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「おい、赤城」
昼休み――教室から廊下に出ると、諒は一人の男子生徒に呼び止められた。
振り返ってみる。知らない人物だ。クラスも違う。赤城はもしかするとかなり顔が広いのかも知れない。
「話がある。来いよ」
顎をしゃくって、男子生徒は先に歩く。何だか剣呑な雰囲気だ。出来れば行きたくない。行きたくないが、行かなければあとがこわい。渋々、ついていく。
階段をあがり、屋上に続くドアをあける。普段は滅多に人の出入りなんてない。当然、今も誰もいない。
「…………」
気まずい沈黙。男子生徒が足を止める。諒もつられて立ち止まる。
いったい、何の用だろうか?
男子がこっちを向く。
「あぐっ!?」
いきなりだった。いきなり男は諒の腹を殴った。
「てめぇ、うちの部員に何してんだ?」
意味が分からない。諒には彼が言ってることが理解できない。
「なっ……なんの、こと……?」
腹をおさえて、諒はたずねる。
「とぼけんじゃねぇっ! この前の休み、お前らが一緒にいるのをたまたま見てたやつがいんだよ!!」
右拳が顔面を打つ。
「がっ!」
地面に倒れる。唇が切れたのか、指先で触ると血が少しついていた。
この前の、休み――あずさのことか?
「勝手に退部したやつが、よくあんなマネができるな?」
片足が頭上から降ってくる。諒は頭を庇って丸まる。
「どうしたんだよ、だっせぇっ――ちっとは抵抗したらどうだ!? おいっ!!」
肩、腰、背中、腹――体のあちこちを蹴りつけられる。
抵抗しようにも、諒はこれまでまともに喧嘩なんてしたことなどない。
それにしてもこの男子生徒は、なぜこんなに怒ってるのだろう? あずさのことが好きなのか?
「黙ってないで何とか言えよ、この野郎っ!!」
諒が何もしないことが余計に癇に障ったのか、攻撃はさらに激しさを増した。
自分ではない――自分は関係ないのに、なぜこんな目にあわないといけないんだ?
声を大にして訴えたかった。だがそんなことはこの男子生徒には関係ない。彼にとっては諒こそが赤城だからだ。
気がすんだのか、それとも疲れたのか、これ以上は無駄だと思ったのかは分からないが、男子生徒はやがて諒を残して校舎に戻っていった。
「うっ……ぐ……」
全身が痛い。痛くないところがないくらいだ。諒は痛みにたえながら体を起こし、その場に座り込んだ。
「……んで、だよ……」
理不尽な暴力への怒りよりも悔しさで、涙が溢れる。
「ちくっ……しょ、う……ちく……しょう……」
幸いここには諒の他には誰もいない。彼は一人で泣いた。
がちゃっ――と、ドアが開く音がした。
突然だったため、諒は反射的に振り返ってしまった。
「っ!?」
意外な人物がそこにいた。
「笹原……さん?」
なぜ、彼女がこんなところに?
だがあずさは、なぜか諒以上に驚いたようだった。目を見開いて、口をあんぐりと開けている。
「せ、先輩……もしかして、泣いてるんですか?」
もしかしなくても泣いていた。そんなことは諒の顔を見れば分かる。そんな言わずもがななことでも思わず聞かずにはいられないほど、彼が泣いているという事実があずさには衝撃的だったようだ。
こんな泣き顔をもろに――こんな制服も土で汚れた情けない姿を、あずさに見られてしまうなど――穴があったら入りたいくらいだ。
「今、部長が赤城先輩を連れていったって、友達から聞いて……」
気を取り直したのか、笹原さんはそう口にする。
「ご、ごっごめんっ――何でもないんだ」
諒は顔を拭って、急いで立った。
恥ずかしすぎる――早くこの場からいなくなりたい。
あずさの横を抜けて、校内に入った。
「ぐっ……」
脇腹に痛みが走る。たまらず屈んでしまう。
「先輩っ!?」
慌てたあずさの声がした。
「怪我してますよっ? まさか部長にやられたんですかっ?」
「ああ、いや……平気だから」
諒はあずさを見ずに言い、自力で歩き出す。だがすぐにまた膝をついてしまう、自分で思っていた以上にこっぴどく痛めつけられたみたいだ。
「全然平気じゃないじゃないですかっ!」
あずさが手をかしてくれ、諒は何とか立つことができた。
「保健室に行きましょう、先輩……歩けますか?」
諒は黙って頷いた。
あずさの肩をかりて、一歩一歩進む。
つかまっているあずさの体は柔らかかった。そして甘くていい匂いもする。
よくよく考えてみると、今の諒はあずさと体同士が密着してる。いったん意識してしまうと、顔が熱くなって鼓動も早まる。
保健室は一階だ。それなりに距離がある。女子であるあずさが男子の体を一人で支えながら歩くのは、相当の重労働のはずだ。
実際、あずさは額から汗を滲ませはじめた。
「も、もういいって……」
見かねた諒はそう言って、あずさの肩から手を外そうとする。
「駄目ですって先輩。まだ保健室についてないじゃないですか」
あずさは諒の制服をつかんでひき止めた。意外と頑固だ。
「な、何でそこまで……」
諒とはもう関係ないはずだ。それなのになぜあずさは、ここまでするのか?
「怪我してる人を放っておけるわけ、ないですよ」
「でもさ、それで笹原さんが倒れたら……」
「失礼ですね先輩……私、そんなに体力なさそうに見えますか?」
「あ、えっと……ごめん」
謝ると、あずさの口元がわずかに綻んだ。それを見て、諒も少し安堵した。
優しくて、笑った顔が素敵で――あずさという少女は、やはりそういう人柄で変わりがないのだと分かったからだった。
保健室に着くまでが、かなり長く感じた。
引き戸を開けて保険医の姿を捜してもいなかった。すでに帰ってしまった後のようだ。
「先輩は座っててください。今、手当てしますから」
諒をベッドに座らせ、あずさは棚の中を漁って治療に使えそうなものを探す。そして消毒薬や脱脂綿、包帯などを持って戻ってきた。
傷口を消毒して、包帯を巻いてくれる。その表情はどこをどう見ても諒のことを本心から案じているようにしか見えない。
月曜日の冷たい態度が、まるで夢か幻ででもあったみたいだ。
あのときと今のあずさ――どちらが本当の彼女なのだろう?
諒の手当てをしながら、笹原さんは事情を説明してくれた。
赤城は二ヶ月前まで、あずさと同じ演劇部にいたそうだ。それをいきなり辞めて部員はみんな戸惑ったらしい。
そして事故に遭う三日前――ある女子生徒に執拗に付きまとわれていた赤城は、その子が諦めるまでの間だけ、あずさに自分の彼女のふりをしてほしいと頼んだ。部員の中でもあずさの演技力が一番優れているからという理由だった。
最初は当然、あずさも断った。だが困り果てたようにそれからも何度も協力を申し出る赤城に根負けし、手をかすことにしたのだという。
日曜日のデートは、その延長だった。そしてその結果は――翌月曜日に諒が目にした通りだった。あれからあの女子生徒が現れないところから諦めたと考えていいのだろう。
「…………」
諒に責任はない――だがそんな言い訳は誰にも通じないことは、彼にもよく分かっている。
赤城を取り巻く人間関係をそっくりそのまま、諒は引き継いでいる。だから彼のしたことの結果は彼自身が受け入れなくてはいけない。
「ごめん……嫌な思いをさせた」
女子生徒に頬を叩かれていたあずさを思い出し、諒は彼女に頭を下げた。
「頼まれたって言ってもオーケーしたのは私ですから……先輩を恨んだりはしてないです」
あずさは肩を竦めてみせる。
「それでもさ、やっぱり僕に原因があるよ……ごめん」
出会ってからこのかた、あずさには謝ってばかりだ。それだけ彼女には迷惑をかけてばかりだということだ。
「もういいですよ。済んだことをいつまでも気にしたってしょうがないですし」
あずさはそう言って許してくれたものの、諒の気持ちは晴れなかった。
「それよりも部長のしたことの方が、私は酷いと思います……何もこんな、暴力を振るうなんて」
そしてすくっと立ち上がる。
「ど、どこに行くの?」
「部長に抗議してきます。それで先輩に謝ってもらいます。先輩はここで休んでいてください」
すたすたと、保健室のドアに向かう。
「ま、待ってよ――ちょっと待って!」
慌てて諒も立つ――途端に激痛で床に両手をつく。
「先輩!? 無理しちゃ駄目ですって」
あずさが引き返して手伝ってくれる。
「いいから、僕のことは……軽はずみなお願いをした、僕が悪いんだ……これくらい、自業自得ってやつだよ……」
余計な心配をさせないように笑おうとしたが、うまくできたか自信はない。
「…………」
そんな諒を、あずさはまじまじと見ている。
「……ん? どうしたの笹原さん?」
「先輩。一つ疑問に思ってたことがあるんですけど、聞いてもいいですか?」
「え? う、うん……いいけど」
それからちょっと考え込むようにしてから、あずさは訊いた。
「先輩は……いったい、誰なんですか?」




