近づけば、魔物の密度もかなり高くなってくる。上空を徘徊するワイバーンから身を隠し、匂いを嗅ぎつけた魔物をクソビッチのおならで退けながら進んでいったところ、ロゥリングレーダーがこれまでにない大規模な魔力の動きを捉えた。
「なんだこれ? 戦争でもしてんのか?」




