119 シュセンドゥ伯爵の提案
手にしていた上級再生薬を展示台に戻したシュセンドゥ伯爵は、次にドクロワルさんから試験紙を借りると目を細めてそれを観察する。
「我が領の識別剤が入れられていることは間違いなさそうだな……」
「そんな話はっ……」
「教師であるせいか、君は実務に疎いようだね」
王国軍の調達部門にも治療士協会にも識別剤のことは知らされている。大量の魔法薬を卸売りしている商人たちにとってはもはや常識だ。製造にも流通にも関わったことのない者だけがこのことを知らないと伯爵が鼻で笑う。
「言い掛かりですっ。青い線が浮かぶよう仕組んであったにちがいありませんっ」
自らの無知をさらけ出した学習院の教師は、懲りずに識別剤の有無にかかわらず青い線が出るよう細工されていたのだと主張した。
「それはこの場で確認できる。カネニコマール、試験紙を……」
「ヘビマスターではありませんか」
伯爵に呼ばれて試験紙を取り出したのは、夏にハゲマッソーで出会った姫ガールパパ。ヘビマスターことケティンボゥ氏だった。魔法薬を取り扱うことは珍しくないため、検品に使う試験紙は手放せないのだという。ヘビの芸を見せろとまとわりつく3歳児を後でやってあげるからとなだめ試験紙に再生薬を垂らすと、ドクロワルさんの試験紙と同じ場所にやっぱり青い線が浮かび上がる。
「軍が放出した備蓄品である線が濃厚だな。この程度のことも見抜けないから、主君のご令嬢の前で醜態を晒すことになる」
「主君のご令嬢ですと?」
ずっとそこで見ていたのがアキマヘン家の第3息女ソナイーナ様だと知らされた教師は、口から泡を吹いてひっくり返ってしまった。
見る人が見ればわかるようにと、展示してあった魔法薬を残らず検品して展示台に試験紙を挿し込んでおく。呆れたことに、マーカーが浮かび上がらなかったのは2つだけだった。歩きつかれただろうから一息入れないかとシュセンドゥ伯爵にナンパされた僕たちは、いかにも高級そうな喫茶室でお茶をいただくことにする。
「ホンマニ公爵の秘蔵っ子というのは君だね。パーティーでは挨拶する機会がなくて残念に思っていたが、縁というものはどこに転がっているかわからんものだ――」
そう言って、口元に笑いを浮かべたシュセンドゥ拍車は視線を僕に移す。
「――カネニコマールが夏に出会ったという精霊を連れた少女まで一緒とはね」
ヘビマスターはモロリーヌが変装であることを知っているので、伯爵も僕が【鉄のホモ】の息子であることに気が付いているだろう。どうして元士族の商人を連れているのかと尋ねてみたところ、伯爵としては手元に置いておきたかったのだけど辞めると言って聞かないので、商会の大口出資者になって商売の傍らに情報収集をさせたり、街を案内させたりとこき使うことにしたのだそうな。
「あいつは【鉄のホモ】にこそ敵わなかったものの、学年が違っていれば主席になっていてもおかしくない程度には優秀でね。意外なところから情報を拾ってくるので重宝しているのだよ」
学習院で主席クラスだと言われたヘビマスターはタルトとヘビのおもちゃで遊んでいた。頭をピタリと獲物に向けたまま身体をクネクネと左右に揺らす様子は本物の蛇さながらで、3歳児と蜜の精霊は手を叩いて大喜びしている。
「そのあいつが言ったのだ。君は買いだとね」
「わ、わたしですか?」
再びドクロワルさんに視線を戻す伯爵。常識では考えられないような材料削減技術を教養課程の生徒が編み出したなんて、眉唾物と疑ってかかるのが当然。最初に話を耳にした時は、とうとう魔導院までこんな話題をでっち上げるようになってしまったかと落胆したそうだ。
ところが、たまたまヘビマスターがドクロ先生のことを知っていた。その子はもう治療士協会の正会員になろうという、看護士教本には載っていない軍医の知識までスラスラでてくるトンデモ生徒。常識に囚われていては投資機会を逃すと言われたらしい。
「シュセンドゥ領は秘匿術式より加工技術が自慢でね。この国で稼働している産業用ゴーレムに我が領の部品がひとつも使われていないものはないと自負している。機材や部品の供給では役に立てると思っているのだよ」
ドクロワルさんがすでに治療士協会の正会員になっていることを知ったシュセンドゥ伯爵が、我が領自慢の製品は入用ではないかと営業をかけてくる。
「製造機材は今年設計する予定でいますので……」
「それは本当かねっ?」
今すぐこれが必要という物が判明しているわけではないとドクロワルさんが口にしたところ、こいつはいいことを聞いたと言わんばかりに伯爵は目を輝かせた。
「是非、ヌレテニワをこき使ってやってくれ。君の要求はシュセンドゥの名に懸けて実現してみせろと文を出しておこう」
「特待生の先輩にそこまでしていただくわけには……」
「これは投資だよ。新たな魔法薬工房で要求される機材や性能を把握しておきたいのさ。そうすれば、必要な職人を育てておくこともできる」
シュセンドゥ伯爵の狙いはドクロショックによって喚起される工房機材の更新需要であるらしく、魔法薬の製法や秘匿術式まで先輩に明かす必要はないという。新たな機材が出来上がったところで、それを作れる職人がひとりしかいないのでは各地からの需要に応じられない。仕事が集中し過ぎれば潰れてしまうぞと指摘されドクロワルさんは息をのんだ。
「独占契約を求めたりはしないから、そう難しく考えないでくれたまえ。返答を急がせるつもりもない。君はただ、その気になったら自分の理想とするところを娘に要求するだけでいい」
必要とされる強度に耐摩耗性、薬物に対する耐性、熱伝導性に温めたり冷やしたりを繰り返すことに対する強度。専門外のことで頭を悩ませるくらいなら、まるっとシュセンドゥ先輩に丸投げしてしまえ。そうすれば、ドクロワルさんは魔法薬のことだけに集中できると伯爵は言う。
なるほど、餅は餅屋というわけか……
まぁ悪くない提案ではないだろうか。答えを急がないと言うのは、待っていればいずれシュセンドゥ先輩のところに泣きついてくると確信しているからだろう。それは多分、間違ってない。ドクロワルさんは迷っているみたいだけど、ここはどっちを選んでもいいようにしておけばいい。
「伯爵様。機材や部品のカタログの様なものはありませんか? ドワーフが持ってる、ドワ鋼の性質や使い道なんかまとめたアレです」
「製品要覧のことかね。今、手元にはないが別邸にはちゃんと取り揃えてある。後ほど届けさせよう」
とりあえずカタログだけいただいておいて、入用な物があったらシュセンドゥ先輩に注文すればいい。専門用語や仕様に通じていなくても、コレのおっきいのとか、ソレの錆ないのとか言えば済むので、カスタム品のオーダーもやり易くなるとドクロワルさんに勧める。
「欲しいものがないなら無理に使う必要もないよ。それはシュセンドゥ領がドクロワルさんの期待に応えられてないってことだからね。その時はドワーフ国を訪ねればいい」
「モロリーヌちゃんっ。伯爵様の前でなんてことをっ」
あの先輩のことだから心配はいらないと思うけど、粗悪品を使わされるのは御免である。ドクロワルさんは半分ドワーフだから、人族の手には負えなかったと聞けばドワーフたちが嬉々として手を貸してくれるだろう。足元を見られないよう、期待外れなら他に伝手があるということは伯爵にきっちり伝えておく。
「ドワーフが相手と聞かされては、意地でも期待に応えないわけにはいかないな。我が領の総力を挙げて君の要求を満たしてみせよう」
人族の技術を他種族に持っていかれて堪るかと、シュセンドゥ伯爵は口元に挑戦的な笑みを浮かべた。これでよし。納入品が仕様を満たしていないようならドワーフのところへ行くと脅しておけば、技術的に無理とか言ってお茶を濁されることもないだろう。
「あと見ていないのは領主課程ですわね」
官吏、祭司、魔法課程と見てきたので、最後に領主課程を冷やかしに行こうと主席が言い出し僕たちは喫茶室を後にする。シュセンドゥ伯爵は主席がガリガリいたずら書きをした展示が見たいらしく、製品要覧はコートヴィヴィアーナに届けさせるからと言い残して官吏課程の建物へと向かっていった。
ヨウクーシャさんによれば、政治や領地経営を学ぶのが領主課程らしい。もっとも、領主に求められるのは何よりも魔力に優れた子孫を残すこと。他のことは二の次にされるため、今やほとんどの領主が魔導院の卒業生に占められている。領主が学習院の出身ということは、魔力が衰退していますというサインだそうな。
実際に領主になるのは苦し紛れに領主にせざるを得ない極一部の者だけ。ほとんどの生徒が嫡子でないにもかかわらず、領主なんてついているせいか他の課程の生徒を見下す輩が多いのだとヨウクーシャさんはプンプン怒っていた。
「従兄が領主課程にいるはずなのですけど……」
「ドクロワル男爵家の長男なら同じ学年にいたはずなの」
ドクロワル男爵家の跡継ぎはドクロワルさんの伯父さんで、その息子が学習院に在籍しているらしい。同じ学年だけど派閥が違うしこれといった評判も聞かないので、ヨウクーシャさんは顔も知らないという。一学年に200名を超える生徒がいるので、パッとしない生徒のことなど憶えていられないそうだ。
せっかくだからドクロワルさんの従兄の展示がないか探してみようということになり、領主課程の建物に足を踏み入れたところ、そこは大混乱の渦中にあった。どうやら、主席のしたことが流行ってしまったようで、訪れた人たちがこの部分はアレのパクリだと展示物にガリガリいたずら書きをしている。
「ほとんど丸写しではありませんか。これで生徒の評価ができるのですか?」
「生徒の成績も教師の評価も社交の場で決められていますから、研究論文なんてロクに目を通していないに違いありませんわ」
やめてくれという生徒の嘆願を無視していたずら書きを終えたご婦人方が、ホホホ……と高笑いを残して去ってゆく。ど真ん中にでっかく「丸パクリ」と書かれてしまった生徒は展示物を引き下げることに決めたらしい。ため息を吐きながら布をかぶせて荷物をまとめ始めた。
「かわいそうに、全部主席のせいだね……」
「ひょ、剽窃なんてするからですわっ。それより、目的のものは見つかったのですかっ?」
ヨウクーシャさんが領主課程の生徒に尋ねてくれたところ、ドクロ従兄は個人ではなく研究グループの一員に名前があるとのこと。それを耳にした主席は、これは期待できそうだと薄ら笑いを浮かべながら歩を進める。もう、違う意味で期待していることを隠そうともしない。
「ひと足、遅かったようですわね……」
目的の展示を見つけたところで、主席が憮然とした表情で呟く。僕たちの目の前には、これでもかというほどグッチャグチャにいたずら書きが施され、下にある本文が解読不能となった展示物の残骸があった。
「従兄さん。これはいったい……」
「お前、パナシャかっ。どうしてここにっ?」
「どうしてもこうしても、魔導院のお披露目にぶつけてきたのは学習院じゃない……」
従兄を見つけたらしいドクロワルさんが声をかけると、彼女とまったく似たところがない痩せぎすな男子生徒が驚いたように声をあげた。魔導院卒業生のお披露目がある時期にわざわざこんなイベントを催すのだから、魔導院の生徒がいるのは当たり前だろうと呆れたようにロミーオさんが指摘する。
「これは魔導院の仕業かっ? 嫌がらせにしても程があるぞっ!」
「いえ、そういうわけでは……」
「オゥ、我が弟子っ。魔法薬の展示に試験紙挿すなんて粋なことするじゃない。マーカーのこと知ってそうなのは、皆声を押し殺して笑ってたわ」
嫌がらせをしに来たわけではないと言おうとしたところに、パーティーの時にはいなかった密入国者が背中から声をかけてきた。どうやらホンマニ公爵様のご一行が近くにいたらしい。ドクロワルさんが魔法課程の展示を台無しにしたことを盛大に暴露する。
「なっ、なんてことしやがるっ。いくらお爺様のお気に入りでもドワーフに家は継げないんだっ。目に余るようなら勘当し――でやっ!」
激高したドクロ従兄が勘当と口にしたところで、すかさずクゲナンデス先輩がくっつく精霊を投げつけて口をふさがせた。ロミーオさんとアキマヘン嬢も加わり、南部派女子3人で隅っこの方へ引きずっていく。
「ようやく…………特待生を……それは南部派の…………どれだけの損失に……」
「……バカなの…………これだから貧乏男爵家は…………いっそ潰れた方が……」
時折聞こえてくるゴスッゴスッという鈍い音に混じってクゲナンデス先輩とロミーオさんのお叱りが聞こえてきた。そりゃあそうだろう。ドクロワルさんを勘当なんて口にしたら、それは南部派が彼女を手放すと宣言するに等しい。隣を見上げれば、苦々しい顔で舌打ちした主席がモチカさんにチョップをもらっている。
「なに? どうしちゃったの?」
「いえ……先生は悪くないんです……」
まったく空気が読めていないプロセルピーネ先生に目を丸くして首を傾げられ、ドクロワルさんはどう説明していいのやらといった苦笑いでお茶を濁していた。




