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道案内の少女  作者: 小睦 博
第6章 追いつけない背中

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139 フラッピングスピン

 馬場ではイナホリプルに跨った【皇帝】が、ゆっくりと巡りながらコースを解説している。飼育サークルの馬場は王都で競技が行われた馬場ほど広くないので、コースは短く障害の数も5つと少ない。


 ゲートから馬場に入って、最初は長方形の短辺に沿ってまっすぐ進み、突き当りで右に90度ターン。目印に樽が置いてあるので、その外側を回らなければならない。長辺に沿って置いてある障害ふたつをクリアし、再び右に90度曲がる。最初とは反対側の短辺に障害がひとつあるのでこれを跳び越え、行き止まりで右に90度ターン。すぐにある障害をクリアしたところで右に45度進路を変え、馬場を斜めに横切りながら最後の障害を越える。最初に回った樽を、今度は反対回りに135度の左ターンを決めゲートに駆け込むという寸法だ。

 走行タイムは砂時計で計るので単位はやっぱりグラムである。


「ありゃ、僕が一番手か……」


 走行する順番をくじで決めたところ、僕が最初で2番手がゲイマル君。最後がアキマヘン嬢となった。黒スケを本気で走らせれば負けようがないので、順番の有利不利なんてないものの、後を走るふたりが心配だ。僕に勝とうなんて思わず、自己ベストを目指すよう頭を切り替えてくれればいいのだけど、あのイレ込み具合では正直期待できない。


「さぁ、アーレイ。君のすべてを僕に見せてくれ……」


 なにを興奮しているのか、ハァハァ荒い息を吐きながら【皇帝】がにじり寄ってきた。もうエロオヤジを通り越して痴漢オヤジと化している。近寄るんじゃないよ、この変態っ。


「今日は全力で走るからね。ちゃんとついて来てくれよ」


 スタート兼ゴールラインとなるゲートの前で声をかけると、「誰に言ってやがる」とでも言いたげに黒スケが低く喉を鳴らした。羽毛を逆立て武者震いするかのように身を震わせる。気合は充分。コンディションもバッチリだ。


「いけっ!」


 スタートライン手前の短いスペースも助走に使い、一気に黒スケをトップスピードに乗せる。あっという間に突き当りの柵が近づいてくるけど減速はしない。僕が突っ込んでくるのではないかと、柵の向こうで見物していた数人が慌てて逃げ出すのが目に映った。


 目印に置かれた樽の手前で、アレをやれと右足で合図を送る。崖下り競技で使われる指示を平地で出したにもかかわらず、黒スケは迷うことなく僕の意図を察してくれた。高さよりも距離を重視した低いジャンプの途中で右の翼だけを開いて急制動。黒スケが一瞬で体の向きを変え、遠心力が僕の身体をすっ飛ばそうとする。


 フラッピングスピン。僕はコーナリングに使ったけど、本来は騎射で用いられる技術だ。


 左手に弓を構え、右手で矢をつがえる関係上、騎射で狙うことができるのは左側方にある的に限られる。瞬時にコケトリスの向きを180度入れ替えて、右手に配置された的を射界に収めるというのが本来の用法だけど、スピードを維持したまま進路を変えるのにも有用だとロリオカンが教えてくれた。


 振り回されるヨーヨーのような勢いで最初のターンを曲がり切った黒スケは、ほぼトップスピードのまま残りの障害とコーナーをクリア。最後の135度左ターンもフラッピングスピンで鋭く向きを変えゴールへと駆けこんだ。


「は……はちじゅうはちグラム……」


 このコースの想定タイムは200グラムだったらしい。馬を使った場合の想定なので縮めてくると思ってはいたものの、軽々と100グラムを切って来るなんてと時計係の主席が唖然としていた。アキマヘン嬢とゲイマル君も開いた口が塞がらないといった表情をしている。


「アーレイ。君は手加減という言葉を知らないのかい?」

「すべてを見せろとか言ってたのは誰だよっ」


 すっかり呆れ顔になった【皇帝】が、第一走者が破られようのない記録を出してしまっては盛り上がりに欠ける。これでは後を走るふたりがかわいそうだなどと言い出した。全力を出せと言うから崖下り用の技まで使ったのに、どうして配慮が足りないなどと責められなければいけないのかさっぱり理解できない。


「これは上手くなかったのです。次はもっと期待を抱かせてから、絶望に突き落とすのですよ」

「なんでアーレイが最初なのよ。普通は最後でしょ、最後」


 タルトとロミーオさんまで、ふたりが勝利の期待に胸をふくらませたところでドラマティックな大逆転劇を演出しろと注文をつけてきやがった。競技はいたずらでも舞台でもないのに……


「シナリオのないドラマが競技の醍醐味じゃないの?」

「これのどこにドラマがあるのよ」


 ロミーオさんは納得してくれなかった。そもそもドラマがないだろうと僕の意見を一蹴する。


「エロオヤジはさっさと競技を進めなよ。次はゲイマル君の番だよ」


 きっと何を言っても聞き入れてくれないだろうと説得を諦め、【皇帝】に競技の進行を促す。そもそも、勝負を申し込んできたのも、本気を見せろと要求してきたのもあのふたりなのだ。せいぜい敗戦処理投手の気分を味わうがいいのさ。


 見物している人たちが、なんかもう目玉は終わっちゃったねという雰囲気を漂わせる中、ゲイマル君が走行を始めた。はっきり言って目を覆いたくなるほどダメな乗り方だ。技量うんぬんというより、競技における騎手の役割を理解していないのである。


 競技の主役は騎獣であり、乗り手がどうあがいたところで騎獣の能力を超える成績は出しようがない。騎獣に最も効率のよいルートやタイミングを指示するのが騎手の役割なのに、ゲイマル君はベストなペースを守ろうとするヒッポグリフを無理に急き立てていた。もうどちらが騎手でどちらが騎獣なのかわからない。あれでは自己ベストにすら届かないだろう。


 少しでも走行距離を短くしようと思ったのか、4つ目の障害を跳び越えて着地と同時にヒッポグリフを右に向けるゲイマル君。進路変更が早すぎる。あれでは最後の障害を斜めから跳ぶことになるだろう。案の定、無理のある位置から跳躍させられたヒッポグリフは後ろ脚を接触させてしまいバーを落っことしてしまった。


 最終的に163グラムでゴールするものの、減点がついたのでアキマヘン嬢が減点なしならタイムにかかわらず最下位決定である。あのヒッポグリフに任せておけば減点なしで150グラムを切れただろうに、騎手が余計なことをしたせいでこのザマだ。公爵令嬢に相応しい騎獣を語る前に、お前がそのヒッポグリフに相応しくないのだと尻を蹴飛ばしてやりたい。


「ゲイマル君は減点ありだから、ミスしなければアキマヘン嬢の勝ちだよ」

「勝敗になど興味はないとお伝えしたはずです」


 もう勝利は決まったも同然だから無理する必要はないのだと言ってみたものの、アキマヘン嬢は誤魔化されてくれなかった。とっくにゲイマル君なんて眼中になかったようで、静かに闘志をたぎらせている。


「はぁ……危ないと感じたら迷わず飛び降りるんだよ」

「承知しています」


 これはもう、やりたいようにやらせるしかないと諦めて、ゲートから駆け出していくアキマヘン嬢とイリーガルピッチを見送る。まあ、ドクロワルさんの時のように上手くやってくれるだろう。騎乗技術ではよく練習している分、アキマヘン嬢の方が上なのだけど、イリーガルピッチにしてみればそれは誤差の範囲でしかない。ドクロワルさんとの違いは体重だけだ。


 思ったとおり、王都で馬術競技に参加した時と同じようなペースで駆けてゆくイリーガルピッチ。まだまだ全力には程遠い。このペースなら150グラム前後の記録が出るかなと眺めていたところ、最後の障害をクリアしたアキマヘン嬢がさらなる加速を指示した。速度を上げたイリーガルピッチが、旋回半径を大きくとるためにラインを外に振ることも減速もしないまま左135度のターンへと向かう。


 えっ……ちょっ……まさかっ?

 指示の出し方も知らずにどうやって?

 いやっ、彼女はやるつもりだっ!


 アキマヘン嬢は崖下り技の合図なんて知らないはず。だけど、乗り手の意思を汲み取ったイリーガルピッチは、もはやフラッピングスピンでなければクリア不可能という勢いで最終ターンに突入。左の羽を広げて鋭く向きを変え――


「きゃあぁぁぁ――――っ」


 ――そして、アキマヘン嬢の身体が宙を舞った。


 馬場を仕切っている柵を飛び越えて、見物している人たちの中に落っこちていくアキマヘン嬢。その先にソウナンデス君の姿が見えた。押し潰されて尻もちをついたものの、どうやら受け止めてくれたようだ。イリーガルピッチはといえば、ゴールした後に騎手がいないことに気が付いたらしくキョロキョロしている。

 あいつは罰として飯抜きだな……


「また無茶をしたもんだね。怪我はない?」

「大丈夫です。受け止めてくれるだろうと、オレッシマーに向かって落ちましたから」


 腰が抜けてしまったらしく、アキマヘン嬢は膝をカクカクさせながらソウナンデス君に肩を借りている。無事を確認したところ、堪えきれないと思ったので柵にぶつからないようわざと大きく飛ばされた。落っこちる先にソウナンデス君がいることも確認済みだったという。


「イーナ様をこんな危険な目に遭わせてっ、許されると思っているのかっ?」


 そこにゲイマル君も駆けつけてきて、乗り手を振り落とすような騎獣に跨らせるなど言語道断。金輪際、アキマヘン嬢をコケトリスに乗せることも、僕たちが親しく近づくことも許さないと気炎を揚げる。


「黙りなさいゲイマルク。誰が私に指図することを許したのです?」

「イーナ様。しかし、私はイーナ様のためにっ」

「黙れと言ったのが聞こえなかったのですか? それとも――」


 アキマヘン嬢の声が一段と低くなった。


「――口で私の身を案じてみせることが忠義だと思っているのですか?」


 そのまま振り落とされていれば柵に激突して怪我は免れなかった。自分の身を護ってくれたのは落馬の練習をさせた飼育サークルの先輩たちと、受け止めてくれたオレッシマー。何ひとつ役に立っていないくせに自分の保護者を気取るなと冷たい声で言い放つ。


「ですが、私は分家の者として……」

「主君に尽くすことを忘れた者が、士族でいられるなどとは思わないことです」


 これといった見返りもないのに、ここでは多くの人が自分に何かを与えてくれる。その人たちとの繋がりを絶つことで利益を得るのは、分家という立場に甘えて何もできないくせに側近面をしたがる者だけ。お前は主家に不利益を与えてでも己が地位の保全を図ろうとする不忠者だと、アキマヘン嬢がゲイマル君に鞭を突き付けた。


「あえて言いますっ。逆賊であるとっ」

「イーナ様っ。そんなっ」

「今後、私に対してイーナと呼びかけることは禁じます。アキマヘン先輩とお呼びなさい」


 ゲイマル君の所属は騎乗部門なので、騎乗部門のやり方でビシビシ躾けて欲しい。もし、アキマヘン家の名を語るようなことがあったらこれで打ってくれて構わないと、アキマヘン嬢が手にしていた鞭を主席に渡した。こいつはいいものをもらったと主席が口元に笑みを浮かべる。

 どうやら、騎乗部門でも手を焼いていたっぽいな……


 さっそく教育を始めると主席が宣言し、憐れゲイマル君は首根っこを掴まれ引きずられていった。


「良かったの? 主席はちょっとやり過ぎるところがあるよ」

「悪いのは領の大人たちとわかってはいるのですが、あの子には厳しくすることが必要です」


 幼いころから優秀で大人たちから褒めちぎられて育ったゲイマル君は、主君のために働くという意識を持たないまま、自分がナリマヘン家の地位と役目を継げるものと錯覚している。あれならまだ領と派閥の利益を唱えたゼネリクの方がはるかにマシ。今のままでは本当に誅殺されかねないと、アキマヘン嬢がため息を漏らす。


「私が魔導院にいる間に調きょ……う正しておかないと……」

「今、調教って言った?」

「言ってません。先輩の空耳です」


 彼を矯正するのは自分の役目だとアキマヘン嬢が首を横に振った。本当だろうか?


「ドクロワルさん。念のため診察を……ってどうしたのコレ?」


 怪我はないみたいだけど診察は受けておくようにとアキマヘン嬢をドクロ診療所に連れて行ったところ、なぜかダエコさんが意識を失って寝かされていた。僕の知らないところで、いったい何があったというのだろう。


「代表がすっ飛ばされたのを見て、自分もやらされると勘違いしたみたいでね。泡を吹いて気を失ってしまったんだ」


 ここまで抱きかかえて運んできたらしい【皇帝】が、女の子の身体って柔らかいねと顔をニヤけさせていた。とうとうエロオヤジの域を脱して性犯罪者に至ったようだ。気を失っている彼女に何をしたのか、とっても興味がある。


「案外、神経細かったんだね」


 僕の魔法陣をパクったうえにすっとぼけてみせた時の態度から図太い性格をしているのかと思っていたけど、どうやらダエコさんはアンドレーア並みにチキンなようだった。


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