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道案内の少女  作者: 小睦 博
第8章 教養課程の終わり

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195 パナシャの選択

「アッ、アアッ……。アンデッド?」


 闇に染まった魔法陣の上に漂っているのは、真っ黒なフードを被って大きな鎌を持った骸骨。いわゆる死神だった。アンデッドと呼ばれる魔物と勘違いしたらしいドクロワルさんが腰を抜かす。でも、こいつは確か精霊図鑑に載っていたような気がする。


「もしかしてデスってやつ?」

「ディスはバカにする精霊で、シネシネとは何の関わりもないのです」

「いや。ディスる精霊じゃなくって、死をもたらす精霊の方」

「人族の書物にあるのはこいつなのですが、書いてあることは全部デタラメなのです」


 精霊図鑑では生き物に死をもたらす精霊とされていたけど、それは真っ赤な嘘だと断言するタルト。正しくは死んだ生き物の魂が零れ落ちないようイグドラシルへ運び去る精霊で、生き物を殺すことはないという。


「零れ落ちるとどうなっちゃうの?」

「人族がアンデッドと呼ぶ存在になってしまうのです」


 僕たちがアンデッドと呼んでいる魔物の正体は、イグドラシルに還り損ねて地上を彷徨っているかわいそうな魂とのこと。このシネシネという死神は死者の魂を還るべきところへ導いてくれる大変慈悲深い精霊なのだと、どうしてかタルトの奴が偉そうにふんぞり返った。


「ドクロワルさんと契約したがっているのは、こっちの白い精霊だね」

「下僕の好みなんて誰も聞いていないのです」


 自分を褒めろと胸を張る3歳児を無視して、真っ白に輝く魔法陣から現れたおっぱいの大きいお姉さん精霊に目を向ける。白いマタニティドレスのようなものを着ていておっぱいが大きい。ポッコリと膨らんだお腹は妊婦さんのようでおっぱいが大きい。すべてを慈しむように微笑むその精霊は、おっぱいが大きかった。


「これはおっぱいの精霊で間違いないね。ドクロワルさんにぴったりだよ」

「そいつはヒッヒーフといって、これから生まれてくる赤ちゃんに魂を宿らせる精霊なのです」


 シネシネが魂をイグドラシルに運び去る精霊なら、ヒッヒーフはその逆。イグドラシルから真っ新な魂を預かってきて生き物に宿らせる精霊なのだとタルトが説明してくれた。僕たちは出産、若しくは孵化した時を誕生と考えているけど、赤ちゃんはこの精霊によって魂が宿った時に母親の一部から独立した生き物になるらしい。


「おっぱいの精霊じゃないの?」

「こいつは違うのです」

「違うってことは、別にいるってことだよね」

「下僕が契約するわけではないのですから、少し黙っているのです」


 契約するのはドクロワルさんなのだから、横から口を挟むなとタルトに叱られてしまう。僕としては、ぜひこの魂を宿らせる精霊と契約してほしいところ。そうすれば、ドクロワルさんと精霊のダブルおっぱいに挟まれておやすみすることも夢ではない。真ん中にこだわる3歳児の気持ちがちょっとだけ理解できた。


「すると、この方は魂を奮わせる精霊ですか?」

「ドクロビッチは理解が早いのです。ドキドキは困難に立ち向かう勇気をくれるのですよ」


 燃え上がるような魔法陣の上で鉄鋼仮面のようなポーズをとる真っ赤な全身タイツに覆面という精霊を見たドクロワルさんは、運び去る者と宿らせる者は紹介してもらったから、残っているのは奮わせる者だとあたりをつけた。そのとおり、魂を奮わせる勇気の精霊だそうな。僕的には勇気よりも正義といった印象を受ける。脳筋ズと気が合うんじゃなかろうか。


 この精霊も女性みたいなのだけど、肩幅が広くてオリンピックに出てくる体操か競泳の女子選手みたいな体格をしている。おっぱいはムジヒダネ級よりは大きいかなといった程度で、覆面から見える口元のほくろが色っぽい。


「この精霊はムジヒダネさんの方が向いてるんじゃないの?」

「下僕はちっともわかっていないのです」


 3歳児にバカを申すなたわけと一蹴されてしまった。己の強さを信じている者は自らを奮い立たせることがないから、ドキドキには見向きもされないそうな。この真っ赤な精霊は、敵わないと知りつつも敢然と強者に立ち向かう弱き者の味方だという。奇抜な見た目のわりに優しい性格をしているようで、タルトに罵倒されションボリしてしまった僕を慰めようと頭をナデナデしてくれた。


「ドクロワルさん。正解はきっと魂を宿らせ――ぐほっ!」

「黙っていろと言ったのですっ」


 ヒッヒーフを勧めようとした僕の大事なところに、手加減を知らない3歳児がスクリューアッパーを叩き込んできた。無防備だった急所に衝撃を受けて目の前に星が飛び散る。


「これは試験ではないのです。ここで契約に至ることがよいとは限らないのですよ。何が正しくて、何が間違っていたのか。それはすべてが終わってからでなければわからないのです」


 また別の日に別の精霊と契約する機会が巡ってくるかもしれない。だから、正解を探すのではなく、心残りにならない選択をしろと言うタルト。それに頷いたドクロワルさんがグルリと3体の精霊を見渡した。


 これは……。迷いが感じられない……


 ロゥリング感覚で捉えたドクロワルさんの魔力からは一切の迷いが感じられなかった。どうやら、すでに決まっていた模様。もう僕が何を言ったところで、その決意を揺らがせることはできないだろう。彼女が心を決めてしまった以上、どうか魂を宿らせる精霊と契約してくださいとおっぱいの女神様に祈るだけだ。


「あなたこそ、わたしの求めていた精霊です――」


 他の選択などあり得ないと確信しているのだろう。何かを決意したような力強い口調でドクロワルさんが自分の答えを口にする。


「――シネシネ、わたしと契約してください」

「ええっ。よりによって、そいつなのっ?」


 予想外の選択に思わず声が漏れる。選ぶなら宿らせる精霊か奮わせる精霊の二択だと思っていたのだ。タルトに言わせれば慈悲深いとはいえ、生き物の魂を運び去るなんて治療師であるドクロワルさんにとっては忌むべき存在ではないのだろうか?


「アーレイ君。治療師は人の命を救う高尚な仕事なんかじゃないんですよ」


 きれいごとだけでは済まないのだと静かに呟くドクロワルさん。魔法薬もベッドの数も、患者を世話する看護師の手も限られている。いつ、誰が運ばれてくるかわからないので、兵卒の治療にすべてを使ってしまうわけにはいかない。騎士や士官の治療が優先されるので、様々な事情を考慮して救えないと判断せざるを得ない時もあるのだという。


「患者さんの無事を祈る人が、帰りを待ちわびている人がいることを知りながら、わたしたちは人の命を消耗部品のように選別するんです」


 昨年の遠征でプロセルピーネ先生が救えないと判断した傷病兵に、それ以上苦しまなくてよくなる薬を与えるのは彼女の役目だったそうだ。治療師となる以上は、人の命を奪うことも覚悟しておけと師匠から命じられたらしい。


「ですからシネシネ。わたしに救えなかった人の魂が、わたしに見捨てられた人の魂が迷わないよう、あなたが手を引いてあげてください」


 自分との契約を考えている精霊が他の2体であっても構わない。今からでもいいから、自分のことを見てほしいとドクロワルさんが魂を運び去る精霊に手を差し出す。空っぽの眼窩で彼女を見つめていた死神は――


「シネシネ、お願い……」


 ――ドクロワルさんの懇願に応えるかのように、そっと差し出された手を取った。魔法陣から闇が溢れて辺りを包み込む。


「それでよいのです。契約を焦って己を偽ったりしなければ、精霊はちゃんと応えてくれるのですよ」


 真っ暗な部屋のどこかから聞こえてくる3歳児の満足そうな声。選ばれなかった精霊たちの気配が薄れていく。ロゥリング感覚で捉えた魔力から伝わってくるのは、契約したふたりを祝福するような感情。そして闇がはれた時、精霊たちの姿はもうどこにもなかった。


「あれ、魂を運び去る精霊は? 契約したんじゃないの?」

「シネシネならここに……」


 契約したはずの死神の姿までないとはこれいかにと疑問を口に出したところ、こっちを振り返ったドクロワルさんが両手を差し出してくる。


「なにこれ? かわいい……」


 その掌の上には、くっつく精霊と同じサイズの手乗り死神がフワフワと浮いていた。ゴツゴツだった骸骨はなんか丸っこくなっていて、手にしているのは鎌ではなく先端にカゴが取り付けられた棒。まんま、ラクロスのスティックである。精霊というのは契約すると姿形が変わるものなのだろうか?


「人族だって、仕事をする時はそのための装いをするではありませんか」


 こっちが本来の姿で、さっき恐ろし気な姿は仕事着であるらしい。死んだ生き物の魂は抵抗して暴れたりしないから、このサイズで充分なのだそうな。なんか小動物みたいだと指先でコショコショしていたところ、気配を嗅ぎつけたらしき蜜の精霊が窓から飛び込んできた。宙を舞える仲間ができて嬉しいのか、シネシネの手を取ってダンスを踊り出す。


 楽し気に宙を舞う精霊たちのダンスは、ヌトリエッタを返せと首席が怒鳴り込んでくるまで続けられた。






「我が殺す。我が潰す。我が引き裂き、我が食べ……ない」


 ここはプッピー研究室。契約した精霊の能力を確認してみようということになり、ドクロ先生から治療師となるべく指導を受けている魔性レディが怪しげな呪文を唱えながら実験体の身体をバラバラに引き裂いていく。迫りくる死の恐怖に実験体があらん限りの力で抵抗を試みるものの、【闇に魅初められし魔性】が発する闇の力になすすべもなく息を引き取った。


「これが魂ですか? なんだか魔力結晶に似てますね」

「あっちの方が抜け殻なのです」


 犠牲となった実験体の上で手乗り死神がカゴ付き棒をひと振りすると、先端のカゴに小さな宝石のようなものが捕らえられた。魔力結晶みたいだとドクロワルさんが口にしたところ、こっちが中身であっちはセミの抜け殻みたいなものだとタルトが教えてくれる。カゴから魂を取り出したシネシネは、パクリとそれを呑み込んでしまった。


「ちょっと、食べちゃったわよっ?」

「シネシネはイグドラシルとつながっているのです」


 こいつ、魂を喰いやがったぞとプロセルピーネ先生が目を剥いたものの、どうやらこれでよかった模様。用済みとなった実験体の亡骸をチリトリで片付ける。こいつらには生かしておく価値などないので、見つけ次第抹殺するのが当然。いかなる残虐行為も正義の名のもとに正当化される。


「黒ゴマ、死んじゃってるけど新鮮だよ」


 バシリスク用の生餌として購入したサソリの死骸を与えると、黒ゴマは嬉しそうに喉を鳴らしならがムシャムシャ食べ始めた。


「治療師になれば、こんな精霊とも契約できるのですか?」

「そんなわけないのです」


 魂を運び去るという設定……じゃなくて、精霊に14歳のハートを鷲掴みされてしまったようで、魔性レディはシネシネと契約したくて仕方がないらしい。どうやったら契約できるのかとしきりに尋ねて3歳児にウザがられている。


「魂を喰らう精霊がおれば、我が魔性の虜となりし男どもの魂をひとつ残らず闇へと引き摺り落としてやれるのに……」

「虜になる男がいなければ、精霊がいたところでゼロはゼロのままだよね……」

「御子よ。口は折檻の元という言葉を知っていて?」


 手の中でシネシネをコロコロ転がしながら魔性レディがギロリと睨んできた。この精霊は脚がなく常にフワフワ浮いている状態なのだけど、どうも転がされるのを楽しんでいる様子。もっともっととおねだりしているようだ。仕事着の姿からは想像できないけど、案外子供っぽいのかもしれない。


「まぁなんにせよ、実に我が弟子らしい精霊だわ。相応しい精霊が現れるって本当なのね」

「申し訳ありません。先生を差し置いて……」

「悔しくないっちゃぁ嘘になるけど、こればっかりは仕方ないわよ」


 師匠より先に相談もせず契約してしまったとドクロワルさんが詫びる。プロセルピーネ先生もやっぱり精霊と契約したいようなのだけど、相手が姿を現してくれなければどうしようもない。自分の意思でどうなるものでもないと達観しているようだ。


「プロビッチはもう契約しているではありませんか。【光棒《こうぼう》の舞手《まいて》】の印《しるし》がついているのです」

「え……? 誰それ?」


 何、言っちゃってるのみたいな顔で首を傾げる3歳児。言われた方のプッピーも心当たりがないのか、そんな奴いたっけと首を傾げる。なんともマヌケな光景だ。いくらアラフォーとはいえ、健忘症には早いのではなかろうか。


「ドクロワルさん。老人ボケに効く薬を……」

「違うわよっ。本当にそんな精霊会ったこともないわっ」


 名前にも聞き覚えがない。自分は精霊と契約なんてしていないはずだと言い張るプロセルピーネ先生。さては、契約したことに気付かないまま逃げられてしまったとみえる。


「【光棒の舞手】は精霊ではないのです」

「先生、バツイチだったんですか……」

「あたしにゃ離婚歴なんてないわよっ!」


 精霊でないとなれば、考えられるのはひとつだけ。別れた旦那がいることを隠していたのかと問い詰めたところ、逆上したプッピーがガオーと雄叫びを上げて襲いかかってきた。僕をヘッドロックに捕らえてポクポク頭を叩いてくる。さすがロゥリング族だ。なんともないぜ。


「精霊じゃないならいったい……」


 はて、そもそもすでに精霊と契約しているという話ではなかったのかとドクロワルさんが頭の上にはてなマークを浮かべる。そういえばそうだった。師匠と違って察しがいい。


「プロビッチには神の印がついていますから、精霊は畏れて近寄らないのです」

「「うえぇ――――っ!」」


 3歳児の爆弾発言に、その場にいる全員が素っ頓狂な声を上げた。


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