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道案内の少女  作者: 小睦 博
第1章 掟破りの3歳児

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16 裏切りのブタさん

 この寮のお風呂は個室毎には設けられていない。共同の大浴場なのだけど、タルトは意にも介さず鼻歌を歌いながらどこからかお風呂セットを取り出し始めた。

 檜の桶に石鹸にシャンプーと思わしきガラス瓶、たわしにアヒルのおもちゃにシャンプーハット?

 この世界でシャンプーハットを見るのは初めてだ。手に取ってみると、表面はすべすべしていて薄く青みがかったガラスのように見えるのに、軽くてゴムみたいに弾力があってよくしなり、手を離せば形が元に戻る不思議素材で作られている。


「何これ? 何で出来てるの?」

「海に棲む大ドラゴンから水掻きを分けてもらったのです」


 聞かなきゃよかった……

 大ドラゴンって……竜の中でも特に体のでかい、巨竜って呼ばれてる奴のことか。しかも、海棲の巨竜は存在するという確かな証拠のない未確認生物でその姿を見た者はいない。正確にはその姿を目にして生き残った者がいないと考えられている。

 人族には未知の超希少素材で作られたシャンプーハットか……


「下僕もこの『髪洗い帽子』が使いたいですか? なら、髪を洗う時には貸してあげるのです」

「いや、シャンプーハットがないと髪が洗えないってわけじゃないんだ……」


 そこじゃないんだ……

 ヒュドラ毒といい、人族にとっては目玉が飛び出るような希少な素材を、100均に並んでいる安物のように扱うのをどうにかしてくれ……


「髪を洗ったらこの髪留めで束ねておくのです」

「――――」


 タルトはシャンプーハットと同じ素材で作られたように見える輪っかをシルヒメさんに渡している。巨竜の水掻きが髪ゴムかよ……って、ちょっと待て!


「タルトッ! まさかシルヒメさんまで一緒にっ?」

「当たり前ではありませんか。何を驚いているのです?」

「ダメだよっ! 妄想だけが取柄のピュアボーイたちに生裸シルキーなんて刺激が強すぎるよっ!」

「そんな者どもが血の海に沈もうと知ったことではないのです」


 お風呂を前にしたタルトは純朴な少年たちのことなど眼中にない様子だ。ガキンチョはどうでもいいとして、シルヒメさんはヤバいだろ。僕だって失血死しかねないぞ……


 まずい、ドキドキしてきた……

 仕方ない……仕方ないんだ……

 僕にタルトは止められないから……

 シルヒメさんと一緒にお風呂に入るのも、見えちゃったり、ちょっと触れちゃったりしても、全部仕方のないことなんだ……グヒュヒュヒュヒュ……


「気持ち悪い笑いを引っ込めて、さっさとお風呂に案内するのです。下僕にはわたくしの足を洗わせてあげるのですよ」


 仕方なく、本っ当に仕方なく、お風呂セットを頭の上に掲げてはしゃぎまわる3歳児とバスタオルなんかを抱えたシルヒメさんをお風呂場へと案内する。お風呂の時間は決められていて、その時間しかお湯が使えないため、お風呂場は同じ寮の子たちで賑わっていた。


「のおぉぉぉ――――!」

「ちょっ! なんでっ?」

「アーレイッ! お前まさかっ?」

「えっ……別に使い魔を一緒にお風呂に入れるのは僕だけじゃないよね?」


 皆がどよめく中、苦しいとは思うけどあらかじめ用意しておいた言い訳でこの場を流す。ちょうどヘルネストがお風呂に入るところだったらしく、素っ裸のまま大切な部分をサクラヒメで隠していた。

 サクラヒメだってメスなんだから、僕がタルトとシルヒメさんを連れてきても問題はない……はずだ。


「このバシリスクはわたくしが洗ってあげるのですよ」

「待てっ! 洗わせてやるから、今は待つんだチミッ子!」


 タルトがヘルネストからサクラヒメを取り上げようとしていた。


「タルト、サクラヒメは逃げないから。僕たちも早く入るよ」

「――――」


 脱衣所の棚のところからシルヒメさんがタルトを呼んでいたので僕も隣の棚を使わせてもらう。チョコチョコと駆け寄ってきたタルトをシルヒメさんが手際よく脱がせていくので、どんな可愛らしい子供パンツを穿いているのかとついつい目をやってしまった。ブタさん着ぐるみパジャマを脱がされたタルトを見て思わず吹き出しそうになる。


 ――オ、オムツだとぅっ?


 タルトが着用していたのは白地にピンクのブタの顔が描かれたブタさんオムツだった。タルトの奴はよっぽどブタさんが好きとみえる。3歳児なのだからオムツでも不思議はないのだけど、そもそも精霊にトイレって必要なのか? 僕の知る限り、タルトは昨日から1回も行ってないぞ。


「タルト、お風呂の前にお手洗いを済ませておこうか……」

「何をバカなことを言っているのです。わたくしは地上の生き物とは違うのですよ」


 3歳児がお風呂場でやらかさないようにと気を遣ってあげたのに、バカとは酷い言い草だ。じゃあ、何でオムツなんて穿いてるんだよっ? 意味ないじゃないかっ!

 タルトを脱がし終えたシルヒメさんが自分のメイド服へ手をかけた時、棚の後ろに身を隠し、鼻息を荒くした奴らがこちらの様子を伺っていることに気が付いた。


「そんな、隠れて覗くこともないだろうに……」


 ここの脱衣所は上下二段の背の低い棚が並んで置かれている。棚の上から頭だけ出している奴や気にしない振りをして横目でチラチラ覗いている奴がいるぞ。まったく、気の小さいボーイたちだ……


「別に隠れてなんていない……」

「精霊が珍しかっただけだ。言い掛かりはやめてもらおう……」

「ハァハァ……幼女……最っ高……」


 ピュアボーイたちは顔を赤らめ、目を逸らしながら僕の言葉を否定する。かわいい奴らだ。女の子が気になって当たり前の年頃なのだから、それを恥ずかしがる必要はないし、硬派ぶって興味がない振りをしているとホモだと思われるぞ。

 ひとりだけ混じっていた許されざる者は、タルトにヒキガエルにしてもらってサクラヒメの胃袋にご招待すれば証拠は残るまい。


 幼いころに田西宿実の記憶が戻った僕は、大人の女性とお風呂に入るのに慣れている。オカンたちと一緒のお風呂に入れられてたし、下の子たちをお風呂に入れる手伝いもさせられたからね。

 ボーイたちはせいぜいコソコソしていればいい。せっかくだから、僕はしっかり堪能させてもらおう。


 シルヒメさんは下着まで白一色だけど、大人の女性らしいレースがふんだんにあしらわれた上品な下着を着けていた。ただ、あまり色香を感じさせるものではなく、ブラジャーはおっぱいをすっぽりと覆うタイプだし、パンツもおへそまである丈の長いタイプだ。

 シルキーって言うくらいだから、やっぱり素材は絹だろうか。クンカクンカして確かめたい。


 僕の目の前でシルヒメさんがブラジャーの肩ひもに手をかける。

 背後でボーイたちが息を飲むのが伝わってきた。

 シルヒメさんは僕たちの視線なんか気にもならないのか躊躇いなく下着を外す。

 僕を魅了してやまない、けしからんおっぱいが今、目のまっ…………ほへ?


 おかしい……目の錯覚だろうか? 何でこんなものが見える?

 目を擦ってもう一度見直して見たものの変わらない。見間違いではなかった。僕の視界の中で、まるでシルヒメさんのおっぱいが見えるはずの場所を隠すように……ブタさんが躍っていた。


「オレ、目がおかしくなっちまった……」

「ブタ……? なんでブタが……?」

「お前たちにもブタが見えるのか?」


 僕だけじゃない。ボーイたちにもブタさんが見えているようだ。いったい誰の仕業だっ? こんなふざけた真似をしてタダで済むと思っているのかっ?


「下僕があんまり心配するものですから、別のものを見せるように光の精霊に命じておいたのです」


 お前かぁぁぁっ――――!

 拳を砕くような勢いで床に怒りの鉄拳を叩きつける。タルトはやっぱり残酷な主だった。


 酷いよ……これだけ期待させておいて……

 人族に見られることなんて気にも留めないような素振りをしておきながら……

 最後の最後で僕たちを裏切るなんてっ!

 謝れっ! 下半身に秘めた純粋な想いを裏切られたボーイたちに謝れっ!


「シャーマン、ベイッ」


 あんまりなオチに困惑しているボーイたちに向かって、タルトとシルヒメさんはどこで覚えたのか『W全裸オシャマンベ』という暴挙に出た。微妙に発音が違ってるぞ。もちろんブタさんに邪魔されて肝心なところは一切見えない。


「くそっ 邪魔するなっ!」

「どけよ、この豚野郎っ!」

「ようじょぉぉぉ――――!」


 ボーイたちはいるはずもないブタさんを追い払おうと、溺れかけている人のように両手で宙を掻き、タルトはそんな彼らを滑稽だと言わんばかりの薄笑いを浮かべながら眺めていた。

 お風呂場からの熱気で温かいはずの脱衣所で、僕の背中を冷たい汗が流れ落ちる。

 悪魔だ……。ピュアボーイたちの淡い期待をここまで踏みにじるなんて……。まさしく悪魔の所業だ……


「いつまでもかまってないでお風呂に入るのですよ」


 血の涙を流しながらブタさんを睨みつけているであろうボーイたちをその場に残して、タルトとシルヒメさんはお風呂場へと消えてしまった。すぐに僕もふたりの後を追う。

 大丈夫だ。彼らはきっとまた勃ち上がれる。彼らのベッドの下には、どんなときも支えてくれる女の子の姿絵があるから……


 この国のお風呂は日本と同じ湯船に浸かるタイプだ。お風呂場には大きな浴槽とカラン代わりの細長い樋が置かれており、足元は滑り止めの凹凸がある表面がツルツルした石で出来ている。タイル貼りではなく、魔術で作った一枚の石板だそうだ。

 端っこに積まれている木製の椅子と桶を取ってタルトたちの隣へいく。


「椅子はあっちに積まれているから取っておいでよ。使った後はちゃんと戻すんだよ」

「わたくしはちゃんと専用の椅子を持っているのですよ」


 タルトがどこからともなく特異な形状の椅子を取り出した瞬間、僕はそれを取り上げた。


「アウトッ! これはアウトだよっ!」

「なぜですか? それは【愛の女神】の浴場に転がっていた、由緒正しいお風呂椅子なのです」

「ダメッ! 椅子はあそこにあるのを使うのっ」


 タルトは納得いかないという顔で排水用の溝が掘られたお風呂専用の優れものだと主張するけど、この座面が左右に分かれている黄金のような光沢を持った丸い椅子は共同浴場で堂々と晒すようなものじゃない。椅子を取りに行ったシルヒメさんに注目が集まっていることを確認してこっそりとしまわせる。

 オシャマンベとかスケベ椅子とか、精霊に変なことばっかり教えやがって。どこのバカ転生者の仕業だ?


 シャンプーハットを被ったタルトがシルヒメさんに髪を洗ってもらっている間、タルトに命じられたとおり足を洗ってあげる。

 シャンプーもそうだけど、石鹸もここの浴場に用意されているものより泡立ちが良く香りもいい。魔導院だって上流階級の子供向けに質の良い物を揃えているはずなのに、タルトの石鹸はそれ以上の高級品だ。


「下僕も遠慮なく使うと良いのですよ」


 今はシルヒメさんに後ろ髪を流してもらっているタルトが、僕の心の内を読んだかのように使用許可をくれた。遠慮なく使わせていただこう。キメの細かい泡を盛大に立ててワシャワシャと洗うとすごく綺麗になった気がする。

 タルトは近くで体を洗っていたヘルネストからサクラヒメを奪ってくると、自分の高級石鹸を使って洗い始めた。サクラヒメは慣れているのでおとなしい。背中側を洗い終わると、シルヒメさんに抱っこさせて腹側を洗い始めた。


「うほっ……ほうっ……ふひぃ……」


 なんか近くから男の気持ち悪い吐息が聞こえてくる。マジキモイんですけど、やめてくれません?


 どこのバカだと思って探してみると、気持ち悪い声を立てていたのはヘルネストだった。うめき声をあげながら、急にビクンッと体を仰け反らせたり、足を震わせながら膝を閉じたり開いたりしている。むっちゃ怪しい、なんだこの変質者……?

 あまりの気味悪さに見ていられず目を逸らした先で僕が目にしたものは、シルヒメさんのおっぱいに頭を挟まれるように抱っこされてタルトに下腹を洗われているサクラヒメだった。そうかっ……ヘルネストの野郎……


 ――コイツ、感覚共有でシルヒメさんのおっぱいを堪能してやがる!


 ふざけやがって、僕だってまだ触らせてもらってないのにっ。喰らいやがれ、この痴漢野郎っ!

 浴場に備え付けの石鹸で桶いっぱいの石鹸水を作り、ヘルネストの顔が上を向いた瞬間を狙ってぶっかけた。


「ごぶおぉっ! 目がっ! 目があぁぁぁ! 鼻にもっ!」


 共同のお風呂場で賢者にクラスチェンジなんてさせてなるものか。目だけでなく、鼻にまで石鹸水が入り込んだらしいヘルネストは顔を抑えてのたうち回っている。これこそ天誅と言うものだ。ざまあみろ。


「くそっ! いきなり、何すんだっ!」

「それはこっちの台詞だよっ。皆のお風呂場で何してるのさっ!」

「てめえ……命がいらないらしいな……」

「婚約の贈り物をシルヒメさんへの痴漢行為に利用したって【ヴァイオレンス公爵】に教えてあげてもいいんだよ」

「モロニダス……俺たち、親友じゃないか……」


 調子のいい奴め……まあ黙っておいてあげるけどさ。

 ムジヒダネさんがこのことを知ったら、きっとエクスキューショナーモードに突入してしまうだろう。一緒にお風呂に入ったと知られただけでも危険だけど、ブタさんで何も見えなかったのだからトーメンターモードで許してもらえる……と思う。


 湯船に浸かると今日一日の疲れがどっと襲ってきた。巨竜の水掻き製髪ゴムでツインテールにされたタルトは僕の膝の上に乗っかってアヒルのおもちゃで遊んでいる。隣にいるシルヒメさんを横目に、お湯の中なら光の精霊もと期待したのだけど、ブタさんは水中にも出現できるようだった。


「モロニダス、明日は朝食の後に集合だ。俺は荷車を借りてくるから、お前はコケトリスを連れてきてくれ」


 お風呂から上がりながらヘルネストが明日の予定を告げる。明日はこんなに疲れなければいいなぁ……


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