エピローグ
後日――諒が明菜に自分たちの居場所を知った理由をたずねると、意外な答えが返ってきた。
「……へ? だってあんたがあたしにメールを寄越したんじゃん」
当然、諒には覚えがない。そもそも彼のスマートフォンはあずさに襲われた際に落としたままだったのだ。
そのように伝えると、明菜は首をひねった。
「でもあれ、着信はあんたからになってたけどね……」
「どういうこと、なんだろうな……?」
結局、この謎は解けなかった。
元の体に戻るというのもまた、彼らは断念することになった。明菜にはそもそも戻るべき体が失われているし、それについて言えばこずえも同様だ。諒の方にはまだ望みがあるが、そのためには平尾を犠牲にしなければならないし、それは諒の本意ではなかった。
だから大変であっても、今の体のままで生きていくことに決めたのだ。
津島刑事から聞いたところによると、笹原あずさは警察の取り調べで犯行を概ね認める供述をしているようだが、動機については依然として黙秘しているとのことだった。
あずさが逮捕されてから、大事をとって入院しているこずえを見舞いに行ったとき、彼女に事の顛末をあらかた話した。
こずえの顔色はだいぶ良くなってはいたものの、どこか思い詰めたような表情をしていた。それが諒には気がかりだった。
その日の夜になっても、こずえの様子が心配でなかなか寝付けないでいた。異父姉とはいっても肉親だ。彼女も深く傷ついているのだろう。
こずえは明日には退院するらしい。自分に何か彼女のために、力になれることはないだろうかと、そればかりを諒は考えていた。
そんなとき、急に肌寒さを感じた。もう夏だというのに妙だと思いながらも、開いている部屋の窓をしめようと、諒はベッドから起きる。
窓に手をかけ、家の外に目をやる。
「……?」
家の前に、誰かが立っている。諒と同い年くらいの少女だ。
少女が顔をあげて、諒を見た。
「……堀川さん?」
こんな夜遅くに何の用だろうという疑問はさておき、諒は急いで玄関に向かって外に出た。
「……ごめんね、こんな時間に」
同じ場所に立っていた明菜が、申し訳なさそうに言う。
「ああ、どうせ寝られなかったから構わないんだけど……それより、どうしたの?」
「どうしても緒方くんにお礼を言っておきたくて。今日で、最後だから」
「……え?」
諒には明菜の言っていることが理解できなかった――それだけではなく、明菜の様子がどうもおかしい。
「緒方くんがいなかったら多分、事件はこの先も解決できないままだったかも知れない……だから、ありがとう」
「え? いや……あ、あの……本当にどうしたのさ?」
まるで明菜らしくない――諒の目の前にいる彼女は、いつもと違う。
「ううん、どうもしない。私は私」
「?」
「それじゃあ私はそろそろ行くけど……私と会ったことは誰にも言わないでね? 特に堀川さんには」
「え?」
「私のことを知ったら彼女、気にしちゃうかも知れないでしょう? 私としては今のままでいてほしいから」
そう言うと明菜は口元に微笑を浮かべ、
「ばいばい、緒方くん」
別れの言葉を口にして、諒に背を向けた。
「あ、ちょっと――」
諒が呼び止めようと声をあげたとき、明菜の姿は闇に溶けるように消えてしまった。
「なっ!?」
自分が目にしたものが、諒には信じられなかった。
「い……今のは?」
今のは何だったのか? 明菜はどうしたというのだろう?
いや、あれは本当に明菜だったのだろうか? 少なくとも生身の人間はいきなり姿を消すことなどできるはずもない。
だとしたら、今まで諒が話をしていたのは明菜ではなく――。
「藤上、さん?」
死んだはずの、藤上結羽――だったのだろうか? あずさに殺されたあとも幽体となって、ずっとさまよっていたというのか?
思えば諒にも心当たりがあった。公園で死体を発見した直後に感じた、背後からの気配――あのとき自分を見つめていたのも実は、肉体を失った結羽本人だったのではないだろうか?
「まさか、堀川さんにメールを送ったっていうのも……」
だがすぐに諒は、その想像を頭から追い出す。いくらなんでもそれは考えすぎだろう。
それでも先ほどまでの体験は、決して幻などではない――諒にとってそれだけは確かで、紛れもない事実だった。
翌日、退院したこずえに声をかける機会をうかがったものの、放課後になるまで結局まともに話ができなかった。
こずえが友達といるときに話しかけづらいというのもあったが、彼女の方もどうやら諒を避けているふしがあった。
原因が諒自身にあるのならともかく、こずえは特に不機嫌というわけでもなく、むしろどこか彼と顔を合わせるのが辛いようにに見えた。
いったい何がこずえをそうさせているのか――もし自分にできることがあるのなら、何とかしてあげたいと諒は思った。
他人に無関心だったはずの自分がここまで切実に誰かのことを想うときがくるなど、諒は考えもしなかった。
放課後になるとすぐにこずえのクラスに足を運んだが、彼女はすでに帰った後だった。退院したばかりということで、部活も休むらしい。
早足で昇降口を出て、こずえを捜すものの見つからない。追いかけるのが遅すぎたようだ。
「まてよ……もしかしたら、あそこに……」
特に確証があったわけではない。いうなればただの勘だ。それでも諒は何となく、こずえはあの場所にいる気がした。
かつて一度だけ通った道のりを、諒は歩く。
十五分ほどかけて着いた場所は、あの高台にある公園だった。
こずえは一人でこの場所にくることが多いと以前、諒に話していた。彼はそのことを覚えていたのだ。
そして今――こずえは柵に両手を添えて、自分の住む町を眺めている。その物憂げな表情を見ると、諒の胸は締め付けられるように痛む。
諒が歩み寄るのに気付き、こずえははっとした様子で彼を振り向いた。
「お……緒方先輩?」
「や、やあ鳴海……さん」
「どうして、ここに……」
「ここに来れば、鳴海さんに会えるんじゃないかと思って」
「そうですか。私に……」
こずえは目を伏せた。これ以上、諒の顔を見ていられないようだ。
「私……私はずっと先輩を……みんなを騙して生きてきたんです」
懺悔でもするように、こずえは喉の奥から声を絞り出す。
「九年前から笹原あずさのふりを……姉の性格を演じて、自分を偽ってきたんです。そうして何食わぬ顔で
学校の友達や先輩と一緒に笑い合って過ごしてきたんです……」
ゆっくりと、こずえは言葉を紡ぐ。
「そんなこと……許されていいわけ、ないんです……私はただ、自分が失うのが嫌だっただけ。本当のことを話したとき、みんなにどう思われるのか知るのが怖かっただけ……」
「…………」
「私は、こんな狡い自分が誰よりも嫌いで……もう、先輩にどんな顔で会えばいいのか分からなくて……」
こずえの声は、次第に震え出した。
「緒方先輩は、こんな私と一緒になんていない方がいいんですよ……」
それは、嘘だ――こずえは嘘を吐いている。もしその言葉が本心なら、なぜ彼女は今にも泣きだしそうな顔をしているのだろう?
「……何で、そんな」
なぜそんな、悲しいことを言うのだろう? 何がこずえにそんなことを言わせているのだろう?
諒に許せないものがあるとすれば、むしろ――
「何でそんなことを……言うんだ?」
こずえにそんな発言をさせている、すべての存在だった。
「拒絶されるのは、いいさ……ショックではあるけど、まだ分かるよ。でも『一緒にいない方がいい』だって? 何だよ、それ……そんな言い方ってあるか? 嫌いなら嫌いってはっきり言ってくれよ」
「私は、先輩のことを嫌ってなんか……」
「なら、鳴海さんと一緒にいるかどうかは僕が決めることじゃないか。他人に嫌われるのが怖い? そんなの鳴海さんだけじゃない、僕だってそうだよ。誰かと話すのは気を遣って疲れるし、変な雰囲気になったら自分が失言でもしたのかと思ってすごく後悔するし、自分が興味のないことでも話を合わせないといけないのは辛くてしょうがないし……一人でいる方がずっといいよ。自分の好きなことができるしね。実際これまで、そうしてきたわけだし」
諒は自分でも意外に思うほど饒舌になっていた。興奮しているせいなのは否定できない。
「でもさ、鳴海さんはそんな僕とは違う……同じならそこまで思い詰めたりなんてしない。いっそ割り切ってしまえば楽になれるのに、君はそうしない」
こずえは何も言わない。黙って諒の言葉を聞いている。
「それは鳴海さんが僕なんかとは違って優しいからだよ。鳴海さんが自分のことをどう思おうと、それが事実なんだ」
「…………」
「むしろ僕の方が不安でいっぱいだよ。こんな頼りがいもなくて個性もなくて話術もなくてセンスもなくて魅力もない自分が、はたして鳴海さんと釣り合うのかってさ」
「そ、そんな……そんなこと……」
「今の鳴海さんの気持ちが正に僕の気持ちだよ」
「っ……」
「分かってくれた? 僕としては、正直に言うとその……お互い似たようなことを考えてたっていうのは、ちょっと嬉しくもあるんだけど」
「そう……そう、ですね……そうだったん、ですね……」
そう呟いたかと思うと、こずえは両目からぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「え? ああ……どうしよう、ごめん。泣かせるつもりはなかったんだけど……またしくじったかな、僕……」
諒がひどく慌てるのを見て、こずえは涙を拭う。
「いえ……違うんです。私もただ、嬉しかったんです……」
「あ? ああ、そうなんだ? だったら良かった……」
ほっと胸を撫で下ろす諒を見て、こずえは微笑みかける。
「そういえば先輩……あの約束、覚えていてくれてます?」
「? 約束って?」
「忘れちゃったんですか? またデートしてくれるって、約束してくれたじゃないですか」
こずえは不満げに唇を尖らせる。
「あ……う。ご、ごめん……」
諒は頭を下げる。
やはり自分は情けない――少しは男らしくなるべきかも知れないと、ひそかに反省した。
「デート、しようか。また二人で」
「はい。今度こそ……偽りのないデートを、一緒にしましょう」
朗らかな笑顔で言って、こずえは右手を差し出す。
「あらためまして、これからもよろしくお願いします。緒方先輩」
「うん。こちらこそよろしく。鳴海さん」
笑みを返して、諒はその手を強く握った。
(了)




