134 怒りの公爵令嬢
コケトリス部門の発足が決まった。しばらくは騎乗部門に居候だけど、隣に鶏舎と倉庫を建てて、2階部分には居住スペースも設けてもらえるという。ただ、こちらは騎乗部門と共用。今使っている騎乗部門の建物が傷んできたので建て替えも兼ねているそうな。
メンバーも確定し、西部派は【皇帝】と騎乗部門で僕が指導していたオーバーアクションが好きな女の子。東部派は雪だるま先輩とメルエラ。南部派はロミーオさんとマロナンデス家の分家のひとつだという新入生。北部派はふたつ上の先輩とダエコさんだった。
「ダエコさん。コケトリスに興味があったの?」
「ダイアナエリザベスコーネリアよ。主席と若君がね、何かひとつでも人に自慢できる技能を身に付けない限り派閥から放逐するって……」
どうやら主席と【禁書王】にお灸を据えられた挙句、今のままならエロスロード領への仕官は認めないと最後通告を受けたらしい。北部派は東部派と並んで頻繁に士族を入れ替える土地柄。南部派と違って、役立たずだと思われたら簡単に他の家に取って代わられてしまうのだとダエコさんが涙を流す。
「機会を用意してあるって、主席がコケトリス部門の話をしてきたの……」
ふむ……そうだとしたら、主席はダエコさんに期待しているのではあるまいか?
学年1位と3位のおかげで存在感はあるものの、Aクラスの中に4名しかいない最小派閥が北部派である。上位10名にランクインしているのもそのふたりだけ。とにかく主席と【禁書王】だけが飛び抜けていて、どうにも他の生徒がパッとしないのだ。派閥の底上げを考えた主席が、Aクラスに一番近いダエコさんに白羽の矢を立てたのだとしてもおかしくはない。
「お前のいたずらは底が浅くてつまらないのです。勉強が足りていないのです」
「知識は盗めるが技能はそうはいかん。自力で何かをモノにしてみせろということだろう。ゴブリンにも劣るメガネブタの脳みそでは、その程度のこともわからんか?」
タルトにつまらないと言われたことに加え、手が空いていたという理由で顧問に就任したベリノーチ先生からも罵倒されてがっくりと肩を落とすダエコさん。新学期からBクラスを任された鉄仮面は彼女の担任教師でもある。Bクラスの教室に入っての第一声が、「口答えは許さん。私に何か言われたらイエスと答えろ、ゴブリンに出し抜かれたゴミクズども」だったらしく、授業中はもう罵詈雑言の嵐だという。
ただ、口汚い訓練教官を演じていても他の先生に比べると論理的で、回答を間違えた生徒に対しても「どうしてこんなことが理解できないのか」などとは言わない。生徒がその答えに至った思考過程を理解して、法則を誤って憶えているところはきっちり指摘してくれる。すっかり手懐けられてしまったCクラスの連中は、今年もベリノーチ先生を期待していたのにとリアリィ先生のところに押しかけて教員室から叩きだされたそうな。
「それで、部門の代表者は決まったのか?」
「いちおう私となりましたが、よろしいのでしょうか?」
口汚い鉄仮面にビビリまくっているアキマヘン嬢がおずおずと答える。彼女はもうひとりの発起人であるシュセンドゥ先輩を考えていたのだけど、自分は今年で最後だからと押し付けられてしまった。
「かまわん。組織運営を学ぶ良い機会だろう。園芸サークルのクサ娘にもできたことだ」
できないとは言わせない。年間の予算と行動計画を策定して持ってくるようにと一方的に宣告し、鉄仮面は教員室へと戻っていった。まぁ、シュセンドゥ先輩が副代表としてサポートしてくれるから今年は大丈夫だろう。僕はメンバーたちに、まずは日常の世話や散歩のさせ方なんかを教えることにする。アキマヘン家が新たに雌鶏を1羽寄贈してくれるそうなので、訓練の仕方は到着してからだ。
「あなたがアーレイ準爵の息子ですか。あまり、イーナ様と親しくされても困ります」
イリーガルピッチを教材にして、エサのやり方や毛繕いの仕方。轡のつけ方なんかを説明しているところへ、ひとりの男子生徒が声をかけてきた。身分というものをわきまえろという。見覚えのない顔だ。飼育サークルの新入生だろうか?
「おい、ナリマヘン。先輩はお嬢様に乞われてコケトリスの訓練をされてるんだ。勘違いするな」
「黙っていてください、オレッシマー。イーナ様に寄り付く虫を排除するのも僕の役目です」
アキマヘン嬢を愛称で呼ぶナリマヘンという男。どうやら、アキマヘン家の関係者みたいだ。反論したのは南部派の新入生で、オレッシマー・ソウナンデスという男子生徒。クゲナンデス先輩と同じくマロナンデス家の分家筋にあたり、彼女の弟分だという。
「そんなこと言ったって、コケトリスを調教できるのは先輩しかいないぞ」
「そもそも大ニワトリを調教して何になるんです。空を飛べるヒッポグリフの方がよほど優れているではありませんか」
イーナ様のニワトリ好きにも困ったものだと肩をすくめるナリマヘン。そりゃまぁ、騎獣としての能力で比べたらヒッポグリフには劣るだろう。何をさせるにしても、人を乗せて飛べるというのは反則的に便利過ぎる。とはいえ、ヒッポグリフに欠点がないわけではない。
「ヒッポグリフは高価だからね」
使い魔にしたグリフォンを牝馬と交配させることでしかヒッポグリフは産まれてこない。異種交配させるために、グリフォンのオスに薬を与えて発情させるのだけど、興奮しすぎたグリフォンが牝馬を傷つけてしまうことも少なくないという。まだまだ出産できる牝馬を潰されては困るので、使われるのは母馬としての役目を終える寸前の牝馬に限られ、そのせいか出産率もあまり高くないと聞いている。
ヒッポグリフ生産はリスクの高い博打なのだ。
「アキマヘン家にしてみれば買えない値段というわけでもありません。ヒッポグリフの方がイーナ様に相応しいと思いませんか?」
「なら、僕に言わずに自分で説得してきなよ」
なにも無理してコケトリスに乗って欲しいわけではないのだと、親指を立ててアキマヘン嬢のいる談話スペースを指し示す。どっちを選ぶかは彼女次第。説得に向かう彼を止めることなく見送った。
「おだまりなさいっ、この痴れ者ぉ――――っ!」
今度は鞍のつけ方を説明していたところ、ナリマヘンが向かった談話スペースからもんのすごい金切り声が響いてきた。どちらかといえば次席のように静かに怒るタイプだと思っていたアキマヘン嬢が声を張り上げるなんて珍しい……というか、初めてではなかろうか。
怒号に続いて、「やめて、許して」とナリマヘンの悲鳴が聞こえてくる。
しばらくして、血相を変えたナリマヘンが階段を駆け下りてきたかと思えば、その後を馬術で使う鞭を振り上げたアキマヘン嬢が追いかけてきた。
「たっ、助けてくださいっ」
「ちょっ、いったいなにごと?」
「先輩っ、その者は道理を解さぬ不逞の輩っ。庇い立ては無用ですっ」
いったい何をやればここまで怒らせられるのか、アキマヘン嬢は怒りに我を忘れるほど頭に血をのぼらせていた。手討ちにしてくれるからそこへ直れとナリマヘンに鞭を向ける。
「先輩、どうにかしてイーナ姉様を落ち着かせてくださいっ」
僕の小さい身体を盾にするように背中にまわり込んだナリマヘンが、どうにかしてくれと懇願してくる。まったく事情が呑み込めていない僕にどうしろって言うんだ。
「おのれっ、俸禄は受け取れても鞭は受けられないとはっ。それがあなたの忠節ですかっ?」
激高したアキマヘン嬢が、主家から賜るものなら鞭であっても神妙に受けろ。それが忠義というものだと言い放つ。その理屈はわからなくもないけど、入学したばかりの新入生に求めるのは酷ではなかろうか。
「とりあえず、鞭を下ろして話を聞かせてくれないかな……」
「問答無用っ。この不埒者を討って家中の綱紀を正すのですっ!」
「いやいやいや、待つ待つ待つ待つ……」
アキマヘン嬢では話にならんと、ふたりを追いかけてきたシュセンドゥ先輩から聞き出したところ、どうやら先ほど僕としたような話になったらしい。そういうことはヒッポグリフの代金を自分で稼げるようになってから言うようにとたしなめたところ、ナリマヘン家の家督を継げば俸禄で充分賄えるなどと口にしたものだから、アキマヘン嬢がブチ切れてしまったのだという。
それは、自分で稼いだうちに入るのか……?
「卒業もしないうちから家督と俸禄が自分のものだなどと、よく言えたものですね」
「でも僕は主席入学ですよっ。卒業は約束されたようなものじゃ……」
「それは、次席入学だった私に当てつけているのですかっ?」
ナリマヘンの揚げ足を取ってますますヒートアップするアキマヘン嬢。気持ちは理解できなくもないのだけど、このまま彼を引き渡したら感情のままに百叩きの刑を執行することは目に見えている。それはお仕置きでなく腹いせだ。
「士族を正しく調教するのは主家の役目。今すぐその男を――ひぶわっ?」
次の瞬間、罪人の引き渡しを求めていたアキマヘン嬢の頭上から大量の水がぶっかけられた。ずぶ濡れになって、いったい何が起きたのだと目をパチクリさせている。
これは、リアリィ先生が使う生徒の頭を冷やさせる術式?
「そんなに怒りを撒き散らしていては、コケトリスが落ち着かないのです」
リアリィ先生が来たのではなく、どうやらタルトが魔術を使ったらしい。アキマヘン嬢があんまり怒るものだから、イリーガルピッチとヒヨコが羽毛を逆立てて警戒していた。これはよろしくない兆候だ。
「ヒヨコのうちに人を凶暴で危険な生き物だと憶えたら、成長しても乗せてくれないよ」
「凶暴なのではありません。忠節の捻じ曲がった士族を粛正するだけですっ」
「そんな理屈、コケトリスには理解できないって……」
家中を鎮め秩序を取り戻すには血の粛清しかないのだと訴えるアキマヘン嬢。ナリマヘンはもう顔面蒼白になってブルブルと恐怖に震えている。もっとも、タルトの魔術で気勢を削がれたらしく、僕の言葉に応じてくれるようになった。
もうひと押しだな……この手はあまり使いたくなかったけど……
「ところで、ずいぶんと上品な下着をつけているね。もしかして、勝負下着ってヤツ?」
「ふわわっ?」
びしょ濡れになった薄いブラウスが身体にぴったりと貼りついて、実にご令嬢らしいレースで装飾された肌着が透けてしまっていた。ナリマヘンを手討ちにすることばかり考えて、気が付いていなかったようだ。僕に指摘されて、慌てて胸元を腕で隠す。
「覚悟しておきなさい、この不埒者っ」
顔を真っ赤に染めたアキマヘン嬢は、捨て台詞を残すと着替えを求めて走り去っていった。
「当家の者が大変失礼いたしました。先輩」
ひと通りの説明を終えて談話スペースでだべっているところにアキマヘン嬢が戻ってきた。再び水をかけられることを警戒しているのか、今度は藍色に染められた上着を身に着けている。
先ほどの彼はゲイマルク・ナリマヘンといって、自分にとっては弟のような存在。父親から譲られたヒッポグリフが自慢で、騎乗部門に所属したのだとアキマヘン嬢が教えてくれた。幼いころからもの覚えが良く、教えたことは何でもこなせるようになるため将来を嘱望されているのだという。
「誰も士族の身分なんて約束していないのに、何を思い上がっているのだかっ」
士族とするのは働きに期待してのことなのに、南部派は地位や身分が世襲に近いせいか、生まれ持った権利と勘違いする輩が後を絶たないのだとアキマヘン嬢がテーブルをバシバシ叩く。領の大人たちがナリマヘン家の跡継ぎとして期待をかけるものだから、ゲイマル君はすっかりその気になっているらしい。
なお、当の本人はとっくに逃亡している。
「代表にヒッポグリフなんて、無駄遣いもいいところだろうにね」
ゲイマル君は相応しいと言っていたけど、ヒッポグリフが活躍するのは上空からの偵察や地上部隊の支援。騎士がやるような仕事を公爵令嬢にさせるつもりなのかと、【皇帝】が呆れていた。
「エロオヤジ先輩のおっしゃるとおりです。ヒッポグリフなんて持ったところで、家の者がついて来れないではありませんか」
「エリオヤージュです、代表……」
たとえ自領の中といえど、供も連れずに出歩くなんて許されないのだ。竜騎士が従者を務めてくれなければヒッポグリフで空を飛ぶわけにはいかない。そんな機会、あるかどうかさえ疑わしいのにと、【皇帝】のツッコミをあっさりと流してアキマヘン嬢が首を振る。
「オレッシマーはゲイマルクと同じ白薔薇寮でしたね。粛清はいつだってできると伝えておいてください」
「う、承りました……」
どうやら、百叩きの刑は執行猶予。無罪放免とはいかなかったようだ。




