15 この湖に呪いあれ
とんでもないアクシデントに見舞われたものの、それ以後は何事もなく無事に魔導院へと帰り着いた。サンダース先輩は全員の到着を確認すると、先生に野犬の群れが出たことの報告に向かう。
これまで街の近くに出没するのは1匹か2匹のはぐれ野犬だった。30匹もの群れなら猪だって鹿だって狩れるはず。獲物の豊富な山中から危険な人里に降りてきたのは、何者かに縄張りを追われたからだとサンダース先輩は推測していた。
そして、あれほどの群れが敵わないと逃げ出したのなら、その何者かというのは魔物や魔獣である可能性が高い。
生徒や街の人たちに警告しなければならないだろう。そもそも今回だって魔獣を8頭も連れた大所帯だったから撃退できたのだ。いくら鎧下が牙を通さないといっても、生徒だけでは犠牲者が出てもおかしくはなかった。
「アーレイが気付いてくれて助かったな。なんでわかったんだ?」
「説明しずらいんですけど、気配とか視線とか感じたんですよね」
「それは下僕がオー……ロゥリング族だからなのですよ。知らなかったのですか?」
「あ、やっぱりそうなの?」
タルトも人前で僕がゴブリンであることをバラさない程度には気を遣ってくれるようだ。そして、この不思議な感覚はロゥリング族のものだとわかった。僕が感じていた気配とか視線の正体は、実は相手から漏れ出た魔力なのだそうだ。
「ロゥリング族は魔力を感じる感覚が人族よりずうっと敏感なのです」
人族とロゥリング族の魔力感覚は人の嗅覚と犬の嗅覚くらい違っていて、ロゥリング族が魔獣の跋扈する森の中で生きていける秘密がこの魔力感覚らしい。森のハンターには姿を隠して待ち伏せするタイプが多いけど、ロゥリング族は相手より先に気付いて逆に不意打ちで仕留めてしまえるそうだ。
何で僕のロリオカンはこんな大事なことを教えてくれないんだ? コケトリスで流鏑馬するよりよっぽど大切じゃないか。
「騎士としてはともかく、斥候としてはこれ以上ない能力だな……」
「種族特性ってことは……どんなに訓練しても人族じゃ敵わないってことでしょ?」
「下僕はロクに訓練していませんから、人族よりちょっと敏感といった程度なのです」
「その言葉は、それだけ成長の余地があるとも取れますわね。今後の訓練次第では……」
首席が鋭い目を向けてくる。僕に学年首席の座を脅かされるとでも思ったのだろうか。それは杞憂というものだ。僕はCクラスの落ちこぼれ。次席か3位の【禁書王】を警戒すべきだよ。
「私はアーレイ君が使っていた術式に興味がありますね。どうしたらあんな屍になるのか……。秘匿術式ならば尋ねるべきではないのでしょうけど……」
さすがは大先輩のモチカさんだ。一番聞かれたくないところを突いてきた。
「あれはたまたま手に入れた物で、どんな術式かまでは僕も知らないんです。素材が術式に耐えられなかったみたいで、魔導器も壊れちゃいましたし……」
うん。嘘は言ってない。あの戦いの後、魔導器は持ち手の部分だけ残して、肝心な魔法陣が刻まれた部分はバラバラに砕けてしまった。
魔導器は消耗品だ。魔術を使うたびに劣化して、いつかは壊れてしまう。魔術耐性の高い高級素材を使えば劣化も抑えられ長持ちさせられるけど、なにせ1年生の実習で配られた素材だからね。
複雑で強力な術式ほど負担が大きく劣化が早いと言われているから、『エアバースト』ならともかく、『タルトドリル(僕命名)』には耐えきれなかったのだろう。
「そうでしたか……。せめて使用された属性だけでもと思ったのですが……」
属性というのは、簡単に言えば何の精霊にお願いする魔術かということだ。モチカさんは触れもせずに野犬を無惨な屍へと変えていく僕を見てショックを受けたらしい。
一撃必殺とも言える威力がありながら何かを爆発させたり射出している様子はなく、周囲へは被害を及ぼさず反動もなさそう。それを目の当たりにしながら術式を想定できないのは屈辱だそうだ。なんだか申し訳ない。
お喋りに花を咲かせていたところでサンダース先輩が戻ってきて解散となった。
野犬の群れについては先生から街の警備隊と領主であるホンマニ公爵様に報告してくれるそうだ。何だか大事のように聞こえるけど、ホンマニ公爵様は魔導院の院長でもあるのだから生徒が襲われたことを報告するのは当然なのだとか。
生徒たちにはしばらくの間、魔導院とモウヴィヴィアーナの街の北側と西側から出ることは控えるよう通達されることになった。
タルトの手を引いて紅薔薇寮への道をゆっくりと歩く。お昼寝をしたタルトは疲れた様子もないし、日没までには少し時間があるので、ちょっと遠回りをして魔導院の東側にあるヴィヴィアナ湖畔へと向かうことにした。
湖の岸辺に沿って公園のような広場が造られていて、ヴィヴィアナ湖が一望できる展望スポットになっているのだ。夏には湖水浴が楽しめる砂浜にボート乗り場、高台には展望台まである。
ヴィヴィアナ湖は地図で見ると大きなV字型をした湖で、一辺が20キロメートル――この世界の単位はメートル法が一般的だ――を超えるくらい広い。両側を湖に挟まれた半島になっているところにヴィヴィアナ様をお祀りする精霊殿が建てられていて、この半島は許されたもの以外立入禁止だ。
僕たちがボート乗り場近くの岸辺に着くと、真っ白に塗られた船体に3階建ての館を乗っけたような船が湖面を滑るように進んでいるのが見えた。
「見てごらん。今日はお祭り船が動いてるよ」
お祭り船と呼ばれるこの船は、ヴィヴィアナ様のお祭りのときに供物や祭祀を行う人を精霊殿まで運ぶのに使われる船だ。動かさないと船が傷んでしまうということで、月に数回、湖を周回している。
一応、マストを備えてはいるのだけど、魔術を使った推進器を動かしているらしく帆は広げていなかった。ちょうど動いているところが見れたのはラッキーだと思ったけど、お祭り船を見た3歳児は頬を膨らませて何やらご立腹のご様子。
「立派な御殿にあんな船まで造ってもらえるなんて、ヴィヴィアナのくせに生意気なのです」
どうやらヴィヴィアナ様に嫉妬したらしい。ブーブー文句を垂れているぞ。ここに連れてきたのは失敗だったか……
「良いことを思いつきました。持ってきたヒキガエルを出すのです」
サクラヒメへのお土産に持って帰ってきたヒキガエルを欲しているので、袋から1匹取り出してタルトに渡す。何に使う気だ?
「クックック……このヒキガエルを使って、『この湖の水を口にした者はひとり残らず腋の下から下僕のキノコの山のような酸っぱい臭いを発するようになる』呪いをかけてやるのです」
ちょっと待て! それ何てバイオテロ? いや、呪いテロか?
タルトが悪魔のごとき邪悪な笑みを浮かべながらヒキガエルの背中に触れると、一瞬だけ禍々しい魔法陣のようなものが浮かび上がった。コイツ本気だ!
「呪われよヴィヴィアナッ!」
「待ていっ!」
間一髪、僕は湖に投げ込まれようとしていたヒキガエルを3歳児の手から奪取することに成功した。
「そんな呪いを掛けたら僕たちまで腋の下が酸っぱくなっちゃうじゃないか!」
「ちゃんと、わたくしとわたくしの従僕には効かないようにしてあるのです」
「僕たちだけ助かろうっていうのっ?」
「下僕は従僕ではなくて下僕ですから、正確にはわたくしとシルヒメには効かないのです。下僕に自分だけ助かったという罪悪感を植え付けるほど、わたくしは残酷な主ではないのですよ」
「ダメッ! 呪い禁止!」
ダメだコイツ。無差別呪いテロで魔導院中の女の子の腋の下を酸っぱくしてしまおうなんて。そんなにヴィヴィアナ様が羨ましいのか?
「フフッ……良いのですよ。ならば、下僕の手でヴィヴィアナに呪いを届けてやるのです」
再び邪悪な笑みを浮かべたタルトが見せつけるように左手の甲を僕に向けて中指を一本だけ突き立てる。それは子供がやっていいジェスチャーじゃ……
――違うっ!
タルトが見せつけているのは左手の中指に嵌められた指輪だ。僕の体から一瞬で血の気が引く。契約の主である証。ペット用の契約にある従僕と感覚や意識を共有し、その身体を思うままに操る権利を行使する気だ。
コイツは僕の手で呪いのヒキガエルを湖に投げ込ませようというのか。それでよく残酷な主でないなんて口にできるっ!
「酷い……君は人間じゃないよ……」
「何をわかりきったことを言っているのです」
ダメだ。体が勝手に動く。必死に抗うものの、まったくと言っていいほど効果がない。契約の効力がここまで強力なのか、それともタルトの力なのか……
どうにもならない僕の体が、ヒキガエルを勢いよく放り投げようと大きくテイクバックを取る。誰でもいい。誰か僕を止め――あれ?
「ギョエエエ――――!」
唐突に僕の右手からヒキガエルを掴んでいる感覚が失われる。この僕がテイクバック中に落球だと?
信じられないと振り向いてみると、ヒキガエルはピンク地に黄色い菱形の模様が入った8本脚のトカゲにがっちりと咥えられ断末魔の悲鳴を上げていた。どうやらサクラヒメが大好物の獲物を見つけて僕の手から奪ったらしい。
ヒキガエルにはかわいそうだけど、助かった……
「ヒキガエルを湖に投げ込むなんて何の遊びだ? もったいないことするなよ」
「ヒキガエルはバシリスクに食べられるために存在する。食べ物を粗末にするのは良くない……」
僕に声をかけてきたのはヘルネスト――許嫁とおデートですか? モゲちまえよ!――とムジヒダネさんだった。
ふたりはボート乗り場の方からやってきたな……
桟橋に目を抜けると返却されたばかりと思しき2人乗り足漕ぎスワンボートが係留されている。おぅおぅ、ふたりっきりでお楽しみだったってわけですかい。羨ましいじゃねぇか。こっちは一歩間違えれば野犬の胃袋の中だったのに……
「下僕が邪魔するから、せっかくのヒキガエルが食べられてしまったではありませんか」
「あんなもの食べてサクラヒメは大丈夫なの? 酸っぱくなったりしない?」
サクラヒメは僕の手をペロペロと嘗めている。僕に懐いているわけではなく、ヒキガエルの毒が付着してしまったせいだろう。サクラヒメが嘗めなくなったら毒が無くなった証拠だ。実に便利なバシリスクで人気があるのも頷ける。
「食べられてしまったら魔法陣ごと溶かされてしまうので心配無用なのです」
タルトが肩を落として答える。まったく、コイツは監視しておかないとダメだな。目を離した隙に何をするかわかったものじゃない。
「こんな時間のこんな場所にチミッ子を連れてくるなんて、お前、投獄される覚悟はできてるんだろうな?」
「アーレイは体が小さいから、やっぱりそういう趣味に走るのは避けられないようね……」
ん? 君たちは何を言っているんだい?
なんだヘルネストその呆れたような顔は。ムジヒダネさん……野犬が放ったものより強烈な殺気を感じるんですけど僕が何かしましたか?
「わかってない顔だな……。もう夕暮れ時だ。周りをよく見てみろ」
何があるっていうんだ。ふむ、夕暮れに染まるヴィヴィアナ湖も素敵じゃないか。結構な数の人が見に来て……
まて……
これは……
まさかっ……
あることに気付いた僕は確かめるように周囲を見回す。そんなバカなっ! 信じられない……。だけど、アッチも、コッチも、アイツらもかっ……
そう、夕暮れ時のヴィヴィアナ湖を鑑賞に来ている人たち……彼らは、皆一様に……男女二人組のペアだった……
「ぐふぁっ――――!」
あまりの衝撃に立っていられずその場に膝をつく。何だよこれっ! こいつら全員カップルなの? どっから湧いてきた? って、何アレ? チュウしてるよ、チュウ!
「いや、夕暮れ時のここはそういう場所だから、お前もとうとうチミッ子に……」
こいつら…………………………そういえば、ヒキガエルはもう1匹いたな。
「タルト……僕が間違っていたよ。すまなかった。だから、このヒキガエルに『この湖の水を口にしたカップルはひとり残らず足が痒くなって変な臭いを発するようになる』呪いをかけてやろう。僕が責任をもって湖の底に沈めてくるから……」
「下僕……邪で真っ黒な魔力がダダ漏れなのです……」
「バカなこと言ってねぇで帰ろうぜ。夕飯の時間に遅れっちまうぞ」
ヘルネストの奴に僕の唯一の希望だったヒキガエルを取り上げられてしまった。畜生っ!
「こいつはサクラヒメの明日の朝食だな。ありがたく頂いておくぜ」
「ヘル君、せっかくだから、アーレイも誘ってはどうかしら?」
ナメクジ《カップル》どもで埋め尽くされた湖畔を後にして寮への帰路に着いたところで、明日、浪人ギルドに魔法薬の納入に行かないかとムジヒダネさんから誘われた。クセーラさんも来るらしいし、誘えればドクロワルさんも誘うつもりみたいだ。手元が寂しくなってきたところだったしちょうどいい。
「僕の魔法薬もそろそろ魔力が馴染んで安定しただろうし一緒に行くよ。タルトも来る?」
「もちろん行くのですよ。下僕は危なっかしいので目が離せないのです」
「僕のどこが危なっかしいっていうのさ?」
水源地に呪いのヒキガエルを投げ込もうとした3歳児に言われたくはないぞ。
「あんなおもちゃみたいな術式で戦いに向かうところがです」
「……ゴモットモデス、ハイ」
「何かあったのか?」
いい機会だったので、野犬の群れが出た話を伝えておいた。戦闘中毒なところがあるムジヒダネさんは自分もいたかったと零しているよ。物騒だなぁ……。『タルトドリル』がなければ本当に危ないところだったんだ。あんな戦いはもうこりごりだよ……
寮に戻って夕食を済ませて部屋で寛ぐ。シルヒメさんが片付けた部屋は、これが僕の部屋とは信じられないくらい綺麗に整えられていた。メイド精霊恐るべしだ。そして、昨晩はタルトが泣き疲れてそのまま寝てしまったため忘れられていた問題が浮上した。
夕食と就寝の間の欠かせないイベント。そう……お風呂である。




